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第五話「新たな居場所」

トランスポッドが静かに減速し、ウィンターヘイブン・トランジット・レジデンスの前に到着した。窓から見える建物の外観は、先ほどの行政センターに負けないほど立派だった。水晶のように透き通る白い外壁と、波打つような曲線を描く構造。エントランスは大きな木々に囲まれ、自然との調和を感じさせる。


「こちらがあなたの当面の滞在先です」


PMNロボットが説明した。


「トランジット・レジデンスとはいえ、快適な環境が整っています」


ドアが開き、僕はPMNロボットと共に外に出た。湿度が低く、空気が少し冷たい。まさにウィンターヘイブンという名前にふさわしい気候だ。耳先がピクピクと動き、新鮮な空気を感じ取る。

建物に近づくと、自動的に大きなガラスのドアが開いた。内部はさらに驚くべき空間だった。高い天井からは淡い光が降り注ぎ、ロビーの中央には小さな森のような植物群が配置されている。その周りを透明な水路が流れ、カラフルな魚たちが泳いでいる。


「宿泊手続きをしましょう」


PMNロボットが僕を受付カウンターへと案内した。

カウンターには人型のロボットがいくつか立っている。僕たちが近づくと、そのうちの一体が笑顔で迎えてくれた。このロボットは明らかにPMNユニットより洗練されていて、ほぼ人間に近い外見をしている。銀色の髪と青い瞳、制服のような服装をしていた。


「ようこそ、ウィンターヘイブン・トランジット・レジデンスへ」


受付ロボットの声は柔らかく、温かみがあった。

PMNロボットが先に立って説明する。


「特例市民支援プロトコルの対象者です。行政センターからの指示に従って、滞在手続きをお願いします」


「承知しました」


受付ロボットは空中に何かをタップしているようだった。


「情報を確認しています」


数秒の沈黙の後、受付ロボットは僕に向き直った。


「ユナギ様、ご滞在の手続きが完了しました。滞在期間は7日間、すべての施設とサービスのご利用が可能です」


彼はもう一度空中をタップした。


「お部屋は817号室、エレベーターを左手に進んだ東棟になります」


小さな光の球体が現れ、僕の方へ浮かんできた。


「こちらがお部屋のキーです。手のひらでお受け取りください」


僕は恐る恐る手を差し出すと、光の球体が僕の手のひらに着地し、一瞬で消えた。その場所に小さな光のマークが残る。


「認証完了しました。このマークは24時間後に自然に消えます。お部屋のドアに手をかざすだけで開閉できます」


「あの…」


僕は少し躊躇いながら質問した。


「食事はどうすればいいんですか?」


「館内1階に『オーロラ・ダイニング』があります。朝食は6時から10時、昼食は11時から15時、夕食は17時から22時までご利用いただけます。お食事代はすべて包括されていますので、お部屋キーの認証マークをかざすだけで結構です」


僕はほっとした表情になったが、次の瞬間、別の心配が浮かんだ。両耳がピクッと動き、少し下がる。


「えっと…実は荷物が全然なくて…着替えとかアメニティとか…」


「ご心配なく」


受付ロボットは穏やかに答えた。


「お部屋には基本的なアメニティが揃っています。歯ブラシ、タオル、バスローブなどすべて備え付けです」


僕の耳が少し持ち上がったが、まだ完全に安心はしていない様子だ。


「服は…ないですよね?」


受付ロボットの動きが一瞬止まった。そして目が青から緑へと色を変え、わずかに瞬きする速度が速くなった。明らかに内部処理に忙しい様子だ。


「衣類…についてのご質問ですね」

受付ロボットは少し言葉を選ぶように間を置いた。


「通常のアメニティには含まれていません。一般的な滞在者は自身の衣服を持参されます」


僕の耳が不安で下がり始めると、受付ロボットは急いで続けた。


「しかし、特殊なケースとして処理いたします。少々お待ちください」


受付ロボットの目の色がさらに緑から琥珀色に変わり、空中に何かを高速で入力しているようだった。PMNロボットが何かデータを送信しているのか、二つのロボットの間で見えない情報のやりとりが行われているようだ。


