六話
電車を乗り継いで、揺られること計八十分。桜木町駅まで来た。驚いたことに、沙雪も桜木町駅で降りるようだった。彼女が何故横浜に来たのか、慶人を除く二人には謎であったが、少し、後をつけて驚かそうという話になった。ホームから階段で改札まで降りたとき、少し沙雪が早足になった。改札には一人の青年が立っていた。ジーンズに白いシャツ、黒いジャケットという出で立ちで、スラリとした背の高い、長髪の青年だった。少しやさぐれた感じだったが、もう少し近くに行って見ようということになった。優男というイメージに相応しかった。遠目で見た時には少し怪しい感じもあったが、近くで見ると全然だった。三人は他人のふりをして改札を抜ける。沙雪はその青年と親しそうに話をしていた。
「どうする?」
と、慶人。
「どうするも何も・・。」
と、俊。
「まぁ、詮索はよそうぜ。」
と、アキラ。そういうわけで、三人はそのまま街へと繰り出した。
横浜、桜木町。日本屈指の港町は、中学生が遊ぶには十分すぎるほどのキャパシティを持っていた。お金はそう使えなかったが、簡単な食べ物を買うくらいには遠慮はなかった。
「お前のそれ、うまそうじゃん。」
アキラが横から、慶人の食べているアーモンドチョコクレープをかじり取った。
「お前のはどんな味?」
今度は俊が、アキラの持ってる中華まんをばくり。
「お前、口でかくね?」
少し不服そうなアキラをよそ目に、更に慶人が中華まんをパクリ。
「あっ。」
アキラは、仕方ねぇな、という風に困った表情をして笑った。
俊が、
「俺、ちょっと寄りたい店あんだけど、いい?」
と、声をかけたので、いいぜ、と、二人は俊についていく。俊の選んだ店は、上着が五千円くらいの、中学生には少し高いが、驚くほどの値段の店でもなかった。
「なぁ慶人、お前、これイケてると思うよ。」
俊が選んだのは、ちょっとモードな、中学生には大人すぎるデザインかなと思えるようなフード無しのパーカーだった。
「いや、俺は今日、買い物しに来たわけじゃねぇから。」
そう言ったが、まぁ着るだけでもと言って、試着させられた。
鮮やかな黄色で飾られた玄関を出る頃には、慶人の服装は変わっていた。
「まじかよ・・。お前、店員より勧めるのうまいな。」
ニカッと口角を上げて笑う俊。俊の口は実際にデカかったみたいだ。
「俺ら、何時までいる系?」
アキラがふと時間のことを口にした。
「そうだねー、六時半くらいで引き上げようか。夜景見ようよ夜景。」
はしゃぐ俊。ほんとに都会が好きみたい。
「でもまだ時間あるから・・・、映画でも行くか。」
アニメはもう遠に卒業している。しかし、中学生に合ったような映画は都合よく上映していなかった。それでも俊は、
「これどう?ノクターン。」
と、ひとつの映画を進めてきた。
どうやら戦時中の、ピアニストの生涯についての映画らしい。はっきり言って興味が無い。少し大人向けすぎる。が、俊が勧めるものは大概後悔しないという実績があった。
結局、大した相談もすることなく、三人は薄暗い上映室に足を踏み入れた。
「えっと・・Fの12と。」
フカフカのシートに腰を沈めると、一気に眠気がやって来た。まだ照明も落ちていない。何処か疲れていたのだろうか、肩も重い。慶人は思った。
「(今日は、散財しちゃったなぁ。しばらくは金欠だわ。)」
ピアノの音色とともに、スーっと幕が開く。どうやら静かな映画のようだ。
「(ああ、やばい。絶対寝るわ、これ。)」
既に半分目を閉じている慶人は、中学生料金の千円の元は取ろうと頑張ったが、まぁ、ここで眠れるのも千円のうちか、と納得し、すぅすぅと寝息を立て始めた。
いくつかの夢を見た。
一つは、原子爆弾の爆発する夢だ。見ていた映画の題材に引きずられたのだろうか。内容はこうだ。
