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トレンチ1 はじまり

 むむむ? なぜ僕はこんなことになっているのだ?

 そんなモノローグを描きながら、良平は、目の前の光景に首をかしげる。

 目の前には、槍や剣という――法治国家の日本にあるまじき――武器を構えてケラケラと笑う一団がいる。舌なめずりをしたり、良平のことをつま先から頭の上まで見回したり、目を血走らせたり……。しかもその一団ときたら、ターバンのような帽子をかぶり、さらには薄汚れた外套という、これまた日本ではお芝居でしか見ることのできないようなスタイルだ。もちろん顔は黄色人種のそれではないのだけれど、一応それなりに勉強しているはずの良平ですら、このエキゾチックな顔がどの民族に属するものか、すぐに判別することができなかった。

「あ、あのう」

 コミュニケーションを図ってみる。しかし、通じない。怪訝そうな顔をして、ターバンスタイルの男どもの頭と思しき男は唾を吐いた。その唾は地面の砂地に落ちた。

 ん?

 唾が吸い込まれていくのを間近に見たその瞬間、良平は気づいた。

 ここ、どこだ?

 地平線いっぱいに続く砂漠。時折、赤く燃える葉を擁した背の高い(そしてここからが大事なのだけれど、図鑑ですら見たことのない)木が立っている。日本でこんな奇景をお目にかかれるとすれば鳥取砂丘くらいのものだろうけれど、良平はさっきまで東京のアパートにいたはずだ。

 なんだよこれ。

 しかし、状況は良平の理解を待ってはくれなかった。

 頭目が、剣の切っ先をこちらに向けてきた。そして何事かをわめいている。空気から察するに「金目のものでも出しやがれ」というところだろうか。

 良平はくたびれたデニムパンツや、しわしわのワイシャツのポケットをまさぐってみた。だが、いくら調べても金目のものは出てこない。唯一あるとすれば、大学院に入学するときに祝いで貰ったGショックだ。背に腹は代えられない。Gショックを差し出す。すると頭目はいきり立った。さしづめ『こんな訳のわからんもんを寄越すんじゃない』という辺りだろう。

 こりゃやばいなー。今更ながら、命の心配をし始めた、その時だった。

 砂塵を巻き上げながら、一人の騎兵がこちらにやってきた。

 しかし、良平のイメージする騎兵と、今目の前に現れた騎兵はまるでイメージが違う。そもそも乗っているのも馬ではない。馬と蛇をあいのこにしたような四本足の生き物にまたがっている。そのくせ、騎士の纏う鎧は15世紀ヨーロッパ調のアーマーメイルだ。そしてそういう騎兵にはランスが付き物なのに、その騎士はランスではなく、レイピアのように刃の薄い剣を掲げている。

 なにこれ、考証とか全然なってないじゃん。

 しかしそんな良平のモノローグを無視する格好で、騎士は何事かを叫んでレイピア様の剣を掲げた。

 その時だった。良平の目の前で、非科学的な出来事が起こった。

 騎士の剣が赤く光り、妖気を放ちはじめた。その赤い妖気が濃くなったかと思ったら空に向かって矢のように飛んでいき、頭上で雲を一瞬で形成する。そして降ってきたのは――、ゴルフボール大の雹だ。

「痛い痛い!」

 良平は悲鳴を上げる。

 見れば騎士のアーマーメイルもカンカンと音を立てている。心なしか、騎士を支える馬とも蛇ともつかない変な生き物も辛そうに目を細めている。

 しかし、良平に切っ先を向けていた連中には効果てきめんのようだった。雹から逃げ回り、雹が当たるたびに悲鳴を上げ、やがてはその場からすたこらと逃げていった。

 た、助かった。

「あ、ありがとうございます」

 痛いけど! すげえ痛いけど! 頭に出来たたんこぶをさすりながら、良平は頭を下げた。

 すると騎士は馬からひらりと降り立った。いや、15世紀のごてごてしいアーマーメイルなのにこんな身軽なわけないだろ、この鎧の中にいるのはムキムキマッチョか、などと想像していると、騎士は本来なら自力で外せないはずの兜を取り払った。

