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第四十七話「芸術家の真実」

ウエスタン・レイク地区は、ウィンターヘイブン区画の中でも特に静寂に包まれた住宅エリアだった。小さな湖を中心に緩やかな丘陵が広がり、落ち着いた色調のアパートメントが点在している。午前10時の柔らかな日差しが透光セグメントを通して降り注ぎ、建物の外壁に優しい陰影を作り出していた。

ユナギとアルクが降り立ったのは、3階建ての小さなアパートメントの前だった。外観はユナギが住んでいるノーザンテラス地区のものとよく似ているが、こちらの方が少し古く、壁面には蔦のような植物が這い上がっている。建物の周囲には小さな庭があり、手入れの行き届いた花壇には季節の花々が静かに咲いていた。


「ここがラース・エクストロムさんのお住まいですね」


アルクが建物の表札を確認しながら言った。


「3階の302号室です」


ユナギは長い耳を少し動かしながら周囲を見回した。空気は澄んでいて、遠くから小鳥のさえずりが聞こえてくる。都市部の喧騒から離れたこの場所は、確かに芸術家が集中して創作に取り組むのに適した環境だと感じられた。

二人は建物のエントランスに向かい、302号室のインターホンを押した。しばらくすると、落ち着いた男性の声が応答した。


「はい、どちら様でしょうか?」


アルクが前に出て丁寧に応答した。


「希少存在調査局のアルクと申します。こちらはユナギ、私のパートナーです。ラース・エクストロムさんにお約束をいただいておりました」


「ああ、お越しいただきありがとうございます。エリクと申します、ラースのパートナーです。3階までお上がりください」


オートロックが解除され、二人は階段を上がっていった。3階に到着すると、302号室のドアが開き、北欧系の男性型AIが丁寧に頭を下げて迎えた。


「お疲れ様でした。遠いところをありがとうございます」


エリクは穏やかな声で挨拶した。


「ラースは少し緊張しておりますが、最近は創作活動に没頭しがちで人との交流が少なくなっておりまして...お客様がいらしてくださることを私としては嬉しく思っております」


部屋に足を踏み入れると、ユナギの目は自然と壁一面に飾られた絵画に向いた。油絵、水彩画、デジタルプリントなど様々な技法の作品が調和良く配置されており、部屋全体がまるで小さなギャラリーのようだった。特に目を引いたのは、リビングの中央に飾られた大きな油絵で、雪に覆われた森を描いた幻想的な風景画だった。青と白のグラデーションが美しく、見ているだけで寒気を感じるほどリアルな表現だった。


「素晴らしい絵ですね」


ユナギは感嘆の声を上げた。


「ありがとうございます」


部屋の奥から、少し細身の若い男性が現れた。薄い金髪に青い瞳、疲れた表情だが知的な印象を与える容貌だった。手には絵の具の染みがついており、創作活動に熱心に取り組んでいることが窺えた。


「ラース・エクストロムです。こちらにどうぞ」


ラースは二人をソファに案内し、自分もその向かいに腰を下ろした。


「すみません、初めてお会いする方にこういうのも何なのですが...とても絵になる容姿をされていますね」


ラースは少し恥ずかしそうに言った。


「その白い体毛と長い耳、とても美しいコントラストです」


エリクはキッチンでお茶の準備を始めている。ソファから見える窓の外には、小さな湖の美しい風景が広がっていた。


「改めてお聞きします」


ユナギは丁寧に口を開いた。


「ミスティック・ガーデン橋で目撃された現象について、詳しくお話をお聞かせいただけますでしょうか?」


ラースは少し緊張した様子で手を組み、ゆっくりと話し始めた。


「あれは先週の金曜日、19時30分頃のことでした。新作の風景画のための光の研究をしようと思って、ミスティック・ガーデン橋を散歩していたんです」


彼は窓の外を見つめながら続けた。


「その日は特に雲が美しくて、夕日の当たり方が絵画的で...エリクと一緒に橋の真ん中あたりまで歩いて行ったとき、突然視界が変わりました」


「どのように変わったのですか?」


アルクが静かに尋ねた。


「最初は霧かと思いました。でも、それは霧ではなくて...雪だったんです」


ラースの声には、その時の驚きと感動がまだ残っていた。


「橋全体が雪に覆われて、周囲の植物園も真っ白になって。それがとても美しくて...まるで別世界に迷い込んだような感覚でした」


エリクがお茶を運んできながら、心配そうな表情で補足した。


「その時、ラースは完全に動かなくなってしまいました。私が話しかけても反応せず、ただその場に立ち尽くして何かを見つめ続けていました。時間にして約17分間でしたが、ラース本人の感覚では1時間以上経ったように感じたそうです」


