十一話
小春日和の多くなった、初春。三年生の送別会も終わり、十七名となったサッカー部は、新チームとなって練習に精を出していた。アキラは一層でかくなり、170cm程になっていて、そのテクニックも、高校の監督が見学に来るくらい、上達していた。名実ともに、上野原中学のエースストライカーだった。
「ふむ。あれが本間くんか。」
何か頷くように、西高サッカー部の柳監督が言う。口調こそ穏和だが、その目は鋭い。
今日の練習試合は、西高の監督が来ているということもあって、アキラもいつも以上に気合が入っていた。
「慶人っ!」
アキラから鋭いパスが、地を這うようにして慶人の前方に繰り出された。
「(くそっ、間に合うかっ!)」
ぎりぎりのパスだったため、慶人はボールに追いつくもうまくトラップをする余裕が無い。その隙に相手チームのブロックに阻まれ進路を断たれてしまう。ボールはラインを割って、相手チームのゴールキックとなった。
「(ちくしょう、パスは絶妙だったんだが、いかんせん俺のランが・・。)」
「慶人ナイスラン!」
「アキラっ、ナイスパス!」
俊が声を張り上げる。
「いいですね、今のパスはセンスがある。」
柳監督に耳打ちするのは同じく西高のサッカー部のコーチだ。
「キラー・パスだな。」
ゆっくりとした口調で柳は言う。
「今日はもう十分見れた。行こうか。」
そう言ってコーチを連れて、柳はグラウンドを後にする。
選手たちの掛け声が校舎にこだまする。
試合は3‐0で上野原の圧勝だった。そのうち二得点、一アシストがアキラだ。
「おつかれさま。」
クーラーボックスから取り出した冷えたアクエリアスを、沙雪が皆に配っている。
「わりぃ、俺、冷たすぎるのは遠慮しとくわ。」と言って沙雪からボトルを受け取らず、持参のボトルを取りに行こうとするアキラ。
「あるよ、本間くんの。はい。」
と言って、常温のボトルをアキラに渡す。
「あぁ、サンキュー。」
まるで当然かのようにそれを受け取り、蓋をキリリと開けて飲み始めるアキラ。なんというか、存在感がまるで部活の粋を超えて、サッカープレイヤーという風に見えた。つまり、風格のようなものが、中学生にして漂っていた。
「アキラ、さっきのパス、取れなくてすまん。」
慶人は、さっきのキラーパスの話を振った。
「謝ることじゃねぇよ。」
アキラは靴紐をほどきながら、汗を拭っていう。
「いや、今回は謝っておきたくてな。」
慶人は、折角のいいパスを活かせなくて謝ったのは事実だが、柳監督の前で失敗したことを謝ったのだった。
「ふっ。らしくねぇな。」
アキラが言う。
「俺はお前だから、あのパスが出せんだよ。」
アキラの全幅の信頼を感じて、心が何か、黄色いエナジーのようなもので満たされるようだった。ワクワクとも、安心とも違う、どちらかと言うと、自信や期待に近い色合いの感情だった。慶人は、スパイクからランニングシューズに履き替え終わると、
「トイレ行ってくるわ。」
と言って、皆の集まるグランドの一隅を離れて、後者の方に向かう。
「バシャッ、バシャッ。」
冷たい水で顔を洗うと、頭まで冷えてくるようで、先ほどのパスのシーンがより鮮明に蘇ってくるのだった。
「(あの時、たしかに左後ろにアキラのいるのを感じた。死角になってはいたが・・。でも、あのパスは予想できなかったぜ・・。)」
アキラとの力の差を嫌がおうにでも見せつけられた慶人は、悔しくはなかったが、時の流れというものを感じていた。後どれくらい、アキラと一緒にピッチを駆けることが出来るだろうかと。慶人もまだまだ成長期であり、その身長は163cmほどになっていた。だが、成長速度、テクニック、体力、どれをとってもアキラが一段上だった。チームメイトの中でも、一人、頭抜けている感じだ。
外に出た慶人は、タオルでゴシゴシと顔を拭いて、大きく深呼吸をした。冬が退くのを日に日に感じていたが、顔が濡れているせいか、空気は清々しく冷えていた。
黒く、うねり立った幹の先端から節々に、淡く、ほんのりと紅味掛かった、薄く丸い花びらが、軍勢をなして、はらはらはらりと、吹雪いている。
