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トレンチ13 急転直下

「起きろ! おい、起きてくれ!」

「え……むにゃむにゃ、もう食べられないよォ」

「何を言ってるのだ君は!」

 温かい毛布がはぎとられる。胸の中に忍び込んでくる朝の冷たい空気に震えながら瞼をこすると、そこにはさわやかで朗らかな顔を浮かべ、胸鎧に剣をぶら下げたユエの姿があった。朝の日光に銀髪がよく映える。

「さ、寒いんですけど、ユエさん」

「そんな場合ではないのだ、早く起きてくれ! ほら、寝間着を早く脱げ、一刻も早くだ」

「は、はあ……」

 寝ぼけ頭ながらも、なんとなく事態が風雲急を告げていることを悟る。もっとも、何が起こっているのかはさっぱり分からない。事態は動いているがその中身が分からない、という、現実世界でもよくあった流れに苦笑いを浮かべていると、ユエが震えた声で切り出した。

「それが、ジュ殿が君のことを召還したのだ」

 ジュの眼鏡をくいッと上げる姿が脳裏に蘇る。

「そ、それがどうしたんですか? ジュさんの呼び出しってそんなにすごいんですか」

「ああもうこれだから異世界人は……! あのな、ジュ殿は勅任文人だぞ。勅任文人は勅任官である地方方面軍団長と権限が一緒だからな。それこそ、地方のトップと同じ権限を持っているのだぞ」

 なんとなく、ショク王国の政治システムについても分かってきた。どうやらこの国は軍事が優先していて、地方のトップ(都道府県知事のようなものと考えればいいだろう)が軍人なのだ。そしてそのトップは勅任、つまり王様が直接任じる形でもって権威を持たせている。同じく勅任官である勅任文人は地方トップとほぼ互角の権限を持っているということなのだろう。

 そう納得する良平を前にして、ユエはさらに言い募る。

「それに、ジュ殿が君に“勅任文人召喚状”を出している」

「なんですかそれ」

「法で定められた勅任文人の権限だ。勅任官以下の人々を召還することのできる令状だ。これを無視すると牢を抱く羽目になる」

 なるほど。行くしかないということか。

「で、今、外に馬車が待っている。早く用意をするんだ」

「え、本当ですか! そりゃ大変だ」

「だから大変なのだ! 早く着替えてくれ!」

 なるほど、ユエさんがこんなにびくびくしているわけだ。合点した良平は頭の隅にこびりついている眠気を追い出しながら、のろのろと寝間着を脱ぎ始めた。


「いや、突然のお呼び出し、本当に申し訳ありません」

 ジュが眼鏡をくいと上げ、恭しく頭を下げた。

「いえ、いいんですけど……。ってあれ?」

 王城のジュの執務室。十畳ほどの空間に赤じゅうたんが敷かれ、執務用のものだろう年代物の机と椅子、さらに四面を取り囲む壁を隠すように本棚が置かれている。そんないかにも学者さんのバックヤード然とした空間に、見知った顔がいた。

「どうしたんですか、カトルさん」

「あら、良平君もお越しだったのね」

 そう、ジュの後ろに立っていたのは、王立図書館館長・カトルだった。その柔和な笑みを浮かべ、良平とユエを同時に見比べて訳ありげに微笑むと、ジュの脇をつんつんつついた。

