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第十四話「聞こえる声」

朝食会場は、穏やかな光と優しいBGMに包まれていた。申請がすんなり通れば明日は適性検査だというのに、不思議と緊張は感じない。むしろ期待感のほうが大きい。

僕はアルクと向かい合ってテーブルに座り、フルーツとヨーグルトを口に運んだ。甘酸っぱい風味が口いっぱいに広がる。


「明日の適性検査の予約は無事に取れました」


アルクは穏やかな表情で言った。


「うん、ありがとう」


僕は頷いた。


「明日は何時に出ればいいんだっけ?」


「検査開始は午前10時ですので、9時15分頃にホテルを出発するのが良いでしょう」


「了解」


しばらく静かに食事を続けた後、僕は考えていたことを口にした。


「ねぇ、アルク。昨日は僕が行きたいところに付き合ってもらったから、今日はアルクの行きたいところに行くのはどうかな?」


アルクは一瞬動きを止め、僕をじっと見つめた。その表情には明らかな驚きが浮かんでいる。


「私の…行きたいところ、ですか?」


「うん。アルクも何か見たいものとか、行ってみたい場所があるでしょ?」


アルクはしばらく考え込むような素振りを見せた。そして少しはにかんだような表情で言った。


「実は…ウィンターヘイブン植物園に一度行ってみたいと思っていました。少し遠いのですが…」


「植物園?」


「はい。特に『生態環境レプリカ区画』が見どころだそうです。地球時代の様々な生態系を再現しているとか…」


アルクは少し言葉を濁した。


「でも、時間がかかりますし、他に良い場所もあります」


「いいよ、植物園に行こう」


僕は即答した。


「アルクが植物好きだって言ってたの覚えてる。きっと詳しく説明もしてくれるだろうし」


「本当によろしいですか?」


「もちろん」


僕の耳が肯定するように前傾した。


「行き方は?」


アルクの顔が明るくなった。


「トランスポッドで最寄りのステーションまで行き、そこからシャトルに乗り換えです。所要時間は約40分ほど」


「じゃあ食事を終えたら部屋に戻って準備しよう」


食事を終え、部屋に戻って身支度を整えた。特に必要なものはなかったが、支給されたカードを持ち、軽装に整えた。

ホテルを出てトランスポッドのステーションへ向かう途中、アルクは植物園についての予備知識を教えてくれた。


「ウィンターヘイブン植物園は区画内でも最大級のバイオダイバーシティ施設です。単なる観賞用ではなく、種の保存や研究、教育を目的としています」


「へえ、すごいんだね」


「地球時代の絶滅危惧種から、テラフォーミング実験で生まれた新種まで、約8,000種の植物が展示されています。特に生態環境レプリカ区画は、地球上の様々な生態系を完全再現しているんです」


トランスポッドに乗り、窓外の景色を眺めながら会話を続けた。アルクの植物に関する知識は豊富で、話すときの表情も普段より生き生きしている。AIなのに趣味があるというのは不思議な感じもするが、それもまたこの世界の当たり前なのだろう。

約40分後、僕たちは植物園に到着した。入口は巨大なガラスドームになっており、中から溢れ出す緑が外からでも見える。


「ここが植物園か…」


僕は感嘆の声を上げた。

入場手続きをすると(アルクの助言で、僕の特例市民IDを使うと入場料が免除された)、中に入った僕たちを色とりどりの花々と豊かな緑が出迎えた。エントランスホールだけでも圧倒されるほどの植物の多様性がある。

植物園は予想以上に賑わっていた。家族連れが多く、小さな子どもたちが興味津々で植物を観察している。また、制服を着た学生たちのグループもあちこちに見られ、メモを取りながら真剣に植物を調べていた。

通路を歩いていると、突然、女子学生たちの小さな集団がこちらを見て小声でざわめき始めた。


「ねえ、あれ…」


「うさぎの耳…かわいい!」


「本物?アニメのコスプレ?」


彼女たちは興奮した様子で、そのうちの一人が恥ずかしそうに手を振ってきた。僕は少し照れながらも笑顔で手を振り返した。すると彼女たちはさらに盛り上がり、嬉しそうに小声で話し合っている。


