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第三十八話「能力の芽生え」

「ブルーグロウの件だがね…」


カミロは声を少し落として切り出した。

僕は興味深げに耳を前傾させた。このバーではプライバシーが確保された配置になっているとはいえ、カミロ所長が声を落としたのは、話の内容が公にすべきものではないからだろう。


「一段落したと言えるだろう」


カミロは続けた。


「チョウ家と関連企業への処分が正式に決まったのだ」


「どうなったんですか?」


僕は身を乗り出した。


「まずミンフイだが」


カミロはグラスに新たに注がれたウイスキーをゆっくりと回しながら話し始めた。


「無認可遺伝子操作生物の開発・販売の罪とネオ・テラの権利侵害で、かなりの処罰を受けることになった」


ウェイターが小さなおつまみの盛り合わせを持ってきて、静かにテーブルに置いていった。


「巨額の罰金刑に加え、特定ビジネス活動が数年間制限される。完全な自由剥奪ではないが、監視下での活動継続という形だ。さらに社会奉仕活動も義務付けられている」


カミロは一粒のナッツをつまみながら言った。


「リンイーはどうなるんですか?」


僕は彼女のことが少し気がかりだった。


「彼女は関与の度合いから、祖父よりかなり軽い処分になった」


アンソニーが静かに答えた。


「主に社会奉仕活動の義務付けと、監視下での活動継続だ。大学は停学にならなかったようだね」


「そうですか…」


僕はほっとした。リンイーは確かにブルーグロウの販売に関わっていたが、彼女自身は悪意があったわけではないように思えた。


「企業の方はどうですか?」


アルクが尋ねた。


「チョウ・デリカシーズについてはかなり厳しい処分が下された」


カミロは真剣な表情で言った。


「事業ライセンスの一時停止に加え、高額の企業罰金。取締役の刷新によってチョウ家の影響力は大幅に下げられることになる」


カミロは一口ウイスキーを飲み、続けた。


「さらに定期的な立ち入り検査の義務化、ブルーグロウ関連部門の完全閉鎖。バイオジェネシス・ラボやプライベート・ガーデンなどの関連企業は一部政府管理下に置かれることになった」


「かなり厳しいですね」


僕は少し驚いた。


「当然だ」


カミロは力強く言った。


「バイオセキュリティは最重要事項だ。無認可の遺伝子操作生物の流通は、区画全体の生態系を危険にさらす可能性もある」


「では、ブルーグロウ自体はどうなるのですか?」


アルクが尋ねた。

カミロが答える前に、アンソニーが補足した。


「現在、希少存在調査局の施設で一部が保管されている。研究データと残りのサンプルはネオ・テラが権利を所有し、研究を引き継ぐ形になった」


「それって…」


僕は少し考え込んだ。


「僕が持ち出した鉢も含めてですか?」


「ああ」


カミロが頷いた。


「だが心配いらない。君が持ち出した株は『公式サンプル』として正式に登録されている。君の功績と言っていいだろう」


僕はぼんやりとグラスを見つめた。あの鮮やかな青い光を放つストロベリー。初めて見たときの衝撃は今でも鮮明に覚えている。シャンディガフを一口飲んだ。甘さと苦みが混ざり合う味が喉を通り、少しずつ体が温かくなっていくのを感じた。


「あの植物…何か特別なところがあったんですか?」


「そうだな」


カミロは少し前のめりになった。


「ミュラー博士の研究の結果、ノヴァスフィアで作られたブルーグロウはネオ・テラのものと大きく異なっていることがわかった」


アンソニーが新しいウイスキーを運んできたウェイターにお礼を言い、カミロの空になったグラスを新しいものと交換した。カミロは感謝の意を示し、氷に香りを閉じ込めるかのようにグラスを軽く揺すった。


