二話
問題の昼休みになった。誰か偵察に行って来いよ、という話になった時、ひとりだけいまいち盛り上がりに欠ける部員がいた。アキラだ。アキラはモテた。慶人もモテたが、それより更に持てた。二年になって、もう三回も女子から告白を受けている。だからだろうか、周りの冷やかしには慣れてもいたし、少しうんざりもしていたのだろう。それに、恋をする連中の気持ちについても、他の部員たちよりは察しが効いたに違いない。アキラは、一人、「やめとけ。」と言った。アキラが言うなら仕方ない、みんなそんな風に、少し不満そうではあったが納得して、昼休みを終えた。
「え?なんでみんな知ってるの?」
沙雪は不可解だというような面持ちで、詰め寄る部員達に問うたが、
「そんなことはどうだったいいよ。で、どうだったんだ、理科研のやつは。イケてたか?」
五十嵐がグイグイ押していく。他の部員は黙って沙雪の方を見ている。一躍、インタビューを受けるヒーローになったみたいだ。
「ま、まぁ、イケてるんじゃないかな、たぶん。」沙雪が俯きながら答える。
「な~んでそんなに他人ごとなんだよっ。で?で?」五十嵐は興奮を抑えきれない。にわかに部室が騒がしくなってきた。アキラは少し離れたところで呆れた感じだ。
「で?って?」沙雪の反応は鈍い。
「だからー、受けたの?受けなかったの?ってことだよ。」
「・・・え、断ったけど。」
一同がっくり。オジギソウが葉をたたむように、急に静まりかえった。
「あーあ、理由はなんで?」五十嵐が尋ねる。
「だって、付き合う理由がなかったから。」沙雪がたどたどしく語る。
口を開けたまま五十嵐が黙っている。そして、また何かを言おうとした瞬間、
「よし、お前ら準備しろよー」
準備万端のアキラが声を上げた。その声は少し弾けたように明るく、嬉しそうだった。慶人は察した。アキラの沙雪に対する気持ちが、微妙ではあるが偏っていることを。
本間晶はアキラで通っている学校の人気者だ。リーダーシップもあるイケメンで、アキラのことを好きな女子は多い。そんなアキラが、こう言っては失礼だが、まさか沙雪に惹かれるとは思いもしなかった。正直言って、最初は不釣り合いなように思われた。
アキラには姉がいて、この人も学校で随一の人気者だった。慶人は密かにゴールデン姉弟と読んでいた。今は高校生になるアキラの姉もまた、女子テニス部という一大運動部のエースで、しかも副生徒会長だった。アキラがモテるのは血筋もあるだろうが、それ以上に、女兄弟がいたから、というのもあるだろう。女兄弟のいる男子は概して、女子に幻想を抱かない。女子の日常を把握していて、女の子振る舞いをしない一人間としての姿を見ているからだ。
アキラの家庭は、両親共に健在だが、いつも仕事が忙しい。母親は空港の管制室に勤めており、夜勤も多い。父親は消防士で、(これがすごいマッチョなのだ)そちらも不規則勤務だ。だから、アキラにとっては姉が半分母親のようなものでもあった。姉に躾けられたアキラは、女子を一層、可愛らしい存在ではなく、口うるさい、どちらかと言うと疎ましい存在と思っていた節もあったかもしれない。
そんなアキラが沙雪に惹かれるようになったきっかけは、慶人も覚えていた。ベタな話になるが、練習の時、アキラが激しくタックルを食らって転倒した時のこと。少し足首を捻挫したのか、途中で練習を空けて保健室に行くことになった。アキラは一人で大丈夫だといったにも関わらず、「仕事だから。」という理由で沙雪が保健室にアキラを連れて行った。その時たまたま保健の先生が留守にしており、手当を沙雪が行ったらしい。なんという純情、アキラはそれ以来、沙雪に惹かれるようになったのだ。誰しもがシチュエーションに恋をするということはあるだろうが、これほど典型的なのは逆に聞いたことがなかった。慶人とアキラは長い付き合いである。小学校の時から町のサッカークラブで一緒にボールを追いかけていた。その頃から、アキラは屈託がなく、シンプルな人間だと慶人は思っていた。良く言えば前向き、悪く言えば単純バカ、豆腐の角に頭ぶつけて死ねと言われれば、そんなんで死ぬわけ無いだろ!と返すぐらいに真っ直ぐなのである。そのシンプルさが災いしてか幸いしてか、この度めでたく初恋を経験することになったのだ。
そういえば小学校の時、こんな出来事があった。クラスで一番可愛い子の告白を、アキラがぶっきらぼうに断ってその子を泣かしてしまったのだ。なんとその断り方がひどかったみたいで、どうやら「嫌だ」と一言言っただけだったらしい。今でこそ百戦錬磨の、人の気持ちのわかるアキラくんだが、当時は全くの、真っ直ぐすぎる変わり者だった。クラスの一番人気を泣かしたことで、アキラは一変、悪者扱いをされることになったのだが、アキラもアキラで多くのファンを持っていたので、そのせいでクラスを二分する大事件に発展したのだ。アキラが悪い、アキラは悪くない、女の子は泣くしアキラは無関心だし、クラスはなかなかカオスな様相を呈した。結局、アキラが「ごめん。」と一言謝ることでことは収集した。この時アキラもひとつ、人情の理屈や体面というものを了解したに違いない。
ところで、アキラはよく告白されるが、自分からはしたことがない。そもそも好きな人が出来なかったのだと、あとから本人づてに聞いた。そんなアキラが校内随一の地味子、といえば言い過ぎだろうが、しかし実質的にはその通りの田中沙雪に惹かれるとは。これまた校内を騒がす出来事なのだが、慶人を始めとする察しのいい部員達が、まるで野鳥の卵を静かに見守るかのように沈黙に徹したため、その事実を知っているのはごくわずかの生徒にとどまっていた。
とある昼休み。寂れたわが町の日曜日の商店街並みに、つまらない愛を歌ったPOPSが流れる中、俺、慶人とアキラは弁当をぱくついていた。いつもの変わらない日常だったが、ふとアキラが漏らした。
「姉ちゃんが今度、彼氏をうちに連れてくる。」
胸がズキリと傷んだ。というのも慶人は、アキラの姉に密かに憧れていたからだ。肩まで伸ばした髪を栗色に染めて、前髪は潔く片流し、ザ・女子高生の出で立ちで、スカートは少し長めなのが慶人の理想の女性にぴったり合致していた。
声は少し荒っぽく、元気のいい感じで、ハキハキとしゃべる彼女は、慶人にとってもいい姉貴分だった。小学校の頃は、アキラと二人でよく叱られもした。
「お、おう。」
少したどたどしく返事をした慶人に、
「悔しいか?」と、少しニヤついてアキラが言う。
アキラらしくない表情だ。
慶人は、ふぅーと一息ついて、窓辺から空を見た。コミカルなクジラ型をした雲が、いくつか群れをなして、フカフカと浮かんでいた。
「そんなんじゃねぇよ。」
慶人は諦めながらつぶやいた。