第二十六話「若返りの果実」
オーロラ・セレスティアル大学のキャンパスは広大だった。古典的な建築様式の建物と未来的なデザインの研究棟が共存し、学生たちが行き交う活気ある空間だ。
僕たちは生物科学棟の前に立ち、入口のディレクトリでリン教授のオフィスを確認した。
「希少植物研究室、303号室だ」
カミロが言った。
「今度は研究者としての正体で接触しよう。ユナギ、君は特に重要だ」
「え?僕が?」
「そうだ。リン教授は珍しい生物に強い関心を持っているはずだ。君のような珍しいラゴモーフ系の調査官に興味を示すだろう」
僕は少し戸惑ったが、頷いた。任務のためなら、自分の特異性も武器になるのだと理解した。
エレベーターで3階に上がり、研究室の前に立つと、カミロは軽くドアをノックした。
「どうぞ」
中から澄んだ女性の声が応えた。
部屋に入ると、50代半ばと思われる東アジア系の女性が大きなデスクに向かって座っていた。壁一面には様々な植物の標本や写真が飾られ、窓際には小さな実験用の植物が並んでいる。
「リン・シンジュ教授ですね」
カミロが公式の身分証を示した。
「希少存在調査局のマックス・カミロです。こちらは新人調査官のユナギとそのパートナー、アルクです」
リン教授は少し驚いた様子で立ち上がった。
「調査局ですか?何かお手伝いできることがあれば」
「いくつか質問させていただきたいのです」
カミロが言った。
「最近市場に出回っている特殊な植物について」
リン教授の表情がわずかに硬くなった。
「具体的にはどのような…」
その時、彼女の視線が僕に止まった。
「あら、これは…ラゴモーフ系の方ですね!」
彼女の顔が突然明るくなった。
「これまで研究論文でしか見たことがありませんでした。素晴らしい!」
彼女は席を立ち、僕に近づいた。
「失礼ですが、体毛の質感や耳の可動範囲など、いくつか質問させていただいてもよろしいでしょうか?」
「あ、はい…」
僕は少し戸惑いながらも答えた。
「任務の後でしたら」
「そうですね、お仕事中でしたね。失礼しました」
リン教授は少し恥ずかしそうに笑った。
「どうぞお座りください。何についてのご質問でしたか?」
カミロ所長は入念に状況を作り出してから、本題に入った。
「『ブルーグロウ』と呼ばれる発光するストロベリーについてです」
リン教授の表情が一瞬凍りついた。
「そのような…」
「パラダイス・ガーデンの顧客リストにあなたの名前がありました、教授」
カミロは穏やかだが確信を持った様子で言った。
「我々は犯罪捜査ではなく、未登録種の追跡調査を行っているだけです」
リン教授はしばらく沈黙した後、ため息をついた。
「わかりました。確かに私は購入しましたが、あくまで学術的好奇心からです」
「その点は理解しています」
カミロが言った。
「むしろ、その学術的見地からの所見をお聞かせいただきたいのです」
リン教授は少し安心したように見え、話し始めた。
「あれは驚くべき品種です。バイオルミネセンスを持つイチゴなど、通常の品種改良では考えられません。深海生物の遺伝子が組み込まれているのは明らかですが、その統合の完成度は驚異的です」
彼女は興奮した様子で続けた。
「さらに驚くべきは、その味と栄養価です。通常、そのような極端な遺伝子操作を行うと味が犠牲になるものですが、あのストロベリーは信じられないほど甘く、栄養分析では通常の品種の約3倍のビタミン含有量を示しました」
「販売者は『若返りの果実』と呼んでいたそうですね」
アルクが静かに言った。
「ええ、そのような売り文句がありました」
リン教授は少し表情を曇らせた。
「ですが、私はそのような主張には懐疑的です。食生活が老化と密接にかかわっていることは事実ですが、何かを食べれば歳を取らない、などと都合のいいことはありません。」
カミロ所長は話題を進めた。
「それを入手した経緯について教えていただけますか?」
リン教授は少し考えた後、答えた。
「先月、チョウ家のプライベートパーティーに招待されたのです。私は以前から植物遺伝学の研究でチョウ・ミンフイ氏の企業と協力関係にあり…」
「チョウ・ミンフイ?」