「人気者ですね」


アルクが少し面白がって言った。


「まあ、ラゴモーフ系って珍しいって言ってたからね…」


僕は少し恥ずかしく耳を下げた。


「さて、生態環境レプリカ区画はこちらです」


アルクは案内板を指さした。


「どの環境に興味がありますか?熱帯雨林、砂漠、高山、海岸線など様々あります」


「うーん、どれも面白そうだけど…」


僕は案内板を眺めた。


「マダガスカル島の自然っていうのがあるね。なんとなく聞いたことがある気がする」


「良い選択です。マダガスカル島は地球上で最も生物多様性に富んだ島の一つでした。固有種も多く、特に植物相は非常に特徴的です」


案内板に従って進むと、大きなドームの入口に到着した。「マダガスカル・バイオーム」と書かれた入口をくぐると、まるで別世界に入り込んだような感覚に襲われた。

空気はじっとりと湿っており、独特の香りがする。頭上には巨大な木々が枝を広げ、床には様々な草花が生えている。遠くからは鳥の鳴き声も聞こえてくる。


「これは…すごい」


僕は驚きのあまり耳が上向きになった。


「完全な環境再現システムによって、温度、湿度、風、光の強さまで忠実に再現されています」


アルクは説明した。


「ここにいる植物はすべて、地球時代のマダガスカル島に実際に存在した種、またはその直系子孫です」


僕たちはゆっくりと区画内を散策した。アルクは様々な植物について詳しく説明してくれる。


「あれは『トラベラーズツリー』と呼ばれる植物です。葉の付き方が扇のように広がることから、その名がついています」


「あの奇妙な形の木は?」


「バオバブの木です。マダガスカル固有の種です。まるで逆さまに植えられたように見えませんか?根が空に向かって伸びているかのような…」


歩いているうちに、さまざまな植物の香りや色、形に心が躍った。ふと立ち止まって深呼吸すると、清々しい空気が肺いっぱいに広がる。

そのとき、突然だった。


「助けて、苦しい…」


かすかな声が聞こえた気がした。僕は立ち止まり、耳をピンと立てた。


「どうかしましたか?」


アルクが不思議そうに僕を見ている。


「今、声が聞こえなかった?」


「声ですか?」


アルクは首を傾げた。


「特に聞こえませんでしたが…」


僕はきょろきょろと周りを見回した。しかし、近くには他の訪問者もおらず、明らかな音源は見当たらない。


「おかしいな…」


再び歩き出したが、数歩進むとまた同じ声が聞こえた。


「苦しい…助けて…」


今度ははっきりと聞こえた。まるで僕の頭の中で直接響くような、不思議な感覚。


「また聞こえた」


僕は足を止めた。


「どこからだろう…」


視線を巡らせると、通路からわずかに見える奥まった場所に一本の木が目に入った。それほど大きくはないが、何かが違う。他の植物が生き生きとしているのに比べ、なんとなく元気がない。


「あの木…」


僕はその方向を指さした。


「なんか変だと思わない?」


アルクはその木を見つめ、分析するように目を細めた。


「外見上は特に異常は見受けられませんが…」


「なんだか…苦しんでるような気がするんだ」


言葉にすると馬鹿げているとわかっていたが、それでも言わずにはいられなかった。


「見に行ってもいい?」


「もちろんです」


僕たちは木に近づいた。パキポディウムというマダガスカル固有種の木だとアルクが説明した。トゲのある太い幹と上部に広がる緑の葉が特徴的だ。確かに近くで見ても、一般的な観察者には問題がないように見える。