「ジュ君、あなた、先越されちゃったわね」

「は、何がですか!」

 顔を真っ赤にするジュを尻目に、エルフ特有の尖った耳を持ったカトルはうふふと笑う。

「うふふ、わたしはなんでもお見通し」

「……カトルさん、分かってるとは思いますが、僕は勅任文人であると同時に参政職にありますので、いざという時の権限はカトルさんを上回りますのでね」

「ああ怖い!」

 なんか二人が勝手に盛り上がっている。唖然としながらも少し頬を赤く染めているユエを尻目に、良平が切り出す。

「あのう、お二人とも。今日はどういった用向きなんですか? まさか二人の夫婦漫才を見せられるために呼ばれたわけじゃないですよね」

 しかも、面白くもなんともない夫婦漫才だ。この茶番を見せつけられるくらいなら、試掘してそのままにしているセト郊外の貝塚の発掘準備をしたいところだ。

 そんな白けた空気を察したのか、それともカトルとの茶番を切り上げたかっただけか、ジュは眼鏡を上げてこほんと咳ばらいをした。

「ええ、実は、あなたのお知恵を拝借したい事態が発生しましてね。それに、カトル殿の博識にも手伝っていただきたく」

 ジュは机の上に羊皮紙を広げた。そこにはアルファベットとも漢字ともアラビア文字ともつかず、ショク王国の文字とも明らかに異なる文字列が並んでいる。しかし、初めて見る文字が、やがてふにゃりと形を変えて現代日本語に変化していった。おお、これが最初に飲んだ“知恵の薬”の効果だ。

 そして、その羊皮紙の末尾には“ギ王国国王ソウソウ”の名があった。

「これは、ギ王国から送られてきたものです。ギ王国とは無論国交はありませぬが、時折こうして一方的に親書のようなものが届くのです」

「それがどうしたんです? それと僕の呼び出しにどういう関係が……?」

「詳しくは、この“親書”を読んでいただければわかるというものです」

 忌々しげに渡された羊皮紙に良平は目を落とす。そしてしばらく読むうちに、肩が震えてきた。そして、最初のさわりを読んだだけで声を上げてしまった。

「これ、考古学の発掘報告書じゃないですか!」

「やはり、そうですか」

 ジュは眼鏡をずらして目頭を押さえた。

 ギ王国ソウソウの名が入っていたのは、どうやら外交文書の形式文らしい。ギ王国ソウソウが、臣下たるショク王に書を下すものである云々と書いてある。恐らくはギ王国内部で使っている文書形式を表紙にしているらしい。なのでこの表紙は無視していい。むしろ大事なのはその中身だ。

 こんな前時代的な文書の後ろに隠れていたのは現代的な発掘報告書だった。もちろん現実世界の地方自治体で編まれているような厳密なものではない。けれどそれはこの世界に厳密な測量技術がないがゆえだ(緯度経度が分からない、そもそも正確な地図がない、という程度の意味合いだ)。しかし、この発掘報告書は実に面白い。

 どうやらギ王国内部にある半径五千キュビッドにも渡り広がる廃墟都市の発掘報告らしい。この報告によれば、この都市の壁は泥を叩いて積み上げ壁とする版築で作られ、青銅器が検出できるものの鉄器の検出がなく、現在主流である瑠璃陶ではなく素焼きの土器が検出されることに特徴がある、らしい。これだけではただの報告に過ぎないのだけれど、結びの言葉に強く惹かれる。この報告書の著者は様々な留保が必要であるとしながらも、これが伝説のカ王朝の遺跡であるとし、強く期待を持っていると締めくくっている。

 普通、発掘報告書というのはそこまで大風呂敷を広げることができない。余計なことを書いて学者仲間から馬鹿にされるのが怖いからだ。しかし、この報告書はそのタブーを破っている。そのダイナミックな(というか向こう見ずな)筆に、一種の清々しさを覚える。

 けれど……。

「あのう、カ王朝というのは何でしょう?」

「はあ? 知らぬのか? さすがのわたしもカ王朝は知っているぞ!」

 胸を張るユエ。しかし、そこから先、説明を加えようという様子はなかった。それどころか、ジュやカトルに哀願の目を向けている。あ、ユエさん知らないのね……。

 見るに見かねたのか、カトルが頬に手をやってため息をついた。

「わたしたちのこの世界、ブレインガルド初の人間の王朝とされているわ」

 カトル曰く――。

 カ王朝は初代からずっと聖王と称される名君が治めていた。聖王はかつて忌まれていたエルフとも率先して親しく交流し、今日の人間とエルフの混血のきっかけにもなったと言われている。政治は安定し、学芸も栄えた。まさに王道楽土であったと伝わる。