カミロがピンと来たような表情を見せた。
「はい、高級食品事業で有名な実業家です。彼の自宅での招待制パーティーでした」
リン教授は説明した。
「そこで彼の孫娘、チョウ・リンイーという若い女性が特別な商品として青いストロベリーを紹介していたのです」
「チョウ・リンイー…」
カミロは思案するように名前を繰り返した。
「とても聡明な若い女性です。私の理解では、彼女はオーロラ・セレスティアル大学のビジネス学部に在籍しているようですが、祖父の事業を手伝うほどの知性と行動力を持っています」
アルクが僕の方を見た。彼の表情には「重要な情報を得た」という意味が込められていた。
カミロ所長はさらに質問を続けた。
「チョウ家がその果実をどこから入手したかについて、何か情報はありませんでしたか?」
「それについては…」
リン教授は少し困ったように眉をひそめた。
「リンイーさんは『ネオ・テラからの特別輸入品』と紹介していましたが、詳細は明かしませんでした。私はネオ・テラの農業コロニーの研究者とも交流がありますが、彼らからこのような品種について聞いたことはなかったので、少し不思議に思いました」
「なるほど」
カミロは満足そうに頷いた。
「大変参考になりました。もう一つだけ質問させてください。次のパーティーの予定はありますか?」
「それについては聞いていません」
リン教授は首を振った。
「しかし、チョウ家は定期的にこのような集まりを開いているようです」
話を終えると、カミロは礼を言って席を立った。
「お時間をいただき、ありがとうございました。そして、ユナギについての質問があったようですね」
リン教授の目が再び輝きを取り戻した。
「ぜひ、もし可能でしたら…」
僕は少し照れくさそうに耳を動かした。
「また機会があれば」
教授は嬉しそうに名刺を取り出した。
「ぜひいつでもご連絡ください。遺伝子融合型生物学の観点からも、ラゴモーフ系の方との会話は貴重な機会です」
大学を後にした僕たちは、再びトランスポッドに乗り込んだ。
「手応えはどうだ?」
カミロ所長が尋ねた。
「チョウ家という名前が出てきたことで、かなり状況が明確になりましたね」
アルクが答えた。
「特にチョウ・リンイーという人物が重要な鍵を握っているようです」
「僕も同感です」
僕は頷いた。
「彼女がオーロラ・セレスティアル大学に通っているという情報も有益ですね」
カミロ所長は満足そうに頷いた。
「今日はここまでだ。明日の朝、調査局で今日の情報を整理して、次の手を考えよう」
翌朝、希少存在調査局の所長室に集まった僕たちを、アンソニーが迎えてくれた。彼はいつもの完璧なスーツ姿で、静かに頭を下げた。
「お待ちしておりました。所長はすぐに参ります」
数分後、カミロ所長が大きな笑顔で入室してきた。
「おはよう、みんな!今日も張り切っていこう!」
彼は席に着くなり、すぐに本題に入った。
「昨日の調査結果をまとめよう。アンソニー、チョウ家についての情報を頼む」
アンソニーは半透明のディスプレイを起動し、整理された情報を表示させた。
「チョウ・ミンフイ氏、78歳。ノヴァスフィア有数の高級食品事業の創始者です。特に『伝統と革新の融合』をモットーに、過去の地球文化の食材を現代的に再解釈することで知られています」
情報画面には、白髪の威厳ある老人の写真が表示された。
「彼の会社『チョウ・デリカシーズ』は、ノヴァスフィア全域に高級食材を供給しています。しかし興味深いことに、彼は15年前に会社の公式な経営からは引退し、現在は『プライベート・ガーデン』と呼ばれる個人事業に注力しているようです」
「プライベート・ガーデン?」
僕の耳が興味で前傾した。
「はい。表向きは富裕層向けの観賞用庭園と高級農園を運営する事業ですが、詳細は極めて限られた情報しか公開されていません」
アンソニーは次の画面に移った。
「そして、チョウ・リンイーさん。ミンフイ氏の孫娘で、現在23歳。オーロラ・セレスティアル大学ビジネス学部の研究室に在籍しています。学業成績は極めて優秀で、すでに祖父の事業にも深く関わっているようです」