「レジデンス・マネジャーと協議中です」

受付ロボットが説明した。

「標準外リクエストのため、承認が必要となります」


数秒間の沈黙があり、ロビーにいた他の宿泊客が僕の方をちらりと見た。耳が思わずピクンと反応し、さらに下がる。鼻も小刻みに震え始めた。

すると、受付ロボットの目の色が再び青に戻り、表情が明るくなった。


「承認されました。特例市民支援プロトコルを適用し、当施設で特別に衣類セットをご用意します」


受付ロボットは安堵したように説明を続けた。

「本日夜までにお部屋へお届けします。サイズは生体スキャンのデータに基づいて調整済みです。特に…」


ここで少し詰まり、


「ラゴモーフ系の体型に適した仕様で準備いたします」


「ありがとうございます」


僕は心からの安堵を感じた。耳がピンと立ち、鼻先の小刻みな震えが止まる。

PMNロボットが一歩前に出た。


「私の任務はこれで完了です。明日朝9時にロビーでお待ちしております。市民適応オリエンテーションにご案内します」


「ありがとう。今日は本当にお世話になりました」


僕は頭を下げた。


「それがPMNの存在意義です」


ロボットも軽く頭を下げ、


「どうぞゆっくりお休みください」


と言って立ち去っていった。

受付ロボットが再び僕に向き直った。


「それでは、ユナギ様。何かご不明な点がございましたら、いつでもフロントまでお声がけください。お部屋のコンソールからも各種サービスをリクエスト可能です」


「ありがとうございます」


僕は指示された方向へと歩き出した。エレベーターは声で階数を指定するだけで動き出した。「8階、お願いします」と言うと、軽い浮遊感とともに上昇していく。

817号室の前に立ち、恐る恐る手のひらを青いセンサーパネルにかざすと、ドアが静かに開いた。中に入ると、予想以上に広い部屋に驚いた。ベッドルーム、リビングスペース、バスルームが機能的に配置されている。窓からはウィンターヘイブン区画の街並みが見渡せた。雪を被ったような白い建物群と、所々に見える青い光の帯。遠くには人工の山が見え、その頂上は白く輝いている。

部屋の中央にあるコンソールが柔らかく光を放った。


「ようこそ、ユナギ様。お部屋の設定はすべて音声でコントロール可能です。何かご要望がありましたら、お申し付けください」


僕は軽く頷き、部屋をゆっくりと見回した。思いがけないほど快適な環境に、少し緊張が解けていく。耳がリラックスして少し下がり、ホッとした表情になる。

時刻を確認すると、もう夕方6時を過ぎていた。一日の出来事に疲れを感じると同時に、空腹にも気づく。まずは夕食を取ろうと決めた。



オーロラ・ダイニングは1階の奥まったところにあった。入り口には「ALL WELCOME」という文字が浮かんでいる。中に入ると、レストランというより、広々とした開放的なフードコートのような空間が広がっていた。壁際には様々な料理を提供するカウンターが並び、中央には多数のテーブルがある。

僕は恐る恐る中に入った。数十人の宿泊客がいたが、皆それぞれの食事に集中していて、幸い僕に注目する人はいなかった。それでも長い耳が目立つことを意識して、少し耳を折りたたむように努力する。

壁際のメニュー表示を見ると、様々な料理の名前と写真が浮かんでいる。僕の目が「クラシック・アジアン・セレクション」という文字に引きつけられた。そこには懐かしい日本食の画像が表示されている。


「ラーメンに天ぷら…」


思わず小さく呟いた。前世の記憶がまざまざと蘇る。

その料理カウンターに近づくと、調理ロボットが笑顔で迎えてくれた。


「いらっしゃいませ。何になさいますか?」


「あの、ラーメンと餃子を一つずつお願いします」


「かしこまりました。お好みのラーメンのスタイルはございますか?」


「え?あ、醤油で…」


「承知いたしました。少々お待ちください」


わずか2分ほどで、醤油ラーメンと金色に焼き上げられた餃子の盛り合わせが完成した。トレイに載せると、調理ロボットが


「お支払いはこちらで」


と言って、小さな青いパネルを示した。

僕は恐る恐る手のひらの光のマークをかざした。パネルが「認証完了」と光り、無事に会計が終わった。


「ありがとうございます。ごゆっくりお召し上がりください」


中央のテーブル群の、窓際の一つを選んで座った。窓の外では、夕暮れのウィンターヘイブンの街が青く光り始めていた。

ラーメンの湯気が立ち上る。恐る恐る一口すすると、思わず目を見開いた。完璧な醤油ラーメンの味。前世で食べていたものとほとんど変わらない。餃子も同様に絶品で、皮はパリッと、中の具材はジューシーな味わいだった。


