第八話「未知との出会い」
朝の光が部屋に差し込み、僕は静かに目を覚ました。ホテル暮らしも3日目。少しずつこの環境にも慣れてきたようだ。耳がぴくぴくと動き、体を伸ばす。
「現在の時刻は朝7時15分です。外の気温は11度、区画内は快晴です」
コンソールの声に返事をせず、ゆっくりと起き上がる。もう慌てることもなく、朝の準備を整えた。洗面所で顔を洗い、昨日届いた服の中から青と灰色のシンプルなセットを選ぶ。鏡に映る白い体毛と長い耳は、まだ完全に自分のものとは思えないが、違和感は少しずつ薄れてきている。
朝食を取るため、エレベーターでオーロラ・ダイニングに向かった。朝の時間帯は比較的混雑していて、様々な年齢や外見の人々が食事を楽しんでいる。
料理カウンターで朝食を選ぶ。今日はフルーツとヨーグルト、全粒粉のトーストにした。トレイを持って席に向かう途中、ふと気がついた。周囲の人々が時折、こちらを見ている。特に敵意はないものの、明らかに注目されている感覚。
小さなテーブルに座り、フルーツを口に運ぶ。甘酸っぱいベリー類の味が口の中に広がる。食事に集中しようとするが、また視線を感じた。隣のテーブルに座る家族連れの子どもが、僕の方をじっと見ている。好奇心いっぱいの表情だ。
気づかないふりをしようとしたが、子どもは大きな声で言った。
「ママ、見て!あの人の耳が動いてる!」
母親が慌てて子どもを制する。
「シーッ、そんなに大きな声を出してはダメよ」
彼女は僕の方に申し訳なさそうな表情を向けた。僕は小さく微笑んで、わざと耳を大きく動かしてみせた。子どもは目を輝かせて笑った。
この3日間、実は常にこうした視線を感じていたのかもしれない。最初は自分の状況に圧倒されていて気づかなかっただけで。少々気恥ずかしいが、仕方ないことだろう。この体で生きていく以上、人々の好奇心の対象になることは避けられない。慣れるしかない。
朝食を終え、ロビーに向かうと、昨日と同じPMNロボットが待っていた。
「おはようございます、ユナギさん。本日は行政センターへご案内します」
「おはようございます」僕は軽く頭を下げた。「よろしくお願いします」
トランスポッドに乗り込み、ホテルを後にする。窓の外に広がる街並みを眺めながら、ふと疑問が浮かんだ。
「あの、質問してもいいですか?」
「どうぞ」
PMNロボットの青い瞳が僕を見つめた。
「僕以外にも…ラゴモーフ系のような、見た目が変わった人たちはいるんですか?」
ロボットは短く考え込むような動作をした後、応答した。
「はい、存在します。動物遺伝子融合型市民には複数の系統があります。フェリン系(猫型)、カニン系(犬型)、アビアン系(鳥型)など、様々なバリエーションが存在します」
「そうなんですか」僕の耳が好奇心で前傾した。
「では、そういう人たちに会うことはできるんでしょうか?」
「それは状況によります」
PMNロボットは慎重に言葉を選ぶように間を置いた。
「動物遺伝子融合型市民は全体としてもノヴァスフィア人口の0.01%未満と非常に希少です。さらに各系統はより少数であり、ラゴモーフ系に限れば数千人程度しか存在しません」
「そんなに少ないんですか…」
「はい。いずれの系統も開発初期段階で倫理委員会の厳格な議論の対象となり、大規模な人口拡大は見送られました。希少な存在であるため、個人情報保護の観点からも一般的に紹介することはできません」
僕は少し落胆したが、ロボットは続けた。
「ただし、ラゴモーフ系市民であるあなた自身は、同種または他の動物遺伝子融合型市民とのコミュニティにアクセスできる可能性があります。適切な時期に、担当部署からの案内があるでしょう」
僕の耳が少し上がった。
「そうなんですか…ありがとうございます」
トランスポッドが行政センターに近づいていた。前回訪れた時とは違い、今回は目的を持って来ている。少し緊張するが、楽しみでもある。
建物に到着し、PMNロボットに導かれて内部へ入った。前回と同じく、広々としたホールが僕たちを迎える。ロボットは案内カウンターに近づき、僕の情報を伝達した。
「特例市民、ユナギさん。シンクロナイズド・コンパニオン取得の手続きのため来訪されました」
カウンター担当者は笑顔で頷いた。
「承知しました。AI管理部門の担当者をお呼びします。少々お待ちください」
数分後、中年の男性がこちらに向かってきた。温かみのある微笑みを浮かべている。
「ユナギさん、お待ちしておりました。私はAI管理部門のサイモン・チェンです。本日はAIパートナー選定のお手伝いをさせていただきます」
