必殺の剣物語
チリン、と喧騒渦巻く城下の酒場に、ベルが響く。
続いて、がちゃり、がちゃり、という重厚な音と共に、大きな真紅の塊がスルスルと入ってきた。
塊は、飲み客の変わらぬ喧騒の真ん中で立ち止まり、ゆっくりと周囲を眺めまわしている。
「座りな。」
塊の視線が右手の階段を登り、二階の様子に移ったとき、酒場の親爺が、前のカウンター席の端を指差しながら声をかけた。
塊はその言葉を受けてもなお、立ったまま親爺の顔を見つめていたが、やがて、彼の潰れた片目から何かを理解したのか、大きな身体を小さくして、丸太イスに腰を下ろした。
「ご注文は。」
「……ぶどう酒と、チーズを。」
威厳ある声のオーダー、と共に丸太イス上の真紅の塊はほぐれ、見事な銀の甲冑に赤のマントを背負う金髪の騎士が現れた。
「少々、お待ちを。」
親爺は素っ気なく返事をして、奥の調理台に向かう。
その後ろ姿をぼんやり追うと、騎士は両肘をテーブルに突いて、ようやく落ち着く様子を見せた。
「今さらだが、人足の酒場も悪くは無さそうだ。」
少しやつれた顔に苦笑を浮かべて、黒く使い込まれたテーブルに目を落とす。
初めてこんな所に入ったような口ぶりだが、それもそのはず。
彼はこの王国の軍を率いる将のひとりだった、のである。
2mはあろうかという長身とガッチリした体躯、それを包む武具、剛健な体に不釣り合いな整った顔立ち、肩まで伸びる金の髪……。
これらは誰の目にも、彼の抜群の才覚を予感させた。
しかし、現在の彼をよく観察すると、鎧は細かく傷つき、頬はこけて無精ひげもチラホラ見える。髪も乱れ気味だ。
今の彼の姿が、何らかの苦難によるものである事は明白である。
有力な将であった彼にどの様な──……。
「お待ち。」
ぼうっ、とテーブルの年輪を追いかけていた騎士の意識は、親爺の給仕で取り戻された。
何気なく、木の杯になみなみと注がれたぶどう酒に口を浸け、チーズを少しかじる。
毒は無いようだ。警戒は絶っていない。左奥。
騎士はチーズを口に押し込み、ぐい、ぐいとぶどう酒をあおった。
「店主。」
杯を置くと、親爺に声をかけた。
「ひとつ、聞きたい事が有るのだが。」
「どうぞ。」
親爺は洗った肉切りナイフを磨きながら、応じた。
「抜けば必殺の剣、知っているかね。」
ぴたり、と磨く手が止まった。
「知らねえです。」
親爺は騎士に向け、潰れた片目を近づけた。
「……そんなものを何に──。」
「その剣のありかなら、俺らが知ってるゼ!!知りたきゃカネを──!!」
問答を聞いていたらしき、左に居た三人組が、ナイフを抜いて急に割り込んできた。
ランタンに照らされた酒場に、マントの影が、ひるがえった。
いつ腰から抜いたやも知れぬ騎士の両手剣が、賊のリーダーらしき男を頭から叩き割った。
「ぎっ!」
残りの賊二人が奇声を発して呆気にとられる。
その頃には既に、騎士の撃剣が彼らを襲っていた。
ひとりは左肩から右脇にかけて袈裟に、もうひとりは首に強烈な突きを受け、絶命した。
「すげえ!!」
木の床に血溜まりがにじみ始めると、むさ苦しい野暮な酒場に大歓声が挙がった
「ヒトを斬るため、だ。」
賊の着ていたぼろ布で剣を拭って鞘に納め、乱れた髪をかき上げると、騎士は親爺に向き直った。
「……。」
親爺はしばらく黙考している様子だったが、ふっ、と息を抜くと、取り出した牛皮紙に何かを書いて、それを騎士に渡した。
「迷惑してたワル共を斬った礼だ。後はオマエ次第だ、“馬”の騎士さんよ。」
親爺の顔は、厳しいままだった。
「恩に着る。お元気で。」
テーブルに金貨を一枚置いて、騎士は歓声を背に、酒場を後にした。
外は暗く、三日月と民家の灯が石畳を照らしている。
騎士は再びマントに包まれると、身をすくめて足早に王城へ戻った。
彼は、城の部屋に着くと甲冑も脱がずにソファーへ腰を下ろし、渡された牛皮紙を開いた。
