表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/54

第七話「球体の中の世界」

カフェテリアは予想以上に広く、様々な食事を提供するカウンターが壁沿いに並んでいた。僕はリア教官から受け取ったミール・パスを握りしめ、軽い昼食を探した。

朝から大量の情報を詰め込まれ、頭がくらくらする。あまり重たい食事は避けて、シンプルなものを取ろう。


「ハム・レタスのサンドイッチと卵サンドをください」


調理カウンターの担当者が微笑み、数秒でサンドイッチ二種と小さなサラダボウル、果物のコンポートを準備してくれた。トレイを受け取り、窓際の小さなテーブルに座る。

卵サンドを一口かじると、滑らかなたまごの食感とまろやかな味が口の中に広がった。次にハム・レタスを試すと、シャキシャキのレタスとジューシーなハムの相性が絶妙だ。ふと窓の外を見ると、教育センターに隣接する小さな公園が見える。そしてその上空—地平線が上に向かって湾曲し、遠くに別の都市区画が浮かんでいるようだった。

前世の常識では考えられない光景だ。不思議と恐怖は感じないが、強い好奇心が湧いてくる。僕の長い耳が前傾し、目は上空の「空中都市」を凝視していた。

サンドイッチを急いで食べ終え、トレイを返却ステーションに置いた。まだ午後のセッションまで40分ほどある。外の空気を吸って頭をすっきりさせよう。


「外出されますか?」


受付のスタッフが声をかけてきた。


「少し散歩したいと思って」


「承知しました。センターの敷地内であれば自由に歩けますよ。14時までにオリエンテーションルームにお戻りください」


感謝の言葉を述べて外に出ると、冷たい空気が耳を撫でた。ウィンターヘイブンという名前通り、この区画は常に冬の気候を維持しているようだ。でも不思議と寒さは身にしみない。この体は低温に適応しているのかもしれない。

公園内の小道を歩きながら、何度も上空を見上げた。あの都市は本当に逆さまにぶら下がっているのか?それともただの光学的錯覚なのか?宇宙空間にどんな構造物を作ったらこんな風景になるのだろう。

前世の記憶の中でそんな概念を聞いたことがあるような気もするが、具体的には思い出せない。恒星を覆うなんて、想像を絶する規模だ。

時間を確認すると、午後のセッション開始まであと15分だった。急いでセンターに戻り、オリエンテーションルームに向かった。



「お帰りなさい、ユナギさん」


リア教官は明るく迎えてくれた。


「リフレッシュできましたか?」


「はい、少し頭がすっきりしました」


「それは良かった。午後は、ノヴァスフィアの基本的な構造と地理について学びましょう」


彼女がコンソールに触れると、壁一面に巨大な球体の映像が現れた。球体の中心には眩しく輝く恒星があり、周囲を取り囲む球殻には無数の区画が配置されていた。


「これがノヴァスフィアの全体像です。G型恒星『ノヴァンサス』を中心とする直径約3億2,000万キロメートルのダイソン球体構造です」


僕の耳がピンと立った。


「ダイソン球体…?それは何ですか?」


リア教官は親切な表情で説明を始めた。


「ダイソン球体は、恒星を包み込む巨大な球状構造物です。20世紀中頃に物理学者フリーマン・ダイソンが提唱した概念で、当時は理論上の構造物でしたが、ノヴァスフィアはその実現形態の一つです」


「恒星を…包み込む?」


僕は想像もつかない規模に目を丸くした。耳がピクピクと動き、驚きを隠せない。


「そんな巨大な構造物が作れるんですか?」


画面が拡大され、球殻の一部が詳細に表示された。


「ノヴァスフィアは約3,000の自治区画に分かれています。都市型の『コスモポリス』、自然環境を再現した『エコロジカル』、その混合型である『シンセシス』、そして特殊機能を持つ区画などに大別されます」


「私たちがいるウィンターヘイブン-42は、どのタイプですか?」


「エコロジカル区画の一種です。地球の寒冷地帯の生態系を模しています」


リア教官は画面をズームアウトさせた。


「各区画は球体の内側に面しており、人工重力によって『下』の方向が球体の中心に向かうよう設計されています」


そこで僕は質問せずにはいられなかった。


「それで、上を見上げると他の区画が見えるんですね?でも、なぜ逆さまに見えるんですか?物理的にありえないと思うんですが…」


リア教官は微笑んだ。


「とても自然な疑問です」


彼女は図を変更し、光の経路を示す映像を表示した。


「通常、このような巨大球体の内部では、他の区画はほとんど見えないか、非常に小さく見えるはずです。しかし、私たちは社会的結合と空間認識のために、『光学効果増幅フィールド』と呼ばれる特殊な技術を使っています」


「光学効果…増幅?」


僕は首をかしげた。言葉の意味すら理解できない。


「簡単に言えば、光の通り道を曲げて、遠くの景色を見やすくする技術です」


リア教官は手で弧を描きながら説明した。


「これにより、遠くの区画が視覚的に強調され、まるで『空に浮かぶ土地』のように見えるのです」

僕はしばらく口を開けたまま考え込んだ。


「つまり、見えている景色は…本物ではないんですか?一種の幻想?」


「その通りです。区画間の距離感も実際より圧縮されて見えています。これは人々の精神的健康と空間認識のために重要な要素なのです」


彼女は説明を続け、球体内部の光源について触れた。


「球体の外壁には『透光セグメント』が組み込まれており、恒星の光を安全なレベルに調整して内部に届けています。また、24時間周期を維持するため、これらのセグメントは自動的に調光され、夜間を作り出します」


