元婚約者の弟が、姉様を辞めさせてくれません ~悪役令嬢の一人暮らしに、七歳の第二王子がついてきちゃいました~
明日の定例の会議室、とってなかった気がする……!
目が覚めて飛び起きると、いつもと違う景色だった。ふかふかのベッド。額に乗せられた冷たい布。ベッドの脇では、可愛らしいエプロン姿の女性が心配そうに私を見つめている。
「ヒロメリアお嬢様が目を覚ましました! お水をお持ちします!」
「……え……?ひろ、ひろめり、あ?」
「ああっ高熱でお名前も忘れられて、そうです、ヒロメリア様……!お医者様を!」
侍女と思われる女性は、慌てて部屋を出て行ってしまった。どういうことだ。私は、朝は満員電車に押し込まれ、昼は机で菓子パンをかじり、終わらない仕事を抱え、日付が変わる頃に帰宅する……そういう二十三歳だったはずなのだけれど。
残っている最後の記憶は、昨日寝る前に出した高熱だ。ドラッグストアも開いていない時間に薬も無く……。部屋の端にある鏡を遠目で見るとそこには、小さな金髪の可愛い女の子が、うつっていた。
* * *
「ヒロメリア! お前との婚約を破棄する!」
十八歳になった私は、王宮の夜会で婚約者から指を突きつけられていた。ブロンドの髪の毛が美しい、国中の女性が虜になる王太子殿下。その腕には、可愛らしい薄ピンクのドレスを着た男爵令嬢がすがりついている。そして私は、深い藍色のドレスをまとい、会場中の視線を浴びていた。
とうとう来たか、というのが正直な感想だった。あの日、目が覚めてしばらくすると、この世界が、昔プレイした乙女ゲームによく似ていると気づいた。王国の名前。攻略対象の王子。そして、その婚約者である公爵令嬢ヒロメリア。……そう、私だ。
ヒロインの恋路を邪魔して、最後には婚約を破棄される悪役令嬢。その後も王太子に執着しヒロインに危害を加えると、待っているのは処刑だった。あまりにもヒロメリアが可哀想で、ハッピーエンドが見られるエンディングまでプレイできなかった。
しかし、公衆の面前で責められると、前世の記憶まで蘇ってくる。部署全員がいる会議で、名指しで人格を否定されたあの日。転生して十年も経っているというのに、しつこい記憶だ。
「お前が彼女にしてきた仕打ち、すべて聞いているぞ!」
なるべく王太子とも、男爵令嬢とも関わらないで生きてきたと思ったんだけれど、物語のルートというものはこんなにも厳しかったのか。
「彼女を虐げ、階段から突き落とし、あまつさえ飲み物に毒まで盛るとは!」
「……しておりません」
「まだ言い逃れるつもりか!」
いじめていない。突き落としていない。毒も盛っていない。というか、毒なんて、どこで手に入るのかも知らない。
「先日の茶会でも、彼女に恥をかかせたそうだな」
「茶会には出席しておりません。大広間で、隣国の使節団をお迎えする際の作法を学んでおりました。城の者たちも一緒におりましたので、聞いていただければと」
殿下は口をつぐみ、腕にすがる男爵令嬢を一度見て、それから私をまた睨みつける。
「そういう態度が気に入らないのだ!お前には可愛げというものがない!」
「……婚約破棄の件、承知いたしました」
「……お、おお」
「詳しいお話は、後日、父を通してお願いいたします」
「引き留めないのか……?」
あなたが始めた婚約破棄の話ですよね?悪態をつきたい気持ちをぐっと抑える。ここで争って、やっぱり婚約関係はそのまま、と言われても困る。
「……殿下のお気持ちは、よくわかりましたので、お幸せに……うっ」
我ながら下手くそな演技。しかし、この世界の私は“長い金髪に碧眼の美人”なのである程度の同情は得られているのではないだろうか。人垣の隙間から、王太子の弟、まだ幼い第二王子が今にも泣きそうな顔でこちらを見ている。
「なお、婚約解消に伴う補償も、父と話してください……」
「補償?」
「慰謝料、いただきます」
* * *
