1獣の咆哮
ウオオオオーー……ンッ
赤黒い夕焼け空の下、光が遮られた暗い森に獣の咆哮が響き渡る。唯一開けた場所で空を仰ぎ、狂ったように鳴き続けるのは一匹の真っ黒な狼だった。
その容姿は一目見ただけで普通ではないとわかる。体長は通常の2倍はあるかと思われ、血走った目は薄気味悪く光り、口からはよだれが滴り落ちていた。何度も何度も、喉が引き裂けんばかりの遠吠えを繰り返す。
それを恐れてか、周りには一切生き物の気配がない。
その遠吠えは永遠に続くかと思われた。
しかし突如鳴き止むと、それは低く地鳴りするような威嚇に変わった。
目の前には一人の人間が立っていた。狼よりもさらに暗い黒色の長髪。前髪の間からはまたも真っ黒の鋭い眼が覗いている。
その目ははっきりと狼の足元に落ちた塊を捕らえた。四つ、五つ、ドロッとした赤黒い物体が異臭を放って転がっている。
それがピクリとも動かないのを見て、男は秘かに奥歯を噛み締めた。
直後、狼が牙をむき出しにし、その巨体に似合わぬ素早い動きで男に襲い掛かる。男は半身で狼の牙を交わしながら腰の剣を引き抜いた。
それは男と同じ、漆黒に輝く刀身を持っていた。
抜いた流れでそのまま振り抜かれた剣は、よろめいた狼の腹を裂く。
「ギャアオオンッ」
真っ赤な血が飛び散り、嫌な生暖かさを感じた。顔半分に狼の血をもろに浴びた男は眉間に皺を寄せ、固く口を閉ざした。
繰り返し、狼は頭を振り乱しながら男に襲い掛かり、その度に斬られた。切り口全てが致命傷になるほど深いにも関わらず、狼はおぼつかない足取りで立ち直った。さらに眉間の皺を深くする男に再び向きなおると、頭を一振りして空を仰いだ。
「キィィィィィィン……」
狼の小さく開けられた口から発せられた音が男を襲い、とっさに耳を塞ぐ。しかし完全に防ぎきることは出来ない。
先ほどの遠吠えや威嚇とは全く異なる、体の奥が震わせられるような超音波。男はは目眩に襲われ、片膝をついた。胃から何かがせり上がってくる感覚を受ける。内臓が直接握られているようで気持ちが悪い。一瞬間をおいて脳もその影響を受け、頭痛で頭が割れそうになる。
それでも、男の視線は狼を捕らえ続けた。
狼は目の前で、薄暗い空に向けて鳴き続けている。
「……Γ(ガンマ)」
頭を抑えながら長い前髪を握り締め、静かに呟くとゆっくり立ち上がった。
ふらふらと揺れつつも、両手で確かに剣を構える。黒く輝いた切っ先は真っ直ぐに狼へと向けられた。