第四十三話「追いかける人々」
「SNSの投稿解析が完了しました」
アルクの声に、ユナギはうなずいた。トランスポッドの窓の外には、朝のウィンターヘイブン区画の街並みが流れていく。さわやかな青空の下、透光セグメントから差し込む光が街を明るく照らしていた。
「エリン・ホワイトさんの投稿データ、リンとわたしで解析した結果です」
アルクは光球からの投影で小さなホログラム画面を表示した。
「投稿内容の詳細は以下の通りです」
リンが補足を始めた。
「彼女のSNS投稿は非常に高い反応率を示しています。特に『#幻の雪景色』『#シルバーフォレスト』というハッシュタグを使った投稿は、通常の彼女の投稿の約12倍のリアクションを集めています」
イングリッドはその分析に目を通しながら
「へぇ、普段はそんなに人気がある人じゃないのね」
と呟いた。
「じゃあこのネットでの盛り上がりは例の雪景色のインパクトを物語ってるってことね」
「目撃時の状況を改めて確認しましょう」
リンが淡々と続けた。
「エリン・ホワイトさん、30歳、ウィンターヘイブン区画内の投資企業で財務アナリストとして勤務。通常は冷静で論理的な性格で感情表現が控えめな方です。SNSでは約8,000人のフォロワーを持ち、主に美容やセルフケア製品のレビュー、高級スパの体験レポートなどを中心に発信しているインフルエンサーでもあります」
「その人が感動のあまり泣いたって?」
ユナギが耳を少し前に傾けながら尋ねた。
「そうです」
リンはユナギの方を向いて答えた。
「目撃当日、彼女はトランキリティという高級スパで『深層リラクゼーションセラピー』を受けた後、シルバーフォレスト路地を通って帰宅する途中でした。非常にリラックスした状態だったと証言しています」
アルクが続けた。
「彼女の説明によれば、現象は小さな雪片が散らつく程度から始まり、徐々に本格的な雪景色へと変化したそうです。白樺の木々が雪に覆われ、『冬の思い出』というアート作品からは青い光が漏れ出していたとのこと」
「"冬の思い出"?」
ユナギが首をかしげた。長い白い耳が疑問に思う仕草に合わせて少し左右に垂れた。
「シルバーフォレスト路地にある公共アート作品です」
リンが説明した。
「氷の柱のような外観で、内部に小さなホログラム装置が組み込まれています。通常は淡い白色に光るだけの静的な作品ですが、彼女の証言では青い光を放っていたとのことです」
「彼女が証言した体験で特に注目すべきは、感情面での変化です」
アルクが付け加えた。
「通常は感情表現が少ない性格にもかかわらず、強い幸福感と高揚感を体験し、特に『懐かしさ』と『帰属感』を強く感じたと報告しています。さらに『長い旅の終わりに家に帰ってきた』という感覚を覚えたそうです」
「時間感覚の乱れと感情的な体験、特に『懐かしさ』を感じるという点は他の目撃情報と共通していますね」
アルクは静かに言った。
ユナギは窓の外を見つめながら考え込んだ。
「この現象が自然なものではなく、誰かが何らかの目的で引き起こしているとしたら…目的は何なんだろう?」
イングリッドは熱心に答えた。
「さぁ、それを探るのが私たちの仕事よ!もうすぐ到着よ、準備して!」
シルバーフォレスト路地に到着したユナギたちは、予想外の光景に驚いた。
「なに…これ…」
イングリッドが思わず立ち止まった。
路地の入口には、少なくとも20人ほどの人々が集まっていた。カメラやスマートフォンを手に、何かを撮影しようとする者、センサー装置を掲げる者、瞑想するように目を閉じて立っている者もいる。彼らのほとんどはAIパートナーを伴っており、パートナーたちも様々な測定や観察を行っていた。
「どうしましょう?」
アルクがユナギに小声で尋ねた。
「とりあえず状況を確認しましょう」
ユナギは耳を少し動かしながら答えた。
