表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/54

第三十六話「対話」

頭に鈍い痛みを感じながら、僕はゆっくりと意識を取り戻した。まぶたが重く、開けるのも一苦労だ。まるで体が鉛でできているかのように感じる。


「う…うん…、…ここは?」


視界がぼんやりと開けていくと、白い天井と壁に囲まれた小さな部屋が見えてきた。試しに体を動かそうとしたが、両手首が何かに拘束されていた。金属製の手錠だろうか。


「目が覚めたかね」


穏やかな声に反応して、僕は声のする方向へと顔を向けた。白髪の男性が、小さな椅子に座って僕を見つめていた。窓のない部屋の中で、彼の白いラボコートだけが光を反射している。


「あ、あなたは…実験栽培室の!」


僕の耳が警戒で後ろに倒れた。


「ハインリヒ・ミュラーだ。いや、ここに潜入してきたということは私のことも調査済みだったかな?まだほとんど情報など無かったろうに、大したものだ」


「その、…はい」


「そう警戒する必要はない。とは言っても、そのように拘束されていては警戒するなというほうが無理があるな」


彼は少し表情を和らげた。


「ただ、君がセキュリティロボを倒した武器が見つかっていない以上、その手かせをとることはできない」


「…僕はいったいどうなるのでしょうか?」


僕は小さな声で尋ねた。


「そう心配するな。君が拷問にかけられたり尋問されるようなことはない」


博士は椅子に深く腰掛けた。


「君のパートナーAIが希少存在調査局を通じてPMNに通報したようだ。あのAIは光球となって通気口から脱出し、外部で通信を確立したらしい。なかなか賢いパートナーだ。君も彼を選ぶ目があったというわけだ」


ミュラー博士の言葉に、僕は安堵した。アルクは無事だったんだ。やはり彼の対応は適切だった。


「チョウ・ミンフイが異議を申し立てに行ったが、じきに助けが来るだろう」


博士は窓のない壁を見ながら続けた。


「私もこれ以上自分の立場を悪くするつもりはない」


「そうですか…」


僕の耳がわずかに上がった。


「無為に時間を浪費するのもなんだ。せっかくだから君のことを教えてくれるかい?」


博士は急に好奇心に満ちた目で僕を見た。


「…僕に答えられることなら」


「まず、君の名前は?」


「ユナギと言います」


僕は答えた。


「ユナギか」


博士は僕をじっと見つめた。


「このあたりでは珍しい名前だな」


博士は何か考え込むように一瞬沈黙した後、話題を変えた。


「ではユナギ、君は人類の発展に貢献する画期的な研究は、多少の危険や既存の研究・生命などに悪影響があったとしても進められるべきだと思うかい?」


「その…」


僕は考え込んだ。


「一概には言えないと言いますか。進歩は大切ですが、そのために失われるものが大きすぎるのであれば…別の道を探すべきだと思います。即答するのは難しいですね」


「君は慎重だな」


博士は僕をじっと見つめた。


「大胆な侵入作戦をしでかした張本人とは思えんほどに。もし君が研究者だったならば、その慎重さは優れた資質だ」


「…」


僕は何と答えていいか分からず、黙ってしまった。


「私は進歩のためにはリスクは許容すべきだと強く信じている」


博士の声は熱を帯びてきた。


「私はリスクを取らないまま緩やかに衰退していく地球を見てきた。氷に覆われていく土地、絶滅していく種、そして無力にそれを見つめるだけの人間たち。私たちにはまだできることがいくらでもあるはずなのに、だ」


「地球の状況はそんなに悪いのですか?」


僕は好奇心から尋ねた。


「このままではな」


博士は深いため息をついた。


「だが、対処のしようがある。私は自分の信念に基づき、植物の遺伝子を積極的に操作して氷河期の地球でも生存可能な種を作り出そうとしていた。極寒の環境でも育ち、高い栄養価を持ち、繁殖力の高い植物を。テラ・ガーディアンの保守的な『観察と保存』という方針では人類の未来はない。だからこそ地球を離れ、ここでブルーグロウのような新種の開発に取り組んでいたのだ」


彼は一瞬遠くを見るような目をした。


「だが、方法を誤ったようだ…妥協すべきではなかった点がいくつもあった」


「ミュラー博士はこれからどうなるのですか?」


「さあな」


博士は肩をすくめた。


「調査官の君が知らないのだ。私が知る由もない。まあ、おそらくは精神鑑定を受け、危険人物と判定されれば矯正施設に送られ、善良だと判断されれば監視のもと奉仕活動に従事させられるのだろう。どちらになっても私の研究は続けられまい。そうであればどちらであっても興味はない。そんなことより君のことだ」


