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第六話「学びの始まり」

トランスポッドは静かに浮遊しながら、ウィンターヘイブン区画の中心部へと向かっていた。窓から見える景色は、前日とはまた違った魅力を放っている。朝の光の中で建物のガラス面が輝き、人々が行き交う広場では様々な姿の市民たちが活動していた。


「市民教育センターは、区画の文化学習ゾーンに位置しています」


PMNロボットが説明した。


「多くの教育施設が集まる場所です」


僕は窓の外を興味深げに眺めていた。耳がピンと立ち、目には好奇心が満ちている。

やがてトランスポッドは減速し、大きな複合施設の前に停止した。正面には「ウィンターヘイブン市民教育センター」と浮かび上がる文字。前世の日本の学校を想像していたが、そこには近代的な高層ビルが広がっていた。周囲には緑豊かな公園と、スポーツ設備らしき場所も見える。


「到着しました」


PMNロボットが告げた。


「施設内ではオリエンテーション専門の指導員がご案内します」


トランスポッドから降りると、爽やかな風が僕の耳を揺らした。遠くで子どもたちの笑い声が聞こえる。どうやら運動場で遊んでいるようだ。


「この施設は基礎教育から専門教育まで、様々なレベルの学習プログラムを提供しています」


PMNロボットは説明しながら、広いエントランスホールへと僕を案内した。

「通常は7歳から20歳の市民が主な対象ですが、特例市民のためのプログラムも用意されています」

ホールに入ると、空間全体が柔らかな光に包まれていた。壁には様々な惑星や宇宙船、星雲などのホログラムが浮かび、床には複雑な幾何学模様が描かれている。天井は高く、青空を模した設計になっていた。


「ユナギさん、お待ちしておりました」


新しい声に振り向くと、50代ほどの女性が微笑みながら近づいてきた。深い褐色の肌と、銀色に近い白髪が特徴的だ。彼女は優しい表情で僕に手を差し伸べた。


「リア・カーターです。市民適応プログラムの主任指導員をしています。今日はあなたの担当です」


「よろしくお願いします」


僕は少し緊張しながら彼女と握手した。

PMNロボットは僕たちに向かって軽く頭を下げた。


「では、リア教官にお任せします。午後のプログラム終了後、再度お迎えに参ります」


リア教官は優しく微笑み、僕を施設の奥へと案内した。


「事前に状況報告は受けています。特例市民としての手続きを進めながら、ノヴァスフィアでの生活に必要な基本知識を習得していただきましょう」


廊下を歩きながら、僕たちは様々な教室の前を通過した。中には子どもたちが集まる教室もあれば、成人らしき人々が真剣に学ぶ部屋もある。壁や床に投影されたホログラムが教材として使われている様子だった。


「あの、質問してもいいですか?」


僕は少し躊躇いながら聞いた。


「僕も子どもたちと一緒に基礎から学ぶことになるんですか?」


リア教官は軽く笑った。


「いいえ、通常は7歳から段階的に学ぶ内容ですが、あなたのケースは特別です。あなたは成人の認知能力を持っていますし、すべての基礎から学ぶ必要はないでしょう。今日は特に重要な社会システムの概要を効率よく学んでいただきます」


廊下の突き当たりに到着すると、「特別オリエンテーションルーム」と表示された部屋に案内された。中に入ると、ここは普通の教室というより、くつろげるラウンジのような空間だった。柔らかなソファと、中央には半透明のテーブルがある。壁一面がスクリーンになっていた。


「どうぞ、お座りください」


リア教官はソファを指し示した。


「お飲み物は何がよろしいですか?」


「え?あ、水で結構です」


「了解しました」


彼女は壁のパネルに触れると、テーブルの一部が開き、水の入ったグラスが浮かび上がってきた。

リア教官も席に着くと、壁のスクリーンが輝き始めた。


「では、今日の午前中はノヴァスフィアの経済システムについて学びましょう。午後は基本的な市民権と社会参加の方法について説明します」


彼女が手を動かすと、スクリーンに複数の輝く円形のシンボルが現れた。それぞれが異なる色と模様を持っている。


「まず、ノヴァスフィアの価値交換システム—私たちはこれを『多次元価値システム』と呼んでいます—について説明します。旧地球時代のような単一通貨ではなく、複数の『クレジット』が存在します」