「よいっしょ〜!ふう、これで運ぶ荷物は全部かな」
「お嬢様、本当に出ていかれるのですか」
結論から言えば、た〜んまりと慰謝料は出た。私にかけられた疑いは父が一つずつ確認を求めたところ、あっさり晴れてしまったのだ。いじめも、毒も、突き落としも、証拠なし。しかし婚約破棄の撤回もできないので、慰謝料でおしまいになる、という展開だ。
あの場で私を守れなかった父と母は、私が一人暮らしをするのを強く引き止められなかった。
「わざわざ、一人で暮らすなんて道を選ばなくてもいいんじゃ、ないか」
「やあねパパ、もう十八よ。……なによりも、まだ皆さん私を白い目で見るじゃない」
「疑いは晴れたのだが……」
一度、断罪された人はそのまま奇異の目で見られてしまう。そんな視線を浴びるのはごめんだし、レッスンも勉強もマナーもパーティーも茶会もない世界でゆっくりくらしたい。二回目のお父さん、お母さん、育ててくれてありがとう。たまに、帰ってきます。
* * *
荷物を乗せた馬車でたどり着いた先は、広々とした草原に囲まれた村の一軒家だった。ご近所さんへの挨拶は先にすませてあるし、今日は荷物を運んで一人、ゆっくりしよう。
「お手伝いします!」
「ああもう、そんな細い腕で、いいのに」
最後まで一緒に付いてきてくれた侍女のユノ。彼女のことだけは、心残りだ。八歳のころからいっぱいお世話をしてくれた。長い髪を毎晩乾かしてくれたのも、嫌いなキノコをこっそりたべてくれたのも、虫をやっつけてくれたのも、全てユノだった。
「いつでも、遊びに来て。私も、行くから。一生の別れじゃ、ないのよ」
「ぐす……これ、お嬢様が好きだった料理のレシピです」
「え、すごい、全部手書きで……ありがとう!!」
昔は、下から抱きついていたのに、お別れのハグはもう、私の方が大きかった。ユノを乗せた馬車が帰ったあとはとりあえずベッドのシーツを敷く。ベッドはだいぶ小さくなったけれど、このぐらいがちょうどいい。明日は花を買いに行こうかな、私が一番好きな色の花を選ぼう。ランプはどこの箱にいれたかな、と探していると、コンコン、とドアがノックされる音がした。ご近所さんだろうか。
「は〜い、今あけます〜」
まだ慣れないドアノブを回して扉を開けると、そこには大きな鞄を抱えた小さな男の子が立っていた。
「……えっ、リト!?」
「ねえさま!!」
勢いよく抱きつかれ、呆然と立ち尽くしてしまう。なぜ、あなたが、ここに……?
「姉様、今日からぼくも、この家にひっこすことになりました」
「は、はい!?」
後ろには、執事のアルトが申し訳なさそうに立っている。
「父様も、兄様も、了承してくれました」
「いっ、いやいや、いや、えええ……」
リト、本名リヒトルは、私を断罪したあの男の実の弟で、まだ七歳だ。私によく懐いてくれていて、あの城で過ごした時間は婚約者よりも長かったかもしれない。
「だって、あなた学校」
「ここから歩いていける学校に転校します」
「そんな……」
……仕方ない。これは、あんなに慕ってくれていたのにお別れの一つもしなかった私の責任だ。しばらくしたら落ち着いて家に帰るだろう。部屋は二つあるし、食べさせられるお金は心配いらない。
「……わかった、今日は泊まって行っていいから」
「今日は、じゃなくてずっといます! あ、アルト帰っていいよ、ありがとう」
「……ヒロメリア様、すみませんが、お願いします。また、来ます……」
* * *
事前に運び入れていたソファにとりあえず座らせる。ストレートの金髪、見目麗しい顔、こんな田舎の家に居たらアンバランスすぎる。
「ちょっと、コップとかお茶とかもまだ出してないのよ」
「おかまいなくです」
「そうは言っても……」
時計は午後五時半を回ったところで、今日の夜ご飯も見繕わなければいけない。一人であれば、持ってきた食パンでいいのだけど……。わずかな食料を入れてきた箱を開ける。中には、塩、胡椒、オリーブオイル、そしてハムとチーズと、イチジクが二つ。今日は、これでいいか。
