四話
「慶人。屋上行こうぜ。久しぶりに。」
アキラが眠たそうな慶人を誘う。
「今日、曇ってるじゃん。」
慶人は、昼は机に臥して寝るつもりだったのだろう、面倒くさそうに答えた。
「まぁいいから、来いよ。」
アキラには少し強引なところがある。
校舎の三階からさらに薄暗い階段を登れば、屋上に出られる。
(ギギィ。)
少し錆びついた扉をひらくと、ブワァっと風が吹き込んできた。
「うわっ、寒くねぇ?」
慶人がもじもじしながら言う。
「何言ってんだよ、副部長。」
アキラが流す。屋上には木枯らしが吹きすさんでいたが、それでも数人が屋上で思い思いに過ごしていた。髪を巻き上げられながら、弁当を食べている生徒もいた。アキラは端っこまで行かず、中頃辺りで柵によりかかり、後ろ目で校庭の方を眺めた。
「おれさぁ・・」
アキラが話し始める。慶人は気楽に構えていた。
「サッカー推薦で、西高行こうと思ってるんだ。」
慶人は黙って聞いている。少し間を置いて、アキラが視線をこちらに向けた。
「お前も、一緒に来ないか?」
慶人は俯きながら、少し鼻を上げて微笑んだ。
「俺は、お前のようには行かないよ。まぁ俺も、推薦受けられるかもしれないけど、西高のレベルにはついていけないぜ。」
相変わらず少し強引なアキラの方針には慣れている。慶人は軽くあしらったつもりだった。
「俺、高校でもお前とツートップ、組みたいと思ってるんだ。お前にその気はないのか?」
中学生になって、小学生の時には同じほどだった二人の身長にも差が出始めてきた。アキラのほうが少し、大きくなり始めていた。
「多分、俺とお前の差は、高校行ったらもっと開いていくよ。」
慶人には、少しも悔しい気持ちなんてなかった。ただ事実をありのままに受け止めていた。そもそも楽しいだけがサッカーをやる理由だった。勝ち負けは後からついてくる、そう思っていた。
「俺はまだ諦めてないからなっ。」
アキラはキラリと笑って、もたれていた柵から身を起こした。ギシリと、少し柵がたわんだ。
「そうかよ。」
慶人は少し呆れた素振りで俯いた顔を上げた。瞬間、風が顔に吹き込んできた。
「うわっ、早く中、入ろうぜ。」
振り返りドアへと向かおうとする慶人の左肩を、アキラの右手が掴んだ。
少し驚いてアキラの方へ首を向けると、どこか悔しそうな表情で、アキラが何か言おうとしてる。
「俺・・たな・・。」
アキラらしくなく、俯いてモゴモゴとしゃべっている上、風が強くてうまく聞き取れない。
「話しなら中でしようぜ。」
慶人は、少し大きめの声で言った。二人はドアの内側に入り、一息ついた。
「で、なんだって?」
慶人は改めて尋ねる
「いや、やっぱいい。」
アキラはいつものアキラに戻っていた。
アキラの本音を聞く機会というのはなかなか無い。これはその好機だったが、慶人は不意にしてしまったかと少し後悔した。裏表のないアキラだからこそ、さらけ出された本音の数はとても少ないのだ。
少しモヤンとした気分のまま、慶人は教室に戻った。すると、教室がどこかざわついている。扉をくぐった慶人に視線が集まった。みんな好奇の笑顔を浮かべながら、慶人の噂をしているようだった。
「え?なになに。」
慶人は戸惑った。アキラも不思議そうな顔をしている。しばらくして、慶人はとんでもないものを見た。教室の後ろの黒板に、大きく相合傘が書いてあり(しかも赤いチョークで)、斑鳩、田中と名前が彫られていた。ああ、なんというくだらなさ、そしてしまったという思いに駆られた。昨日の夕方のことを、誰かに見られていたのだ。それを中学二年のクラスメートは、稚拙さ満開で騒ぎ立てているのだ。ああ、もう言い訳のしようもない。沙雪が別のクラスだったのがせめてもの救いだ。慶人はこの手の冷やかしには弱い。少し恥ずかしくなってきた。
