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「……ここから逃げよう!」


 僕たちは不完全だ。


「早く、もっと早く!」


 一人では何もできない。


「一緒なら大丈夫だよ」


 だからと言って大勢でなんでもできるわけではない。

 だけどいつか、そんな僕たちを愛せるようになったなら。


――キキィッ


世界は少し優しくなるのだろうか。


「なんで、わたしが……」




【梓くんと昴ちゃん】




「梓っ! 一緒に帰ろう」


 紺襟のセーラー服にサイズの大きいセーター、長い麦色の髪を二つに結っている女の子が目の前にいる。ぱっちりとした瞳に、マスカラもいらないような長い睫。小さな口には少し厚めの桜色の唇。

 そんな同級生が下校を誘ってくる。

 いつもと変わらない、何の変哲もない放課後だ。

 そしていつもこう言う。


「たまには一人で帰りなよ」

「やーだっ!この超絶可愛い昴ちゃんがナンパでもされたらどーすんの!」

「……それはナイ」


 きっぱりと言い捨てて椅子を半分ずらす。右手でまだ新しい学生鞄を持ち上げて、左手でそれを携える。これも同じ、そして……


「そんなこと言ったって帰り道一緒だからついていくもんね!」


 これも同じ。この高校に入学してから3か月と少し、毎日同じ会話を繰り返している。


 自分の名前は村田梓、高校1年生の顕然たる男子。女性的ともいわれるこの名前は生まれてこの方一回も変わっていない。

 そしてツインテールの元気な女子、村上昴。男っぽい名前はこの方一回も変わっていない。

 どこにでもある様な、いや男子高校生には少し羨ましがられるような美少女……昴との関係は中学校から続いていて、自分からしたらなにも貴重でもない。そう、この関係は何も貴重ではないのだ。


 昴は今日の三限、古典が難しかったとか、あの先生が厳しいだとかいわゆるその場限りを盛り上げる中身のない話を永遠としている。

 自分と言えばそうだね、とか大変だよね、とかそんなことを繰り返しロボットのように吐き続ける。


「ねえ、梓? もうすぐ誕生日だね!」


 にっこりとほほ笑む彼女はキラキラとした瞳で僕を見つめる。得意のそうだね、が言えなくなった。


「ああ、自分たちの誕生日だね」


 誕生日……誰もが持っている自分の生まれた大切な日。自分にとって、いや昴にとってもそれはあたりまえの日ではなかった。

 世間一般の誕生日とはまた違った日。


 自分が村田梓になって彼女が村上昴になったあの日だ。




* * *




「梓! 遊びに来たよ。一緒にケーキを食べよう」


 あの日、昴はいつものように遊びに来た。

 小学6年生の夏休み初日。暑さも穏やかなさわやかな暑さだった。

 6年間背負ってボロボロになったランドセルはしばらく使うことはない。縛られることなない、自由で楽しい夏休みだ。

 自分たちの両親はいわゆる親友同士で、お互いの家を自分の家のように行き来していた。そして僕たちは双子の兄妹のように仲が良かった。

 父が親友同士、家も近く、そして僕たちの誕生日、生まれた時間、更には生まれた産婦人科の病院までもが一緒だった。

 周りの人はそんな自分たちを奇跡だと言う。


「うん、でも算数のドリルをしてからでいい?」

「ええ、梓ってば真面目なんだからー。父さんと母さんたちは居間で待ってるよ?」

「だから後少し……」


 そうやって自分は算数のドリルを解いていた。多分最後の文章問題を解いていたんだ。

 昴は退屈したのか僕の部屋の本棚から漫画を取り出して適当にページを捲っていく。そして何か思いついたように顔を上げた。


「ねえ、この間買ったハートのクラッカーまだある?」


 ハートのクラッカーは以前買い物に行ったときに買ったパーティーグッズだった。中から多彩な色のハートの紙が飛ぶ綺麗なクラッカーだ。


「そこの下の箱に入っているよ」


 黄色のカラーボックス、“宝物入れ”を指さした。昴は中からクラッカーを取り出すと悪戯っぽい笑みでこう告げる。


「今日の主役は梓と昴だけど、これで母さんたちを驚かせよう!」

「それ、いいね」


 最後の問題の答えを丁寧に書き、二人は笑い合ってお互い一つずつハートのクラッカーを手に取った。

 でも、これが間違いだったんだ。

 あの時普通に足音を立てて居間に向かっていれば、“普通”の幼馴染でいられたのだ。

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