四人は慎重に人混みの中を進んでいった。シルバーフォレスト路地は確かに美しい場所だった。両側に白い樹皮の木々が並び、淡いブルーの石畳には確かに雪の結晶の模様が埋め込まれている。それぞれの木には小さなライトが巻き付けられており、夜になれば幻想的な雰囲気を醸し出すことだろう。
「ちょっとあの人たちに聞いてみましょう」
イングリッドが提案し、スマートフォンを手にした若いカップルに近づいた。
イングリッドがスマートフォンを手にした若いカップルに近づくと、まずリンが相手のAIパートナーに向けて礼儀正しく声をかけた。
「初めまして、リンと申します。イングリッドのAIパートナーです」
カップルの女性のAIパートナーも光球から女性型の姿に変化して応じた。
「こちらこそ初めまして。マヤと申します。アンナのパートナーです」
両方のAIが挨拶を交わした後、イングリッドがアンナさんに話しかけた。
「すみません、ここで何かあったんですか?」
アンナさんが振り向き、熱心な表情で答えた。
「ここで『幻の雪景色』が見えるって聞いたんです!もう3時間待ってるんですけど、まだ何も起きないんですよね…」
「『幻の雪景色』?」
イングリッドは知らないふりをした。
「ええ!エリン・ホワイトさんっていう人がSNSで投稿したんです。実際には雪が降ってないのに雪景色が見えて、すごく幸せな気持ちになったって。もう1万リアクション超えてる投稿なんですよ!」
マヤが補足した。
「投稿内容の信憑性は不明ですが、興味深い現象です。我々も観測を試みています」
「なるほど…」
イングリッドは周囲を見回した。
「みなさん、実際に見た人はいるんですか?」
カップルの男性が首を横に振った。
「いえ、みんな見たいと思って集まってるだけです。実際に見たって言う人はまだいません」
その時、ユナギの方に人々の視線が集まり始めた。
「あれ、あなた…」
女性が目を見開き、驚きの表情を隠せない様子で言った。
「その耳と白い体毛…一体どういう…?すごいです!もしよければ写真を撮らせてもらえませんか?」
彼女がそう言った途端、周囲の数人がユナギの方を振り向き、興味津々の表情を浮かべた。
「え、いや…」
ユナギは少し後ずさりした。長い耳が緊張で後ろに傾いている。
「わぁ、見て!うさぎみたいな人だ!」
別の若い男性が興奮した声を上げ、スマートフォンを向けてきた。
「すごいメイクアップ?それとも特殊な着ぐるみ?耳が動いてるよ!絶対撮らせてもらいたい!」
突然の注目に、ユナギは明らかに居心地の悪さを感じていた。アルクはすぐにユナギの前に立ち、穏やかながらも毅然とした態度で言った。
「申し訳ありませんが、パートナーの許可なく撮影するのはご遠慮ください」
イングリッドもすかさず加わった。
「私たちは調査中なので、ご協力いただけると助かります」
「調査?」
若い男性が首をかしげた。
「あなたたちは何の…」
リンが静かに前に出て、周囲の人々のAIパートナーたちに向かって言った。
「皆様のパートナーの方々にお伝えください。他者のプライバシーを尊重することはノヴァスフィア市民憲章の基本理念です」
周囲のAIパートナーたちはそれぞれ自分の主人に何かを伝え始め、徐々に人々はユナギから視線をそらし始めた。
「すみません、失礼しました」
先ほどの女性が恥ずかしそうに言った。
騒ぎは収まったものの、ユナギはまだ少し緊張した様子だった。彼は小さな声でアルクに言った。
「さすがにこんなに注目されるのは…なんというか困るよね…」
「大丈夫ですよ」
アルクは肩をすくめて微笑んだ。
「仕方のないことです。ですが、必要以上に注目されることがあっても、私がしっかりとお守りしますから」
イングリッドがユナギの肩を軽く叩き、笑いながら言った。
「まったく、目立つのも大変ね。でも私も最初会ったときキャーキャー言っちゃったから人のこと言えないんだけど」
「はぁ」
イングリッドは大きなため息をついた。
「こんな状況じゃこれ以上ここの調査は難しいわね」
アルクは周囲をスキャンしながら同意した。
