第二十七話「接触作戦」
「これでどうだろう?」
アルクが僕の姿を見て満足そうに頷いた。グレーがかったブルーのフォーマルジャケットに同系色のスラックス、そして一番のポイントは帽子だ。普段は目立つ長い耳を隠すために特別に仕立てられたベレー帽をかぶっている。
「完璧です。高等教育機関の学生か若手研究者にしか見えません」
僕たちはオーロラ・セレスティアル大学のビジネス棟に向かっていた。今日の任務は、チョウ・リンイーという女性に接触することだ。彼女が会長を務める起業家クラブのセミナーに参加し、自然な形で彼女との接点を作ることが目標だった。
「アルク、耳が窮屈だよ」
僕は小声で不満を漏らした。
「我慢してください。最初の接触が終わったら外していただいて構いません」
アルクは静かに答えた。
「ただし、カミロ所長の作戦通り、リンイーさんの目に留まるタイミングで」
ビジネス棟の講堂に着くと、すでに多くの学生や研究者が集まっていた。僕たちは目立たないよう後方の席に座り、周囲をさりげなく観察した。
その時、静かな拍手と共に壇上にチョウ・リンイーが現れた。
彼女は写真で見るよりも生き生きとしていた。短めの黒髪を落ち着いたスタイルにまとめ、エレガントながらも若々しいスーツを着こなしている。何より印象的だったのは、彼女の目の輝きだった。知性と情熱を秘めた、人を引き込む力のある視線だ。
「皆さん、お集まりいただきありがとうございます」
彼女の声は透明感があり、自信に満ちていた。
「今日は『未来のビジネスチャンス——伝統と革新の融合』というテーマで、特に『文化的価値と科学の融合マーケティング』について掘り下げていきたいと思います」
講演は予想以上に興味深いものだった。リンイーは単なる技術革新だけでなく、文化的背景や物語性を商品に持たせることの重要性を強調した。
「消費者は単に機能を買うのではなく、体験や物語を求めています」
彼女はスライドを指しながら説明した。
「たとえば、単なる高栄養価の食品よりも、古代の伝説と最先端技術が融合した『物語のある食品』の方が、はるかに価値を生み出せるのです」
僕は思わず聞き入っていた。彼女の主張は説得力があり、「青いストロベリー」がまさにそのような戦略で販売されていることを連想させた。
約40分の講演が終わると、会場からは大きな拍手が起こった。質疑応答の後、参加者たちはロビーに移動し始めた。
「作戦を実行しましょう」
アルクが小声で言った。
「彼女は数人の学生に囲まれています。その輪が少し解けるのを待ちましょう」
僕たちはロビーの隅で、軽食を食べる振りをしながら待機した。約15分後、リンイーの周りの人が減ってきたのを見計らって、アルクが合図した。
「今です」
僕は深呼吸をして、帽子を脱いだ。すると、長い耳がぴんと伸びる。解放感に思わず「ふぅ」と息を吐いた。
アルクと共に地図を見る振りをしながら、リンイーの視線が届く位置に移動する。僕たちはきょろきょろと周囲を見回し、道に迷ったように見せかけた。
作戦は見事に成功した。すぐにリンイーの視線が僕に向けられるのを感じた。初め彼女は何気なく目をやったが、すぐに驚きの表情に変わり、そして強い好奇心を秘めた目で見つめてきた。
彼女は側にいた女性型AIパートナーに何かを囁き、そのAIが僕たちの方に近づいてきた。
「こんにちは」
洗練された声で彼女のAIが話しかけてきた。
「私はサラ、チョウ・リンイーのパートナーです。もしよろしければ少しお時間をいただけますか?リンイーがお話ししたいそうです」
「喜んで」
僕は微笑んだ。
リンイーは優雅に歩み寄ってきた。
「初めまして。チョウ・リンイーです。オーロラ・セレスティアル大学ビジネス学部の学生で、起業家クラブの会長をしています」
彼女の目は僕の耳に釘付けになっていた。好奇心と驚きが入り混じった表情が、彼女の顔に浮かんでいる。周囲の学生たちも、起業家クラブの人気会長と見慣れない特異な来客という組み合わせに気づき、興味深そうに視線を送ってきていた。小さな囁き声が周りから聞こえ、その場に特別な雰囲気が生まれていた。
