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第五十四話「夜の相談」

エリカとのカフェでの時間を終え、四人はアパートまで一緒に帰ってきた。エントランスでエリカとミアと別れ、ユナギとアルクは自分たちの部屋に入った。

玄関で靴を脱ぎながら、ユナギはまだルナ・ガーデンのフレンチトーストの甘い余韻を味わっていた。長い白い耳が満足そうにゆらゆらと揺れている。


「エリカとのお時間、楽しそうでしたね」


アルクがリビングに向かいながら言った。


「うん、本当に楽しかった」


ユナギはソファに腰を下ろしながら答えた。


「あのフレンチトーストもおいしかったし、エリカも喜んでくれてたから良かったよ」


そのとき、アルクが少し思い出したような表情を見せた。


「そういえば、お出かけしている間にカズキさんから連絡がありました」


「カズキさんから?」


ユナギの耳がピクリと立った。


「はい。あらかじめお時間をとってほしいとお伝えしていた件についてですが、今夜なら時間をとってくれるそうです」


ユナギは玄関のドアを開けながら振り返った。


「それは助かる。何時頃って言ってた?」


「夕食後にいかがかということでした」


アルクは部屋に入りながら答えた。

ユナギはリビングのソファに腰を下ろした。カフェでのんびりとした時間を過ごした後だが、これで今日の予定がまた一つ増えることになる。でも、タクミとの件は重要だった。


「そうだね。夕食後にお邪魔するってことで、返事をしておいてもらえる?」


「承知いたしました」


アルクは頷いた。

ユナギは壁の時計を見上げた。まだ午後の早い時間で、夕食までは十分に余裕がある。


「もう少し早くに連絡をもらってたら、こないだのお茶とお菓子のお礼にカフェのケーキをテイクアウトできたのに」


ユナギは少し残念そうに呟いた。


「そうですね」


アルクも同意した。


「タクミさんにはすべて落ち着いた後に、改めてお礼に伺いましょう」


「そうしよう」


ユナギは立ち上がって、窓の外を見た。ウィンターヘイブンの街並みには、まだ昼間の柔らかな光が差している。

夕方になり、キッチンに立ったユナギは冷蔵庫の中身を確認した。豆と野菜のスープを作ることにして、玉ねぎ、人参、セロリを丁寧に刻み始めた。包丁のリズミカルな音がキッチンに響く。アルクが近くで見守りながら、時々手伝いの申し出をしたが、ユナギは料理に集中することで心を落ち着けたかった。


「午後にフレンチトーストを食べたから、今日は少し控えめにしよう」


ユナギは鍋にオリーブオイルを熱しながら言った。


「そうですね。バランスの良い食事を心がけることは大切です」


アルクは同意した。

野菜を炒めて豆を加え、野菜ブイヨンを注いでコトコト煮込んでいる間に、ユナギは近所のパン屋で買ってきたライ麦パンを薄切りにした。シンプルだが栄養バランスの取れた夕食になりそうだった。