次の数時間、僕たちはノヴァスフィアの構造、区画分布、移動システム、環境制御などについて詳しく学んだ。地図や3Dモデルを見ながら、この巨大構造物の仕組みを理解していく。

特に興味深かったのは、球体内部の生態系維持の方法だった。各区画は独自の気候と環境を持ちながらも、全体としての生物多様性と安定性を維持するよう設計されているという。


「地球の最盛期には約870万種の生物が存在していましたが、ノヴァスフィアでは約1,200万種が保存・進化しています。絶滅していた種の復元や、新たな環境適応種の誕生もあります」


僕の耳が好奇心で小刻みに動いた。


「新種も生まれているんですか?」


「もちろんです。進化は続いていますし、時には意図的な遺伝子操作も行われます」


リア教官は画面を切り替えた。


「実際、あなたのようなラゴモーフ系動物遺伝子融合型も、ノヴァスフィアで発展した新たな存在形態の一つです」


そうか、僕は自然に生まれたのではなく、何らかの遺伝子操作の結果なのだ。その事実に少し複雑な感情が湧いたが、彼女は淡々と説明を続けた。

最後に、リア教官は明日以降のスケジュールについて触れた。


「通常、市民適応プログラムはこの基礎知識の後、適性検査を受けていただき、適切な社会参加の道を探ります。明日から検査を始めることもできますが、あなたの希望や準備状況に合わせることも可能です」


僕は少し考え込んだ。たった一日で大量の情報を詰め込まれ、まだ自分の立ち位置をしっかりとつかめていない。適性検査で何かが決まってしまうのは少し怖い気がした。


「もう少し時間をいただけますか?」


僕は耳を少し下げながら言った。


「ホテル暮らしの間、もっとノヴァスフィアについて勉強してから決めたいです」


「もちろんです」


リア教官は優しく微笑んだ。


「焦る必要はありません。準備ができたら教えてください」


彼女はデータタブレットのようなものを取り出し、僕に手渡した。


「これを使って、基本的な情報にアクセスできます。ホテルの部屋でも接続可能です」


僕はタブレットを受け取りながら、もう一つ気になることを思い出した。


「あの、何かいい参考書とか…勉強になりそうなものってありますか?」


「それでしたらAIパートナーをご利用されてはいかがでしょう?」


リア教官は提案した。


「『シンクロナイズド・コンパニオン』と呼ばれるAIパートナーがあれば、個別の学習サポートが受けられます」


「シンクロナイズド・コンパニオン?」


初めて聞く言葉に、僕の耳が好奇心で少し前傾した。


「ええ、ノヴァスフィアでは多くの市民が個人専用のAIパートナーを持っています。通常は20歳の誕生日に授与されるものですが、特例市民である場合も取得可能です。必要な手続きは行政センターで行えます」


「そうですか…明日にでも行政センターに問い合わせてみます」


「それがいいと思います。AIパートナーがいれば、学習効率も大幅に上がりますからね」


セッションを終え、僕はPMNロボットと共にホテルへと戻った。トランスポッドの中で、今日学んだ内容を振り返る。巨大な球体の中で生きている。700年以上前の地球とは全く異なる世界。それでも、人間の本質は変わらないのだろうか。

ホテルに到着し、部屋に戻ると、急に疲労感が襲ってきた。情報過多で頭がパンクしそうだ。まずは腹ごしらえをしよう。リスト見たところ、部屋からも食事の注文ができるようだ。


「コンソール、ディナーメニューを表示して」


空中に様々な料理の映像が浮かび上がった。昨日のラーメンの美味しさを思い出し、今夜も日本食を注文することにした。


「てんぷら蕎麦と、フルーツ盛り合わせをお願いします」


「かしこまりました。15分以内にお届けします」


待っている間、リア教官から受け取ったタブレットを操作してみる。膨大な情報が整理されており、ノヴァスフィアの歴史、社会構造、技術、文化など様々なカテゴリーに分かれていた。特に興味を引いたのは「AI共生社会」のセクションだ。

食事が届き、美味しく頂きながら、AIパートナーについての情報を読み進めた。どうやら、人型AIは単なる道具ではなく、社会の一員として認識されているようだ。それでいて完全な独立した存在でもなく、人間との共生関係を基本としているという微妙な立ち位置。興味深い。

食後、一日の疲れを癒すために浴室へ向かった。昨日と同じく、温かいお湯が体を包み込む心地よさに身を任せる。水滴が体毛をつたって流れ落ちる感覚は、まだ少し不思議だ。体を洗いながら、今日学んだノヴァスフィアの構造について考える。球体の中で生きているなんて、前世では想像もしなかった。

湯船から上がると、体毛が水を含んでずっしりと重くなっていた。タオルでは到底乾かせないことを昨日の経験から学んだ僕は、すぐにラゴモーフ専用のボディ・ドライヤーを使った。温かい風が全身を包み込み、体毛が徐々に軽くふわふわになっていく快適さに再び感嘆する。

柔らかなベッドに横になった。明日は行政センターに行き、AIパートナーについて聞いてみよう。それがこの世界で生きていくための第一歩になるかもしれない。

天井に映し出された星空を見つめながら、僕は静かに目を閉じた。球体の内側で、逆さまに見える都市の下で、僕は新しい人生への準備を始めようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