障子を開けると、灰色の世界が広がっていた。海だ。海も灰色になっていて、空からも灰が雪のように降っている。海岸には人々の遺骸が打ち上げられており、その海を泳いで、対岸の街まで医薬品や救援物資を取りに行く、そんな夢だった。
もう一つの夢には、沙雪が出てきた。沙雪は高校生ぐらいになっており、しかも何でもできるスーパーマンになっていた。ストーリーはよく覚えていないが、その沙雪に慶人は救われる、というような夢だった。
さらに、病院の夢も見た。病室にはいつものごとく母親が横たわっていた。病室の窓から一本の枯れ木が見え、その枝に二羽の白いカラスがとまっている。母親にそれを報告すると、ベッドの上に母の姿はなく、代わりに黒い花瓶が置かれていた。
「慶人、終わったぞ。」
アキラに肩をゆすられて、
「あ、あぁ、そうか。すまん、寝てしまった。」
と、呟いた。
「疲れてたんだよ、きっと。」
俊が声をかける。夜景はやめとこうかという、俊を制して、
「いや、せっかくだから見に行こうぜ。」
と、三人はランドマークタワーに向かった。時間は五時半を少し回ったくらいだろうか。トワイライトに街が彩られる時間帯だ。別に都会で育ったわけではないが、藤色に染まり、ネオンの光を散乱させた街の姿を見ていると、どこか深い郷愁にかられる。まるで、自分が旅人になって、故郷を探しに来ているような、そんな気持ちになる。ゆっくりと色を変えながら旋回するみなとみらいの観覧車を眺めながら、三人は黙った。それぞれの思いを口にする事無く、
「そろそろ行くか。」と言って、三人はエレベーターに乗った。キィンと耳がなり、耳抜きを促す。鼻を摘んでふっと息をつまらせると、プスッという音と共に、気圧の平衡がはかられた。
駅までの道のりを、三人は並んで歩く。久しぶりの街を満喫して、機嫌良く帰るところだ。少し、駅で見かけた沙雪のことが気になったが、詮索しないと決めたのだから、思い煩うことはしないでおこうと、慶人は考えていた。
「田中、誰と会ってたんだろうな・・。」
ところが、詮索しないと言っていた張本人のアキラが、沙雪の話題を始めた。
「気になるんだ。やっぱりね。」
俊が慶人の方を向いて笑ってみせた。慶人は下を向いてふっと目を閉じて笑った。
「いや、気になるっつぅか、田中、いつもと違ってた風だし・・。」
アキラがゴニョゴニョと話し始めた。
「ほら、田中ってどこか探りの入れられない感じじゃん。いつも変わりがないっていうか、変化に乏しいというか、さぁ。田中にも某の悩みとか、言えないこととか、あると思うんだよ。それを分かりたいっつぅか。」
「ほら、やっぱり気になってる。」
俊が嬉しそうに畳み掛ける。
俊は数少ない、アキラの気持ちを悟っている友人の一人だ。
慶人は黙って聞いていた。なぜなら、慶人には沙雪が何故桜木町駅に来たのか、おおよそ察しがついていたからだ。あの雨の日に、沙雪の口から色々事情を聞いていた慶人には、アキラには分からないことが分かっていた。しかしそれをアキラには悟られてはならないと、黙って聞いていたのだ。
「いや、気になってると言えばそうなんだけど・・。」
ゴニョゴニョ言っているアキラは、普段と違って全然、精悍な感じがなかった。それもアキラらしいといえばアキラらしいのだが、彼の恋心がまるで幼いさまを見て、慶人はどこか安心を覚えている自分に気がついた。アキラは、それは十人の女子は振ってきただろうと思う。だが、自分は一度も振られたことがないのだ。アキラは、振られる女子の気持ちには気が効いても、まるで自分の気持には疎いようだった。
「好きなら好きで、いいじゃねぇか。」
慶人はそう言った。
アキラは俯いて、少し顔を紅潮させて、頷いた。女の子かお前は、と思ったが、そんなアキラを見るのも、ちょっと楽しかった。
日はすっかり沈み、電飾に彩られた桜木町駅が、巨大な門の様に、見えて来た。