 ただし――。ジュが付け加えた。

「この王朝には正史が存在しないため、実在したとはみなされていません。あくまで伝説上の王朝と見なすべきでしょう。それが証拠に、五百年続いたとされている間、誰一人として王が堕落しなかったとされています。百年も経てば王朝内部には腐敗が広がるというのは歴史の示す公理。されどカ王朝にそれがないということは、理想の国家の姿を後世の人々が過去に求めたものである、というのが歴史学徒の暫定的な結論です」

 正直その理解はどーなのと思わないこともなかったけれど、たぶんこの世界でも歴史学は相当深められているはずで、その結論に至るには他の根拠もあるのだろうと考え直して疑問を口にはしなかった。それに、良平の興味はそこにはなかった。

「実在しないとされている王朝が存在する証拠が出てきたってことですね。なんかきな臭いですね」

 古今東西、神話でしか語られていない王朝の遺跡が出土したというニュースは眉に唾をつけなくてはならない。とくに、建国神話に関わるような王朝の場合は特に念入りに眉に唾を練り込まなくてはならない。現実世界でも、1990年代に朝鮮王朝の祖とされる檀君の墓が北朝鮮で見つかったというニュースが流れたことがある。恐らく考古学上の価値はあるまいというその“発見”については、北朝鮮が朝鮮半島における自らの正当性を示すために見出した“遺跡”であるという見方が強い。

 そうなのよ、とカトルも同意した。

「カ王朝はブレインガルドの正当な支配者としてずっと称揚され続けている王朝だから。その遺跡がギ王国内にあったとなれば、いい宣伝になるわよね」

 そういうことだ。

 ユエは既に話を聞いていないようだった。その辺の椅子に腰かけてぎーこぎーこと漕ぎ始めている。そのユエを眺めてため息をついたカトルはさらに続ける。

「そう。わたしなんかはギ王国のでっち上げだと思うの」

「僕も同感です」ジュが頷く。「そこで、あなたにお伺いしたいのです。この遺跡、本物か偽物か、あなたに判断がつきますか」

 難問だ。遺跡の発掘報告書はあくまで紙の上の情報に過ぎない。いくらでも嘘はつけるし、いくらでも話を盛ることもできる。

 良平は正直に言った。無理だ、と。

「論文ではいくらでも嘘をつくことができます。僕が判断できるのは、論文としての完成度だけです。その観点から見れば、この論文はよくまとまっていますし見やすいですし論旨も明快、そして、面白い、というところになるでしょう」

「つまり、文書形式として問題がない、と」

「はい」

 何とこの報告書、グリッドによって遺跡を細分化された実測図(ここでは遺跡を上から見た図)も備わっており、さらには堆積している地層についても記載がある。さらには出土した土器の実測図(これは土器の形をトレースしたもののこと)も残してある。もちろん現代の発掘報告書と比べてしまうと問題があるにせよ、二十年前のものと言われれば納得する出来だ。これを測量技術が発達しておらず土木技術もさほどないこの異世界でやっているのだから相当なものだ。

 しかも――。良平は自らの感想を手短に言った。

「どういうわけかはわかりませんが――。この考古学は、まさに日本考古学のやり方そのものです」

「ニホンコウコガク? なんですかそれは」

「僕が学んだ国の考古学ということです」

 明治期に西洋列強から入った日本考古学は、西洋考古学の影響を受けながらも独自の進化を遂げている。その一つが、土器などの実測図の精密さだ。アメリカの考古学者の多くは実測図をそこまで精密に書かない。それはその国の学問のお国柄というもので、他の国が遅れているわけではなく、日本が特に実測図に血道を上げている、という程度の特徴であるに過ぎない。いずれにしても――。この発掘報告書に挟まっていた実測図は、日本で考古学を学んだ人間の知識が入り込んでいる。

「ほう、ならば」

 ジュの眼鏡が光った。

 なんか嫌な予感……。

 いつもはまるで当たらないはずの良平の予感が、この時ばかりは当たったのだった。

「良平さん。あなたにお願いしたい。この発掘作業とやらがギ国で実際に行なわれているのかどうか、確認していただきたいのだ」

 や、やっぱりだー!

 良平は心の内で悲鳴を上げた。


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