5
橋の上。僕たちは見えるはずもない川を眺める。
あの事故で後遺症もなく体が感知するのは奇跡だと外科医が褒めていたことを思い出す。
あれから4年。僕たちは元の体に戻れないまま第二次成長期も終盤に差し掛かり、悔しくもこちらの体の方が慣れてしまっている。
「そういえばさ、高校の入学式のこと覚えてる?」
昴は機嫌がよさそうに笑った。
「ああ、覚えてるよ。昴の無茶ぶり」
僕たちは入学式の時に戸籍上の名前を呼ばれた。つまり僕は昴と呼ばれたのだ。
その時昴はまっすぐに手を挙げた。
――先生、私の名前は昴、村上昴です。間違っています。
未だに僕はあの時のハラハラは忘れられない。昴を咄嗟に睨むと彼女は頑として引かなかった。
――村田君と苗字も近いし、出身地も近いので間違えたんだと思います。
昴はあの日僕を“初めて会ったクラスメート”のように接した。
さすがに無理があるだろうと思いながら自らも頷くと、先生は済まなかったな、と言うと名簿をその場で訂正していた。
頭を抱える僕に昴はVサインを送ったのだった。
入学式の一件はしばらく学校中の話題になった。昴はチャンスを逃さず、その話題でどんどん学校に溶け込んでいったのだ。
「私ってば頭キレるって思っちゃったよね!お陰でちゃんと梓くんと昴ちゃんでいられるもん」
「僕たちの体が元に戻ったら面倒なことになるじゃないか……」
昴の頭に軽くチョップをいれるとまた昴は頬を膨らます。
「なんだよ! 褒めてくれたっていいじゃん」
ああ、そんなに眉間に皺を寄せないでほしいんだけどな。だから“まぁ、戻れなくてもいいんだけど”って続く言葉は教えてあげない。
暫く、睨みあった後なんだかおかしくなって僕たちはライトが行きかう橋の上顔を見合わせて笑い合った。
「ねえ、昴」
僕は笑うのを止めて昴を見る。長く伸ばされた髪、そして制服の着崩し方も今どきの女子高生だ。僕がもしその体のまま成長していたら、今の昴の様にお洒落をしているだろう。
これが自惚れでなければきっと昴は僕の為に“女の子らしく”いてくれるのだ。
あの頃とは少し違う元の自分の体。身長はすぐ止まってしまったけど、女性らしく、そして表情だけは昔の昴の様に快活に、明るく。
もう、小学生の自分の姿なんてぼんやりとした輪郭になってしまった。
「なに?」
「あの時、昴はなにをお願いしながら僕をここに連れて来たの?」
顔を上げた彼女は心なしか顔が赤い。体を強張らせてうまい言い訳を考えているように見えた。
「ごまかさないでよね。誕生日プレゼントはそれでいいよ。今まではぐらかされていたし」
僕の大きくなった手が彼女の細い腕を掴む。もうこの体は僕の物ではない。ならば、気持ち悪くない。
最初はこの体を拒絶していた。昨日まで鏡で見ていた顔が僕に笑いかけてくる光景に嫌悪も憎悪もした。
だけど、目の前にいるのは昴だ。
あの時も今も一番大切な、昴だ。
「ず、ずっと一緒にいれればいいって。それなら自分の体も差し出すって!」
そう言う昴は顔が真っ赤で耳まで染めていた。
自分はおかしくなってしまったのかもしれない。ほんの少しだけ元の自分の顔が可愛いだなんて。
季節の変わり目だし、風邪でも引いて熱があるのかもしれない。
「……そしたら僕の体も差し出しちゃったって訳か」
「だからごめんって何度も言ったじゃん! ……もう用事はおしまい! 帰ろう」
結局何が用事だったのだろうか……鞄を引っ手繰ってどんどん橋の上を歩いて行ってしまう。
ああ、そんなにがに股で歩いたら学年一の美少女も台無しなんだけど。やっぱり昴に僕の体をあげたのはもったいないかも。でも……
「……昴、ありがとう」
こっそり小さい声で呟くと早足で彼女の隣に立つ。
「ん? なんか言った?」
「今年の誕生日は何ケーキにしようかって話」
僕たちは少ない明かりの中、帰路についていく。
なんでもない放課後の日のなんでもない帰り道。
そこには男子高校生と女子高校生がいて、見る人が見ればカップルだと思うだろうか。
僕たちは恋人ではない、でも友達でもない。その曖昧な関係は心地よく、そして絶望的に感じることだってある。
それでも昴という人間がいてくれさえすれば、まだこの体でも悪くはないだろう。
「んー。やっぱり駅前のショートケーキがいいよね」
僕たちは不完全だ。
「去年とその前も同じじゃん。チーズケーキがいい」
1人では何もできないし、だからと言って大勢でなんでもできるわけではない。
「ええ、チーズケーキって誕生日っぽくない」
だけど少しだけそんな僕たちを愛してみる。
「じゃあ、僕からの提案。今年は二つにしようか」
そうしたらとても明るく道が開けて……
「それ、賛成!」
――世界が優しく見えたんだ。