「貧民街の、奥。」
ただその一文のみが、書かれていた。
────……
翌朝、騎士は、同僚の乱暴なドアノックで飛び起きた。
閉じたがるまぶたを擦りながら、ドアを開けて、一歩飛び退く。
眼前には、ずんぐりと小柄で毛深い“獅子”の将が、上下肌着に鉈一本という、いつもの姿で立っていた。
獅子より、小熊の位が似合いだろう。
「先の、戦の、疲れか。」
ハッキリ一言ずつ話す彼を、騎士は信頼している。
「ああ。」
「しかし、第二王女の荷支度も明日に整う。もう、じきにお別れだ。」
騎士は微笑みつつ、小熊に伝えた。
「キミの、考えは、わかる、馬。」
「死ぬぞ。」
「承知している。」
騎士は、臓腑に血が巡るのを感じた。
「そうか、なら、良いんだ。」
「さらば。」
その忠告だけ残すと、“獅子”の将は、並びの自室にふらふらと戻っていった。
ありがとう、と騎士は心で囁き、甲冑を着込みはじめる。
必殺の剣を求め、貧民街の奥に向かうために。
─────……
貧民街は、この王都の四角い城壁沿いに、ぐるりと形成されている。
その奥、と書かれても一般人は解釈に困る所であろうが、騎士には大ざっぱな検討がついていた。
北側の城壁の角は常に暗く、石畳も敷かれていないため、ちょっとした沼地の様になっている。
そこが牛皮紙にある、貧民街奥だろうと、騎士は踏んだ。
案の定、軟弱な土地に並ぶ小屋をシラミ潰しに調べていくと、
窓や戸口から騎馬を迎え撃たんとする様な槍が多数突き出ている、異様な小屋を見つけた。
「ここに……。」
騎士が、左手を腰の鞘に添えつつ、槍の突き出た戸口に慎重に近づく。
すると、しわがれた老人の声が、中から聞こえた。
「知っておるぞ。剣か。」
「何のために。」
「お前には扱えまい、負け馬よ!」
「ヒト殺し!!」
老人は、騎士が来ることを知っていた様な口ぶりで、まくし立てた。
しかし、騎士も何らかの決意からか、怯まなかった。
「私は、私の騎士道の下に、ある高貴な女性を守らねばならないのである!!」
「そのためには、貴殿の必殺の剣を持つしか、もはや術は無いのだ!!」
「私は確かに、先の島国ブリタニカとの戦で敗れ、もはや王の将たる地位を失い、敵国の王女のお守りを命じられた。」
「しかし、しかし!命じられたからには、罪も無い、彼の国の、交換人質である第二王女を、高貴な乙女を、辱めさせる事など……!!」
騎士がそこまで叫ぶと、小屋の戸が静かに開いた。
そして中から、骨と皮の化け物かと見紛う痩せこけた老人が、ゆっくり、にこにこと笑みを浮かべて歩いてきた。
認めてくれたのだろうか。こちらも微笑みを返した。
後ろに、黒い影が揺らめいた。見逃さなかった。
謎の影は、老人の背からみぞおちを、矢よりも速いであろう速度で貫き、騎士を襲った。
影に気づいて鞘を左手で握り締めていた騎士は、とっさに両手剣の柄を突き出して、影の先にぶつけた。
我が身を撃ち抜こうとした影の正体は、一振りの剣であった。
浮遊する魔剣は、ぎりぎり、と、恐るべき魔力で、騎士の左剛腕に支えられた両手剣の柄を、押し返してゆく。
「これが、抜けば必殺の、剣か!!」
騎士の顔が、冷や汗にまみれた。
受け止めている鋼鉄の柄に、魔剣が、ぞりぞりと食い込む。
下を見ると、貫かれ、倒れた老人の手が、何かを掴んでいた。
「魔剣の、鞘だ!!」
イチかバチか右手で、浮遊する魔剣の柄をがっしと掴む。
その刹那、左手で地面の鞘をひったくり、魔剣を納めようと試みた。
しかし、必殺の剣を掴んだ手は、もはや騎士のものでは無かった。
魔剣の言いなりとなった右腕は、騎士の心臓を貫かんと、じわじわ動き始める。
切っ先が、彼の着ている鉄甲冑の胸板を貫きはじめた。
「ここで、死ぬのは、騎士ではない!」
「早駆けの、馬を、舐めるな!!」
瞬時に身を左回りに引き、魔剣の刀身を歯でくわえ、体から僅かに遠ざけた所に左手の鞘をあてがう。