スープが煮上がり、二人でテーブルについて食事を始めた。温かいスープと香ばしいパンの組み合わせが、午後の甘いフレンチトーストの後には丁度良い。


「とても良い香りですね」


アルクがスープの湯気を見つめながら言った。


「うん。やっぱりこういうシンプルな食事も落ち着くよ」


ユナギは満足そうに答えた。

食事を終え、約束の時間が近づくと、ユナギとアルクは身支度を整えて隣の部屋に向かった。前回と同様、ドアが開くとカズキが丁寧に迎えてくれた。


「こんばんは。お忙しい中、お時間をいただきありがとうございます」


カズキは深々と頭を下げた。


「こんばんは、カズキさん」


ユナギは礼儀正しく挨拶を返した。

部屋に入ると、タクミがソファから立ち上がった。前回よりも少し緊張が和らいでいるようで、自然な動作で彼らを迎えた。


「こんばんは、ユナギさん、アルクさん」


タクミは以前より明るい声で挨拶した。


「こんばんは、タクミさん」


ユナギは長い耳を前向きに傾けながら答えた。

カズキが丁寧にお茶を入れて持ってきてくれ、四人はテーブルを囲んで座った。温かい緑茶の湯気が立ち上り、部屋に落ち着いた雰囲気をもたらしている。


「それで、例の装置について何かわかったか?」


タクミは期待と不安が入り混じった表情で尋ねた。

ユナギは少し申し訳なさそうな表情を見せた。


「それが、実はまだ専門家の人に見てもらえてないんです。ちょっと事情があって…」


タクミの表情が明らかに落ちた。


「そうか…」


彼は肩を落とし、がっかりしたような声で続けた。


「なんか時間がかかるんだな」


少し投げやりな口調になっている。


「すみません。僕たちの専門とは違う分野なもので」


ユナギは申し訳なさそうに頭を下げた。

アルクが丁寧に補足した。


「いつあの装置をお返しできるか見通しが立たないため、今日はそのお詫びに伺いました」


「わざわざお越しいただきありがとうございます」


カズキは理解を示しながら答えた。

ユナギは少しためらうような表情を見せてから、意を決したように口を開いた。


「あの装置なんですけど、もしかしたら本当に危険なものかもしれません」


タクミとカズキの表情が引き締まった。


「一度僕の職場で起動してみたんですけど、確かにあの装置から音が鳴っていました。ですが、他に人間は2人いたんですけど、その音が聞こえたのは僕だけでした」


ユナギは慎重に言葉を選びながら説明した。


「それでしばらく聞いていたら、僕のバイタルサインに異常が出て、それで周りの人が装置を止めてくれました」


カズキは心配そうな表情を見せた。


「そんなことがあったのですね。私も心配だったのであの装置の起動中はタクミの様子を注意深く観察していたのですが、そのような異常は見られませんでした」


タクミは少し間をおいてから、深いため息をついた。その音には明らかな落胆が込められている。


「どうしましたか?」


ユナギは心配そうに尋ねた。


「やっぱり俺には何の才能もなくて、特別な力とかってそういうのって、君みたいな人のところに集まるんだなって」


タクミは自嘲するような口調で言った。

カズキは慌てたように割って入った。


「タクミ、そのようなことをいうものではありません」


彼はタクミを気遣いつつ、ユナギとアルクにも気を使いながら言った。


「ユナギ、君はやっぱり子どものころから特別扱いされていたんだろ?」


タクミは諦めたような表情でユナギを見つめた。

ユナギは少し困ったような表情を見せてから答えた。


「えっと…。実は僕、記憶喪失で、直近数か月分ぐらいしか記憶がないんです。だから子どもの頃のことも思い出せません」


タクミの目が驚いたように見開かれた。


「マジかよ。そんなの物語でしか聞いたことないし」


しばらく呆然としてから、苦笑いを浮かべた。


「でも、やっぱりそういうところも特別って感じだな」


「タクミ」


カズキが少し叱るような口調で名前を呼んだ。


「気にしないでください」


ユナギは穏やかに答えた。


「すみません」


カズキは申し訳なさそうに頭を下げた。

ユナギは少し考えてから、自分に言い聞かせるようにして話し始めた。


「確かに僕は特別なところが多いかもしれません。この容姿、記憶喪失、そしてあの装置への親和性。でも、自分にもわからないことだらけで、いつもどうしていいか分からず、本当に周りのみんなのおかげで何とかやっていけています」


タクミは少し驚いたような表情を見せた。


「君みたいな人でも…?」


「アルクに出会うまでは不安でいっぱいでした」


ユナギは率直に答えた。

アルクが微笑みながら記憶を語った。


「ユナギが私と出会ったとき、私に最初に問いかけたのは『趣味はありますか?』でしたね」


ユナギは微笑みながら懐かしそうに耳を動かした。


「そうだったっけ?なんだか今思い返すととんちんかんな質問で恥ずかしいな」


彼は少し苦笑いを浮かべながら続けた。


「でも、記憶喪失になったばっかりの頃は、AIのアルクにそんなことを聞いちゃうぐらい、何をどうすればいいかさっぱりわからなかったんだ」


タクミは思い悩むような表情を見せ、しばらく沈黙した。

ユナギは意を決したように言った。


「その…、もしよかったらなんだけど、なにか悩んでるようだったら僕が相談に乗りましょうか?大したアドバイスはできないけど、話をするだけでも気分が良くなるかもしれないし」


タクミは迷うような表情を見せた。

カズキが優しく背中を押した。


「せっかくの機会です。同世代の友人に相談してみてはどうですか?」


タクミは少し考えてから言った。


「そうだな。っていうか、ユナギって同世代なのか?正直外見じゃ何歳かわからないんだけど」


ユナギとタクミの間に一瞬の沈黙が流れた後、ユナギが


「確かに」


と言って笑った。その笑い声につられて、タクミも思わず笑ってしまった。

アルクが説明を加えた。


「ユナギは記憶喪失なだけでなく、中央データベースに市民データが存在せず未登録生命体として発見されました。そのため正確な年齢はいまだにわからないのですが、生体情報から20歳として市民登録が行われています」


