十三話
七月二十六日。縁日は町中の人と、町外の人とでごった返していた。市花川の岸は、夕暮れから盛んに人が行き来している。
「これは大変そうだ。」
河原の上から眺めると、夕闇にぼうっと浮かび上がる露天の灯が、人混みを割るように連なって川上の浄善寺の方向へ続いている。
「えっ、と。誰がきてるんだっけ?」
仕切り屋の俊が頭を数えだす。
「えー、アキラ、俺、京、慶人、中小路、石丸、三島、央、えと、君は?」
一人知らない顔がある。
「あ、この子私の吹奏楽部の友だちです。」
千咲が紹介した女子は、
「六条紫と言います。よろしくお願いします。」
と、少し緊張した面持ちで自己紹介を済ませた。可愛らしい、朝顔柄の浴衣に、髪を結い上げて、結構キメて来たって感じの出で立ちだった。足元も、カランコロンと鳴りそうな、木のサンダルを履いている。
「うぃっす。よろしくー。」
男子どもが挨拶を済ます。
「あとは田中か・・。」
そういってあたりを見回す俊の背後から、一人の人影がぴょこぴょこと動いている。紗雪だ。
「ごめん、みんな早いねー。」
白地に青いあじさい柄の浴衣をまとって、カタンカタンと音を鳴らしながら、沙雪は来た。予想外の出で立ちに、男子一同驚きの色を隠せない。田中が、田中先輩が目立ってる・・。そんな風だった。千咲も理花も、中学生らしい、元気な、涼しげな格好で、キャミと、Tシャツ、それに短パンという出で立ちだった。二人共それなりにお洒落で、メンバーの集まるまでは俊と互いの服装を褒めあったりしていたのだ。
「これ、お母さんのお古なんだけど、裾合わせてもらって。」
そう言って浴衣の袖を横に振り、体をねじって自分の格好を確認する沙雪。おーっと男子たちから声が上がる。
「イケてるじゃん。」
慶人は親指を立てて沙雪にサインを出した。恥ずかしそうに照れる沙雪。アキラはというと、ぼーっと見とれている。あほっ。理花は目敏いんだから一発でバレるような素振りをするな。
「君が京くん、かな?」
沙雪は、俊と手をつないでいる小さな男の子に目をやる。俊の従姉妹だそうだ。
「くんじゃないよ、ちゃんだよ。」
京が自ら訂正し、五歳だよと、教えてくれた。
一行は河原に降りて、花火の打ち上がるまでは露店を物色しようという流れになった。
がやつく人混みの中、ぞろぞろと歩き始めた。
「わたし、わたあめ食べたい。」
早速、京がめぼしい屋台を見つけたらしい。
ゴゥゴゥとファンを回すわたあめの屋台は、他の屋台よりも省スペースで、明かりも小さく、背後の夕闇に溶けかかっているようだ。四角い、大きなプラスチックの箱の内側に、わたあめの繊維が舞っている。
「私もほしいー!」
「じゃあ・・私も。」
そう言い出したのは理花と六条だ。
「すいません、三つください。」
俊が店主にそう言うと、二人もすみやかに財布をポケットから出す。
店主が素早く長めの割り箸に綿を巻き付けると、完成だ。
「はい。一つ二百円だね。」
それぞれにわたがしを受け取ると、俊は、はいっ、と背を屈め、京の頭を撫でながらわたがしを渡すと、
「京、子どもじゃないもんっ。」
と、京にそっぽ向かれてしまった。
「そっかそっか、京はお姉さんだもんな。ごめんごめん。」
と京をなだめる、男子の中で唯一浴衣を着ていた俊の姿は、いいお兄さんだった。
「ふふっ、かわいい。」
笑みをこぼしながら小声で言うのは千咲だ。それにウンウンと相槌を打つ六条と沙雪。
理花は自分の綿菓子に夢中だ。
