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Realize  作者: レイン
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八話

 小さな手で靴紐をきゅっと結び、玄関を出ようとすると、母が、

「千咲、お金持って来なさいよ、今日、パンでしょ。」

と、台所から声をかける。

「分かってるー。」

千咲は軽く返事をし、鞄を袈裟懸けにして、勢い良く家を出た。

雲ひとつ無いとはこのことかと、秋晴れの下をスタスタと歩く。中学に入ってもうすぐ一年が過ぎようとしている。三年生はそろそろ引退だ。

「来年はいよいよ、わたしも先輩だよ!」

千咲は浮かれて一人叫んだ。声はこだますることなく、空に吸い込まれていった。


 上野原中のブラスバンド部は新設の部だ。歴史は浅く、五年ほど。三年生五人、二年生六人、一年生三人の小さな文化部だ。活動は主にコンクール出場と、運動部の応援。あいにくコンクールで入賞したことはない。それでも中小路千咲は、ブラバンに入ってトランペットをしたかったのだ。天高く響くラッパの音に憧れて、トランペットを手にした千咲は、まぁそこそこまじめに、そこそこゆるく、この一年近くを練習してきて、まぁまぁ様にはなってきた。スラリと伸びる真鍮のボディに指を添えて、ケースから出すときに気合が入る。そして息を吸い込み高らかに音を鳴らす。それだけで嬉しかった。音が風になる。そんな風に思っていた。

「プァー♪プパパパァー♬」 

その日の昼休み、千咲は屋上に出て、トランペットを吹いていた。秋の冷たい風が心地いい。周りには何人かの学生がいて、思い思いに過ごしている。ふと、お弁当を食べている四人組が目に入った。そのうち二人は校内でも有名な二人組だ。サッカー部のイケメンコンビ、本間先輩と斑鳩先輩だ。

「(私は本間先輩の方が好みかも)。」

なんて思いながら、吹くのを少し休んだ。

「(いいなぁ、男子の友情は、単純そうで)。」

馬鹿笑いする五十嵐の声と、それに合わせて笑う三人の声が、屋上の日常を何気ないものにしていた。ともすれば寂しい秋の空だが、上野原中は今日も平和である。

「(さて、教室に戻ろう)。」

そう思った矢先、一陣の風がびゅあっと吹いて、髪の毛から制服から、冷やりと全身を撫ぜていった。木枯らしだ。千咲は身震いして、

「(やばい、風邪引くかも)。」

と思った。秋の暮、もうすぐ十二月だ。他の学生もそそくさと教室に戻っていく中、サッカー部の四人は馬鹿笑いを続けている。

「(ま、バカは風邪引かないってゆうしね)。」

千咲は一人クスクスと笑い、そして教室へ戻っていった。



期末試験が終わり、もうすぐ冬休みという頃になった。

「相変わらずバカまっしぐらかよ、五十嵐。」

「俺はバカとちゃう。アホなだけや。」

「いや、それ変わんねぇから。」

アキラと五十嵐がやりあっている光景も、もう馴染みだ。

「今日のミーティング、教室借りるから。二の五な。四時集合、忘れんなよ。」

朝はもう、霜が降りるかというくらい冷え込む。朝練に集まった連中の息が白く立ち込めて、部室前は、渡り鳥の群れが居並んでいるような賑やかさだった。

部室に入って着替えていると、ふと、ロッカーの隅から折れ曲がった白い封筒がこぼれ落ちてきた。

「(あれ?こんなのあったかなあ。)」

慶人は不思議に思いながらそれを手にとった。しげしげと眺めてみると、ボールペンで名前が書いてあった。西田啓子、だそうだ。フーンと思い、元の場所に戻そうと思ったが、どこから落ちてきたのかわからない。上半身裸のままでウロウロしていると、

「慶人、授業遅れるぜー?」

と俊の声。

「わぁってるー。」

慶人はしかたなく、その封筒を自分の鞄に入れて、さっさと部室を後にした。

午後のチャイムがいつのもの如く、悠長に鳴り響いた。

「アキラ、慶人、先行ってるよ。」

一番に教室を出たのは俊だ。俊はミーティングなどの集会の時には、机を並べ替えたり資料を配ったり、何かと世話を焼いてくれる。書記のような存在だ。段々と二の五の教室に部員たちが集まってきた。キャプテンを始めとする三年生は一番後ろの席だ。二年は中程、一年は一番前、総勢21名。