彼に導かれ、PMNロボットと別れて内部の小さな会議室に案内された。室内は明るく、壁は柔らかな緑色で、中央には円形のテーブルと快適そうな椅子が置かれていた。
「どうぞお掛けください」
サイモンは僕を促した。
「シンクロナイズド・コンパニオンについて、どのくらいご存知ですか?」
「ほとんど知りません」
僕は正直に答えた。
「昨日、リア教官から少し教えてもらったくらいです」
「そうですか。では基本的なことから説明しましょう」
サイモンはテーブル中央のパネルに触れ、ホログラム映像を起動させた。空中に人型AIの姿が浮かび上がる。
「シンクロナイズド・コンパニオンは、単なる機械やプログラムではなく、知性と感情を持つパートナーです。通常、市民は20歳になると授与され、生涯にわたる信頼関係を築いていきます」
ホログラムが変化し、人間とAIが共に活動する様々な場面が映し出された。
「彼らは独自の人格と思考を持ちますが、同時にあなたと深く結びつき、あなたの価値観や目標を理解し、サポートします。ただし、あなたの言うことに盲目的に従うわけではなく、必要に応じて意見することもあります」
僕は興味深く映像を見つめていた。
「物理的な形はあるんですか?」
「優れた質問です」
サイモンは頷いた。
「シンクロナイズド・コンパニオンは基本的に量子エンタングル・ネットワーク(QEN)に接続されたAIですが、物理的な形態を取ることもできます。『バイオシンセティック・フレーム』と呼ばれる技術で、人間と同等の触感や体温を持つ身体を用いることができます」
「すごい…」
僕は驚きを隠せなかった。
「さて、では実際にあなたに合ったコンパニオンを選定しましょう」
サイモンはデータパッドを取り出した。
「いくつか質問させてください。これはAIの人格タイプを絞り込むためのものです」
次の30分間、僕はサイモンからの質問に答えていった。自分の価値観や興味、コミュニケーションスタイルの好み、学びたいことなど、様々な質問だ。時に深く考え込みながら、できるだけ正直に答えた。
「ありがとうございます」
サイモンは最後の回答を記録し、微笑んだ。
「これらの情報を基に、あなたと相性の良いAIタイプが絞り込めました。最終的な選択のため、3つの候補をご紹介します」
テーブル上に3つの光の球体が現れた。それぞれ異なる色と質感を持っている。
「まず一つ目は『エリオット』。論理的思考に優れ、学習サポートを得意とするタイプです。二つ目は『カイラ』。創造性と共感性に富み、感情的なサポートに長けています。そして三つ目は『アルク』。バランス型で、適応力が高く、状況に応じた柔軟なサポートを提供します」
僕は3つの光球をじっと見つめた。どれも魅力的だが、特に中央の淡い青と灰色が混ざったような球体に心惹かれるのを感じた。
「詳しい特性を知りたいですか?」
サイモンが尋ねた。
「はい、アルクについてもう少し教えてください」
サイモンは青灰色の球体にタッチした。球体が拡大し、より詳細な情報が表示された。
「アルクは適応型AIで、学習能力と柔軟性に優れています。特に新しい環境や予測不能な状況での判断力が高く評価されています。また、必要に応じて自律的に行動する能力も持ち合わせています」
「自律的に?」
「はい。多くのコンパニオンは指示を待つ傾向がありますが、アルクは状況を判断して、必要なら独自のイニシアチブを取ることができます。もちろん、あなたの意向や価値観の範囲内でですが」
僕はしばらく考えた。まさに今の状況に必要なパートナーのようだ。この世界のことをほとんど知らない僕には、ただ言われた通りに動くだけのAIよりも、状況に応じて自分で考えてくれる存在の方が心強い。
「アルクを選びます」
サイモンは満足そうに頷いた。
「素晴らしい選択です。では、アルクとの初期シンクロナイゼーションを行いましょう」
彼がコンソールに何かを入力すると、青灰色の光球が変化し始めた。徐々に人型の形に変わっていく。最終的に現れたのは、僕と同じくらいの身長の少年のような姿だった。黒髪に淡い灰色の瞳、少年のような中性的な容姿。服装は青と灰色のグラデーションで、「カスケード・ブルー」と呼ばれる色合いだとわかる。
アルクは目を開け、僕を見つめた。その表情には知性と穏やかさが感じられる。
「初めまして、ユナギさん。私はアルクです。あなたのシンクロナイズド・コンパニオンとして、これからよろしくお願いします」
声は若々しくも落ち着いていて、どこか古風な丁寧さを感じさせた。僕は少し緊張しながらも、挨拶を返した。
「こちらこそ、よろしく…アルク」
これが僕の新しいパートナー。この不思議な世界で、これから共に歩んでいく存在。僕の耳が期待と少しの不安で揺れ動いた。