雑踏が、自分たちの足取りと重なって、いかにも祭りに来た、と言う感慨が湧くと同時に、人混みが過ぎて、はぐれそうになる。京の手はしっかり俊が握ってるからいいとして・・と思ったら、京の手は沙雪が握っていた。どうやら子供扱いした俊の手を振って、沙雪に鞍替えしたらしい。危なっかしい組み合わせだなぁと思いつつ、慶人はそのまま皆に紛れながら、紫色した天空の、下に広がるオレンジの色彩に身を委ねていくのだった。
「おいっ、慶人、射撃勝負しようぜ。」
アキラが勝負を持ち掛けてくる。アキラはこういうのが下手なくせに、直ぐに勝負したがる。
「ちょっと、石丸先輩、金魚取ってくださいよっ。」
千咲が石丸の袖を引く。後輩組も盛り上がっているようだ。まぁケータイもあるし、多少離れても後で合流できるだろう。
「あー、畜生っ。」
アキラが悔しがる。
「もうちょっと右だろ。」
慶人が茶々を入れる。
「わかってんよ。でも弾が曲がんだよなぁ。」
とアキラ。
「それも込みで右を狙うんだよ。
と慶人。
結局、アキラはベビーボーロ、慶人はこぶし大ほどの、デスティニーランドのキャラクターのぬいぐるみを当てた。
「二百円の投資にしたら、ベビーボーロは明らかに失敗だな。」
茶化す慶人に、アキラが、
「うるせぇよ。お前のだって、大したことねぇじゃん。威張るくらいならDS当てろよDS。」
と言い返す。
「あんな重いのが倒れるはずないだろ。屋台のおっさんの立場で考えろよ。そうすると、このぬいぐるみは実質的な一等賞だよ。」
と得意げな慶人だった。
一方、金魚すくい組は、京も混じっての大乱戦だ。
「石丸うまいじゃん。」
「石丸大人げねぇぞ。」
「ええっ?俺悪いの?」
「京ちゃんやるなぁ。」
「へへへ。」
どうやら石丸と京が無謀な勝負をしているらしい。
結局石丸がわざと京の数に合わせて、イーブンとなった。石丸の取った金魚には、露店にしては珍しく、錦の入った個体が一匹いた。
「ほら。」
石丸は金魚たちの入ったビニル袋を千咲に渡そうとした。
「ほらって何ですか?」
と、理解してない様子の千咲。
「ええっ?中小路が金魚すくいやってくれって言ったんじゃん。」
「そうだけど、私はただ、救うのが見たかっただけで。」
と千咲・・。
えへへと、透き通って乱反射する、ビニル袋を覗きこむ京を傍目に、はぁっとため息をつく石丸だった。
その時、どっ、と急に、人並みが動き出した。わらわらと動き出した人混みの中で、
「やべっ、もう始まるのか?」
と慶人が言う。
「みんな!手ぇつなげ手!」
叫びながら、京の手を追う慶人。しかし、キラキラと光るピンクの紐でぶら下げられたビニル袋の、中にたゆたう金魚たちの目と自分の目がすれ違った瞬間、スポンと吸い込まれるように、それは人混みの中に消えていった。
「斑鳩くん!私がいるから!」
数メートル先から沙雪の声がした。うーん。心配だけど、まぁ一人でも京のそばに居てくれるなら、これでよしとしようか。と、納得する慶人。
しかし、あれ?周囲を見ると、見知った顔の人間は一人もいない。
「迷子になったの、俺?」
仕方なしに、人並みに揉まれながら、たこ焼きの屋台の前に流れ着いた慶人は、
「おじさん、八個入り一つ、ください。」
と言った。タオルを頭に巻いたおじさんは手際よく、ぽんぽんぽんと八個を舟に乗せると、
「はいよ。」
と手渡してくれた、その時、ドーンッ・・・プァッ・・・。と、火の花の開く音が、聞こえた。あらあら、始まっちゃったよ。このクライマックスを、孤独に迎えることになった慶人。
「まぁ、いっか。」
と呟きながら、少し川上にある、橋梁の袂を目指すことにした。橋の上も人が多いが、その方が花火がよく見えるだろう。歩いている間にも、次々と打ち上がる花火。賑やかな中に一人いるというのは、どうもしんみりしてしまう。慶人は、涼に、アキラと手を引かれて、この祭りに来た頃を、止めどもなく思い出していた。
