第四十九話「情報の収束」
透光セグメントから差し込む朝の光で目が覚めた。いつもより少し早い時間だったが、昨夜のタクミとの会話が頭に残っていて、なかなか深く眠れなかった。ベッドから起き上がると、長い耳が自然と朝の音を拾い始める。遠くから聞こえる鳥のさえずり、隣の部屋からの生活音、そして下の階から漂ってくる朝食の香り。
「おはようございます、ユナギ」
アルクが光球から人型に変化しながら挨拶してくれた。
「おはよう、アルク」
ユナギは大きく伸びをしながら答えた。
「今日はいい天気だね」
身支度を整えて朝食の準備を始める。前世の記憶に基づいて、焼き鮭と味噌汁、白米という和風の朝食を作った。味噌汁の湯気が立ち上る香りが部屋に広がると、なんだか心が落ち着く。
食事を終えた後、ユナギは昨夜タクミから預かった装置をテーブルの上に取り出した。朝の光の下で見ると、古風な木製の装飾がより鮮明に見える。東欧風の幾何学模様と未来的な金属部品が絶妙に組み合わされた、不思議な美しさを持つ箱だった。
両手で慎重に持ち上げてみる。見た目以上に重みがあって、明らかにただの工芸品ではない。細部を観察していると、ふと思いついた。
「…ねえアルク」
ユナギは装置を見つめたまま、少し迷いながら言った。
「これ、一回起動してみない?」
「いきなりどうしたんですか」
アルクは驚いて振り返り、明らかに心配そうな表情を浮かべた。
「ユナギの身体に悪影響があるかもしれません。やめてください」
「でも、試してみないと、この装置が本当にあの音を発生させていたかわからないでしょ?」
ユナギは装置を両手で包み込むように持ちながら説明しようとした。
「イングリッドさんやカミロ所長に報告するためにも、実際に確認した方が—」
「ダメです」
アルクはまるで聞き分けのない子供に言い聞かせるような口調でユナギを遮った。
「エリクさんもこの装置をラースさんが使うようになって行動に変容があったとおっしゃっていました。万が一この場で何かあっては対処に困ります」
ユナギの長い耳がしょんぼりと下向きになった。確かにアルクの言う通りだ。無謀なことはすべきじゃない。
「うーん、ダメか…」
少し残念だったけど、アルクの心配そうな表情を見ていると、無理に押し切る気にはなれなかった。
「安全が確認できる環境で、専門家の立ち会いのもとでなら検討できるかもしれません」
アルクが優しく付け加えてくれた。
「調査局なら適切な設備があるかもしれませんし」
「そうだね」
ユナギは諦めて装置を特製のケースにしまった。
「無茶はしないでおこう」
希少存在調査局に到着すると、建物の入り口でイングリッドとリンがすでに待っていた。イングリッドは相変わらず元気で、ユナギを見つけると手を振って駆け寄ってきた。
「おはよう、ユナギ君!今日は大きな成果を報告できそうよ!」
「おはようございます、ユナギさん、アルクさん」
リンも丁寧に挨拶してくれた。
「おはようございます!」
ユナギは耳を前向きに傾けながら元気に応じた。
「イングリッドさん、何か重要な発見があったんですか?」
「それがね…」
イングリッドは少し興奮した様子で言いかけたが、すぐに口を止めた。
「詳しくは中で話をしよっか。とにかく、星の教会とマインド・イルミネーションの関係について、確証が得られたわ」
四人は建物に入り、いつもの会議室へと向かった。朝の陽光が透光セグメントを通して室内を明るく照らしている。
「それじゃあ、私から報告するわね」
イングリッドは椅子に座りながら、手元のデータパッドを確認した。
ユナギは興味深そうに身を乗り出した。イングリッドの調査結果がどんなものか、とても気になる。
「昨日の夕方、星の教会の礼拝に参加してきたの」
イングリッドが報告を始めた。
「参加者は約40名で、年齢層は20代から70代まで幅広かったわ。チェン・リウェイさん、ノルドストロム夫妻、それに田中ミサキさんとも話ができたの」
「フレイザーさんについて、何か新しいことがわかりましたか?」
ユナギが尋ねた。
「それがね…」
イングリッドは少し困ったような表情を見せた。
「フレイザーさんについては、みなさん『優しい人』『立派な指導者』『いつも忙しそうだけど親切』という評判は聞けたんだけど、実際に直接話したことがある人はそれほど多くなかったのよ」
ユナギの耳がピクリと動いた。やはり中心的な人物でありながら、一般信者とは距離を保っているということだろうか。