「違いとしては大きく分けて四つ」


アンソニーが指を折りながら説明した。


「まず光の色と強度。ネオ・テラ版は薄い青色の発光だが、ミュラー博士のバージョンはより鮮やかで強い青白い光を放つ」


「発光の仕組みも違う」


カミロが続けた。


「ネオ・テラ版は単純な発光性タンパク質の導入だが、ミュラー博士版は地球の深海生物の複合的な発光メカニズムを組み込んだ高度な設計になっている」


アンソニーは三つ目の指を立てた。


「味と栄養価も大きく異なる。ネオ・テラ版より甘みが強く、栄養価も3倍程度高い」


「そして最も重要な点が耐寒性だ」


カミロが強調した。


「ネオ・テラ版は標準環境向けだが、ミュラー博士版は極寒環境でも生育可能なんだ。当初の目的は氷河期の地球での栽培だったようだ」


「地球での栽培…」


僕は少し驚いた。


「氷河期の地球に植物を送り返そうとしていたのですか?」


「そうだ」


カミロは深く頷いた。


「ミュラー博士は地球と恒星間通信を行っていた。地球側には彼の賛同者がいて、協力していたらしい」


「具体的には」


アンソニーが説明を続けた。


「地球の野生イチゴの遺伝子情報、特に北極圏の極限環境に適応した特殊な品種の遺伝情報をやり取りしていた。テラ・ガーディアン独自のデータも含まれていたようだ」


「そういう目的だったんですね…」


僕は少し考え込んだ。


「単に儲けるためだけの実験ではなかった…」


「そう」


カミロは少し複雑な表情を浮かべた。


「彼の研究は方法論的には問題があったが、寒冷化する地球に動植物が適応するうえで有用なデータを残した。そのため、ミュラー博士は監視下に置かれながらも、政府関連機関の管理のもと、研究を継続することになったんだ」


「目的は手段を正当化しない」


アルクが静かに言った。


「しかし、彼の研究成果は無視できない価値がある」


「まさにその通りだ」


カミロは大きく頷いた。


「さて、次は君たちのことだ」


カミロの視線が僕に向けられ、僕は少し身構えた。耳もわずかに後ろに倒れた。


「チョウ家が不法行為をしていたことはほぼ確信していた。だが、君の調査は急ぎすぎていたと言わざるを得ない」


カミロは少し厳しい目でこちらを見た。


「すみません…」


僕は小さく謝った。


「だが」


カミロはすぐに表情を和らげた。


「それは私の責任でもある。アルクから連絡を受けたとき、私は君を止めることもできた。それでも止めなかった。君の行動力とひらめきに賭けたかったからだ。結果的に成功したが、もし何かあったら…」


