第四十四話「並行する捜査」
「以上が現時点での調査状況です」
ユナギはそう言って報告を終えた。希少存在調査局の会議室には、カミロ所長とそのパートナーであるアンソニー、イングリッド、そしてユナギとアルクの5人がいた。リンは光球の状態でイングリッドの横に浮かんでいる。アンソニーはカミロの後ろに立ち、いつもの落ち着いた様子でデータパッドに何かを記録していた。
「なるほど」
カミロ所長は腕を組みながら深く頷いた。
「シルバーフォレスト路地では多くの見物客が集まっていて調査できなかったということか。セレニティ・センスのアロマ製品と星の教会で使われていた香りの類似性も…興味深いな」
「トランキリティの調査をさせてください!」
イングリッドが目を輝かせながら身を乗り出した。
「目撃者のエリン・ホワイトさんがセラピーを受けていたスパ施設ですよ。そこで何か特別なことをされていた可能性も—」
カミロ所長はにやりと笑いながら手を上げた。
「なるほど、そうか。で、どんな特別メニューを試したいんだ?『深層リラクゼーションセラピー』かな?」
「も、もちろん調査のためですよ!」
イングリッドは頬を赤らめながら反論した。
「調査予算は無限じゃないんだぞ」
カミロは冗談めかして言った。
「高級スパの領収書を提出されたら、経理部が泡を吹くな」
「でも、本当に関連があるかもしれないじゃないですか!」
アンソニーが控えめに咳払いをして言った。
「イングリッド調査官、現時点でトランキリティと幻影の雪景色を結びつける直接的な証拠はございませんね?」
イングリッドは口をとがらせ、何も言えずに肩をすくめた。
「まあまあ」
カミロは笑いながら言った。
「私だって個人的には興味がないわけじゃない。しかし上層部には『高級スパで気持ちよくなりたかった』では通用しないんだ。もう少し確かな関連性を見つけてから、改めて申請してくれ」
ユナギはゆっくりと前に出て、やや抑えた声で質問した。
「では、これからどのように調査を進めていけばいいでしょうか?」
カミロ所長はホログラム表示を操作して区画の地図を映し出した。地図上には赤い点が数か所表示されている。
「現在取れる行動を整理しよう」
カミロの声には落ち着きがあった。
「まず、残りの目撃現場の調査を続けること。次に、新たな目撃証言が出るのを待つこと。そして、可能であれば雪景色が発生しそうな場所を予測して待ち構えることだ」
「最後のは難しそうですね」
アルクが静かに言った。
「現時点では発生パターンを特定するには情報が足りません」
「その通りだ」
カミロが頷いた。
「現段階では残りの目撃現場を調査しながら、新たな証言を待つのが最善だろう」
カミロはホログラム地図を拡大し、残りの三つの目撃地点を指し示した。
「これらが調査すべき場所だ。クリスタルパーク広場、オーロラ展望台、そしてフロスト川沿いの遊歩道」
イングリッドは地図を見つめながら立ち上がった。リンが光球から女性型に変化して前に出てきた。
「時間を有効に使うため、二手に分かれて調査してはいかがでしょうか?」
リンが丁寧に提案した。
「そうそう」
イングリッドが頷きながら続けた。
「前回の調査を見てたけど、二人だけでも大丈夫そうだし」
彼女はユナギとアルクに向かって微笑んだ。
カミロ所長は思案顔で二人を見比べた後、ゆっくりと頷いた。
「確かに、そのほうが効率的だろう」
会議を終えた後、ユナギとアルクは局内の端末を使って次の目撃現場について詳しく調べていた。
「クリスタルパーク広場か」
ユナギはホログラムに表示された場所を眺めながら言った。
アルクが説明を始めた。
「最初に調査したクリスタル・クロッシングから少し外れた広場のような場所です。目撃現場は広場の片隅、噴水近くのベンチ付近です」
「目撃者は?」
「50代の夫婦で、夕暮れ時にジョギングをしていて目撃したとのことです」
アルクはデータを読み上げた。
「彼らの証言によれば、雪景色をしばらく見ていると鮮明に過去の記憶がよみがえり、懐かしい気持ちに浸りながら二人で若かった頃の話をしたそうです」
「時間帯は?」
「19時30分頃、日が落ちて間もない時間帯です」
ユナギは少し考え込んだ。
「でも、あの路地みたいに、人がたくさん集まっているかもしれないよね」
「そうですね」
アルクも同意した。
「SNSでの拡散を考えると、同じような状況の可能性があります。ですが…」
アルクは少し考えてから続けた。
「早朝であれば、見物客も少ないかもしれません」
「それはいいね。じゃあ明日の早朝に行ってみよう」
その日の夕方、ユナギとアルクはアパートに戻っていた。ユナギは冷蔵庫から買っておいたインスタントピザを取り出し、温め始めた。
「明日は何時に出発しますか?」
アルクがテーブルにお皿を置きながら尋ねた。
「6時くらいかな。朝早くから人がいるかどうかわからないけど、少しでも静かな時間帯がいいよね」
ユナギは答えた。
「その時間なら人の少ない状態で調査できる可能性が高いです」
アルクは同意した。
「では、今日は早く寝ないといけませんね」
「大丈夫、もう眠いよ」
ピザが温まると、二人はテーブルを囲んで食事を始めた。窓の外では徐々に日が沈み、ウィンターヘイブンの街に夜の静けさが広がり始めていた。
「アルク、聞きたいんだけど…」
ユナギは少し迷いながら言った。
「この調査、なかなか進展がないね。これまでの目撃情報から何か新しいことわかってる?」
アルクは一瞬考え、丁寧に答えた。
