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堕神とアホウ

落ちてきたのは、人であった。それも巨大な。


それは、東京上空を切り裂いて、スカイツリーの先端に突き刺さった。


いつものように出勤するサラリーマン。


忙しなく店の準備をする小さなカフェの店員。


静かな朝を祝うように鳴く鳥の群れ。


鉄骨の尖塔に貫かれ、空を見つめたままのその“異物”を、誰も気にも留めなかった。


ビルの谷間に、光を浴び、パールのように輝く白い髪が揺れているというのに。


それが見えていたのは、この街でただ一人、駿河誠一するがせいいちのみであった。


いつものように制服に身を包み、いつものように一年二組の教室を目指して歩いていた矢先のことであった。


動き出す日常とは別の時間軸にいるかのように、誠一は、それに目を奪われ、ただぼんやりと見上げていた。


不安や恐怖は無かった。その神々しくも儚い姿に見惚れてしまっていたからだ。


それは、とても悲しい目をしていた。空を見つめ、まるで何かを憂いているような、悔やんでいるような、そんな悲しい目を。


そしてそれは、一つだけ涙をこぼした。その涙は、誠一の目の前に落ちると、たった一粒で、台風直後のような大きさの水たまりを作った。


誠一はそれを見上げると、大きく声を上げた。


「おーい。あんた、何で泣いてんだー?」


道ゆく人達が、チラチラと怪訝な目つきで誠一を見ている。何もない空に向かって急に叫ぶ者が現れたら無理もない。


だがそれは、力無く誠一に目を向けると、ほんの少し、目を見開いた。


「驚いた。なぜ……私が見えるのだ?」


「いや、なぜって言われても。でっかいし?」


お互いに首を傾げ合う。すると、それは大きく笑った。


「ハハハハハハ。なんと面白い奴だ。まあいい。理由などどうでもよい。見ての通り私は、もう死ぬ身だ。すまないが、看取ってはもらえるか?私も、最期に一人は、少し寂しいようだ」


「まあそれはいいんだけどさ、あんた何者だよ?名前は?よく分かんねえけど、覚えててやるからさ。教えてくれよ」


「私はアマテラス。太陽の神。だが今となっては敗北した、ただの堕神だしんにすぎぬがな」


「ふーん。俺も昨日同じクラスのグラゴスってあだ名のやつにぶん殴られちまってさ。まだ右のほっぺたが痛いのなんのってさー。」


アマテラスは一瞬、きょとんとした顔をした。その神々しい顔に浮かんだ、あまりにも人間らしい「困惑」の表情に、誠一はちょっと笑いそうになった。


「……グラゴス、とは?神の一種か?」


「いや、ただの同じ学校のデカいやつ。あいついじめっ子だからよ。止めようとしたら、ぶん殴られた。そんでやり返したんだけどさ……。余裕で負けちまったんだよ!くそー!でもまあ、死ぬわけじゃないし?あんたほどじゃないよ」


誠一は肩をすくめながら言った。どこか気恥ずかしそうに、でも堂々と。


「学校?一体何のことか分からぬが、楽しそうなところだな」


「楽しくなんてねえよ。毎日学校行って授業受けて帰ってさ。時々テストがあって点数悪いと落第だーって脅されてさ。こっちだって必死にやってっけど分からねえもんは分からねえんだって!」


「恐らくだが、そなたはアホウということだな」


「はっきり言うんじゃねえ!勉強が出来ないだけだっての」


「ハハハ、すまないすまない。人とは興味深いものだな。私も、もっと人間の世界を知るべきだったなと、今さらになって思うよ……。最期に其方に会えてよかった。少しだけ、死への恐怖が紛れた。そしてすまない。私が死ねば、太陽も沈む。そうなれば、必然的にこの世も終わりを迎えることになる」


まだ陽が登ったばかりの朝だと言うのに、少しずつ辺りが暗くなっていっている。


「マジかよ!それは困るって!今日ミカちゃんの誕生日なんだよ。花束セット買って帰るって約束しちゃっててさ。あいつ、一緒の施設のちっちゃい子なんだけど、家族みたいなもんなんだよ。約束守らねえと、すっげえ怒るんだって」


アマテラスは遠くを見つめていた。


「家族……か。ツクヨミとスサノオ。……命が終わる時ほど、恋しくもなるか」


そんなアマテラスの視線に入り込もうと、誠一は必死に背伸びをしながら顎を伸ばす。


「おーい。浸ってるところ悪いんだけどさ。何とかならねえ?」


「何とか……とは?」


「だからさーあんたが死なない方法はないのかって話よ」


「あるにはある。だが、私も神として、人間にこの方法を勧めることは出来ない」


「何だよーあるんじゃん。とっとと頼むぜ。で、その方法ってのは?」


「其方の肉体を器として、私の魂を移すことだ」


そう言うとアマテラスは、弱々しい左手で、小さな光の塊を作った。


「これは、私の魂そのものだ。これを其方の体に移すことで、私は生きながらえる。もしも私と其方の魂の形が一致していればだがな」


「一致しなかったら?」


「其方も私も滅びる」


誠一は「んー」と少し頭を悩ませると、すぐに答えを出した。


「でもさ、どっちみちこのままあんたが死ねば俺も死ぬんだろ?で、あんたが生きれば俺も生き残れる。じゃあ選択肢なんてねえじゃん。とっととその魂のあーだこーだを移してくれよ」


「だが助かったとしても……」


「あーもういいもういい。言ってる間にもうあんた、死んじまいそうじゃん。後のことは助かった後で話そうぜ。お互いさ」


「ふふふ。其方は面白いアホウのようだ。気に入った。私も願おう。少しでも、生き残ることを」


光の塊は、アマテラスの手を離れると、ゆっくりと誠一の胸へと入っていった。


その瞬間、誠一の体は、火を付けたように熱くなった。


「ぐわあああああああ。熱い……体が……これちょっとやばいかも」


誠一はその場に倒れ込むと、意識を失った。


誠一が意識を取り戻したのは、ほんの数秒後のことだった。彼が突然倒れたことで、周囲の人々が慌てて駆け寄り始めた。ちょうどそのとき彼は目を覚ました。


だが誠一にとって、それはまるで何百年もどこかを彷徨った後のような、不思議な感覚だった。


さっきまで熱かった体はすっかり元通りになり、アマテラスの姿も、どこにも見当たらなかった。


夢、と思うにはあまりに現実的すぎる。


現実、と言うにはあまりに空想的すぎる。


その二つがちょうどいいバランスでせめぎ合う中、誠一は「まっいっか」で済ませた。


大きくあくびをし、背中を目一杯伸ばすと、左手につけた腕時計に目が行った。


時刻は八時二十分を指している。


「やっば!早く学校行かねえと!」


誠一は一目散に走り出した。


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