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「あの時は走ったよね」


 昴がバニラ味のアイスバーを差し出す。

 数年前は個人商店だった店が今では立派なコンビニになっていた。

 歩きながら無言でアイスを齧ると、昔と変わらない甘さが口の中に広がった。

 冷たさが喉を伝うのと同時に昔、昴とよく駄菓子を買いに来たことを思い出した。


「意外にここまでって近いんだね」


 昴はまた呟くように言って、いちご味のソフトクリームを舐めた。


「あのさ、昴。どこに行きたいの?」


 問いかけると彼女はなんとも綺麗に微笑んだ。

 もう日が暮れかかって、空をオレンジ色に染めている。

 あの後、僕たちは一時間電車に乗り、そこからまた20分近く歩いてきた。

 初夏独特の湿気を含んだ風が彼女の短いスカートを揺らす。

 もう半刻もしないうちに日は暮れてしまうだろう。

 オレンジ色に染まった肌が、瞳の彩光が、唇が、キラキラと輝いて見えた。


「梓なら、私のこと、分かってるでしょ?」

「……昴が“私”っていうの板についてきたよね……」


 そういって昴を見ると自分の言葉に彼女は口を半分開けていた。

 なんとも間抜けな顔だ。

 しばらくすると、ニィっと口の端を得意げにあげて見せる。


「まあね。私、今の自分結構気に入ってるのよ」

「ナニソレ、気持ち悪い」


 スカートをお嬢様の様に持ち上げる昴に僕は毒付く。

 僕……自分の一人称をそう呼ぶのはあまり得意ではない。


「いいから、早く行くよ!」


 そういうと僕の鞄を引っ張り走り出すのだった。


「だから鞄を引っ張るなよ」


 西日がまぶしい。穏やかな夏の始まりはいつも昴と一緒だった。


(今年も、一緒か……)

 

 少し頬を緩めながら梓の歩幅に合せて走るのだった。




* * *




 公園を抜けて5分も歩くと最寄りの駅に着く。


「梓! 早く」

「わかってるよ」


 僕たちは数少ない所持金を合わせて電車に乗り込んだ。

 何駅も揺られて30分ほどして知らない駅に降りる。

 その光景はまさしく未知。駅前に広がる田舎独特の広い道に不安感が募る。


「行こう」


 昴が手を取り走り出す。その速さに何度か足がもつれ、その度に昴は勢いよく手を引っ張った。

 何時間そうしていたことだろうか。休みながらまた遠くへ。その間会話は殆どなかった。

 日はすっかり落ちて、心もとない街灯の明かりを伝い河原を歩いた。


「夜はこんなに暗いんだね」


 暗さに不安を覚えぽつりと呟く。

 昴はそんな僕の手をしっかり握り直した。

 横では川の音がせらせらと囁き、そこに目を向ければ得体のしれない恐怖感で胸がいっぱいになる。

 空腹感と足の疲れで少しふらつくとそれを見かねたのか昴は土手に座り込んだ。


「もうすぐで、少し大きい道路のある端に着くよ」


 昴の指さす方を見ると、車の明かりが行きかう橋が見える。

 もう一度僕の手を取ると満面の笑顔でこう告げた。


「そうしたら明かりもたくさんあるし、ゆっくりと歩こうね」

「うん!」


 痛む足を押さえて明かりに足を向ける。

 不意に後ろの闇を見ると小さな明かりがいくつかちかちかと揺れている。


「す、昴……」


 自分の震える声に昴も振り向いた。


「父さんと母さんたちだ……」


 ぐんっと力強く引かれ、足が前に前にでる。

 止まることは許されない。そうしたら自分たちは終わりだ。

 だんだんと、明かりが大きく見えてくる。だが、振り返ると後ろの明かりも近くにあった。


「もっと、早く!」

「あ、足が……」


 風がうるさい。夏なのに冷たい風が僕たちの頬を叩き、気管を苦しめ、そして涙を誘う。

 すぐそこに車の音。橋を越えれば住宅街だ。そこに入れば隠れるところは山ほどある。


「梓!昴!」


 両親たちの声が襲ってくる。

 なんでこんなに走っているんだろう。二人で何から逃げているのだろう。


「梓! もっと早く」


 昴の言葉通りに足を進める。

 昴が行く手を導く。そう、他はなんだっていい。生まれた時から一緒だったかけがえのない幼馴染。

 昴が一緒ならばそれでいい。

 ぼうっと昴の姿を眺めながら走り続ける。

 意識は白んで、曖昧で、闇に溶けて。そして車の明かりにかき消されていく。

 そのぼやけた輪郭にフォーカスしたのは車のクラクションだった。

 耳の裂けそうな音と、何かの振動。

 浮いた身体と、繋がれた手。

 昴がこちらを見ている。それは何とも泣きそうな顔で。

 そしてこう言うのだ。


「梓。ごめんね、俺のせいで……」

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