「気にすんなよ、こんなのすぐにおさまるさ。」
そんな風に、肩をたたいてくれるアキラ、を想像したが、アキラの方を振り向くと、様子が少し違った。目を丸く開いて驚いているではないか。ああ、なんてことだと思った。
ざわつきがおさまらないまま、五限が始まった。
「みんなちょっと、うるさいよー。集中、集中。」
英語の教師が、いつもの口癖で皆をなだめる。二年の半ばとはいえ、受験に向けてスタートしている生徒も少なくはあれどいた。余計な騒ぎに巻き込まれたくないという生徒には、慶人の騒ぎはいい迷惑だっただろう。しかしもっと迷惑しているのは慶人、その人であった。一番心配だったのは、沙雪の方ではなく、アキラの方である。沙雪の方は、あまりにも目立たないので、まさか田中さんが・・という感じだった。しかしアキラの心情は別である。日々に傾きつつあったアキラの淡い恋心に衝撃を与えたのは事実だった。こっちの方をどうにかしないとと思って四苦八苦した慶人だったが、もうどうにでもなれと思って、諦めてしまった。もともと軽い性格の慶人である。そんな噂など身に余る重荷であったので、投げ出してしまったのだ。二人、一つの傘で帰宅したのは事実だったし、やましい事はないにせよ、それで話のネタになるには十分だった。しかし、バカなことに、次の日の昼休み、田中沙雪は慶人たちの教室にやってきたのである。あとで理由を問うと、迷惑かけたから慶人に謝りたかっただけだという。沙雪に呼び出された慶人は、背中に視線をグサグサと感じつつ、また観衆の冷やかしにさらされつつ、教室を後にした。二人は、少し湿っぽい空気の、中庭に来た。
「ごめんね、斑鳩くん。」
「い、いや、謝るとこそこじゃねーだろ。なんでこんなタイミングで教室来るの?」
「だって、謝らなきゃと思って。」
どうやら沙雪の思考回路というのは、とてもシンプルにできているらしい。前から、どこか台本があって、その通りに振舞っているのではないかと思うことがあったが、こんな風に、優先順位を付けず思ったとおりに行動する、ある意味強い人だとは思わなかった。
「ご、ごめん。」
沙雪は今度は、教室に来たことを謝った。傘を貸した時から、沙雪は慶人に謝ってばかりである。そのことが慶人には少し可笑しく感じられた。謝ってばかりだが、どこか真っ直ぐな沙雪はアキラに少し似ていると思った。二人は似合いのカップルになれる、そんな気がして。
「もういいよ、早く教室戻れよ。余計に勘ぐられるから。」
「う、うん。でもね、私、もうひとつ謝らなきゃいけないことが。」
沙雪がまた何か言いかけた。少し顔が紅潮している。
「あ、あのね・・。」
沙雪が何か言おうとした時、慶人は察知した。くるりと顔を上げると、校舎二階の窓から、五十嵐他数名が顔を出していた。ケラケラとした顔が憎めない奴らだが、
「なにやってんだよっ。」慶人は大きな声で言った。
「続きをどうぞー!」返事が帰ってくる。
「ここで終いだよーっ。」慶人が答える。
「えーっ。」ブーイングだ。
「全く何やってんだか。田中、解散だ解散。」
「う、うん。」
沙雪はしばらくもじもじしていたが、気を取り直して教室の方に、先に駆けて行った。その後姿が、どこかペンギンのようで可愛らしかったのは、自分だけの記憶にしておこうと思った。
「まったく。」
木枯らしの吹く、午後のこと、一人つぶやいた言葉は、枯れ葉に紛れて中庭の隅に吹き溜まっていった。