マイ・スウィート・リベンジ
少女は彼氏と喧嘩をした。
原因は当事者同士がすぐ思い返してみても失笑するほどつまらないことである。だから少女は早い所謝って仲直りしようと考えており、彼氏も同じ考えであった。
でも、普通に謝って仲直りするだけというのもなんだか面白くない。些細な理由での喧嘩というものに対して、仲直りまでもあっさり済ませてしまうというのは失礼とすら思った。だから謝りがてら、ちょっとだけ彼氏に仕返しをしてやろうという悪戯心が、少女の心に芽生えた。
どうしてやろうか。アイデアを出すために、少女は散歩しながら考えることにした。じっとしているより動きながらの方が、考えが浮かびやすい体質なのだ。
その効果は思いのほか早く現れることになる。家を出て五分ほどの所にあるコンビニの前を横切ろうとした時、少女の足元に白っぽいものが映った。アスファルトへ視線を落とすと、ソフトクリームの小山があった。周辺に白い飛沫が散っていくつか小さな池を形成しているのが、誰かがはずみで落としたのであろうことを物語っている。
山腹や池には、たくさんの蟻が集っていた。少女にとってその様を形容する比喩は、登山やレジャーというより、トッピングチョコの方が自然であった。
少女は「これだ!」と直感した。即座に踵を返し帰宅。出発して五分少々で戻ってきたことを訝しむ家族を気にも留めず、脳内に閃いたイメージを具現化すべく、キッチンで制作に取りかかり始める。
元来、お菓子作りを得意としており、周囲の人間全てから高評価を得ている彼女である。魔法のような手際で、たちまち四個の白いカップケーキを完成させた。匂いにつられて引き寄せられてきた家族に一つずつ与え、残りは二つ。うち一つを、少女は小さな白い手で摘み上げ、いずこかへと向かっていった。
同日夕方、少女は彼氏に電話をかけ、公園で会う約束を取り付けた。電話を切ってすぐ家を飛び出し、小走りで向かう。
薄暗くなりかけた公園には、まだ児童の元気な遊び声があちこちでこだましていたが、それらの存在は少女の認識の外である。彼氏はすぐにやってきた。
「この間はごめんね。おわびにお菓子を作ってきたの。食べてくれる?」
顔を見合わせた早々、小さな白い箱を差し出すと、彼氏は大喜びした。早速開けていいかと聞くので、少女は笑顔で頷いた。
彼氏は掌の上に咲いた白いカップケーキに、小さく可愛らしい彼女の姿を重ねて見た。
「トッピングがたくさんだね。今食べてもいい?」
彼氏は甘いものに目がない。口内に広がる味を想像して、既に唾液を甘くさせていた。
彼女が頷いた直後、彼氏はてっぺんからカップケーキにかじりつき、一口で上部から三分の二を削り取った。
わずかでも味わい損ねぬよう、ゆっくりと咀嚼する。トッピングがやけに酸っぱい気がする。いや、ケーキ自体は甘い。酸っぱいのは、プチプチしたトッピングの部分だ。
ごくんと、彼氏の喉が蛇の身のように動いたことを確認し、彼女は質問した。
「どう?」
「いいね、この酸っぱいトッピング。俺、こういうの大好きだよ」
「え?」
予想外の返答に、少女は思わず声に出して驚いてしまう。
「本当に酸っぱかったの? それだけ?」
「うん、それが何か?」
逆に彼氏の方が不思議そうに首を傾げる。既にカップケーキは全て彼氏の胃袋へ収まっていた。
これでは当てが外れたまま仲直りイベントが終わってしまう。少女は躍起になって事実を説明した。
「あのね、ケーキの上のトッピング、チョコじゃないんだよ? 蟻なんだよ?」
「うん、知ってる」
「えええええ!?」
「俺が、蟻が好物なのを覚えてくれてたんでしょ? 嬉しいなー」
ぱあっと顔を明るくさせた彼氏とは対照的に、少女の顔にはじわじわと影が落ち込んでいったのは、夕陽と立っている位置との位置関係によるものではない。
「同じのがまた食べたいなぁ。ん? どうかした? 暗い顔しちゃって」
「バカっ!」
その指摘が合図となって、少女の怒りの鉄拳が、彼氏のみぞおちに突き刺さった。そのまま泣き喚くような勢いで、
「わたしが使ったのは、甘い蟻なのっ! なによ、酸っぱいって!」
少女の激声を、彼氏は体を軽い"く"の字に折り曲げて聞いていた。
厳密には、聞いていることしかできなかった。一瞬呼吸ができなくなるどころか、せっかくのカップケーキを返戻してしまいそうになるほど、細腕から繰り出された一撃は鋭いものだったのである。
それでも何とか、戻すことなく耐え切り、顔を上げる。苦悶に歪んだまま、反論の声をあげる。
「いや、本当に酸っぱかったんだよ」
「そんなわけないもん! わたしもちゃんと味見したんだから!」
あくまでも非を認めようとしない彼女に、彼氏も頭に血が昇ってしまった。声を荒げ、
「それじゃあお前の味覚がおかしいんだろ! 普段から甘いものばっかり作って食べてるから!」
「おかしくないもん! ウソつきっ! ウソつく人は嫌いっ!」
「俺もトッピングに酸っぱい蟻を使う女は嫌いだよ!」
「なによっ! せっかく仲直りの記念に一生懸命作ったのに!」
「ウソつけっ! どうせ仕返ししたかったから作ったんだろう!」
夕暮れの公園に、蟻好きカップルの喧嘩声が飛び交う。
滑り台の下でそのやり取りを見ていた一人の少年は、足元にいるこの蟻を渡してやったら、二人とも仲直りするだろうかと考えていた。