「その間、どんな感情を抱いていましたか?」


ユナギは身を乗り出して尋ねた。

ラースは少し目を閉じ、その時の記憶を呼び戻すように話した。


「懐かしさ...すごく強い懐かしさでした。まるで子供の頃に見た風景のような、でも実際には見たことがないような...矛盾しているかもしれませんが、『ついに帰ってきた』という感覚があったんです。長い旅の終わりに故郷に戻ったような、そんな安堵感と喜びで胸がいっぱいになりました」


彼の表情は穏やかで、その体験を思い出すことで少し心が落ち着いているようだった。


「現象が終わった後はいかがでしたか?」


「最初は混乱しました」


ラースは苦笑いを浮かべた。


「エリクから『17分間動かなかった』と聞いても信じられませんでした。でも、その後...なんというか、創作意欲が異常に高まったんです。家に帰ってからすぐに絵を描き始めて、3日間ほとんど眠らずに制作に没頭しました」


エリクが心配そうに付け加えた。


「その後、精神的に不安定になってしまいまして...。私の勧めで精神科を受診し、現在も通院を続けています。ただ、創作活動自体は以前よりも活発になっており、これまでになかったほどの集中力で絵を描いています」


ユナギは壁に飾られた雪景色の絵をもう一度見つめた。


「あちらの作品は、その体験の後に描かれたものですか?」


「はい」


ラースは振り返って自分の作品を見た。


「あの時見た風景を再現しようとして描きました。でも、実際に見たものには到底及びません。あの美しさと感動は、とても絵では表現しきれないんです」


ユナギとアルクは互いに視線を交わした。この体験は、他の目撃者たちの証言と共通する要素が多い。


「ラースさん」


ユナギは慎重に言葉を選んで尋ねた。


「『星の教会』という宗教団体について、何かご存知ですか?」


ラースは首を横に振った。


「宗教にはそれほど興味がなくて...名前を聞いたことはあるかもしれませんが、詳しくは知りません」


「では、ブルーオリジン・ウェルネス社という企業はいかがでしょう?」


アルクが続けて質問した。


「セレニティ・センスというアロマ製品や、トランキリティという高級スパを運営している会社です」


ラースは少し考え込んだが、やはり首を横に振った。


「申し訳ありませんが、そちらも特に思い当たりません。高級スパなんて、僕のような収入では縁がありませんし...」


アルクは内心でデータを検索しながら、だめもとで別の質問をしてみた。


「ドミニク・フレイザーという方をご存知でしょうか?」


その瞬間、ラースの表情が明らかに変わった。驚きと、そして少しの嬉しさが混じった表情で振り返った。


「フレイザーさんをご存知なんですか?」


ユナギとアルクは互いに驚いた視線を交わした。予想外の反応だった。


「実は、今回の調査に関係があるかもしれない人物として、お名前を聞いたことがあります」


ユナギは正直に答えた。


「どのようなご関係でしょうか?」


「僕は『マインド・イルミネーション』というワークショップに参加しているんですが、フレイザーさんはそこの中心的な講師の一人なんです」


ラースは嬉しそうに話した。


「とても親切で、エネルギッシュで...僕の才能を認めてくれる数少ない人の一人です」


ユナギは内心で興奮を抑えながら、冷静に質問を続けた。


「フレイザーさんに、今回の雪景色の体験についてお話しされましたか?」


「実は、まだお話していないんです」


ラースは少し残念そうに答えた。


「最近は彼と直接話す機会がなくて...。でも次にお会いしたときには、必ずお話ししようと思っています。きっと興味を持ってくださると思うので」


「フレイザーさんについて、他に何かお話しいただけることはありますか?」


ラースは目を輝かせながら答えた。


「素晴らしい方です。僕のような無名の画家の作品を真剣に見てくださって、的確なアドバイスをくださいます。それに...」


彼は少し口ごもった。その時、エリクが心配そうな表情でラースを見つめた後、意を決したように口を開いた。


「申し訳ありませんが」


エリクがユナギたちの方を向いて丁寧に頭を下げた。


「実は、フレイザーさんに関連してお話ししたいことがあります」


「エリク、やめてくれ」


ラースが慌てたように立ち上がった。


「それは僕の問題だから...」


「でも、ラース、あなたが心配なんです」


エリクの声には明らかな心配が込められていた。


「調査官の方々なら、何か助けになるアドバイスをくださるかもしれません」


「私はあの装置があなたに悪い影響を与えているのではないかと心配しております。こちらの方々は調査官でいらっしゃいます。もしかしたら、何か助けになるアドバイスをいただけるかもしれません」