タクミは少し驚きあきれた様子で首を振った。


「本当に何から何まで普通じゃないんだな」


気持ちを切り替えるように、タクミは真剣な表情になった。


「『オートノミー・クライシス』って知ってるだろ?就職もしないで、社会活動もせず、何の目的も見いだせない若者ってやつ」


ユナギは思い出すそぶりをして答えた。


「たしか、人口の結構な割合の人がそんな感じだっていうのは聞いたことがあります」


「ノヴァスフィアの全人口の20%と言われています」


アルクが正確な数字を補足した。

タクミは深いため息をついてから話し始めた。


「学校とかニュースとかでよく聞いたりしてたけど、実際に自分がそうなるなんて思ってもみなかった。だけど、思い返すとほかにどうにもなりようがなかった」


彼は手をひざの上で組みながら続けた。


「子どものころは勉強も運動も大したことなくて、ゲームだけは得意だったんだ。友達と対戦してもめったに負けなかった。でも、12歳ぐらいで親が許可してくれてオンライン対戦をするようになったら、自分より強い奴ばっかりで」


タクミの声には当時の挫折感が蘇っているようだった。


「それでも自分の得意分野はゲームなんだって思って頑張った。格闘ゲーム、FPS、MOBA、チェスみたいなボードゲームまでいろいろ試してみたけど、どれも全然大したところまで行けなかった」


「学校に通ってるとしょっちゅう将来の夢とか目標とか聞かれるだろ?まあユナギは覚えてないかもしれないけど」


タクミは苦笑いを浮かべた。


「そういうとき、どう答えていいかずっとわからなかったんだ。ゲームは好きだけど、プロゲーマーになれるとは思ってなかったし、なんか恥ずかしかったし。それで宇宙船に乗ってほかの惑星に行きたいとかそんな感じの夢を答えてたんだけど、実際そういう職業ってかなり優秀なヤツじゃないと適性検査で落とされるって知って、自分の成績じゃ到底なれないし、そこまでなりたいわけじゃないのにって思うと頑張れなかった」


タクミの話に、ユナギは静かに耳を傾けていた。長い白い耳が彼の話に合わせて微かに動いている。


「まわりもそんな感じだろって思ってたんだけど、俺以外の奴らはちゃんとやりたいこと見つけて、就職したり、なんか物作りしてそれを売ってたり、すごい奴はスポーツ選手になってたりしたんだ」


タクミの声には焦燥感が込められていた。


「そいつらはみんな20歳ぐらいで実家を出るっていうから俺も一緒に実家を出たけど、いまだに何をすればいいかわからなくて…」


「いまの時代、働かなくても全然生きていけるだろ?でも、それってただ死んでないだけで、こうやってダラダラ生活してると何かしないといけない気がしてくるんだよ。やりたいことを見つけないとって不安でしょうがないんだ」


ユナギは前世の記憶を思い返しつつ、共感を込めて答えた。


「確かに、自分のやりたいことなんて簡単に見つからないですよね」


タクミは身を乗り出すようにして尋ねた。


「ならユナギはどうやって今の仕事に就いたんだ?いつその職業になりたいって思ったんだよ?」


ユナギは少し躊躇してから答えた。


「僕?その…、全然大した理由じゃないんだけどいいのかな?」


「なんだよ、大したことない理由って?」


タクミは興味深そうに身を乗り出した。

ユナギは頬を指でかきながら苦笑いを浮かべた。


「アルクと一緒にニュースを見てたんです。それで、ワンダー・コレクターのニュースが流れて、やってみようかなって」


タクミは呆然とした。


「…それだけ?」


「それだけ」


ユナギは素直に答えた。

タクミは呆れたように声を上げた。


「就職って人生の一大事だろ。そんな簡単に決めていいのかよ」


「そう言われるとそうなんだけど、あの時は早く仕事を決めたくて」


ユナギは当時のことを思い出すように続けた。


「そういう意味ではタクミさんと一緒だったのかも。何をすればいいかわからなくて、少しでも興味がわいたものに飛びついたんだと思います」


タクミは困惑したような表情を見せた。


「…そんないい加減なことでいいのか」


「僕の場合はそんな感じでうまくいってますよ」


ユナギは明るく答えた。


「…そんなんでよく入れたな」


タクミは少し間をおいてから、再び深いため息をついた。


「俺はそんな簡単に決められねーよ。でも、こんなにいい加減に決めてもうまくやっていけてるヤツがいるって思うと、ちょっとだけやる気出てきたかも」


「お役に立てたなら何よりです」


ユナギは心から笑って答えた。

タクミは少し考えてから提案した。


「でも、まだ俺に何が向いてるかなんて全然思い浮かばない。だからさ、なにか面白そうなことがあったら俺に教えてもらえないか?ヒントになりそうなこと、何でもいいからさ」


「いいですよ」


ユナギは快く答えた。


「捜査に協力してもらっていますし、僕にできることがあれば、できるだけ頑張ります」


カズキが温かい笑顔を浮かべて見守る中、四人の間に和やかな雰囲気が流れていた。タクミの表情も、最初の時よりもずっと明るくなっている。今夜の会話が、彼にとって少しでも前向きなきっかけになればと、ユナギは心から願っていた。

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