「確かに手がかりは少ないですが、少しずつパターンは見えてきています。目撃者の体験には共通点がありますし、発生する状況にも何らかの法則性があるはずです」
「そうだね…」
ユナギは首を傾げた。
「でも、シルバーフォレスト路地では見物客が多すぎて調査できなかったし、アロマの香りと関連がありそうでも、決定的な証拠がない」
「調査というのは、このように一歩ずつ進むものです」
アルクは励ますように言った。
「重要なのは諦めないことです。小さな手がかりを積み重ねていけば、やがて全体像が見えてきます」
「そうだよね」
ユナギは少し元気を取り戻したように笑顔を見せた。
「明日の調査で何か見つかるといいな」
「きっと見つかりますよ」
ユナギはピザを一口食べながら窓の外を見つめた。
「不思議な事件だけど、なんだか楽しいな。ブルーグロウの時とはまた違った謎だし、これもしっかり解決したいよ」
「それも可能性の一つですね」
アルクは静かに答えた。
食事を終えた後、ユナギはいつもの習慣通り浴室へと向かった。温かい湯船に浸かりながら、彼は今日の出来事を思い返していた。お湯から上がると、特別に設計された全身ドライヤーの前に立ち、体中の水分を乾かした。
ベッドに横になりかけた時、ふと何かを思い出した。
「そういえば、あの隣の部屋からの音…最近聞こえないね」
「そうですか、それは良かったです」
アルクは光球形態に変化しながら答えた。
「私には元々聞こえなかったものですが、あなたにも聞こえないというのは喜ばしいことです」
「何だったんだろう…」
ユナギは天井を見つめながら呟いた。
「ま、聞こえなくなったなら問題ないか」
ユナギは小さくあくびをした。
「明日は早いし、もう寝よう」
「おやすみなさい、ユナギ」
「おやすみ、アルク」
ユナギは目を閉じ、次第に眠りへと落ちていった。
翌朝、目覚まし時計が鳴る少し前に目を覚ましたユナギは、簡単な朝食としてコーヒーとトーストを用意した。
「天気は良さそうですね」
アルクが窓の外を見ながら言った。
「うん」
ユナギは頷いた。
「調査には適した日になりそうだ」
準備を整えて部屋を出ると、同じタイミングで隣の3213号室のドアも開いた。エリカが明るい運動着姿で出てきたところだった。
「あ、おはよう!ユナギくん」
エリカは笑顔で挨拶した。
「珍しいね、こんな早くから」
「おはよう、エリカ」
ユナギも微笑み返した。
「今日は少し早めの仕事があって…そっちは?」
「ジョギングよ。毎朝のルーティーンなの」
エリカは少し羨ましそうな表情でアルクを見た。
「ミアも一緒に来てくれるんだけど、いつも『最適な運動効率を達成するための姿勢と呼吸法』について解説してくるのよ」
エリカの横に浮かぶ光球が女性型に変化し、ミアが現れた。
「統計的に見れば、定期的な運動習慣は寿命延長に効果的です」
彼女は淡々と言った。
「エリカの健康維持をサポートするのは私の役目ですから」
「そうだね」
ユナギは同意した。
「僕も最近体力作りをしなきゃって思ってるところなんだ」
エリカの視線が少し柔らかくなった。
「そういえば、最近全然話せてないね。忙しそうだし…いつか休みが合ったら、どこかに遊びに行かない?ノーザンテラスの北側に素敵なカフェがオープンしたのよ」
「それいいね。今の仕事が落ち着いたら是非」
ユナギは耳を少し前に倒して嬉しそうに答えた。
「今日はどこに行くの?もし良かったら教えて」
エリカは興味深そうに尋ねた。
「クリスタルパーク広場だよ。仕事の詳細はあまり言えないんだけど…」
「クリスタルパーク?」
エリカは少し驚いた表情を見せた。
「あそこ、今日何かイベントがあるんじゃなかったっけ?」
彼女はパートナーの方を見た。
「ミア、クリスタルパークって…」
光球から女性型に変化したミアが説明を始めた。
「本日、クリスタルパーク広場では『マインド・イルミネーション』プログラムのワークショップの一環で、参加者が作ったアート作品や手作り石鹸、手作り香水などを販売するフリーマーケット形式のイベントが開催されます」
「そうそう」
エリカが頷いた。
「友達の友達が参加してるらしくて誘われたんだけど、あんまり興味なくって…それに今日は家族と予定があるから行かないの。でも、ユナギくんと一緒なら行ってみたかったな」
ユナギは困ったように耳を後ろに倒した。
「マインド・イルミネーション?」
「若者向けのメンタルケアプログラムみたいなものよ」
エリカは説明した。
「最近人気らしいわ」
アルクが静かに情報を検索した後、ユナギに向かって言った。
「クリスタルパーク広場では、今日だけでなく明日も明後日も別の催し物が予定されており、何も予定がない日のほうが少ないようです。目撃当日は偶然何も行事がない日でした」
ユナギは少し考え込んだ。
「そうなると、人がいない日を待っていたら、いつまでも調査できないってことか…」
「なんだか大変ね」
エリカは同情的な表情で言った。
「それじゃあ、お仕事、頑張ってね。私はジョギングに行ってくるわ!」
彼女がエレベーターに乗り込むと、ユナギとアルクは小さなため息をついた。
「人は多いでしょうが、今日行くしかなさそうですね」
アルクは静かに言った。
「うん、仕方ないよね」
ユナギは頷いた。
「でも、早朝なら少なくともイベントの準備中だから人も少ないと思うし、何か見つけられるかもしれない」
「そうですね。行きましょう」
二人は早朝の静かな廊下を歩き、調査のために外へと向かった。空はまだ薄暗く、透光セグメントから差し込む光は柔らかな朝の光を区画内に届け始めたところだった。