「そうですね。人が多すぎて周囲の環境をスキャンしてもノイズが多すぎます。それにこれまでにたくさんの人がここを訪れたとなると、すでに痕跡が消えてしまっていることも十分考えられます」
「そうだね…」
ユナギは少し沈んだ表情で言った。
「でも、これからどうすれば…」
イングリッドは一瞬考え込んだ後、急に顔を明るくした。
「そうね…、次の場所となると…。そうだ!エリン・ホワイトさんの証言に『トランキリティ』っていうスパが出てきたじゃない?そこに行ってみるのはどうかな!」
リンが疑問を投げかけた。
「調査に関係があるでしょうか?」
アルクが説明を始めた。
「トランキリティはウィンターヘイブン区画に複数店舗を持つ高級スパです。『科学的に設計された』リラクゼーション技術を売りにしており、特に『深層リラクゼーションセラピー』は評判が高いようです」
「現在までそちらの施設の利用客で同じような現象に遭遇したという報告はないようです」リンが付け加えた。
アルクは続けた。
「また、利用料金ですが、『深層リラクゼーションセラピー』は通常のフルコースで約500エナジー・クレジットです」
「それって結構なお値段ってこと?」
ユナギは少し驚いた表情で尋ねた。
「そうね、自分のお金じゃまず行こうと思わないわ!」
イングリッドは少し興奮した様子で言った。
「でも、調査で行くんだもの。費用は経費で落ちるよね?興味あったのよねー!高級スパ!」
リンは冷静な表情でイングリッドを見た。
「どうでしょう?調査との関連性が薄いように思います。事前に確認をとっておいたほうが良いでしょう」
「う…」
イングリッドは少しがっかりした表情になった。
「じゃ、じゃあ一応確認してもらえる?」
「かしこまりました。アンソニーに確認します」
リンは目を閉じ、通信を行っている様子だった。数秒後に目を開け、
「今のところ事件との関連性が非常に薄いため経費で落ちない、とのことです。やはりほかの利用客も同様の現象に遭遇しているなど、わかりやすい関連性が必要ですね」
と伝えた。
「わかったわ!」
イングリッドは急に元気を取り戻し、
「じゃあトランキリティの利用者に片っ端から聞き込み調査よ!」
と提案した。
「イングリッド、目的が変わってしまっていませんか?」
アルクは静かに指摘した。
「私たちが行っているのはあくまで幻の雪景色の調査です」
「そうでした…」
イングリッドは肩を落とした。
「あーあ、行きたかったなぁ、高級スパ」
彼女は少し考えた後、スマートフォンで何かを調べ始めた。
「でも、トランキリティって…へぇ!アロマケア製品も出してるのね。『セレニティ・センス』っていうブランドらしいわ」
イングリッドの目が輝き始めた。
「せめて高級スパ気分を味わうために、アロマ製品買いに行かない?スパ自体に行けなくても、製品なら買えるでしょ!」
「えっ?」
ユナギは少し困惑した表情を見せた。
「ほら、ついでに調査よ!」
イングリッドは腕を組んで自信満々に言った。
「エリンさんがスパから帰ってきた時の状態を理解するために、アロマの香りを知ることは重要よね?」
ユナギは立ち往生したような表情を見せ、アルクとリンは顔を見合わせた。
「さ、行きましょ!」
イングリッドはすでにユナギの腕を引っ張り始めていた。
ウィンターヘイブン・セントラルモールの高級フロアは、洗練された照明と上品なインテリアで彩られていた。イングリッドとユナギはエスカレーターを上がり、ビューティセクションへと向かった。
「ここよ!」
イングリッドは目を輝かせながら「セレニティ・センス」の専用コーナーを指差した。白と淡い青を基調としたエレガントな空間には、様々なアロマ製品がディスプレイされていた。
「ちょっと見てきていい?」
イングリッドは興味津々の表情でアルクに尋ねた。
「もちろんです」
アルクは微笑みながら答えた。
「ユナギさんとお待ちしています」
イングリッドがリンを連れて製品を見に行く間、ユナギとアルクはディスプレイの前に立っていた。