魔の右腕は、その貫かんとする勢いで、古びた鞘に必殺の剣を納めた。
「化け物め、畜生……!」
ゼエゼエ、と息を切らしながら、騎士は必死に、魔剣を抱いてぬかるんだ地面に押さえつけた。
どうやら、必殺の剣は、騎士を所有者と認めた様である。
死地を脱し、冷静さを取り戻した騎士は、前方を見回した。
……そこには、柄を無残に切り込まれた両手剣と、満面の笑みを浮かべた老人の死体が横たわっていた。
「この必殺の剣。なぜ戦で使われなかったのか、よく理解できたよ、御老人。」
魔剣は、古い時代に使われたグラディウスという短剣に、よく似ていた。
騎士は老人と両手剣を、異様な小屋の中に安置すると、とぼとぼと来た道を帰った。
その腰に、魔剣を携えて。
「忘れるな。その剣は、必殺の剣だ。」
街を抜ける風の中に、老人の声が聞こえた。
────……
……ついに今日は、ブリタニカ第二王女が、新しい幽閉先となる島へ旅立つ日、であるのに、オレは寝ぼけているのだろうか。
漆黒の闇の中、眼前で、知らない二人の剣士が斬り合っている。
黒い甲冑の、ロングソードの剣士と、古めかしい格好の、グラディウスを持った剣士が……。
お互い凄腕だ。オレ、勝てるかなあ。
アア、何か叫んでいる。
「ボクは国のために、オマエを斬るんだ。」
「オレは、全員斬るのだ。全員だ。強くなるのだ。」
「全員斬って、強くなって、どうする。」
「ブリタニカを守るのだ!」
「全員斬ったら無くなっちまうぞ、そんなもの!!」
「なら貴様は、何を──。」
「ボクは国の、愛する──。」
そのうち、お互いにお互いを貫いた。
両者は組み合ったまま、絶命した。
そこに、ひとりの盗人らしき者が忍び寄ってきた。戦場荒らしだろう。
黒い剣士のロングソードが刃こぼれしているのを見てあきらめ、古い剣士のグラディウスを、盗っていきやがった。
オイ、待てよ、それは二人の大事な、待て──。
……。
────……
「目を覚ましなさい、我が騎士。」
「島に、着きましたよ。」
騎士は不覚にも、揺れる船の上で眠りに落ちていたようで、主の声で目を覚ました。
「申し訳ございません、王女様。」
床に跪き、頭を垂れる。
「そなたが居眠りなど、珍しいですね。」
白いヴェールを被りつつ、美しい少女は無邪気に笑った。
王女と騎士、それに荷物を担いだ数人の護衛と小間使いは、船から島に上陸すると、丘の上の小さな館を目指して歩いた。
「……綺麗な島ね。」
なだらかな坂を登りきると、眼下には真っ青な海と砂浜、白い漁民たちの家が広がっていた。
それらは、雲一つ無い快晴の太陽にキラキラと照らされ、ヴェールをおさえて佇む少女の背中と共に、例えようのない風景を作り上げていた。
「私、魚釣りをしてみたい。」
「お教え致しますとも。」
騎士は笑った。
────……
一行は館に着くと、一通りの掃除をしてホコリを払い、王女の寝室を何とか整えて、夜を迎えた。
騎士は、一階の殺風景な部屋の床に寝具を敷いて、横になっていた。
「……明朝、三十、いや、五十か。」
今回の命令は、しくじった自分と目障りな敵国の第二王女を、まとめて始末するためのモノだろうと彼は気づいていた。
「やはり、剣を抜く以外に無いか。」
僅かな護衛だけでは、正攻法で敵を迎え撃つのは無理だと悟った。
しかし、恐らく抜けば──……。
その時、ドアの外に、歩み寄る人の気配を感じた。
騎士は立ち上がると、静かにドアを開けて、周囲を確認した。
王女がろうそくを手に、階段を下りていた。
「どうなさいました。」
小声で聞くと、王女は黙って手招きして再び階を上がり、寝室へと消えた。
「夜分、失礼致します。」
王女の寝室に入ると、小間使いの女を払ってあることに気が付いた。
「今夜は、そなたと寝たい。」
少女は顔を真っ赤にさせて、騎士に頼んだ。
