第四十五話「特別調査局」
早朝のクリスタルパーク広場に向かうトランスポッドの中で、ユナギは窓の外を眺めていた。今朝エリカとの会話で聞いた通り、今日は「マインド・イルミネーション」のイベントが予定されているという。調査ができるかどうか不安だったが、とりあえず現場を見てみることにした。
「人が多かったら、別の日にしますか?」
アルクが心配そうに尋ねた。
「うーん、でも他の場所も同じような状況かもしれないし」
ユナギは窓の外を見ながら答えた。
「まずは現場を確認してみよう」
トランスポッドがクリスタルパーク広場の最寄り駅に到着すると、確かに朝早い時間にしては人の姿が多く見えた。荷物を運ぶ人々や、テントを組み立てている人たちの姿が遠くに見える。
「やっぱり設営が始まってますね」
アルクが静かに言った。
二人は広場の入り口に向かって歩き始めた。しかしユナギの鋭い聴覚は、遠くから聞こえてくる緊張した声を捉えた。長い耳がピクッと動き、音の方向を確認するように微かに回転する。
「何か揉めてるみたい」
ユナギは足を止めて耳を澄ませた。
「向こうのほうで誰かが言い争ってる」
アルクも音声を拾おうとしたが、まだ距離が遠すぎて明確には聞き取れない。
「確かに何か聞こえますが、内容までは…」
「行ってみよう」
二人は慎重に広場の入り口に近づいた。すると、設営エリアの一角で、厚手のジャケットとマフラーを身に着けた褐色の肌の男性が、イベント参加者と激しく議論している様子が見えた。
ユナギは公園の入り口にある案内板の陰に身を隠し、長い耳をそちらに向けて集中した。警戒しながら周囲の音を探る時の、あの本能的な感覚が蘇ってくる。アルクも隣に立ち、目立たないよう音声を拾い始めた。
「だから、ここは調査対象地点だと言ってるだろう。PMN特別調査局の正式な業務だ」
厚手のジャケットとマフラーを身に着けた褐色の肌の男性の声が聞こえてきた。言葉遣いは端的で、どこか苛立ちを含んでいる。手をこすり合わせながら足踏みをしている様子も見える。
「そんなこと言われても、僕たちはちゃんと許可を取ってるんですよ!区画管理局からの正式な使用許可書もあります!」
若い男性が書類を振りかざしながら抗議していた。薄着のせいか、彼は調査官ほど寒そうには見えない。
「許可があろうがなかろうが、治安に関わる問題が発生している。この場所での活動は一時的に停止しろ」
調査官は腕を組み、譲らない態度を示した。
「何ですか、いきなり!私たちはマインド・イルミネーションのワークショップで心の平安を広めようとしてるだけです!何も悪いことはしていません!」
中年女性が手をひらひらと振りながら憤慨して言った。彼女の周りには既に運び込まれた設営用の箱がいくつも積まれている。
その時、別の落ち着いた男性の声が割って入った。おそらく最初の男性のパートナーのAIだろう。濃紺のスーツを着た中東系の男性が、調査官の横に現れた。
「皆様、申し訳ございません。ナシル、少し表現を穏やかにされてはいかがでしょうか」
「穏やかにって…くそ寒い中で長時間説明してる余裕はないんだ」
ナシルと呼ばれた男性は、確かに寒そうに肩をすくめ、マフラーをきつく巻き直した
「ここ数日、この付近で顕現共鳴度の異常が報告されている。安全のためだ」
ユナギは「顕現共鳴度」という聞き慣れない言葉に耳をさらに尖らせた。
「いったいなんですか、その顕現共鳴度って?それの何が危険なんですか!」
若い女性参加者が困惑した表情で尋ねた。彼女もまた、手に何かの準備資料を握りしめている。
「詳細は言えんが…」
ナシルは顎を撫でながら少し考え込んだ。
「とにかく先に調査をさせてもらう。終わってからお前たちが設営すればいい」
「調査って、どのくらい時間がかかるんですか?参加者への連絡もありますし、準備時間も考慮してもらわないと…」
最初の若い男性が時計を見ながら焦った声で尋ねた。
「それは知らん。調査が終わるまでだ。違うか?」
ナシルは両手を腰に当て、頑なな態度を崩さない。
「ナシル、概算の所要時間をお伝えしてはいかがでしょうか?」
AIパートナーが静かに前に出て、丁寧に仲裁を試みた。
「…まあ、2〜3時間程度だろう。正午頃には終わる予定だ。その後なら好きにしろ」
ナシルは渋々といった様子で答えた。
「2〜3時間も?こっちだって設営に時間がかかるんです!午後のスケジュールが全部押してしまいます!」
中年女性が箱の山を指差しながら抗議した。
「それも知らん。調査が優先だ。これ以上は譲れない」
ナシルは再び腕を組み、今度は片足で地面を軽く蹴った。
議論は平行線をたどっているようだった。ユナギとアルクは案内板の陰で状況を見守っていたが、やがて遠くからPMNロボットが近づいてくるのが見えた。誰かが通報したのだろう。
「通報を受けて参りました。まずは状況を確認させてください」
PMNロボットの機械的だが丁寧な声が響いた。
「PMN特別調査局のヤシル・アル=ナシルだ。この場所での調査業務を実施している」
ナシルと名乗った男性が身分を明かした。
「調査調査って言ってるけど、私たちは事前にここの使用許可を取っているんです!使用許可証だって提示できますよ!」
参加者の一人が抗議した。