「まさか700年以上経っても、ラーメンと餃子の味が保存されているなんて…」


僕はゆっくりと食事を楽しんだ。この未知の世界で、懐かしい味に出会えたことが不思議な安心感をもたらしてくれた。長い耳がリラックスして自然な位置に落ち着き、鼻先も穏やかに動いている。


部屋に戻るとすぐに、ドアのチャイムが鳴った。


「はい?」


「衣類セットのお届けです」


ドアを開けると、小さな配達ロボットが浮遊式のカートを引いていた。カートの上には何着かの衣類が整然と積まれている。


「ユナギ様の衣類セットです。基本的な日常着、下着類、寝間着、そして明日のオリエンテーション用のフォーマル衣装を含んでいます」


僕は驚きながらも受け取った。


「こんなに…ありがとうございます」


「どういたしまして。何かご不明点がございましたら、いつでもお呼びください」


ロボットが去った後、僕は衣類を一つ一つ確認した。すべて僕のサイズにぴったりで、特にラゴモーフ系の体型に合わせた工夫がされていた。背中の部分が少し長く、耳を通すための穴がある帽子、尻尾のためのスペースがあるパンツ。すべて考え抜かれたデザインだった。


「すごい…」


僕は思わず感心した。


「そういえば、僕の尻尾、どうなってるんだろう?」


そう思い立ち、バスルームの鏡の前に立った。全身を確認するのは今日初めてだった。

鏡に映る姿は、やはり完全に人間ではなかった。全身を覆う真っ白な体毛。長く伸びた耳。顔立ちは人間とウサギの中間を思わせ、特に口と鼻の形状がわずかにウサギのような特徴を持っている。大きな赤紫色の瞳。そして確かに、背中の下の方には小さな白い丸い尻尾があった。


「やっぱり本当にウサギなんだ…」


僕はしばらく鏡に映る自分と向き合った。不思議と強い違和感はない。むしろ、この姿に少しずつ馴染んでいく自分がいた。

シャワーを浴びると、最初は白い体毛が水を弾いていたが、次第に全身がずっしりと重くなっていった。水を含んだ体毛はかなりの重量になる。タオルで拭こうとしたが、なかなか水分が取れない。全身がじっとりと湿っていて、不快感が増してきた。


「これじゃあ一晩中乾かないかも…」


耳から滴る水滴が床に落ち、困った表情で周りを見回していると、バスルームの壁に小さなパネルが目に入った。「動物遺伝子融合型人種の方用」と書かれている。

恐る恐るそのパネルに触れると、バスルームの壁が滑らかに開き、円形のブースが現れた。


「ボディ・ドライヤーです。ご利用になりますか?」


コンソールの声が響いた。


「お願いします」


ブースに入ると、ガラス製の扉が静かに閉まり、柔らかな光が内部を満たした。


「乾燥プログラムを開始します。お好みの強さをお選びください」


「えっと…普通で」


突然、温かい風が全方向から吹き始めた。天井からも床からも、そして四方の壁からも、絶妙な温度の風が渦を巻くように僕の体を包み込む。風の強さは心地よく、体毛をやさしく揺らしながら水分を取り除いていく。

特に耳の乾燥に気を遣う設計らしく、耳の付け根から先端まで均等に風が当たるよう、風向きが微妙に調整されていた。僕は思わず目を閉じ、この心地よさに身を委ねた。

わずか1分ほどで、全身がふわふわと軽くなっていくのを感じる。前世では考えられないほどの快適な乾燥体験だ。


「これは...すごい」


僕は思わず声を上げた。耳がうっとりとした様子で前に傾いでいる。


「こんなに速く乾くなんて」


さらに30秒が経過すると、風の流れが変わり、体毛に艶を出すための軽いコーティングが施される感覚があった。乾燥が完了すると、ブースのドアが自動的に開いた。

鏡を見ると、全身の体毛がふわふわと輝いていて、触り心地も信じられないほど柔らかくなっていた。前世の記憶では、長い髪の毛を乾かすのにドライヤーで何分もかかっていたことを思い出す。それと比べれば、全身を覆う体毛を数分で完璧に乾かせるこの技術は、まさに驚異的だった。