 良平は思わず息を飲む。

 零れ落ちたつややかな長い銀髪が目を引く。広がった髪を手で払いながら形のいい唇の口角を少し上げる。鼻筋が通り、目が大きく、けれど各パーツが自己主張をしすぎていない。相変わらずエキゾチックな顔なのだけれど、どの民族の特徴とも一致しない。そんな正体不明な点はさておいて、とてつもなくかわいい女の子だったわけだ。

 その女の子――騎士――は、何事かを話しかけてきた。何を言っているのかは分からないけれども、形のいい唇から零れ落ちる言葉は聞いているだけでも心地よかった。

「あ、あのう……、ここはどこなんですか」

 しかし、騎士の女の子は首をかしげて怪訝な顔をした。やがて思い至ることがあったのか、ぽんと手を打って、馬のような蛇のような生き物の鞍の後ろにぶら下げてある袋に手を入れた。しばらくまさぐっていると、彼女は宝物でも手に入れたかのように笑みを浮かべ、良平の前に戻ってきた。

 騎士の女の子が差し出してきたのは――。青い小さな壜だった。ガラス……? いや、ガラスにしては透明度も低い。かといって、青磁とも違う。ついくせで見入っていると、騎士の女の子は良平の手にそれを握らせ、身振り手振りでこの壜の蓋を開けるようにと言ってきた。

「蓋を……? えいっ」

 良平はコルク(違うかもしれないがそうとしか見えない)の栓を引き抜いて、壜の中身を手に空けてみる。すると中から、BB弾と同じくらいの大きさの真っ白な丸いものが転がり落ちてきた。

 目の前の姫騎士は、身振り手振りでこれを飲めと指示してくる。

「ま、マジで……?」

 姫騎士は頷く。

 で、でもなあ……。良平はたじろく。だってあなた、命の恩人とはいえ、見ず知らずの他人からいきなり差し出された怪しい薬を飲む気になれますか? ええ僕はなれませんともよ! 心の中で力説してみた。

 けれど、姫騎士は無慈悲だった。僕の手から丸薬をひったくるようにして取ると、良平の口めがけてそれを無理矢理に放り込んだ。

「ななな、なにするんだよごっくん」

 飲み込んで、通じる期待を一切していない抗議の声を上げた。

 目の前の姫騎士は、ふぅむ、と唸った。

「効いているか、な。“旅人”よ、私の言っていることがわかるか?」

 小鳥のさえずりのような声が僕の鼓膜を揺らし、意味となって迫ってくる。さっきまで聞き流してしまっていたバラバラな音が集積して脳内ではじけるような感覚に、良平はしばらく声をなくしていた。だが、気を取り直して頷いた。

「あ、ええ、一応……。っていうか、日本語を喋れるならそうと言ってくださいよ」

 しかし、姫騎士は変な顔をした。

「“ニホン語”? なんだそれは。私はそのような言語は話せんよ」

「いや、きっちり日本語を話してますけど」

 すると姫騎士は手にある青い壜を掲げた。

「この丸薬は異なる言語体系を持った者と対話するための丸薬、“知恵の薬”だ。これを飲むと聴き慣れない言葉を自分の母語に変換してくれる。すなわち、私たちの言葉をあなたの母語に変換して、あなたが喋る際にはあなたが母語で考えた内容が訳されて口から飛び出る仕組みだ」

 へえ……。便利な丸薬があったもんだ。っていうか、“知恵の薬”ってどこかで聞いたことがある気がしているんだけれどどこだったか。そうやって首をかしげる良平だったが、とりあえずそんな些末なことより前に知りたいことはたくさんある。