「先輩・・。」
こうして賑を一人で歩いていると、次第次第、自分の意識がはっきりしてゆき、その本当の気持に光が当てられていくのが分かる。
「東高か・・。」
一人呟きながらニヤニヤする慶人。もし俺が行ったら、先輩はどんな顔するだろうな。
それと同時に、自分なんて眼中にないか・・。と、ふぅとため息を付いてしまう。
そんなふうに思いをよぎらせている間に、橋の袂に付いた。そこから、川岸に登ると、川面に、ゆらゆらと赤やオレンジの閃光が、乱反射していて、いかにも夏の風情を醸していた。
「一人も悪くねぇか。」
そんなふうなことを思っていると、尻のポケットに入れていたスマホが鳴る。
「もしもし?」
「あっ、斑鳩くん?そろそろ合流したいなって思ったんだけど。」
電話の向こうから沙雪のフワンとした声がする。なんだか落ち着く声だなぁ。
「あ、そう。俺も今一人なんだわ。今何処にいるの?」
「橋の上なんだけど・・。」
と沙雪。
「分かった。俺今橋の前にいるから、行ってやるよ。京も居て動きづらいだろ?」
「うん、ありがと。じゃぁ待ってるね。」
電話を切って、橋の中央を見ると、人でごった返していた。しゃぁねぇか、と、腹をくくって人混みの中に繰り出す慶人。
「っと、すいません、すいませんよ。」
そう言いながら飄々と、人波をかいくぐってゆくと、白い浴衣が闇夜にちらついた。目立つってのも案外悪くないか、と思い、一人で微笑する。
「田中。」
声をかけると、沙雪が振り向く。
「ここ、すごい花火がよく見えるんだよ。ね?」
「うん。」
沙雪と京の居た場所は、丁度、橋の柵の際で、夏といえども川面を走る風で幾分か涼しかった。柵の隙間からは小さな子どもでも花火が見えるようだった。風が走るたびに、沙雪が耳にかかった髪の毛を耳にかけ直す。そんな姿が、女の子らしい。花火の音が太鼓のように轟く中、ふと、沙雪が息を継ぎ足して、言葉を紡ぎだした。
「あのね、去年の秋だけど・・。」
「うん?」
「ほら、初めて一緒に帰った日、あった。」
「あ、あぁ。」
これから何を言われるのか、慶人には予想がつかなかった。
「あの雨の日ね、ほんとは私、傘、持ってたんだ。」
「え?」
「傘持ってたの。鞄の中に。」
こっちを向いて申し訳無さそうに微笑む沙雪。
「待ってたんだ。斑鳩くんのこと。」
慶人はそれを聴いて驚いて、たこ焼きの舟を一瞬落としそうになった。
「待ってたって・・?」
「あの日、部室に掃除機かけた後、斑鳩くんが来るの待って、それで、嘘、ついたの。」
「うそ?」
「一緒に帰りたかったんだ・・。」
微笑みがだんだんと紅くなる。頭上では、ドパァッと花火の炸裂音が鳴り響いている。雑踏も相変わらずだ。
「それって・・。」
意を決したように、沙雪が声を振り絞って言う。それは震えていた。
「前から、斑鳩くんのこと、好きだった。」
なんとか目を逸らすまいとしている沙雪の声は震えていた。白い浴衣の肩に、オレンジ色の光が反射する。雑踏と轟音の中でも、その言葉ははっきりと聞こえた。慶人は焦った。気持ち的に、沙雪は一枚も二枚も上を行く相手だったのだ。ごまかせない。そう思った。
「俺・・。」
慶人はまゆを歪めてつぶやく。
「私、慶人くんと同じ高校行きたい。」
沙雪が声をつまらせて言う。その目はもう、瞑ってしまっていた。慶人はスゥと深呼吸をした。大事なことを、一言一言、言わなければならないと思った。
「俺・・、追いかけたい人が・・いるんだ・・。」