誠一VSヌラカガ
たったの一振りだった。
窓の外。陽が陰る。
太陽すら覆うような影が現れた瞬間、巨人の右腕が振り下ろされた。
「来るぞっ!」
耳を裂く破砕音。
床が波打ち、教室の半分がもぎ取られる。
壁はうめき、机が風に千切れた紙のように舞い上がった。
熱風めいた衝撃が電太の足元をさらう。
「う、うわッ!」
尻もちをついた電太の声が、ガラス片の雨音にかき消された。
「た……助けてぇぇっ!」
声は情けなさを通り越し、裏返って悲鳴のように震えた。
肩を貸したのは国人。唇を真一文字に結び、電太を引き起こす。
「ほら、とっとと立て!」
教室の扉はすでに開いている。
立っていたのは誠一。風圧で髪を逆立てながら、窓の外の巨人に目を向けつつも、必死に声を張る。
「早くっ! 二人とも急げ!」
崩壊した天井からは黒煙が噴き上がっている。
「アマちゃん、こいつは一体何だ?」
誠一は、ふわふわと浮かびながら巨人を睨みつけるアマテラスに尋ねた。
「彼奴はアメノカガセオ。妖の王ぬらりひょんを纏った妖王神。そして、我を地に堕とした者じゃ。まさかこんなに早く追って来るとはのぅ」
「カガリヒョンってことか」
「いや、アメノヌラセオだろ」
「僕はヌラカガを推すよ」
「其方ら、言うとる場合か」
三人は、何とか教室を飛び出した。
その直後、「ドンッ!」と空気が爆ぜ、ヌラカガの二撃目が教室を断ち割った。
ガラスと木材の破片が雨のように降り注ぎ、廊下の壁に激突する。
三人は反射的に身を縮め、降り注ぐ破片から身を守る。
教室だった空間には、もはや床も壁もなかった。
「走れぇ!!」
誠一の怒鳴り声が火を点けたように、三人は転げるように駆け出した。
「おい国人!なんか作戦はねえのか?あいつから逃げ切るための!」
「そんなのないに決まってるだろ!レベル1でラスボスに出くわしたみたいなもんだぞ。とにかく今は走るしか……。それ以外全員が生き残るなんて無理だ」
「よし!分かった!じゃあ俺の『運が悪かったらお陀仏作戦』で行くしかねえな!」
誠一の思いつきに、国人と電太は不安さを隠せていない。
「いいか?今俺たちの前には三つ道がある。左には新校舎に行く通路。右には一階に降りる階段。そんで突き当たりの非常階段まで行ける真っ直ぐの道だ。これを全員別々に別れて進む。追って来られた奴は残念!来世でまた会いましょうだ!」
国人が叫ぶ。
「おい!そんなのただの運ゲーじゃねぇか!!」
「“来世でまた”って何だよ!?」
電太が顔面蒼白で食ってかかる。
だが、誠一は前を睨みながら、笑って叫んだ。
「心配すんな。運が良かったら、またすぐ会えっから!」
アマテラスがぽつりとつぶやく。
「其方ら、太陽神の我がビックリするほど、明るいのぅ」
その時、ヌラカガの腕が三度振り下ろされる。轟音が鳴り、校舎が呻き、廊下が軋む。
「じゃあ早いもん勝ちな!!俺は真っ直ぐ行くからな!」
二人を置いて誠一は走り出した。残された二人にも、決断の時間はそう長く残されていない。
「えっぇぇえええええ!!!どうしよどうしよ…….。国人は!?」
慌てふためく電太。
「電太。死んだらすまん。恨みっこなしだ。俺は左に行く!」
国人も続いて走り出す。
「えーっ、わ、分かったよ……。でも、死んだら絶対呪っちゃうからな!!」
電太も、足をもつれさせながら階段を飛び降りていく。
二人が別々の道へ走り出したところで、誠一は後ろを振り返った。
「よし。二人ともちゃんと行ったな」
見つめる先はヌラカガだ。
「おい誠一。何をする気じゃ?」
「決まってんだろ。こうするんだよ!」
誠一は躊躇なく爆風を切り裂き、目にも止まらぬ速さでヌラカガの方へと突進した。
「ちょうど顔面が目の前にあって助かったぜ」
誠一はそのまま跳び上がった。
「誠一流スーパーハイパードロップキック!」
勢いそのままに右足をヌラカガの顔面へと叩き込む。
激しい衝撃音が空間に響き渡り、巨体が揺れる。
「ぐぅぅぅぅ……ッ!」
ヌラカガは数歩よろめいた後、地響きを立てて後方へ倒れ込む。
しかしその両眼は、地に伏せながらも誠一をしっかりと睨みつけていた。
アマテラスは、目を見開いたまま、その一連の流れに驚きを隠せない。
(まだ神通力の使い方すらろくに知らずにこの威力。このアホウは、本当にただのアホウか?じゃが……それにしても……)
「何じゃさっきのスーパーなんたらとかいうやつは?」
「あーあれ?人間ってのはさ、一発決める時に名前を叫ぶんだよ。必殺技ってやつさ」
「なるほどのぅ。人間とは、とことん不思議な生き物に進化しておるな」
そのとき、ヌラカガが低く、重たく言葉を発し、立ち上がった。
「やはり、お前が器であったか」