「僕ですか?」


僕の耳が驚きで上向きになった。


「そうだ」


博士は身を乗り出した。


「一体君は何をやったのだ。あのセキュリティロボを吹き飛ばせるような装備は見当たらなかったぞ。君の衣服にも、持ち物にも」


「それが、その…」


僕は困惑して耳を動かした。


「僕にもよくわからないんです」


「私には言えないことなのかな」


博士の目が鋭くなった。


「そうではなく」


僕は焦って否定した。


「本当にわからないんです…。あの時はただ怖くて、どうにかしなきゃって思っていたら、体から何かが飛び出した、ような…手を伸ばしただけなのに」


「ふむ…」


博士は眉をひそめた。


「さっぱりわからんな。それではなにか、君はロボットに襲われた瞬間超能力に目覚めたとでもいうのか?それとも、ラゴモーフ系にはそういった特性があるのか?」


「そんなことありえないですよね」


僕は自分自身に言い聞かせるように言った。


「でも、自分でも信じられなことがほかにもあって」


「ほう」


博士の目が急に輝いた。


「実は、たまに植物の声が聞こえる気がするんです」


僕は小さな声で告白した。


「それを、植物学者の私に信じろと?」


博士は皮肉っぽく笑った。


「僕も信じられないんですけど」


僕は必死に説明した。


「実際に植物が病気にかかっていることを言い当てたり、パキポディウムが苦しんでいると感じたり、さっきもブルーグロウの声の方向に向かったら実際にあったり…光がまぶしすぎるって言っていました」


「…」


博士は黙って僕を見つめた。


「その…、やっぱり変ですよね」


僕は恥ずかしくなって視線を逸らした。


「そうだな、そんな話はにわかには信じがたい」


博士はゆっくりと言った。


「だが、目の前で信じられないものを目撃したのだ。科学者としては大変興味深い。君のラゴモーフ系としての遺伝的特性、脳の構造、あるいは別の要因か…」


「信じてくれるんですか?」


僕は思わず尋ねた。


「信じるに値するか、今の私には判断できない」


博士は正直に言った。


「だが、ぜひ研究してみたいとは思った。君とは別の形でもっと早く出会いたかったものだ。おそらく君の体には特殊な遺伝子操作の痕跡があるはずだ」


「そう…ですね…」


僕は何か答えなければと思いながらも、言葉が見つからなかった。

外から騒がしい声が聞こえてきた。足音や命令を飛ばす声。廊下を走る人々の物音。


「外が騒がしくなってきたな」


博士の顔に諦めの色が浮かんだ。


「そろそろ君の迎えが来たようだ」


「ミュラー博士はこれからどうするのですか?」


僕は思わず尋ねた。


「観念して調査に全面的に協力するよ」


博士は静かに答えた。


「私の研究は挫折したが、得られたデータは無駄にはならないはずだ。君の拘束も解いてやろう。じっとしていろ」


ミュラー博士は立ち上がると、懐から小さな鍵を取り出した。彼が僕の手錠に近づいた瞬間、ドアが勢いよく開き、強い光が部屋内に流れ込んできた。


「動くな!手を上げろ!」


PMNの特殊部隊が武器を構えて部屋に飛び込んできた。その後ろには見慣れた大柄な姿—カミロ所長が見えた。彼の横にはアルクも光球の形で浮かんでいる。


「ユナギ!」


カミロ所長の声は心配と安堵が入り混じっていた。


「無事か?怪我はないか?」


僕の耳が喜びで前傾した。


「は、はい!大丈夫です、所長!」


「抵抗する気はない。」


ミュラー博士は静かに両手を上げた。彼の顔には奇妙な平静さが浮かんでいた。

PMNの隊員たちは素早く博士を取り囲み、手首に特殊な拘束具をはめた。彼らは博士の権利について何か告げていたが、その言葉は部屋の喧騒の中で聞き取れなかった。

博士が連行される途中、彼は一度だけ振り返り、僕と目が合った。その時、博士はさりげなく小さな金属の鍵を床に落とした。誰も気づかなかったようだ。


「いつか君の能力の謎が解明されることを願っているよ、ユナギ君」


博士の口元に微かな笑みが浮かんだ。


「そして、私のブルーグロウが地球を救う日が来ることも」


僕はただ黙って頷くことしかできなかった。

博士が連れ去られると、アルクが光球から人型の姿に戻り、床に落ちていた鍵を拾って僕の手錠を解除した。


「ユナギ、ご無事で本当に良かったです」


アルクの声には心からの安堵が込められていた。


「ユナギをこれ以上一人にすべきではないと思いましたが、他に選択肢がありませんでした」


「いや、君は正しい判断をした」


カミロ所長が僕の肩に大きな手を置いた。


「このような事態に備えて、常に撤退経路を確保しておくことを教えただろう。アルクから通報を受けたときは本当に心配した。」


「所長…」


僕は俯いた。


「許可なく危険な行動をとってしまって申し訳ありません」


「今はそんなことを言う時ではない」


カミロの声は力強かった。


「バイオジェネシス・ラボは当局により完全封鎖され、チョウ・ミンフイと孫娘のリンイーも事情聴取を受けているところだ。詳しい話は後にしよう。今は君をここから連れ出そう」


希少存在調査局の職員たちに囲まれて施設を出る途中、僕は突然、何か重要なことを思い出した。


「ブルーグロウ!」


僕は振り返った。


「あの鉢植え、どうなったんでしょう?僕が逃げるときに落としてしまって…」


カミロ所長は満足そうな笑顔を見せた。


「心配するな。証拠品として既に保管されている。君が落とした鉢はPMNの証拠収集チームがしっかり回収してくれたよ」


「本当ですか…」


僕は安堵した。


「これで君の最初の任務は見事に成功だ。希少存在は発見・調査・保護された。私の期待以上の成果だ、ユナギ」


安堵のため息をつきながら、僕は施設を後にした。しかし、心の中では様々な疑問が渦巻いていた。植物の声、突然現れた不思議な能力、そしてミュラー博士の言葉...。

耳がわずかに動く。解明すべき謎はまだ多く残されていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