「確認いたしました。しかしながら、SIB調査官であっても、事前許可を得た市民活動を一方的に中断させる権限はございません。区画使用許可証を確認いたします」
「はい、こちらです!ちゃんと3日前に申請して許可をもらっています!」
「許可証は正当です。ナシル調査官、緊急性レベル3以上の事案でない限り、既存の許可を無効化することはできません。本件の緊急性レベルをお聞かせください」
しばらく沈黙があった後、ナシルの声が小さく聞こえた。
「…レベル2だ」
「承知いたしました。レベル2事案では既存許可の優先権が認められます。代替案を提示いたします。明日の早朝5時から8時の時間帯であれば、当該場所での調査が可能です。いかがでしょうか?」
「明日の早朝?またこのくそ寒い時間に…」
ナシルの不満げな声に、丁寧な口調の男性が助言した。
「ナシル、規則に従うのが最善かと思われます」
「…しょうがない、分かった、明日の早朝にする」
大きなため息が聞こえた。
「合意が成立いたしました。ナシル調査官には明日午前5時に調査許可証を発行いたします。明日も別のイベントが入っていますが、イベントの主催者へはこちらで連絡いたしますので、調査には支障が出ないでしょう。皆様、ご協力ありがとうございました」
「ありがとうございます!」
参加者たちの安堵の声が聞こえ、やがて口論は収束した。ユナギとアルクは、ナシルとその同伴者がこちらに向かって歩いてくるのを見て、慌てて案内板から離れた。通りすがりのように装い、別の方向を見ながら歩いている振りをする。
二人の姿が十分に遠ざかってから、ユナギとアルクは小さな声で話し始めた。
「あの人に直接話を聞いてみない?」
ユナギが提案した。
「どんな調査をしているのか気になるし、もしかしたら僕たちの調査と関係があるかもしれない」
アルクは首を横に振った。
「あの様子を見る限り、素直に答えてもらえるとは思えません。むしろ警戒されてしまうでしょう」
ユナギは長い耳を少し下向きにして考え込んだ。あの調査官の様子を思い返してみる。確かに端的で近寄りがたい雰囲気があったし、イベント参加者との口論でも全く譲歩する気配がなかった。直接話しかけても、警戒されて何も教えてもらえない可能性が高い。
「さっきの人、PMNの特別調査局って言ってたよね」
「はい、PMN特別調査局の調査官のようですね」
アルクは頷いた。
「カミロ所長から正式にPMNに問い合わせてもらい、調査に協力してもらいましょう。組織同士の正式なルートなら、情報共有もスムーズに進むはずです」
「それがいいね」
ユナギは同意した。
「僕たちだけで調査を続けても限界がありそうだし」
二人は希少存在調査局へと引き返すことにした。
希少存在調査局に戻ると、カミロ所長は既に出勤しており、アンソニーと何かの書類について話し合っていた。
「おや、早いじゃないか」
カミロがユナギたちを見て声をかけた。
「クリスタルパークの調査はどうだった?」
「実はその件で相談したいことがありまして」
ユナギは口論の一部始終を報告した。PMN特別調査局の調査官が同じ場所を調査しようとしていたこと、「顕現共鳴度の異常」という言葉が出たこと、そして結局は翌日に調査が延期されたことを詳しく説明した。
カミロ所長は興味深そうに聞いていた。
「PMN特別調査局か…」
カミロは少し眉をひそめた。
「確か、PMNの中でも特殊な事案を扱う部門だったな。詳しいことは知らんが、通常のPMNでは手に負えない複雑な問題を専門に調査していると聞いたことがある。彼らが動いているということは、この事件は思っていたより深い謎があるかもしれんな」
「協力してもらえないでしょうか?」
ユナギが尋ねた。
「もちろんだ。さっそく連絡を取ってみよう」
カミロは立ち上がり、通信端末に向かった。
アンソニーが静かに補足した。
「PMN特別調査局は、通常のPMNとは異なる専門的な調査機関です。複雑な事象や異常現象を扱うエリート組織として知られています」
カミロはPMNの窓口に連絡を取り、希少存在調査局として特別調査局との情報共有を申し出た。しかし、しばらく待たされた後に返ってきた答えは予想外のものだった。
「そうか…分かった」
カミロは通信を終え、少し困ったような表情で振り返った。
「残念だが、協力は得られそうにない」
「なぜですか?」
ユナギが驚いて尋ねた。
「特別調査局の業務内容は機密事項で、他機関との情報共有は上層部の承認が必要だそうだ。そして現在、そのような承認を出す予定はないとのことだった」
アンソニーが眉をひそめた。
「それは予想外ですね。通常、同じ区画内での類似調査であれば、情報共有は一般的です」
「つまり、僕たちは独自に調査を続けるしかないということですか?」
アルクが確認した。
「そういうことだな」
カミロは肩をすくめた。
「まあ、向こうが協力したがらないなら、こちらも無理に頼む必要はない。我々は我々のやり方で進めよう」
ユナギは少し落胆したが、同時に新たな謎への興味も湧いてきた。PMN特別調査局が何を調査しているのか、そして「顕現共鳴度の異常」とは一体何なのか。
これらの疑問が、彼の中でさらに大きくなっていった。