画面には4つの異なるシンボルが大きく映し出された。


「主要なクレジットは4種類です。これが『エナジー・クレジット』—基本的な生活必需品やサービスと交換できる基礎的なものです」


青い円形のシンボルが前に出てきた。


「次に『クリエイティブ・クレジット』—芸術作品の創作や鑑賞、文化活動への参加などで得られ、使用できるものです」


緑のシンボルが輝いた。


「『ディストリクト・クレジット』は、各区画内でのみ使用できる地域通貨です。ウィンターヘイブン区画では、この白と青のシンボルです」


氷の結晶のような模様を持つシンボルが表示された。


「最後に『エクスペリエンス・クレジット』—これは特別な体験や高度なサービスへのアクセスに使われます。希少性の高いものやノヴァスフィア外での活動などに関連します」


赤と金色が混ざったシンボルが浮かび上がった。


「複雑ですね…」


僕の耳が混乱で少し傾いた。


「初めは確かに複雑に感じるでしょう」


リア教官は穏やかに続けた。


「しかし、この多次元価値システムは人間の活動の多様な価値を認めるために設計されました。単一の通貨では測れない価値を適切に評価するためのものです」


彼女は手を動かし、新しい図が現れた。これは複数の円が相互に接続されたネットワーク図だった。


「これらのクレジットはすべて『コントリビューション・アセスメント・ネットワーク』によって管理されています。これは市民の貢献を多角的に評価するシステムです」


「貢献…とは?」


「社会に対する様々な形の寄与です。従来の労働だけでなく、ケア活動、創造的活動、学習や教育、環境維持、コミュニティサポートなど、多様な形の貢献が評価されます」


リア教官はさらに画面を切り替えた。今度は典型的な一日の活動とそれによって得られるクレジットの例が表示された。


「たとえば、公共空間の清掃活動に参加すると、エナジー・クレジットとディストリクト・クレジットが得られます。音楽を演奏して人々を楽しませれば、クリエイティブ・クレジットが増えます」


僕は少し混乱していた。耳が左右に小さく揺れる。


「では、お金を稼ぐためには働かなくてはいけないんですか?それとも…」


リア教官は優しく微笑んだ。


「重要なポイントですね。ノヴァスフィアでは、すべての市民に『基本生活保障』が適用されます。食料、住居、医療、教育、交通などの基本的なニーズはすべての市民に保障されています。つまり、あなたは何もしなくても生きていくことができます」


「何もしなくても?」


僕の耳がビクッと驚きで立った。


「そうです。これは社会の選択です。技術の発展により、すべての市民の基本的ニーズを満たすことは十分可能になりました。約3,000年前の地球時代とは状況が大きく異なります」


彼女は画面をさらに動かし、統計データを表示させた。


「実際、現在のノヴァスフィアでは、人口の約40%が従来の意味での『職業』を持っていません。代わりに、自己啓発、コミュニティ活動、創造的探求、ケア活動などに時間を費やしています」


僕は驚きと安心が入り混じった気持ちで聞いていた。前世の記憶には、働かなければ生きていけないという強い価値観があったからだ。


「でも、みんな何もしないで過ごすわけではないんですよね?」


「鋭い質問です」


リア教官は頷いた。


「人間には活動したい、貢献したい、認められたいという本質的な欲求があります。無為に過ごす人はごくわずかです。むしろ、経済的強制がないからこそ、真に情熱を持てる活動に従事できるのです」


彼女は画面を切り替え、様々な職業や活動を行う人々の映像を表示した。


「現代では、職業を持つ人々は特別な創造性や主体性、専門性を持つ者として尊敬されます。なぜなら、彼らは必要に迫られてではなく、情熱からその道を選んだからです」


僕はしばらく考え込んだ。前世での価値観と大きく異なるこの社会の仕組みを理解しようとしていた。耳が思考に合わせてわずかに動く。


「では、僕も何か…仕事を見つけた方がいいんでしょうか?」


「焦る必要はありません」


リア教官は優しく言った。


「まずはノヴァスフィアの生活に慣れることが先決です。ただ、あなたの適性や潜在能力を評価するための『総合適性検査』を受けることをお勧めします。これがあなたの可能性を広げるでしょう」


「適性検査…」


「はい。明日にでも受けられます。結果に基づいて、あなたに合った活動や職業の可能性が示されます。もちろん、それに従う義務はありません。単なる参考情報です」


リア教官はさらに説明を続けた。クレジットの交換方法、価値の変動要因、社会的貢献の評価方法など、経済システムの細部について。説明は明確でわかりやすかったが、それでも情報量の多さに僕の頭はくらくらしていた。

約2時間の説明の後、リア教官は手を叩いた。


「午前の部はここまでにしましょう。お疲れ様でした。質問はありますか?」


僕は少し考えてから尋ねた。


「特例市民である僕も、同じように基本生活保障が受けられるんですか?」


「もちろんです」


リア教官は即答した。


「市民である以上、すべての基本的権利が保障されます。むしろ、特例市民として追加的な支援が提供されることもあります」


その言葉に僕はほっと胸をなでおろした。耳も安心したように少し下がる。


「では、お昼休憩にしましょう」


リア教官は立ち上がった。


「このフロアの東側にカフェテリアがあります。様々な料理を楽しめますよ。午後のセッションは14時からです」


廊下に出ると、周囲から子どもたちの声が聞こえてきた。どうやら他の教室も昼休みに入ったようだ。


リア教官は僕に小さなカードを手渡した。


「これで食事が取れます。教育センター内で使用できるミール・パスです」


「ありがとうございます」


「それでは、午後のセッションでお待ちしています」


彼女は微笑み、別の方向へ歩いていった。

僕は廊下に立ち、周囲の活気ある雰囲気に少し圧倒されながらも、確かな安心感も覚えていた。前世での価値観とは大きく異なるこの社会で、自分がどう生きていくべきか—そんなことを考えながら、カフェテリアへと足を向けた。

耳が少し前向きに立ち、新しい可能性への期待を静かに表していた。

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