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「すっかり、日が暮れちゃったね」
昴と僕は人気のない土手を街灯に添って歩いていく。
時計に目をやると19時を回ったところだった。
「こんなところに連れてきてどうするの?」
咄嗟に昴の腕を掴み引き留める。
隣では川の流れる水音。彼女は此方を見ない。
「俺の体……慣れた?」
高鳴る心臓を押さえることはできない。やや高めの女の子らしい声で言う“俺”には、ほんの少しだけ違和感があった。
「私の顔で俺とか言わないでよ」
自分の低い声が“私”と紡ぐ。ああ、自分を“私”と言うのはいつ振りだろうか。
「今日だけ、許してよ」
「今日だけ、ね」
もうすぐ昴が行きたかった場所に着くだろう。
僕はかつて自分のものだった手を引くと、あの日みたいに走り出した。
そう、私が村田梓になって彼が村上昴になったあの日のように。
* * *
目が覚めるとすべてが白だった。
アルコール独特のつんとした匂いも、そして口についているナニカも少しだけ違和感を覚えた。
「……ッ」
その後に全身に走る痛みに悶絶する。
そしてその様子に気づいた看護師がこう言った。
「村田昴くんの目が覚めました。至急お父さんとお母さんを!」
バタバタと沢山の人が行ったり来たりする音がする。
そこで初めて自分が病院にいることを悟った。
(でも、なぜ……?)
そして駆けてきたのは昴のお父さん、お母さんだ。
「昴! 昴! 大丈夫か?」
自分を昴と呼ぶその人たちは目に涙を溜めて、その前も泣きはらしたのか瞼が赤くなっている。
「昴……? 昴は?」
さっきまで一緒に走っていた幼馴染。その姿はどこにも見当たらない。
「梓ちゃんの言っていることが本当だというの?」
「だったらこの子は……」
慌てふためいている昴の両親たちを見ると急に怒りがこみ上げ、頭に熱が上がり、僕は邪魔な酸素マスクを取った。
「だから、昴はどこなのよ……!」
喉に、違和感を覚える。絞り出した声が自分の物じゃないことに。
手を広げる。……こんなに日焼けをしていた? 髪も、自慢の綺麗なクリーム色の物ではない。
「梓」
自分を呼ぶ、私の声。そこに目をやると、“私”が立っていた。
その顔はひどく混乱した物だった。無意識に落ちる涙をこらえられず流すと、自分がこちらにかけてくる。
「ごめん、梓。梓の体……交換しちゃった」
ごめんなさい、そう自分が泣きじゃくっている。自分の体に入った昴が僕に縋り付いてそして泣いている。
自分の声が自分の名前を呼ぶ。何が起こっているのだろうか?
泣きたいのは此方の方なのに、訳が分からずぼうっと見つめることしかできない。親たちも動揺し一度席を外した。
「俺のじいちゃんは不思議な人だった」
一通り泣いた昴は、僕の隣に座り少しずつ話し出す。
「俺が落ち込んだ時、じいちゃんの家に逃げたんだ。じいちゃんはおまじないを俺に教えてくれた」
――もし、困ったら隣町にある橋に行きなさい。そこに行けば願いが叶う。その代償は高いがね。
そういって昴の手に筆で何かを書いたのだという。
昴の祖父はそれからひと月で亡くなった。
だから昴は信じて僕を橋に連れ出し、そしてそこに車が突っ込んできた。そして川に投げ出されたらしい。
「偶然に岸に着くことができたんだ。俺が梓の手を掴んだから。でも中身が入れ替わるなんて思わなかったんだ」
泣きじゃくった後の昴は憑き物が落ちたように微笑んだ。私の顔で微笑んだ。
絶望感と虚脱感に苛まれて、目頭が熱くなる。理解が出来ない訳ではない。現に自分の声は、肌は、髪は、すべて昴だったものだから。
「……わかんないよ。なんで私がこんな目に合うの? 私、今日は誕生日で、それでずっと知らなかったし。これから中学校に上がって、勉強して、制服も着て。なのに、なんで昴の体になっちゃったの?」
私の言葉が昴の声で発せられる。変声期前の少し高い男の子の声だ。
「……ごめん、ごめん。梓……ごめん」
昴はただ謝って願い事の内容を教えてはくれなかった。
また二人は泣いて泣いて、数日間涙が枯れるくらい泣いた。
そして両親たちが集まり、二人が揃って退院する日にこう告げた。
「私たちはあなたたちの言い分を信じるわ」
自分のお母さんがそう言った。
大人たちは頷き、僕たちをまっすぐに見る。
「父さん、母さん。我儘を言ってもいい?」
昴は僕の体で、自分の両親に詰め寄る。
昴の両親は複雑そうに眉根を寄せた。
「俺は梓が“昴くん”って呼ばれるのが耐えられない。きっと梓だって俺が“梓ちゃん”って呼ばれるのは嫌だろう……」
一拍おいて昴は声を張る。
「だからせめて“梓くんと昴ちゃん”にしてくれないかな? 名前も取り替えてほしい……」
大人たちは驚き互いに目を合わせた。そして昴のお母さんは苦しげに僕の手を取った。
「あなたたちの言い分はわかるわ。でも戸籍を替えることも改名手続きもとても大変なことなの。だから梓ちゃんは今日から昴の体でうちの子になるわ。……名前は……手続きは出来なくてもお互いそう呼び合うのはいいでしょう」
私もあなたを梓くんと呼ぶ努力するから、そう付け加えてそっと手を放す。
子供の言い分をすぐに信じる両親たちはどうかしている。
でも、それが生きる救いにもなった。僕はまだ“梓”でいられるのだから。
その後、父さんたちは単身赴任を決意し僕たちは日本に残ることになった。
僕たちは体を交換したけど周りからは名前を交換したと思われるだろう。
心と体はぎくしゃくして戻らないまま、年月だけが悪戯に過ぎる。
昴のお母さんと暮らすのは苦じゃなかった。理解もしてくれたし、信じてもくれた。だが、“私”の体を操って女の子らしくなっていく昴を見るのが辛かった。
僕は、女の子に戻るのを諦めきれていない。
あの事故から数か月。僕たちは小学校に通うことなく他県の中学受験に挑む。“梓くんと昴ちゃん”として生きるには他県の誰も僕たちを知らない土地で生活するしかなかった。
中学からは名前も苗字も似ているせいか名前を気に掛ける人は誰もいなく、誤魔化しながら過ごしていた。
そして、また悪戯に時はすぎる。僕は男の姿のまま、成長期も変声期も迎え、高校1年生になってしまったのだ。
声も、髪も、体も昴で、残ったのは“梓”という名前だけだ。