「おーい、全員いるかー。おい五十嵐、ちゃんと座れ。」

牧主将が始めの音頭を取る。

「今日はー、前の試合の反省とー、次の試合の作戦を立てる。いいなー。」

「うぃーす。」

「じゃあ後は俊、頼む。」

俊は、前も言ったがチームの司令塔、ミッドフィルダーだ。ミーティングの時は、いつも俊が話の骨子を用意する。

「だからぁ、この時アキラがこの位置に居ないといけなかったんだよ。石丸の動きは良かったよな?」

みんな頷いたり、じっと黒板を見たり、様々なリアクションをとっているのが面白い。

「だから・・・ここが・・・。」

「プパパパァーン♪」

「それで・・・フォワードは・・・」

「パラパラッパパー♪」

「なんつぅか・・。」

「ぷぉー♪」

「ふふっ。」

 と噴き出す石丸。

「結構な音だな。」

 と斑鳩。

 二の五の教室は音楽室と隣り合っている。今現在、二年生は四組までしかなく、五組は普段、空だ。たまに生徒会や部活のミーティングに、こうして使われる。ブラスバンド部の元気な練習の音が、どうしても耳に入る。中にはまだ練習不足の曲もあって、頓珍漢な音が出るのがかわいい。そんなブラバンの音と共に、ミーティングは六時半を過ぎても続いた。

「お前らー、いつ帰るんだー?」

見回りの教員が声をかけに来た。

「さーせん。もう終わりますー。」

答える牧。

「もう暗いぞー。気をつけて帰れー。」

教員はそう言い残して、音楽室の方に向かった。

「ちょっと聴けー。」

音楽室から声を大にした教員の言葉が聞こえる。

「そろそろ練習終って帰れよー。」

とのこと。

「お前ら、誰か田中を送って行ってやれよ。」

牧主将が斑鳩たちに釘を差した。

「うぃーっす。」

慶人を始め、数人が返事をしたが、沙雪と同じ方向なのは石丸と慶人だけだった。その時、見回りの教員が戻ってきて、

「おーいサッカー部。お前ら、ブラバンの女子たちと同じ方向の奴らは送ってやれよ。」とのお達し。

「うぃーっす。」

再び何名かは返事をした。この季節になると、集団下校はよくあることだった。


正直、冬に川べりを歩くのはきつかった。雁の鳴き声が、暗い川面から響いてくる。川辺の風は一層肌に痛かった。

「さすがに寒いっすね。」

石丸が言う。

「だねー。」

沙雪が答える。

「マジで寒すぎっしょ。」

千咲のテンションが上がる。

「いや、なんか嬉しそうじゃない?」

慶人が突っ込む。

「なんかねー、寒いとテンション上がらなくないですか?」

元気ハツラツの知咲に、

「中小路、だっけ?大抵の人は上がらんと思うぞ、テンション。」

四人は縮こまりながら川の土手を歩いている。下を歩けばいいものを、見晴らしがいいからというだけの理由で。土手からは寒々しい田舎の景色が広がっていた。畑、田んぼ、田んぼ、畑、家、畑、田んぼ、家、畑・・・あと、ときどきマンション。人気がないというのはこんなにも寂しいものかと思ったが、都会にも、人がいるからこその寂しさもあろう、などと大人ぶって考えていると、ふと、今朝見た手紙のことを思い出した。