スクリーンには若く聡明そうな女性の写真が表示された。短めの黒髪と知的な表情を持ち、洗練された服装をしている。
「彼女は特に『伝統ビジネスのデジタル転換』に関心を持ち、論文も発表しています。さらに、キャンパス内の起業家クラブの会長を務め、学内でのイベントも多数主催しています」
カミロ所長は腕を組んで考え込んだ。
「彼女が青いストロベリーの販売促進を担当しているというのは興味深い。祖父の事業について知っていることは多そうだな」
「所長」
アルクが口を開いた。
「私とユナギでリンイーさんに接触する計画はいかがでしょうか。彼女の起業家クラブは定期的にミーティングを開いており、明日もキャンパス内で集会があるようです」
「よい考えだ」
カミロは頷いた。
「君たちなら彼女に警戒されにくいだろう。特にユナギは彼女と同年代に見えるし、珍しい外見で興味を引くこともできる」
「やってみます」
僕は決意を込めて言った。
「チョウ・リンイーに近づいて、青いストロベリーについての情報を引き出します」
「しかし、慎重に」
カミロ所長は真剣な表情になった。
「彼女はただの学生ではなく、祖父の事業で重要な役割を担っている。単純な質問では警戒されるだろう」
「どのようなアプローチがよいでしょうか?」
アルクが尋ねた。
カミロは少し考え、それから笑顔を見せた。
「君の容姿を最大限活用しよう。好都合なことに相手は若い女性だ。君が道に迷った素振りでもすれば、話しかけてくれる可能性は十分にある。ほかの女性に先に声をかけられないよう注意しながらターゲットに近づき、多少わざとらしくても道に迷ったふりをして彼女からのコンタクトを待ってみるのはどうだ」
「なるほど」
僕は頷いた。
「自分の希少性を武器にして、彼女の興味を引くわけですね」
「その通り!」
カミロは力強く言った。
「会話にこぎつけてしまえばこちらのものだ。自分の身分を明かしつつ、さまざまな植物の研究に携わる『チョウ・デリカシーズ』に希少存在調査局から相談したいことがある、というような話をして彼女とのつながりを作る。」
アンソニーが静かに割り込んだ。
「所長、リンイーさんが会長を務める起業家クラブは明日午後2時から『未来のビジネスチャンス——伝統と革新の融合』というテーマでセミナーを開催します」
「これは好都合だ」
カミロ所長は満足そうに言った。
「まさに青いストロベリーはその典型例だからな」
「私たちは一般参加者として潜入し、セミナー後にリンイーさんに接触するのが良いでしょう」
アルクが提案した。
「自然な流れで会話を始められます」
「賛成だ」
カミロは立ち上がった。
「では計画はこれで決まりだ。ユナギ、アルク、明日はお二人に任せる。私は別の方面からチョウ家の『プライベート・ガーデン』について調査しよう」
「承知しました」
アルクが答えた。
僕も頷いた。
「最善を尽くします」
所長室を出て廊下を歩きながら、僕は明日の作戦について考えを巡らせていた。今回は初めてアルクだけを伴っての潜入捜査だ。緊張はするが、新人調査官として一人前になるためのステップでもある。
「アルク、明日の服装はどうしよう?」
僕は少し不安になって尋ねた。
「大学のビジネスセミナーって、どんな感じなんだろう」
「心配はいりません」
アルクは微笑んだ。
「私が全て手配しておきます。学生にも研究者にも見える、適度にフォーマルな装いが良いでしょう」
トランスポッドでノーザンテラスに戻る途中、僕はチョウ・リンイーの写真を思い出していた。聡明で自信に満ちた表情の若い女性。彼女は青いストロベリーの謎にどう関わっているのだろう。単なる販売係なのか、それとも彼女自身が全てを知っているのか。
「明日が楽しみだ」
僕は小さく呟いた。
「初めての単独任務…といってもアルクも一緒だけど」
「私もです」
アルクは静かに答えた。
「私たちのチームワークを試す良い機会になるでしょう」
窓の外を見やると、ウィンターヘイブン区画の夕暮れが始まっていた。青いストロベリーの謎を追う旅は、まだ始まったばかり。明日は新たな展開を迎えるに違いない。
僕の耳が少し前傾した。期待と緊張が入り混じる気持ちを抑えきれないでいた。