カミロは言葉を詰まらせた。


「申し訳なかった」


「所長…」


僕は驚いた。カミロ所長が謝るなんて予想外だった。


「今は君の行為が正当なものだったことを説明する資料作りで大変なんだ」


カミロはため息交じりに言った。


「『希少存在調査官が独断で潜入捜査を行い』といった始まりで報告書を書くのは至難の業だよ」


「あなただけではありませんよ」


アンソニーが少し皮肉めいた口調で言った。


「ユナギも引き続き報告書のリテイクに追われることになるでしょう」


「え?」


僕の耳が驚きで上向きになった。


「もちろんだ」


カミロは少しにやりと笑った。


「公式記録には、適切なプロトコルに従って調査を実行したように記載しなければならない。そのための下書きは君にも書いてもらうぞ」


「あ…はい」


僕は少し困惑しながら頷いた。


「全体としては今回の調査におおむね満足だ」


カミロが言った。


「良い仕事だったよ、ユナギ、アルク」


「ありがとうございます」


僕は嬉しくなった。初めての任務を所長に褒められるなんて。


「しかし」


アルクが割り込んできた。彼の青灰色の瞳は普段の穏やかさを失い、厳しさに満ちていた。頬のあたりの光学素子がわずかに青く点滅している。


「あまりにも危険すぎました。次からはもっと慎重に行動してください、ユナギ」


「その通りだ」


カミロも同意した。


「次回からはもう少し計画的に、そして安全に考慮して行動するといい」


両方の意見を聞いて、僕は微妙な気持ちになった。しかし、彼らの言っていることは正しい。無謀な行動に出て、運良く成功しただけなのかもしれない。


「ところで」


カミロが突然話題を変えた。


「もう一つ気になることがある。セキュリティロボットの件だ」


「セキュリティロボット?」


僕は小さく耳を震わせた。


「そうだ」


カミロの表情が真剣になった。


「アルクの報告では、君は何の武器も持たずにセキュリティロボットを撃退したという。いったい何をどうやったんだ?」


僕は躊躇した。自分でも分からないことをどう説明すればいいのか。


「その…無我夢中だったんです」


僕は正直に言った。


「気が付いたら、ロボットが壁に叩きつけられていて…」


部屋に静寂が流れた。カミロとアンソニーは僕を見つめ、アルクも困惑した表情だった。

僕は少し考え込んで、何の前触れもなく手をカミロ所長の方向に向けた。何が起きるのかは自分でもわからない、そう思いながら、あの時の感覚を思い出そうとした。


「うわっ!」


カミロの声が響いた。彼は椅子ごと後ろに飛び退き、テーブルにひじをぶつけた。ウイスキーのグラスが揺れ、氷がカランと音を立てる。


「バカ、こんなところでぶっ放すつもりか!」


アンソニーまでもが一歩後ろに下がり、反射的に手を胸の前で交差させた。

カミロの反応に驚いて僕は両手を下げた。


「あの、すみません、何も起きないと思います。どうやったのかわからないので、再現もできないんです…」


カミロは肩を落としてため息をついた。


「とんでもない新人を拾ってしまったな…」


「そういえば」


アルクが静かに言った。


「ユナギは植物の声を聞くこともできるのですよ」


「植物の声?」


アンソニーは興味深そうに眉を上げた。


「まるでSFの作り話のようですが」


アルクは続けた。


「ユナギはウィンターヘイブン植物園で病気のパキポディウムの声を聞き、実験栽培室でもブルーグロウの声を聞いたと言っています」


僕は少し恥ずかしくなって耳を下向きにした。


「変だと思いますよね…」


「いや」


アンソニーは突然真剣な表情になった。


「私も気になって調べたのですが、超能力に関する記録は実は存在するのです」


彼はタブレットを取り出すと、指先が素早く表面を滑り、古いデータアーカイブにアクセスしているようだった。画面上には次々と資料が表示され、アンソニーの瞳に青い光が反射している。これはアルクが見せる以上に真剣な探索の様子だ。数秒の間、彼の表情は完全に集中し、普段の完璧な執事像が崩れ、熱心な研究者の姿になっていた。


「歴史をさかのぼれば、17世紀以前の神秘主義的な研究から、20世紀のCIAやKGBのサイキック兵器の研究などがありました。それらは時に非人道的な実験を伴いましたが、期待した成果は得られなかったようです」


アンソニーは画面を見ながら説明した。


「21世紀以降もノヴァスフィアへの移住までは、ほとんど意味のある研究は存在しなかったようですが…」


「ほう、続けてくれ」


カミロが促した。


「古い文献の知識なら君の右に出る者はいないからな」


「古い時代の文献に興味があるものでして」


アンソニーは少し照れたように答えた。


「ノヴァスフィア移住後、50年〜100年に1度ぐらいの稀な頻度で『本物』の可能性のある超能力者が現れ、研究の対象となっていたという記録もあります」


「本当に超能力があるというのか?」


カミロは少し疑わしそうだった。


「現在、それらしい存在はノヴァスフィアやその他の惑星で正式な発表はされていません」


アンソニーは慎重に言葉を選んだ。


「信憑性の弱い民間組織が研究らしきことを行っている程度です」


「政府機関がこのような研究を行っている形跡はないようですね」


アルクも情報にアクセスしながら言った。


「もっとも」


アンソニーが付け加えた。


「ここにいる我々のセキュリティクリアランスに開示されていない可能性もわずかにあります」


「いずれにせよ」


カミロは首を振った。


「報告書にどう書くか悩んでいたが、今聞いたことをそのまま書くことにする。『調査官ユナギは不明な能力を使用し、セキュリティロボットを無力化した』という記述で」


「それでいいのですか?」


僕は不安になった。


「怪しまれませんか?」


「むしろ、その方が誠実だ」


カミロは確信に満ちた声で言った。


「嘘をつくよりはな。それと…」


カミロはグラスを持ち上げて、一息に残りのウイスキーを飲み干した。氷がかすかな音を立ててグラスの底に落ちた。彼はグラスを置き、満足げにため息をついた。


「今後、しばらく君には特別なトレーニングを受けてもらうつもりだ」


「トレーニング?」


「ああ」


カミロは笑顔になった。


「いざというとき身を守るために、格闘技を中心としたいくつかの訓練だ。特にボクシングは基本中の基本だ」


「ボクシング?」


僕は少し驚いた。


「所長は格闘技が趣味なのです」


アンソニーが説明した。


「若い頃はかなりの腕前だったのですよ」


「そうだとも!」


カミロは胸を張った。


「特にユナギのような小柄な体格の者は、テクニックで補う必要がある。明日から始めよう!」


僕はカミロの熱意に少し圧倒されつつも、前向きに頷いた。


「はい、よろしくお願いします」


そしてカミロは新たな話題を持ち出した。


「他にもレポートや組織内部の訓練なども色々とあるが…面倒な話はこの辺にしておこうか。まだ飲むか?」


僕は自分のグラスを見た。シャンディガフはもう空になっていた。耳の内側はまだ少し熱を持っていて、頬にも心地よい熱が広がっている。


「ええと…もう一杯いただこうかな。体調は悪くないので」


「いいぞ!」


カミロは嬉しそうに言った。


「アンソニー、もう一杯だ!」


「あなたはもうやめておきましょう」


アンソニーは冷静に言った。


「明日の朝は早いですよ」


「わかっているさ」


カミロはにこやかに笑った。


「では君たちの成功と、新たな能力の芽生えに乾杯しよう!」


僕たちはグラスを掲げた。ウェイターが新しいシャンディガフを僕の前に置き、カミロは水に手を伸ばした。静かな音楽が流れ、オレンジ色の灯りに照らされたバーの中で、僕は自分の人生が新たな方向に向かっていくことを感じていた。

耳がわずかに前傾し、心には期待と不安が混ざり合っていた。これが僕の旅の始まりなのだ。

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