第九話「新たなパートナー」
会議室の空気が少し変わった。これまでサイモンと二人きりだった空間に、アルクという新たな存在が加わったことで、不思議な緊張感が生まれている。
アルクは少年のような姿で、穏やかな表情で僕を見つめていた。人間のような外見だが、どこかかすかに感じる違和感。それは恐怖や嫌悪ではなく、むしろ好奇心を誘うような質感だ。
「さて、正式な初期シンクロナイゼーションを始めましょう」
サイモンが言った。
「通常はもう少し儀式的な手順を踏むのですが、特例市民の場合は簡略化されたプロセスで進めます」
僕は少し緊張した様子で頷いた。耳が微かに動き、その動きにアルクの視線が一瞬だけ向けられた。
「では、まずは自己紹介からどうぞ」
サイモンが促した。
「えっと、僕は…」
僕が言い始めた瞬間、アルクが穏やかに口を開いた。
「ユナギさん、自己紹介は不要です。あなたの情報はすでに共有されています」
アルクの口調は丁寧だが、どこか打ち解けた感じもある。
「ラゴモーフ系動物遺伝子融合型市民であること、特例市民としての暫定IDをお持ちであること、現在はウィンターヘイブン・トランジット・レジデンスに滞在中であることなど、基本的な情報は把握しています」
「そうなの?」
僕は驚いて耳がピンと立った。
「はい」
アルクは小さく頷いた。
「ただし、プライバシー保護のため、医療情報や個人的な行動パターンなどの詳細は共有されていません。それらについては、あなたが自ら話してくださる範囲でのみ理解していきます」
サイモンが微笑んだ。
「アルクは量子エンタングル・ネットワークを通じて、公開されている範囲のデータにアクセスしています。一方で、パートナーシップの倫理コードに基づき、過度な情報収集は行いません」
「なるほど…」
僕は少し考え込んだ。前世の記憶にあるAIとは違う、より進化した存在なのだと実感する。
「ユナギさん、アルクについて何か知りたいことはありますか?」
サイモンが尋ねた。
「基本的なスペックや機能以外にも、パーソナリティや好み、特性などについて質問があれば」
「えっと…」
突然の問いかけに、僕は何を聞けばいいのか迷ってしまった。様々な疑問があるはずなのに、今この瞬間は頭が真っ白になってしまう。
「じゃあ、ご趣味は…ありますか?」
質問を口にした瞬間、なんて突拍子もないことを聞いてしまったんだろうと後悔した。AIに趣味を聞くなんて。しかし、アルクは少し戸惑ったような、でも嬉しそうな表情を浮かべた。
「そうですね」
アルクは少し考えるようなしぐさをした。
「私は植物を育てることが好きです。特に小さな観葉植物や、時には食用の植物も」
それから僕の方を見て、穏やかな笑顔を向けた。
「もしよろしければ、ユナギさんも一緒にやってみませんか?フルーツの木や低木を育てれば、採れたての果実を食べることもできますよ。ラゴモーフ系の方は植物性食品への嗜好が強い傾向がありますから、きっと楽しめると思います」
「本当に?」
僕の耳が嬉しさで少し揺れた。
「それ、やってみたい。それに…」
少し照れながら続けた。
「ユナギさん、って呼ばないで。ただユナギでいいから」
アルクは穏やかに頷いた。
「わかりました、ユナギ。これからよろしくお願いします」
サイモンは二人のやりとりを見ながら、満足そうに微笑んでいた。
「素晴らしい。すでに良い関係が築けそうですね」
彼はタブレットに何かを入力した。
「では、実務的な話に移りましょう」
サイモンは次の15分ほど、AIパートナーの基本的なメンテナンスや管理について説明した。アルクのエネルギー要件(ほとんど必要ない)、定期的なシステムチェック、プライバシー設定の調整方法などだ。
「最後に一つだけ。シンクロナイズド・コンパニオンは本質的に学習する存在です。あなたとの関わりを通じて、あなたの好みや必要とすることを理解していきます。わからないことがあれば、直接アルクに尋ねてみてください。彼自身が最も正確な情報源です」
「はい」
僕は頷いた。
「それでは、すべての手続きは完了しました」
サイモンは立ち上がった。
「アルクを住居に登録するためのコードを送信しておきますので、ホテルで設定してください。それから、恒久的な住居が決まったら、その登録も忘れずに」
「ありがとうございます」
僕もアルクも同時に立ち上がり、サイモンに礼を言った。
部屋を出ると、廊下にはPMNロボットが待機していた。僕たちを見ると、青い瞳が少し明るくなった。
「手続きは完了しましたか?」
PMNロボットが尋ねた。
「はい」
僕が答える前に、アルクが一歩前に出た。
「手続きは完了しました。ありがとうございます、PMNユニットXR-7」
アルクとPMNロボットの間で一瞬、目に見えない情報のやりとりがあったようだ。
PMNロボットは頭を軽く下げた。
「了解しました。私の主要な役割はこれで完了となります」
それから僕の方を向いた。
「今後はアルクがあなたの主要なサポートとなります。ただし、アルクでは解決できない問題や、区画のPMNサービスに関連する質問があれば、アルクを通じて私に連絡することができます」
「そうなんですね」
僕は少し寂しくなった。この数日間、常に側にいてくれたPMNロボットとの別れが突然やってきたようで。
「今までいろいろとサポートしてくれて、本当にありがとうございました」
「それが私の存在意義です」
PMNロボットはそう言いながらも、いつもより温かみのある声音に聞こえた。
「ノヴァスフィアでの市民生活が充実したものになりますよう」
アルクとの視線を交わした後、PMNロボットは廊下の向こうへと歩いていった。銀色の姿が曲がり角で消えるまで、僕は見送った。
「お腹が空いたでしょう」
アルクの声で我に返る。
「昼食を取りに行きませんか?」
「うん、そうだね」
僕は頷いた。
「どこかいい場所知ってる?」
「もちろん」
アルクの目が少し輝いた。
「ウィンターヘイブン中央広場の近くに『フロスト・ガーデン』というレストランがあります。窓から美しい景色が見え、食事も素晴らしい。特に季節のフルーツを使ったデザートが評判です
「それ、いいね!」
植物と果物が好きなアルクらしい提案だ。僕の耳がわくわくした様子で前傾する。
アルクは僕の反応に微笑み、
「では行きましょう」
と言って前に立った。
行政センターを出て、輝く街並みへと足を踏み出す。これまで一人で不安な気持ちで過ごしてきた日々とは違い、今は隣に歩く存在がいる。まだよく知らないパートナーだけど、なぜか不思議と安心感がある。
ウィンターヘイブンの澄んだ空気の中、僕たちは中央広場へと向かった。上空に浮かぶように見える他の区画を見上げながら、僕は小さく微笑んだ。この不思議な世界で、また一つ、繋がりができた気がする。