「これがあるのとないのとでは大違いだ…」


僕は感嘆の声を漏らした。耳が喜びで小刻みに震える。

新しい寝間着に着替え、ふわふわになった体毛の心地よさを感じながらベッドに横になった。柔らかなマットレスが体重に合わせて形を変え、心地よく体を支える。


「コンソール、照明を消して」


部屋が暗くなり、天井には淡い星空が映し出された。まるで本物の夜空を見上げているような錯覚を覚える。今日一日の出来事が頭の中でぐるぐると回る。目を閉じると、あっという間に眠りに落ちていった。



朝、僕は光と穏やかな音楽で目を覚ました。


「お早うございます。現在の時刻は朝7時です。外の気温は12度、区画内は快晴です」


コンソールの優しい声に、僕はまだ半分眠ったままベッドの中で体を伸ばした。耳がぴくぴくと動き、少しずつ意識が戻ってくる。

突然、昨日の出来事が洪水のように思い出され、僕は目を見開いた。飛び起きてバスルームに走り、鏡の前に立った。

そこには昨日と同じ、白いウサギの特徴を持つ存在が映っていた。


「夢じゃなかったんだ…」


長い耳がゆっくりと下がり、現実を受け入れる僕の気持ちを表している。深呼吸して、少しずつ気持ちを整えた。


「今日からが本当の始まりだ」


配達されていた衣服の中から、カジュアルな服を選んで着替えた。

朝食のために再びオーロラ・ダイニングに向かった。朝のメニューは洋食から和食まで様々だったが、僕は野菜たっぷりのサラダと季節のフルーツ盛り合わせ、そして全粒粉のパンを選んだ。不思議と体が野菜や果物を欲しているような感覚があった。前世よりも明らかに植物性の食物への渇望が強い。

トレイを持ってテーブルに座り、まずは果物に手を伸ばした。色とりどりのベリー類、みずみずしいメロン、完熟したバナナ、そして艶やかな林檎が盛り付けられている。最初に小さなブルーベリーを口に入れると、その甘酸っぱさに思わず目を閉じて


「んん〜」


と小さな声が漏れた。

続けて赤いイチゴを一粒かじると、甘さと香りが口いっぱいに広がる。僕は無意識に耳が喜びで小さく揺れ、鼻先がリズミカルに動きながら、次々と果物を口に運んだ。メロンの瑞々しい甘さに耳がピンと立ち、リンゴの歯ごたえと甘酸っぱさに再び満足そうな表情になる。

ふと周囲の気配に気づき、顔を上げると、近くのテーブルに座っていた若い女性たちが微笑みながら僕を見ていた。彼女たちはすぐに視線をそらしたが、その表情からは「かわいい」と思われていることが容易に想像できた。


「あ…」


僕は急に恥ずかしくなり、耳が後ろに倒れ、頬が熱くなるのを感じた。フルーツを食べる時の無邪気な表情と耳の動きが、どうやら見ていた人たちの目には愛らしく映ったようだ。

少し間を置いてから、今度はより控えめに野菜サラダを食べ始めた。しかし、新鮮な野菜の味わいにも思わず表情が緩み、再び耳がわずかに動いてしまう。前世では特別好きではなかった野菜類が、今では驚くほど美味しく感じられた。

「ラゴモーフの体は野菜とか果物がすきなのかな」と考えながら、僕は残りの朝食をゆっくりと味わった。体が必要とする栄養素が、前世とは確実に変化していることを実感する朝だった。

食事を終えて部屋に戻ると、オリエンテーション用のフォーマル衣装に着替えた。淡い青色の上着と白いパンツ。シンプルながら上品な印象だ。

時計を見ると8時50分。そろそろロビーに向かう時間だ。

エレベーターでロビーに降りると、昨日のPMNロボットが待っていた。


「おはようございます、ユナギさん。お休みは十分でしたか?」


「はい、とても快適でした」


僕は微笑んだ。


「今日はどこへ行くんですか?」


「市民教育センターです。ノヴァスフィアでの生活に必要な基本知識を学んでいただきます」


僕はPMNロボットと共にホテルを出た。朝の澄んだ空気と柔らかな光が僕を迎え、耳がピンと立つ。

新たな一日が始まろうとしていた。ノヴァスフィアでの僕の人生の、本当の最初の一日が。

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