「なんかさ、部室からこんなの出てきたんだけど・・。」

慶人は鞄から、例の折れ曲がった封筒を出した。覗きこむ三人。

「なに、これ?手紙?」

「うん、多分そう。西田啓子って書いてある。」

くるりと裏面を見せると、沙雪が、

「あれ、このシールって、ハートの形してない?」

沙雪が指摘した透明のシールをよく見ると、たしかにハートの形をしている。透明だったから今はじめて気がついた。

「じゃぁこれって・・ラブレターじゃん!うぉぉー。」

雄叫びを上げる千咲。

「貸してくださいっ。」

慶人からあっと言う間に封筒を取り上げると、千咲はぺろっとシールを剥がしてしまった。

「あっ、やめろばか!」

慶人は素早く取り返すも、既に後の祭り。封は開けられてしまった。

「ど、どうしましょう。」

うろたえる石丸。意外と弱気なやつだ。

「どうしようもなにも・・。」

慶人も少しビビっている。なにせラブレターだ。事は大きい。折れ曲がった封筒を眺めながら慶人は戸惑っている。

「見せて。」

沙雪が短く言った。封筒は沙雪にそっと手渡された。

「これ、読んじゃうのは失礼だよね。」

といいつつ、封筒の中に手を伸ばす沙雪。おいおい、言ってることとやってることが・・。なかなか豪胆なやつ。

沙雪は折れ曲がった封筒から折れ曲がった二つ折りの手紙らしき紙を取り出し、慎重に開いた。薄暗い闇の中、目を上下さして文面を読む沙雪の目が、キラリと光ったように見えた。

「わ、私にも・・。」

千咲が何か言おうとした時、沙雪はそれを制止して、文面を読み上げ始めた。それはどこか、その時の慶人には、おとぎ話のように聞こえた。

「いつも練習頑張ってるね。お疲れ様。

キャプテンに任命されて、そのプレッシャーもある中で、真嗣くんは本当に頑張ってると思います。・・」

慶人ははっとした。

「く、黒田先輩宛のだ。」

黒田真嗣は、慶人が一年生の時のサッカー部の主将で、今はもう卒業している。

沙雪は続ける。

「私、いつも真嗣くんに励まされています。音楽室から見る校庭は、まるで自由。真嗣くん達みたいに、私の音も羽を広げて飛んでゆくようにって、思って吹いています。ちょっとくさいかな。でもほんとなんです。試合の時も、私たちが応援してるけど、ホントはいつも、応援されています。真嗣くんがボールを追いかけている間、わたしの目はあなたばかり追いかけていました。もし、嫌じゃなければ、どうかこの気持を持ち続けることを許してください。あなたのことが、好きです。西田啓子より。」

一同、シーンと静まり返り、水鳥の鳴き声だけが、うっすらと夜闇を渡る。星々までもが手紙を覗きこんでるみたいで、恥ずかしくなった。

一同の足はいつの間にか止まっていた。これは、四人の先輩たちのものだったのだ。不幸にも荷物に紛れ、この気持は本人には届かず、こんな不届き者の後輩たちの手に、落ちてきてしまったのだ。四人は好奇心でどぎまぎしながらも、どこかこの手紙の主を尊敬する気持ちを抱いた。先輩、すげぇなって。

「すごいね。こんなに誠実に、自分の気持を伝えられるなんて。」

沙雪は言った。そして、ハイっと手紙を慶人に渡し、二、三歩、トトトっと三人の先を行き、振り向いて、ニコッと笑い、また、上を向いて、後ろながらに歩いた。なにか言いたそうな紗雪だったが、黙って、空を見ていた。冬休みの前、寒い夕暮れのこと。


 石丸、千咲は川の此岸に自宅があったが、慶人と沙雪の家は向こう岸だった。橋で別れを告げた四人は、それぞれの方角を取った。

残りの帰り道、始終、沙雪は嬉しそうに歩き、顔もどこか、微笑んでいたように思う。ときどき俯いたり、横を見て会話したり、遠くを眺めたり、くしゃみしたり。色んな表情を慶人に見せた。そして、

「わたしは西田先輩みたいなこと、できないなぁ。」

と、寂しそうにつぶやくのだった。

「あんなの、みんな出来ねぇよ。」

慶人は励まそうと思ってそう言ったが、沙雪は、

「慶人くんなら、できそうだけどな。」

と言った。その時の顔はあまり笑っていなかった。

「なんでだよ、だいたい誰に、言うんだよ。あんなこと。」

慶人が答えると、

「だねっ。」

と、沙雪は笑って返した。

その日、またマンション前まで沙雪を送って、慶人は帰路に着いた。


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