「トランキリティやセレニティ・センスの商品についても聞いてみたんだけど、特に印象に残る証言はなかったの。礼拝中にセレニティ・センスのアロマが使われていることすら、ほとんどの人が知らなかった」
「でも、重要な証言を得ることができました」
リンが画面に資料を表示しながら説明を続けた。
「チェン・リウェイさんは以前、フレイザー氏との個別面談の機会があったそうです」
「その時の話が興味深かったのよ」
イングリッドの目が輝いた。
「フレイザーさんは彼女に『あなたには特別な感受性がある』と言って、マインド・イルミネーションという活動への参加を勧めたんですって。実際に参加してみたら、とても充実した体験だったと話してくれたわ」
ユナギの長い耳がピクリと動いた。
「マインド・イルミネーション…」
昨日ラースから聞いた名前だ。そしてタクミも同じ団体に関わっている。
「そう!それで他の信者からも似たような話を聞いたの」
イングリッドは身を乗り出して続けた。
「個別カウンセリングを受けた際、何かの条件に合う人にはマインド・イルミネーションの活動への参加を促されることがあるって」
「つまり、星の教会からマインド・イルミネーションへの導線があるということですね」
アルクが整理してくれた。
リンが新しい画面を表示した。
「それで私たちは、フレイザー氏とマインド・イルミネーションの正式な関係を調査いたしました。その結果、フレイザー氏がマインド・イルミネーションの代表を務めていることが判明いたしました」
「代表!」
ユナギは驚いて耳をピンと立てた。
これは重大な発見だ。フレイザー氏は星の教会の指導者であり、同時にマインド・イルミネーションの代表でもある。完全に同一人物による組織運営だった。
「それで、二つの団体の世間での評判、特にトラブルについて詳しく調べることにしたの」
イングリッドの表情が少し深刻になった。
「そしたら…リン、説明してくれる?」
リンは静かに頷いた。
「インターネット上でマインド・イルミネーションに関する情報を検索したところ、明らかに情報が意図的に隠蔽されている形跡を発見いたしました」
「隠蔽?」
ユナギが首を傾げた。
「はい。検索結果の不自然な欠落、削除されたレビューの痕跡、批判的な投稿の短期間での消失などが確認されました」
リンは冷静に説明した。
「しかし、完全に隠蔽することは困難だったようで、わずかながら否定的な評価を発見することができました」
イングリッドが引き継いだ。
「具体的には、『子どもがマインド・イルミネーションと宗教にはまり込んでしまい、家族との会話を避けるようになった』という相談が匿名掲示板に投稿されていたの。すぐに削除されてしまったけど、リンがキャッシュから復元してくれたわ」
ユナギの表情が心配そうになった。それって、かなり深刻な問題じゃないだろうか。
「ほかにも、『最近、趣味や社会生活への関心が薄れ、生活の中心が星の教会に移っていく人がいる』という情報が複数のソースで散見されました」
リンが補足した。
イングリッドは真剣な表情で頷いた。
「もっと重大な事件が起きていないか、私はこの線で詳しく調べていこうと思ってる。特に失踪者や、家族が心配している人がいないかどうか」
会議室に一瞬の静寂が流れた。ユナギは長い耳を少し後ろに倒しながら、イングリッドの報告を消化していた。
「イングリッドさん、すごい発見ですね」
ユナギは感嘆の声を上げた。
「僕の方も関連する情報があります」
「どんな?」
イングリッドが身を乗り出した。
ユナギは昨日の調査結果を詳しく報告し始めた。ラースとの会話について、フレイザー氏から受け取った謎の装置のこと、エリクの懸念について。さらに、ラースの家を出た後にナシルと遭遇したこと、彼らの緊張した様子と非協力的な態度についても説明した。
「そして昨夜、突然隣人のタクミさんから相談を受けたんです」
ユナギの声には興奮が込められていた。
「話を聞きに行ったら、ラースさんが持っていたのと全く同じ装置があったんです」
「えー!」
イングリッドは目を大きく見開いた。
ユナギはタクミとの会話の内容を詳しく説明した。フレイザー氏から直接装置を受け取ったこと、超能力的な現象を実演して見せたこと、装置から聞こえるはずの音がユナギにしか聞こえないこと、そして最終的に装置を預かってきたことまで。
「それで、その装置は今どこに?」
イングリッドが興味深そうに尋ねた。