エリクはユナギたちの方を向いて、丁寧に頭を下げた。


「申し訳ありませんが、実情をお話しさせていただきます。ラースは約3ヶ月前から、フレイザーさんから預かったという装置を毎日使用しているのですが、それ以降、行動パターンや思考に変化が見られるようになりました」


エリクは居間の棚から、木製の箱を取り出した。それは古風な装飾が施された、手のひらほどの大きさの美しい箱だった。


「これです」


エリクは箱をテーブルの上に置いた。


「ラースはこれを『意識拡張ツール』と呼んでいます」


ユナギは箱を興味深そうに見つめた。古風な装飾が施された美しい外観だが、見た目だけでは特に変わったところはない。しかし、何となく見覚えがあるような気がした。


「ラースさん」


ユナギは慎重に尋ねた。


「この装置について、詳しく教えていただけますか?」


ラースは少し恥ずかしそうに、しかし誇らしげに答えた。


「フレイザーさんが『あなたには特別な感受性がある』と言ってくださって、才能を開花させるために特別に貸してくださったんです」


彼は箱を愛おしそうに見つめた。


「毎日夕方に30分間、これを起動して瞑想をするように言われています。おかげで、以前より絵が上手く描けるようになったんです」


「フレイザーさんは他にも何かおっしゃっていましたか?」


「はい。『他の人には使わせてはいけない』『あなたが認めた人以外には触らせるな』と厳しく言われています」


ラースは真剣な表情で続けた。


「特別な装置だから、準備ができていない人が使うと危険だそうです」


ユナギは内心で疑問を深めた。この装置は一体何なのだろうか。そして、フレイザー氏が直接関与しているということは、今回の調査の重要な鍵になるかもしれない。


「申し訳ないのですが」


ユナギは慎重に切り出した。


「その装置を試しに起動していただくことは可能でしょうか?私たちの調査に関係している可能性があるんです」


ラースは困ったような表情になった。


「それは...フレイザーさんに固く禁じられているので...」


「そうですか、わかりました。無理強いするつもりはありません」


ユナギはすぐに手を振った。


「そうですね、では別のお願いがあります。フレイザーさんをご紹介いただくことは可能でしょうか?」


ラースは少し考え込んだ。


「最近は直接お会いする機会が少なくて...約束はできませんが、次にお会いしたときに聞いてみます」


「ありがとうございます」


聞き取り調査を終え、ユナギとアルクはラースとエリクに礼を言って部屋を後にした。階段を下りながら、アルクが小声で言った。


「重要な発見でしたね。フレイザー氏とマインド・イルミネーション、そして謎の装置、事件の確信に近づいていると思います」


「うん」


ユナギは頷いた。


「特にあの装置、かなり怪しいんだけどどうにかして調べられないかな?」


建物の外に出ると、午前の日差しがまぶしく感じられた。二人は歩きながら今日の収穫について話し合っていたが、突然ユナギの耳がピンと立った。

遠くから、見覚えのある厚手のジャケット姿の男性がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。ナシルだった。

ユナギは一瞬びくっとして足を止めた。昨日のクリスタルパークでの出来事を思い出し、何事もなかったようにやり過ごそうと考えた。アルクも同様にナシルの存在に気づき、警戒の表情を浮かべた。

しかし、ナシルは真っ直ぐにユナギたちに向かって歩いてきた。距離が縮まるにつれて、その表情が厳しいものであることがわかった。


「お前たち」


ナシルは10メートルほどの距離で立ち止まり、鋭い視線を向けた。


「いったい何者だ」


その瞬間、アルクが毅然とした態度でナシルの前に立ちはだかった。


「突然失礼ではありませんか?」


アルクは普段の穏やかな声とは違う、厳しい口調で言った。


「まず自己紹介をされるのが礼儀だと思いますが」


ナシルは眉をひそめ、さらに近づいてきた。


「昨日、俺たちを見ていただろう」


彼は断定的に言った。


「クリスタルパークで。昨日、お前らとすれ違った」


ユナギは言葉に詰まった。ごまかすべきか、正直に答えるべきか。昨日の出来事は確かに事実だったが、どう説明すればいいのかわからなかった。

その時、ナシルの後ろから落ち着いた声が聞こえてきた。


「ナシル、少し穏やかにお話しされてはいかがでしょうか」


濃紺のスーツを着たハキムが現れ、丁寧にユナギたちに頭を下げた。


「失礼いたします。私はハキムと申します、ナシルのパートナーです」


彼は丁寧に頭を下げた後、穏やかな笑顔を浮かべて続けた。


「私どもはある事件についての調査の件でこちらにお伺いしており、連日お見かけしましたので、もしかするとその事案にあなた方が関連しているのかもしれないと思いまして。お話をお聞かせいただけませんでしょうか?」


