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第三話「知らない自分」

「処理準備が整うまで、こちらでお待ちください」


行政センターの受付を済ませると、PMNロボットはそう告げて僕を小さな待合室へと案内した。部屋は優しい草原の緑を基調としており、壁には地球とおぼしき惑星の風景が映し出されていた。


「現在の待ち時間は約10分です。何かご要望があればお申し付けください」


PMNロボットは丁寧に頭を下げた。


「ありがとう…」


僕は柔らかそうなソファに腰を下ろした。ようやく少し落ち着いて自分の姿を確認する時間ができた。全身を覆っている白い体毛。長い耳。そして手足の指は細長く、どこか器用そうだ。

着ている服も改めて見てみる。水色のオーバーオールに白いシンプルなシャツ。胸のポケットには何か刺繍があるが、何の模様かは判別できない。前世の服装より軽くて動きやすい素材だ。


「変な感じだな…」


僕は小さく呟いた。

その時、待合室のドアが開き、何かが駆け込んできた。


「ワン!ワン!」


小さな犬——真っ白な毛並みで、ふわふわとした尻尾を持つ小型犬が、僕の足元まで走ってきた。愛らしい黒い瞳で僕を見上げ、好奇心いっぱいの様子だ。


「あ、ピクシー!待って!」


犬——ピクシーを追いかけるように、10歳くらいの少女が入ってきた。雪のように白い肌と真っ赤なほっぺた、淡い金髪と透き通るような青い瞳を持つ可愛らしい女の子だ。彼女は僕を見るなり、その場で立ち止まった。


「わぁ…!」


少女の目が星のように輝いた。


「ママ、見て!うさぎさんだよ!」


少女の後ろから、同じく淡い金髪の女性が慌てて入ってきた。少女の母親だろう。


「リナ、走っちゃダメって言ったでしょ…」


母親も僕を見た途端、言葉を切った。好奇心と驚きが混ざった表情で、僕をじっと見つめている。

僕の耳が緊張で少し後ろに倒れる。視線を向けられるのはどうも慣れない。鼻先が小刻みに震えるのを止められない。


「あの…」


母親が恐る恐る話しかけてきた。


「失礼ですが…着ぐるみですか?」


「いえ…あの…」


僕は言葉に詰まった。緊張で耳がぴくぴくと動く。


「僕もよくわからないんですけど、たぶん違うんだと思います」


少女——リナと呼ばれた子は、物怖じせずに僕に近づいてきた。その目には純粋な好奇心が満ちている。


「うさぎさん、耳が動いてる!本物?」


「リナ!失礼でしょ」


母親が慌てて娘を引き寄せようとした。

僕は小さく笑って、自分の長い耳を意識的に動かしてみせた。


「大丈夫ですよ。僕も自分のことがよくわからないんです」


PMNロボットが一歩前に出て、状況を説明し始めた。


「この方はラゴモーフ系動物遺伝子融合型市民です。"うさぎさん"という表現は不正確です」


「ラゴ…なに?」


リナが首をかしげた。

PMNロボットは少女の目線の高さまで屈み、より優しい声で説明を続けた。


「ラゴモーフとは、うさぎやうさぎに似た動物たちの分類名です。この方は人間とうさぎの特徴を両方持っている特別な人なんですよ」


「特別な人?」


リナの目がさらに輝いた。


「そうです。とても希少な存在です。ノヴァスフィア全体でも数千人程度しかいません」


母親が困惑した表情で口を開いた。


「そんな…でも私、そんな人がいるなんて聞いたことがないわ。ニュースでも聞いたことないし…。学校でそんなこと習わなかった…。」


PMNロボットがさらに説明を続ける。


「ラゴモーフ系市民は通常、特定の研究区画や特殊環境区画に居住しています。一般区画での目撃は確かに稀です」


リナはそんな大人の会話には興味がないようで、僕の足元で遊んでいるピクシーをなでながら質問してきた。


「ねえ、うさぎさん、名前は?」


「えっと…」


そこで詰まってしまった。自分の名前は何だろう?前世の名前は加藤雪だったが、この体になってからの名前はわからない。


「僕の名前は…」


「リナ、しつこくしちゃダメよ」


母親が娘の肩に手を置いた。


「ごめんなさい。娘が失礼なこと言って」


「いいえ、大丈夫です」


僕は笑顔で答えた。耳が前向きに立ち、少し安心した証拠だ。


「実は僕、記憶があまりなくて。自分の名前もはっきりわからないんです」


母親の表情が心配そうに変わった。


「大変ね…何かあったの?」


PMNロボットが間に入った。


「個人情報保護のため、詳細は差し控えさせていただきます。現在、適切な手続きを進めております」


ピクシーが本物の犬らしく鼻を鳴らしながら、僕の足の周りをくるくると回り始めた。その動きがとても可愛らしい。僕が手を伸ばすと、嬉しそうに近づいてきて、温かい舌で僕の手を舐めた。


「ピクシーは人見知りだから、珍しいわ」


母親が少し驚いた様子で言った。


「あなたのことが気に入ったみたいね」


僕がピクシーの頭を撫でていると、リナが突然思いついたように声を上げた。


「ねえ、名前がないなら、うさぎさんに名前をつけてあげる!」


「リナ!」


「ユナギって名前はどう?ユナくんに似てるから!」


「ユナくん?」


僕は首をかしげた。


「うん、前のクラスにいた友達。白い髪の毛の優しい子だったの」


リナが嬉しそうに説明した。


「でもユナくんはウサギじゃなかったから、ユナギ!」


「ユナギ?」


思わず笑みがこぼれる。


「なんだか可愛い名前だね」


「気に入った?」


リナが期待に満ちた表情で尋ねた。


「うん、悪くないよ」


僕は本当にそう思った。


「ユナギ…覚えやすいし」


その時、待合室のディスプレイが青く光り、優しい声が響いた。


「ラゴモーフ系市民様、登録手続きの準備が整いました。カウンセリングルーム3へお越しください」


「お呼びのようです」


PMNロボットが告げた。


「こちらへどうぞ」


立ち上がると、ピクシーが寂しそうに鳴いた。リナも少し残念そうな顔をしている。


「また会えるかな?」


リナが小さな声で尋ねた。


「わからないけど…」


僕は笑顔で答えた。


「もし会えたら、その時は『ユナギ』って名前で呼んでね」


リナの顔が明るくなった。


「約束だよ!」


母親も優しく微笑んだ。


「お身体を大切に」


「ありがとうございます」


僕はPMNロボットについて部屋を出た。短い出会いだったが、少し心が軽くなった気がする。この世界にも優しい人がいる。それだけでも、少しだけ安心できた。


「ユナギ…か」


廊下を歩きながら、僕は小さく呟いた。耳がピンと立ち、何だか気に入った様子だ。

カウンセリングルーム3のドアが見えてきた。次はどんな出会いが待っているのだろう。僕の耳が好奇心でわずかに前傾する。登録手続きとやらで、これから僕の運命がどう変わるのか。

ドアの前で一瞬立ち止まり、深呼吸した。そして、新しい自分への一歩を踏み出す準備をした。

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