「ユナギです」
僕は丁寧に答えた。
「こちらは僕のパートナー、アルクです。素晴らしい講演をありがとうございました。特に文化的価値と科学の融合というコンセプトが印象的でした」
リンイーの顔に満足そうな笑みが広がった。
「ありがとうございます。その…失礼ですが、あなたは…」
「変わった見た目でしょう?僕はラゴモーフ系の遺伝子融合型人類なんです。」
僕は耳をわずかに動かした。
「素晴らしい!」
彼女の目が輝いた。
「遺伝子融合型人類の方にお会いするのは初めてです。非常に希少な存在だと聞いています」
僕は少し照れたように笑い、自分の身分を明かすときだと判断した。
「実は、僕は希少存在調査局の調査官をしています。チョウ・デリカシーズのような革新的な企業に興味があり、もし可能であれば公式に連絡を取りたいと思っていました」
「確かそれって珍しい生物や種を研究する方々ですね?」
「はい、基本的にはそうです。未知の生物や希少な存在を発見、調査、保護する仕事です。様々な研究機関や、時には企業とも共同で調査を行ったりしています。」
リンイーは考え込むように指を唇に当てた。
「それは非常に興味深いわ。私の祖父も新しい種や品種に強い関心を持っているの」
「ぜひお話を伺いたいです。最近はどのような植物に着目しているのですか?」
僕は興味をそそられ、耳が少し前傾した。
リンイーは目を輝かせた。
「ベリー類を中心に研究しています。特に、地球時代の果物の特性を現代の技術で引き出す試みね。味だけでなく、栄養価や保存性も向上させているの」
「ベリー類ですか」
僕は自分のベランダのブルーベリーを思い浮かべながら答えた。
「実は僕も小さいですが、ベリー類を育てているんです」
「まあ、素敵!」
リンイーは嬉しそうに手を叩いた。
「専門家と趣味家、異なる視点から植物について語り合えるのはとても価値があるわ。祖父も同じことをよく言っているの」
彼女は突然、明るい表情になった。
「そうだわ!明後日、私たちの自宅でプライベートなパーティーがあります。招待制ですが、ぜひあなたとアルクさんにも来ていただけませんか?祖父も喜ぶと思います」
「本当ですか?」
僕の耳が驚きで上向きになった。
「それは光栄です」
「ぜひいらしてください」
リンイーが言った。
「素敵なラゴモーフ系の希少存在調査官なんて、私たちのゲストにぴったりです」
彼女は小さな電子カードを取り出し、僕に手渡した。
「こちらが招待状です。住所と時間が記載されています。ドレスコードはセミフォーマルで」
「ありがとうございます。必ず伺います」
僕が笑顔でカードを受け取りながら答えると、リンイーは突然、思わず手を伸ばして僕の頭を撫でた。
ふわっと指先が僕の体毛に触れ、そして彼女はハッとした表情になり、すぐに手を引っ込めた。
「あ、ごめんなさい!つい…」
彼女は少し赤面した。
「失礼しました」
「大丈夫です」
僕は微笑んだ。耳を小さく揺らして。
「気にしないでください」
その仕草に、リンイーの表情が和らいだ。
「では、明後日お会いしましょう」
彼女は微笑み、優雅にお辞儀をした。
「楽しみにしています、ユナギさん、アルクさん」
リンイーが去った後、僕とアルクは大学の外に出た。
「作戦は大成功ですね」
アルクが言った。
「想像以上に順調に進みました」
「うん」
僕は頷いた。
「彼女は思ったより親しみやすかったな。それに、プライベートパーティーへの招待まで得られるなんて」
「カミロ所長に報告しましょう」
アルクが提案した。
「彼もきっと満足するはずです」
僕は招待カードを見つめながら、明後日のパーティーに思いを馳せた。チョウ家の豪邸、謎の青いストロベリー…少しずつ繋がり始めているような気がした。初めての任務は予想以上に進展している。
しかし、これが始まりに過ぎないことも分かっていた。リンイーの親しみやすさの裏に何があるのか、そして彼女の祖父チョウ・ミンフイは何を企んでいるのか。
耳が少し前傾する。興奮と緊張が入り混じる感覚に、体が小さく震えた。明後日のパーティーで、謎の一端が明らかになるかもしれない。