春。新しい季節の門を通り抜けると、新入生たちも続々と登校して来ていた。新入生歓迎式の折、各部の紹介時間があった。サッカー部はそれを卒なくこなし、午後、部活の見学者たちを待った。思ったより多い、八人が見学に来た。その中に、慶人の見知った生徒が一人いた。名を久門央と言う。央は、足が早く、持久力もある典型的なウイングタイプだ。小学生の頃には同じサッカークラブでプレイしていた。慶人たちが六年生の時、久門は四年生だったにも関わらずレギュラーを貼っていた。実力は確かな選手だ。
「うぉいー、央。」
「斑鳩さん!」
二人は外国人がするみたいに、軽く抱き合う。
「やっときたか。」
「はい。この一年を、ずっと楽しみにしてましたっ。」
なかなか嬉しいことを言ってくれる。13歳のくせに律儀な礼を知っているやつだ。
「あぁ、俺達がお前らとプレイできるのはたった一年だけど、俺もすげー楽しみにしてるから!」
ガシっと親指を握り合い、握手をする。そこに俊がやってきた。
「慶人、知り合いか?」
「あぁ、こいつは央、久門央だ。めちゃくちゃ速いんだぜ。ウイングだ。ちょうど先輩たちが抜けたところに入って貰う予定だ。」
慶人が自慢げに言うと、俊は、
「ははっ、そうか、久門くん、宜しく。ミッドフィルダーの谷川だ。慶人は気が早いみたいだけど、二年生の中にも有望な人材はいる。でも、遠慮せずレギュラー取りに来てくれよ。
楽しみにしてるから。」
と言った。
「はい、谷川先輩。」
何時呼ばれても、先輩という響きはいいもんだ。後輩のためにも尽くそうという気になって、何か力が湧いてくる。
「あの、本間先輩は?」
央が問う。
「ああ、アキラか。アキラはほら、もう靴履き替えてるよ。」
慶人が指さした方向には2階建てのクリーム色のクラブハウスが立っており、その階段に腰掛けて、靴紐を結ぶ大柄な生徒がいた。
「本間先輩に挨拶してきますっ。」
央は軽く駆け足で、クラブハウスの方へ走っていった。
「?お前、央か?」
「はいっ。本間先輩!本間先輩は、なんか、でかくなりましたね。」
「ははっ、成長期だからな。お前こそ大きくなったな」
央は天然パーマの栗色の短髪頭を自分でなでて、
「へへっ。」
と、嬉しそうに照れた。
春風まう青空のもと、六名の新入生を迎えてサッカー部は新たにスタートした。
「ねぇ、斑鳩くん、私もマネージャー、募集していいかな。」
花も散り、薄黄緑の葉が校庭のクスノキに茂る頃。とある昼休み、沙雪が話しかけてきた。校庭でのことだ。ベンチに二人座って話を聞く。
「最近また、部員も増えたじゃない?もう一人くらいマネージャーの子、欲しいなって思って。」
沙雪は繰り返した。
「マネージャーかぁ。でも、アキラのファンとかが来ても困るんだよなぁ。人材の選定できる?」
慶人は少し不安に思った。アキラ目当てで入部されても、部の空気が微妙になるだけであると。沙雪はその点気を効かせていて、できるだけ誰に対しても同じに振舞っていた。それがマネージャーとしての仕事を円滑にできる故でもあった。沙雪は、
「選定かぁ。荷が重いな、選定は仮入部の後でみんなで決めればいいんじゃない?」
そんな流れで新たに入部してきたのが、三島理花だった。理科は新一年生で、首ほどにやや緩くウェーブのかかった黒髪を伸ばし、一年生にしては鼻筋の通ったしっかりした顔立ちだった。理花は、アキラ先輩大好きです、と公言しているにもかかわらず、何故入部が決まったかというと、部員の皆が、理花のあっけらかんとした、まるで沙雪と正反対の性格に惹かれたからだ。部の新たなムードメーカーになってくれそうな、そんな気がしたのである。それに、沙雪は三年生である。現三年生である慶人達が出て行くのと同時に沙雪も部を後にする。残された後輩たちにもマネージャーは必要だろうということで、一年生のマネージャーは入れておきたかった。
「よろしくお願いしますぅ。田中先輩っ。私、不器用なんだけど、怒らずに教えてくださいっ。」
「ええ。いいわよ。ふふっ。でも、教えるほど難しいものでもないかな。」
沙雪はらしく対応する。少し腕白だが、後輩ができてまんざらでもなさそうだ。