「姉様、僕もおひっこし、手伝います!」
「うーん、じゃあ、そこ、本棚に本を入れて行ってくれる? 今、ご飯作るね」
「姉様が!?」
驚くのも無理はないか。私も、王太子も、もちろんリトも、キッチンに立つことはなかった。私だって火を使うのも、包丁を持つのも実に前世ぶりだ。
「そりゃそうよ、黙ってたってご飯は出てこないじゃない」
小さなキッチンだが、水も出るし火も使える。ナイフやまな板、フライパン一式はユノが持たせてくれた。「ナイフを使う時は、猫の手、ですよ」と心配そうに教えてくれたっけ。
イチジクを洗い、皮を剥く。結構やわらかくて難しい。……あ、ゴミ箱ない。この辺りの生活も、ゆっくり整えよう。
イチジクが剥けたら、次はハムを薄切りにする。こちらの実家のハムは、日本のハムよりおいしかったので、ありがたく頂戴してきた。ナイフを使う作業が終わったら、次はパン。チチチ、と魔法石から火がつく音がするとリトが不安そうにこっちを見た。
フライパンを置いて、パンを置き、すぐに薄くチーズを乗せる。トースターが欲しいところだがこの世界にはない。うん、フライパンでも十分に焼ける。こんがりしてきたらお皿にうつし、さっき切ったイチジクを乗せる、そして塩、オリーブオイルを少し、たらり。
うん、完成!
「リト、ご飯にしよう」
「はい!こちらもいれられました!」
本棚を見ると、私の思っていた並べ方とは違うが、まぁ、いいか。ダイニングの椅子に座らせて、目の前にトーストが乗ったお皿を出すと、リトはびっくりした様子でキョロキョロと辺りを見まわした。
「フォークと、ナイフは……?」
「ないよ、手で食べる」
「これを、手で!?」
王宮の食事でナイフとフォークが出ていないことは、今までなかった。なんなら、使わないものもたくさん並んでいた。
「いただきます」
まだ熱いトーストのサイドを手で持ち、端っこに勢いよくかぶりつく。パンの香ばしさに、ハムの塩、そのあとにやってくるイチジクのやさしい甘み……うん、上出来だ。おいしい。
「手じゃ、食べられない?」
「えっ、た、たべられます!」
私の真似をして、トーストの端を持ち上げると、上に乗っていたイチジクが少しお皿に落ちる。気にしないで、と目線を送ると、ガブリ、目を瞑ってかぶりついた。
「………ん〜〜〜っ!!」
「ふふ、美味しいでしょ」
「な、なんですかこれは!フルーツと、ハムが、パンの上に、んっ、お、美味しいです」
二口、三口と勢いよく食べてくれて可愛い。一個だけ見つけたコップに水を入れて差し出した。
「勝手に家出ちゃって、ごめんね」
「……姉様はわるくない。あんな家、姉様に相応しくない。兄様は、最低だ」
「……リトは、優しいね」
テーブルの向こうから手を伸ばして、頭を撫でると、ぽろり、リトの頬に涙が流れた。ぷるぷるのほっぺたを濡らして、ごめんね。
* * *
「姉様〜!朝ですよ!お腹が空きました!」
時計を見ると七時!?私、一人でお昼まで寝るために家を出たんですけど……。しかし、しみついた規則正しい生活のせいで、別に起きるのはそこまで苦ではないのが皮肉なものだ。
「……モーニングで開いてる店、あるかなぁ。顔洗って、街へいこっか」
「?? 朝ごはんは?」
「外で食べられたら、食べるかな」
「朝ごはんって、家以外でも食べられるんですか?!」
箱入り息子さんには、いろいろと教えることがありそうだ。今日買うものは、私の好きな色の花。それから、小さな王子のコップ。慰謝料はたっぷりある。朝ご飯を二人分頼むくらい、どうってことない。
「リト、危ないから、手を繋いで」
差し出した手を、小さな手がぎゅっと握り返してくると、不思議と心はあたたかくなった。
念願の一人暮らしは、結局一日だってできなかった。婚約者はいなくなったけれど、どうやら私、まだ姉様を辞めさせてもらえないらしいです。