ユナギは少しほっとした。ハキムの態度は非常に丁寧で、敵意は感じられなかった。


「希少存在調査局のユナギです」


ユナギは身分を明かした。


「こちらは私のパートナーのアルクです」


ナシルの表情が一瞬で変わった。驚きと、そして明らかな苛立ちが混じった表情になった。


「問い合わせしてきたやつはお前らか」


彼は吐き捨てるように言った。


「余計なことを...」


ハキムが慌てて補足した。


「先日、希少存在調査局様からPMN特別調査局に情報共有のお問い合わせをいただいておりました」


ユナギはカミロ所長に連絡してもらったことを思い出した。


「はい、それは確かです」


ユナギは頷いた。


「同じ事件を調査しているのであれば、一緒に捜査した方が効率的だと思うのですが」


ナシルは即座に首を横に振った。


「断る」


彼は冷たく言い放った。


「こっちはこっちでやる」


ハキムが申し訳なさそうに説明した。


「今回の件は、非常に危険な要素を含んでいる可能性がございます。安全を考慮して、私どもだけで調査を進めさせていただきたいと思います」


「危険って何ですか?」


ユナギは食い下がった。


「説明していただけないと納得できません」


ナシルは無視するように横を向き、歩き出そうとした。しかし、アルクが冷静な声で言った。


「ラースさんのところへ向かわれるのですか?ちゃんとお約束は取り付けておられますか?」


ナシルは足を止めた。


「ラースさんはそのようなことはおっしゃっていませんでしたよ」


アルクは続けた。


「また昨日のようなトラブルを起こすおつもりですか?」


ナシルは一瞬言葉に詰まったが、すぐに強い口調で答えた。


「そんなことは関係ない」


しかし、ハキムが困ったような表情で口を開いた。


「だから私が事前にアポイントメントを取ると申し上げたじゃありませんか」


「うるさい」


ナシルは苛立ちを隠さずに言った。


「ラースという人物が何かを隠し持っている可能性は高い。時間を与えて、それを隠されちまったら終わりだろう」


「それでも、適切な手続きを踏まなければ...」


「適切だなんだと言ってる間に証拠隠滅されたらどうするんだ!」


二人のAIと人間の口論を、ユナギとアルクは呆然と眺めていた。


「お前らには関係ないだろう」


ナシルは突然ユナギたちの方を振り向いて言った。


「とっとと帰れ」


その瞬間、ユナギは毅然とした態度で言った。


「アポもなしにラースさんのところに行くんだったら、彼の安全を考慮してPMNに通報しますよ」


ハキムが困ったような表情でナシルを見た。


「ナシル...」


ナシルは下を向き、頭をかきながら大きなため息をついた。


「...くそ」


しばらくの沈黙の後、ナシルとハキムは別の方向に歩いて行った。ユナギとアルクは、彼らの姿が見えなくなるまで見送った後、トランスポッドの停留所に向かった。


「大変な出会いでしたね」


アルクが苦笑いを浮かべて言った。


「うん」


ユナギも同じような表情で答えた。


「でも、なんだかハキムさんに同情しちゃった」


ユナギは苦笑いを浮かべて言った。


「あんなに丁寧にフォローしてくれるのに、全然聞く耳を持たないんだもの」


「確かに大変そうでしたね」


アルクも同じような表情で答えた。


「『だから私が事前にアポイントメントを』って言ってる時の困った表情が印象的でした」


二人は呆れたように笑いながら、ノーザンテラス地区への帰路についた。



夕方、アパートに戻ったユナギは、帰り道で買ってきたパンをテーブルに置き、夕食の準備を始めた。今日はシンプルに、パンに合わせる野菜スープを作ることにした。冷蔵庫から人参、玉ねぎ、セロリを取り出し、丁寧に刻んでいく。


「今日は収穫の多い一日でしたね」


アルクがキッチンで手伝いながら言った。


「そうだね」


ユナギは鍋に野菜を入れながら答えた。


「マインド・イルミネーションとフレイザー氏の関係、それにナシルさんたちも同じ事件を調査してる...点と点が繋がり始めた感じがする」


スープがコトコト煮立ち始めた頃、玄関のチャイムが鳴った。

ユナギは少し驚いて手を止めた。この時間に訪問者が来ることは珍しい。


「確認してみますね」


アルクが玄関に向かった。

しばらくして、アルクが戻ってきた。


「ユナギさん、お隣のタクミさんのパートナー、カズキさんがお見えです」


ユナギは耳をピンと立てた。タクミからの突然の訪問とは、一体何事だろうか。

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