低く、重い声。それは、二つの音がずれるようにして重なり、空間の奥底から湧き出すようだった。
アマテラスがさっと前へ出る。
その目が一瞬だけ鋭くなった。
「どうしてここが分かった?」
「地上に堕ちたお前の力が、唐突に沈黙した。だが、沈むはずの太陽は沈まず、そのすぐ近くで、極々小さくなった似た力を感じるようになった……それだけのことだ」
「さすが、臆病者は敏感に感知するものよのぅ」
ヌラカガの唇が、わずかに歪んだ。
「まさか太陽神ともあろうものが、そこまで堕ちていたとはな。そんな無様な姿で……人如きに縋ってまで、生に執着するとは」
アマテラスの眉がぴくりと動く。
「その“人如き”に、尻もちをつかされたのは、どこのどいつじゃ?」
ヌラカガは鼻で笑った。
「器の力を、測ったまでのことよ」
「あのーさっきから俺のこと器器、ってさ。よかったら誠一か駿河さんって呼んでくんない?」
「群がる動物の名を覚えぬように、ゴミの数よりも多い人の名など、覚えることなど叶わぬな」
「まあ俺も神様の名前なんてほとんど知らねえし、おあいこだな。ん……待てよ、てことはあんたも……」
「アホウじゃな」
アマテラスのその一言に、場の空気がふっと和らぐ。
誠一とアマテラスは、顔を見合わせ、思わず吹き出した。
だが、和やかな一瞬を引き裂くように、空気が震えた。
「堕神とその器ごときが随分舐めた口を聞いてくれるな」
吐き捨てるような声と同時に、ヌラカガの全身から黒い煙が噴き出す。背中から翼を生やし、一瞬のうちにさらに異形の姿へと変化を遂げた。
「な……なんだありゃ?」
「ぬらりひょんはその姿を変幻自在に変える。その力を使って、さらに火力を出せる形態へとなったのじゃろう。おそらく、一撃でこの空間を無に返すほどの」
「やべえじゃん。あの二人、まだそう遠くには行ってねえぞ……」
頭に浮かぶのは、国人と電太のことだった。
誠一が焦る中、ヌラカガは淡々と、だが容赦なく絶望を告げた。
「無駄だ。ここは我らがお前たちを逃さぬように作った神域空間。いわば結界のようなもの。我らを殺さぬ限り、逃げることなど叶わない。だが気にするな。我らに相手をいたぶる趣味はない。お前の仲間共々、悲しみも苦しみもなく、一撃で終わらせてやる」
「そんなこと、させるわけねえだろうが!」
誠一は叫ぶと、足に力を込めて飛びかかった。
だが次の瞬間
「ぐっ……!?」
それはあまりに一瞬の出来事だった。
ヌラカガの巨大な手が、誠一の体をまるで玩具のように掴み上げる。
そして、容赦なく地面に叩きつけられた。
床が砕け、砂埃が巻き上がる。
誠一の体は反発することすら許されず、地面に沈み込んでいた。
「ぐっ……」
血を吐く誠一。
骨が砕けた感覚が、皮膚の奥から鈍く這い上がる。
指の一本を動かそうとするだけでも、激痛が走る。
「終わりだ。勘違いした哀れな器よ」
ヌラカガは誠一に冷たい視線を送ると、空に舞い上がった。
「はあ……はあ……やっぱ神様相手はちょっときちいか……」
目にかかった血で真っ赤に映る空と、ヌラカガを見つめることしかできない誠一。
「今朝とは逆の立場になってしまったのぅ」
アマテラスは風に運ばれる羽のように、誠一の横にふわりと着地した。
「ははは、笑えねえな。あいつらだけでも、なんとか逃がせねえかな?」
「こんな時ですら友……いや、家族の心配か。だが、家族と言っても所詮他人じゃろう?なぜそこまで必死に守ろうとする?自分の身よりもあの二人が大事か?」
「俺には……家族以外大事なものなんて……何もねえよ……」
「ふむ。人はそんな風には作られていないはずじゃがな。やはり其方は興味深い。其方の光と、そして闇は……もう少し知りたいと欲が湧くほどじゃ。ここで死ぬには少しばかり惜しい」
アマテラスは空を見上げた。その先では、ヌラカガは両手を広げ、大きな黒い球体を作り出している。
「だが、このままでは間違いなく我らは終わる……か……」
その球体は、それ自体が重力のような力を持ち、周りの砂や瓦礫の破片を吸い込みながら、少しずつ大きさを増している。
アマテラスはもう一度誠一に目を向けると、こう言った。
「誠一よ、命を燃やす覚悟はあるか?」
「また変な問答かよ。どうせ選択肢なんてねえんだろ?」
「ふふふ。間違いない。話など後でいいな。お互いが助かった後でな」
アマテラスはしゃがみ込むと、誠一の手を握った。
「其方の魂の器を我に移す。そうすることで我は、一時的にじゃが本来の姿に戻れる。其方がやることは、宣言をすること。なーに、やることは至極簡単じゃ。たった一言。我の名を呼び、たった一言、こういうだけじゃ」
「「アマテラス、完全顕現」」