ユナギは鞄から慎重に装置を取り出した。古風な木製の箱が会議室の照明を受けて、神秘的な輝きを放っている。
「これがそうです」
イングリッドとリンは装置を興味深そうに観察した。
「確かに普通の工芸品じゃないわね」
イングリッドが装置の周りを回りながら言った。
「何か特別な技術が使われているような…」
「外見からは詳細な機能は判断できませんが、確かに特殊な装置のようですね」
リンも同意した。
アルクが前に出て補足してくれた。
「ユナギには、この装置から特殊な音が聞こえるそうです。ただし、私や他の人には聞こえません」
「ユナギ君だけに聞こえる音?」
イングリッドが首を傾げた。
「それって…」
「なぜユナギだけに聞こえるのかは、全くわかりません」
アルクが困惑した様子で言った。
「でも今朝、起動してみようかと提案したら、アルクに止められちゃいました」
ユナギは少し残念そうに耳を下向きにした。
「それはそうでしょ」
イングリッドが笑いながら言った。
「安全性が確認できるまでは、むやみに触らない方がいいわ」
ユナギの調査報告が終わると、イングリッドは満足そうに手を叩いた。
「すごいじゃない、ユナギ君!これで星の教会、マインド・イルミネーション、フレイザー氏、そして謎の装置——すべてが一本の線でつながったわね」
確かにそうだった。バラバラだった情報が、まるでパズルのピースがはまるように組み合わさっていく。
「確かに大きな進展ですね」
アルクも同意した。
「カミロ所長に報告すべきでしょう」
イングリッドは時計を確認した。
「所長の予定を確認してみるわ」
リンが通信システムにアクセスし、しばらくしてから報告した。
「カミロ所長は現在執務室にいらっしゃいます。アンソニーによると、緊急でなければ10分後に時間を取っていただけるとのことです」
カミロ所長の執務室は朝の光で明るく照らされており、所長は大きなデスクで書類を整理していた。アンソニーは彼の隣に立ち、何かの報告書について相談している様子だった。
四人が入ってくると、カミロは手を止めて振り返った。
「おお、お疲れ様だ」
カミロの声は朝からエネルギッシュだった。
「アンソニーから聞いたが、重要な進展があったそうだな」
「はい!」
イングリッドが元気よく答えた。
「昨日の調査で、事件の全体像が見えてきました」
「そうか、聞かせてくれ」
カミロは椅子を回転させ、四人の方を向いた。
イングリッドは星の教会での調査結果を要約して報告した。フレイザー氏とマインド・イルミネーションの関係、そして二つの団体に関する隠蔽されたネガティブな評判について。
続いてユナギが、ラースとタクミから得た情報、そして預かってきた装置について詳細に説明した。特に装置についての説明では、ユナギにだけ聞こえる音のことや、フレイザー氏が複数の人に同じ装置を配布していることを強調した。
カミロ所長は腕を組みながら真剣に聞いていた。特に謎の装置についての説明では、眉をひそめて集中している様子だった。
「なるほど」
すべての報告を聞き終えた後、カミロは深く頷いた。
「君たちの調査は期待以上の成果だな。特にその装置…これは相当重要な証拠になりそうだ」
アンソニーが前に出て、データパッドを操作しながら言った。
「所長、この装置について詳しく分析する必要があります。また、PMN特別調査局のナシル調査官との連携も検討すべきかもしれません」
ユナギはナシルとの昨日の険悪な遭遇を思い出した。彼は本当に協力してくれるだろうか。
「そうだな」
カミロが頷いた。
「今回の件は我々だけでは手に余るかもしれん。特に、組織的な洗脳活動が疑われる以上は…」
ユナギは少し緊張した。確かに、これまでの調査結果を総合すると、単なる「幻の雪景色」を超えた、もっと大きな陰謀が見えてきている。
「ナシルさんは昨日もあまり協力的ではありませんでしたが…」
ユナギが心配そうに言った。
「この装置を見せれば、向こうも態度を変えるかもしれんぞ」
カミロは自信を込めて言った。
「おそらく彼らが探していたものの正体が、これだろうからな」
確かに、ナシルが「顕現共鳴度の異常」として調査していたものと、この装置には何らかの関係がありそうだった。
アンソニーがデータパッドを確認しながら言った。
「では、これから今後の調査方針について詳しく話し合いましょう」
ユナギは装置をケースにしまいながら、これからどんな展開が待っているのか、期待と不安を抱いていた。