「あの、ここはいったい何処なんですか? 日本じゃないのは確実ですけど!」

 砂漠のど真ん中、しかも姫騎士の後ろに控える馬とも蛇ともつかない生き物。どう見てもここは日本じゃない。っていうか、こんな日本があったらヤダ。

 すると姫騎士は、ふふ、と笑った。

「ああ、“旅人”よ。その問いに答える前に、一つ確認しておきたいことがある」

「は、はい?」

「あなたは、“戦人のメダル”をお持ちか?」

 持ってない、と答えると、銀髪の姫騎士はまつ毛を伏せた。

「そうか。久々の“旅人”だから期待していたのだがな」

「あの、ですから、ここはどこなんですか、マジで」

 落胆を隠せずに曇った顔を見せる銀髪の姫騎士は、すねたような顔を言った。

「ああ、ここはブレインガルドのショク王国だ。今私たちがいるのは王国内の東、タクラ砂漠の周縁部分となろう」

 ん? “ブレインガルド”に“ショク王国”に、“タクラ砂漠”だあ?

 良平はようやくあることに気づいた。これ、“ブレインガルド物語”の地名じゃないか、と。

 “ブレインガルド物語”とは、いわゆるMMORPGの一つだ。ブレインガルドという大陸に三つの大国があって覇権を競い合っているという設定だ。その中、プレイヤーはその三大国のうちのどれかに属して闘う。ちなみに稼働開始から一年程度経っているが、いまだに三国の趨勢ははっきり決まっていない。ある国が優勢になるとゲームの制作会社がテコ入れをしてお客を誘導することで三国の均衡を図っているようだ。

 でも、なんで“ブレインガルド物語”の地名が?

 まさか……。

 ある可能性が頭をかすめた。しかし、とりあえずそれを棚上げして、怪訝な顔を浮かべている姫騎士に疑問をぶつけた。

「で、なぜあなたはここに?」

「ああ、わたしは“旅人”を導くお役目を負っているものでな。占いババの予言で新たな“旅人”がタクラ砂漠に現れると出たので迎えに来た。そうしたら、砂賊に絡まれているのを見つけたという次第だ」

 まったく“ブレインガルド物語”の展開と同じだ。

 “ブレインガルド物語”の始まりは、ある個所にプレイヤーが落とされるところから始まる。そして、導き手である姫騎士(プレイヤーが男性の場合。女性の場合はイケメン吟遊詩人がその役目を負う)が現れ、このゲームのチュートリアルをしてくれる。

 ということは……。

 良平は恐る恐る、しかし、確信をもって聞いた。

「もしかして、姫騎士さん、ユエさん?」

 ふう、と姫騎士は息をつき、不機嫌そうに眉を上げた。

「なぜ“旅人”は皆、私の名前を知っているのかな」

 ビンゴだ。

 ショク王国から始めた場合、プレイヤーの導き手は銀髪の姫騎士の“ユエ”だ。実はプレイヤーの間ではあんまり“ユエ”は人気ではなく、同じ導き手ならば他国の“キン”や“キョウ”が人気だ。某掲示板を覗くと、どうも鎧兜に身を包んで塩対応を見せる“ユエ”は今一つ萌えない娘扱いされている。

 そんなことはどうでもいい。

 これではっきりしたことがある。

 どうやら僕、MMORPGの世界に転生しちゃったっぽいぞ! 異世界転生ブームにうかつにも乗っかっちゃったぞこのやろう!

 でも、万が一夢の可能性もある(っていうか、冷静に考えれば万に九九九九は、だけど)。

「あの、ユエさん、いきなりアレなんですが、僕のことを本気で殴っていただいていいですか」

「は、はあ? 何を言っておられるのだ“旅人”」

 困惑するユエに頼み込む。

「お願いします! 是非その拳で思いっきり! ええ思いっきり!」

「ああ、変態さんという奴だったのか……」

 ユエは思いっきり拳骨を作って右ストレートを放ってきた。閃光のような一撃がもろに頬に刺さり、激痛が全身を駆け巡ったその時になってようやく、良平は悟った。

 あ、これ、全然夢じゃないや、と。

 そして、あまりの激痛に意識が遠ざかる中、良平は、この世界に紛れ込んでしまったきっかけをふと思い出したのであった。

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