「『フロスト・クリスタル』ディフューザーですか」
アルクが解説した。
「雪の結晶の形をしたデザインが特徴的ですね」
ユナギはそれを眺めながら、
「確かにきれいだね」
と言った。
彼らの前のディスプレイでは、デモンストレーション用の「フロスト・クリスタル」ディフューザーが稼働しており、かすかな香りが漂っていた。ユナギがその香りを深く吸い込むと、昨日の記憶が鮮明によみがえってきた。
ユナギは息を呑み、耳がピンと立った。
「ユナギさん?どうしましたか?」
アルクが心配そうに尋ねた。
「この香り…」
ユナギは声を低くした。
「昨日の集会の時の香りに似てる。あの香りに包まれながらエレーナさんの説明を聞いているとき、突然男性の声が聞こえたことを思い出したんだ」
「男性の声?」
アルクは困惑した様子だった。
その時、イングリッドとリンが戻ってきた。
「いろいろ見てきたわ!」
イングリッドは楽しそうに言った。
「『ディープスリープ』バスソルトとか、『メモリー・トレース』アロマオイルとか…あら、ユナギ君、どうしたの?」
「イングリッドさん」
ユナギは真剣な表情で言った。
「昨日、会場で男性の声を聞いたことを言い忘れてました」
「男性の声?」
イングリッドは首を傾げた。
「エレーナさんの話を聞いている最中に、突然『我の声を聞け』とか『我と共に祈れ』とか言う男性の声が聞こえたんです」
ユナギは説明した。
「今、この香りをかいだ時に、また同じ声が…」
イングリッドとリン、アルクは揃って首を横に振った。
「そんな声はなかったけど?」
イングリッドはユナギの額を見るようにして言った。
「ユナギ君、寝ぼけてたんじゃないの?」
「眠たかったのは確かですけど…」
ユナギは少し考え込んだ。
「でも声が聞こえて一気に目が覚めたんです。言ってることもなんだか洗脳しようとしているみたいで不気味だったので。それに、イングリッドさんのほうが眠たそうでしたよ」
「はい、イングリッドのバイタルサインはほぼ睡眠状態を示していました」
リンが冷静に報告した。
「うぅ…」
イングリッドは顔を赤らめた。
「見られてたのね…」
「おそらくですが、ここに売っているアロマ製品があの教会でも使われてたんじゃないですか?」
ユナギは真剣な表情で言った。
「匂いが似ている気がします」
アルクは慎重に答えた。
「あなたが今かいでいる香りと成分は近いですが全く同じではありません」
「同じ成分の製品があるか調べてみます」
リンは目を閉じて検索をした。
「ありますね。おそらく昨日の教会では『ウィンター・ナイト』というアロマオイルが使われていたと思われます」
「星の教会とトランキリティがつながってるってこと!?」
イングリッドは目を大きく見開いた。
「じゃあ…!」
イングリッドの目に期待の光が灯り、アルクとリンは顔を見合わせた。二人のAIは、彼女がトランキリティへ行くための口実を見つけたと確信したようだ。ユナギもその意図を察し、思わず苦笑いを浮かべる。
「それは都合よく解釈しすぎだと思いますよ」
アルクは冷静に言った。
「一般に流通している商品を使用しているだけです」
「まだあきらめてなかったんですね」
ユナギは小さく笑った。
「それもそうだけど、捜査のほうも進展するかもしれないじゃない」
イングリッドは少し恥ずかしそうに言い訳した。
「アンソニーとカミロ所長を説得するにはもう少し説得力が必要ですね」
リンは現実的な視点で言った。
「説得力と言われても…」
イングリッドは肩をすくめた。
「うーん…」
「一度所長に報告して、助言を仰いだほうがいいかもしれませんね」
ユナギは提案した。
「そうね…」
イングリッドは少し残念そうだったが、同意した。
「今はそれしかないわね」
四人は高級アロマ製品のコーナーを後にした。しかし、ユナギの耳は依然として神経質に動いており、彼の心の中では謎の男性の声が繰り返し響いていた。
「我の声を聞け…」