「声が聞こえたって言っていましたけど…」


アルクは慎重に言葉を選んでいる。


「どんな声だったのですか?」


「苦しいとか、助けてという…」


言いながら自分でも信じられなくなってきた。


「馬鹿みたいだよね、木が話すなんて」


「いいえ」


アルクは真剣な表情で言った。


「念のため、施設のAIに連絡してみましょう。植物に異常があれば、早期発見が重要です」


アルクは一瞬静止し、目が青く光った。


「ウィンターヘイブン植物園のメインAIに状況を報告しました。調査ドローンを派遣するとのことです」


「ごめん、こんな曖昧な理由で…」


「いいえ、これも施設の運営上重要な情報です。生物の異常は初期段階では微妙な変化しか見られないことも多いのです」


僕たちはそれ以上その木について話すことなく、区画内の探索を続けた。しかし、僕の心には引っかかりが残っていた。あの声は何だったのか。実際に聞こえたのか、それとも単なる思い込みだったのか。

区画内をひととおり見た後、僕たちは出口に向かった。帰り際、展示の解説を読んでいると、突然スーツを着た中年の男性が近づいてきた。

男性はまずアルクに視線を向け、礼儀正しく会話を始めた。


「失礼いたします。AIパートナーの方、あなたのパートナーがユナギさんでしょうか?」


アルクは穏やかに応じた。


「はい、こちらがユナギです。何かご用件でしょうか?」


男性は頷き、今度は僕に視線を移した。


「植物園科学部門のテオ・リチャードソンです」


男性は自己紹介した。


「先ほどのパキポディウムの件で連絡がありまして」


「あ、はい…」


僕は少し気まずく感じた。


「何か問題が…」


「実は、ドローンによる詳細スキャンを行ったところ、根元部分にトリコフィトン・アルボラという菌類の感染が確認されました」


リチャードソンはタブレットを見せてきた。


「非常に初期段階で、特にパキポディウムのようなトゲのある幹を持つ植物では、通常の点検では発見できないレベルでした」


「え?本当に?」


「はい。この菌は最初は小さな感染でも、放置すると木全体に広がり、さらには周囲の植物にも感染する可能性があります。早期発見のおかげで、他の植物への感染拡大を防ぐことができました」


「それは…良かった」


「どうやって異常に気づいたのですか?」リチャードソンは純粋な好奇心から尋ねてきた。「外見からは全く判断できない状態だったのですが」


「それが…」


僕はどう説明していいか分からなかった。声が聞こえたとは言えない。


「なんというか…直感というか…」


「直感ですか?」


「はい、なんとなく…その木だけ違和感があって…」


僕は言葉を濁した。


「自分でもよく分からないんです、すみません」


リチャードソンは少し首を傾げたが、それ以上は追及しなかった。


「いずれにせよ、早期発見に感謝します。これで適切な処置が可能になりました」


彼は僕とアルクに軽く頭を下げた。


「お二人のおかげで多くの植物が救われました」


「いえ、そんな…」


「もしよかったら、次回はVIPとしてご案内させていただきますよ。裏側の研究施設なども」


「ありがとうございます」


アルクが礼儀正しく応じた。

リチャードソンと別れ、僕たちは植物園を後にした。帰りのシャトルに乗り込み、席に座った時、アルクが静かに言った。


「不思議な出来事でしたね」


「うん…」


僕は窓の外を眺めた。


「アルクは…変だと思わない?僕が声を聞いたって言ったこと」


「必ずしも変だとは思いません」


アルクは慎重に言葉を選んでいるようだった。


「人間の直感や感覚は、時に科学的な検知器よりも鋭いことがあります」


「そうかな…」


「いずれにせよ、植物の命が救われたのは事実です」アルクは微笑んだ。「今日はとても興味深い一日でした。お付き合いいただき、ありがとうございます」


「僕こそ。アルクのおかげで色々勉強になったよ」


ホテルに戻る道すがら、僕は自分の中の違和感と向き合っていた。あの声は何だったのか。本当に木が語りかけてきたのか、それとも単なる思い込みだったのか。

答えは見つからないまま、トランスポッドは静かにウィンターヘイブンの中心部へと戻っていった。明日の適性検査のことを考えると少し緊張するが、今日の不思議な体験のほうが心に引っかかっていた。

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