騎士は何も言わず、王女のベッドに潜り、彼女のうるんだ瞳を見つめる。
少女は気恥ずかしいのか、ぎゅう、と彼に抱きついた。
「妾は、そなたに殺されるのか?」
騎士を抱きしめつつ、少女は問う。
「皆、死にます。」
騎士は答えた。
少女はその答えに驚きの表情を浮かべたが、やがて、騎士と共に安らかな眠りについた。
────……
「王女様!隊長!館が、包囲されております!!」
護衛の兵士が、寝室のドアの前で叫んだ。
身支度を整え、昨日と変わらず晴天の、窓の外を眺める。
やはり、五十以上のゴロツキ兵が館を囲んでいた。
「各隊のはみ出し者か、気が楽だな。」
魔剣をとって、鉄兜を脇に、王女に一礼する。
「さらば、この一命に懸けて御守り致す。」
「さらば、我が騎士よ。」
護衛の兵士たちと共に、階段を下りる。
「貴様らは館を死守せよ。」
「小間使いたちは王女と共に、館の中に。」
「火をかけられたとて、動くな。」
低く、殺意に満ちた声で命令した。
兜を被り、外へ出る。
「敵国ブリタニカ第二王女、及びその騎士よ!貴様らは王に対する反逆により、死罪となる!!」
「抵抗するならば、王の名の下に、この場で処刑する!!」
ズラリと並ぶ敵兵の中から、宣言が聞こえた。
「我が命尽きようとも、我が身朽ちようとも……。」
「勇士たちよ、どうか、これで最後に……。」
騎士は、ぶつぶつと何事かを口ずさみながら、右手で柄を握り、必殺の剣を抜き放った。
瞬間、騎士の巨躯は、およそ人間とは思えない速度で敵陣へと突進し──。
もはや、何をどう斬ったか、誰に斬られたかなど、皆目見当がつかない。
ただ、魔剣を握る右手から全身に力がみなぎってくる。
刺された足が痛む、斬られた腕が痛む、しかし身体は止まらない。
……コイツら、きたねえツラしてやがる。
アレ、今の奴は、昔、オレの部隊に居たな。
ウチの兵士は、あと三人か。
敵は何人だ?あと何人だ?敵は何人だ?敵は……。
「お止めなさい!!やめて!!」
彼は背後の館から、主の声を聞いた気がした。
振り返ると、横腹に敵の戦斧が食い込み、騎士の身体は上下に別れた。
それでも魔剣は戦斧の持ち主を斬ったが、もはや騎士の目に光は無く、ただ地面に伏せて、土を眺めていた。
────……
館の中では、小間使いの女と王女が敵に押し倒され、陵辱を受けようとしていたのである。
「アナタたちに、誇りは無いのですか!!」
服を剥ぎ取られながらも、王女は敵の暴漢を非難した。
しかし、その声の意味が通じる相手ではない。
「オマエをたっぷりと犯して、それからじっくり、殺してやる。」
暴漢は、ニタリと薄気味悪い笑みを浮かべた。
王女はその笑みに恐怖し、涙を浮かべて目をつむる。
「我が騎士、我が騎士よ……。」
震える唇で、そう繰り返した。
暴漢が下履きを脱ぎ、王女の足を乱暴に広げた。
王女は暴漢の背後に、得体の知れないものがふわふわと浮いているのを見た。
「アッ!!」
王女の右で、別の暴漢が小間使いを犯していたが、
謎の物体は小間使いごと、その暴漢を斬った。
それは、絶命した騎士の上半身であった。
魔剣を持つ右手に吊られる様に浮かび、目は虚ろで、腹からは血濡れの腸を垂らして……。
王女を犯さんとした暴漢は、身動き一つ取れない。
「ありがとう。」
王女は笑顔で、魔剣の一閃を受け入れた。
と同時に、最後の敵を討ち果たした必殺の剣は、騎士と共に崩れ落ち、床に砂となって散った。
────……
その後、王国は将たちの反乱で共和国となり、暫しの平和を謳歌したと聞く。
この物語は平和な世の中で語り継がれ、立派な騎士を生み出し続けるのであろう。
───────────
アイデアと勢いだけで書いたら、歴代最高の長さになりました。
どことなく、WW2前?の無残系時代劇小説に似てるかも知れません。
読んだことはないですが。
何となく、オトコの生き様みたいなものを感じて頂ければ幸いです。