第十二話「生きる意味」
ホテルに帰る道すがら、僕は空を見上げた。日が落ち始め、少しずつ星が見え始めている。昨日までは上空にあるのは他の区画だと思っていたけれど、よく見ると確かに星のような点が見える。
「あれ…?」
ふと疑問が浮かんだ。ノヴァスフィアは恒星を包み込む巨大な球体なのに、なぜ星空が見えるのだろう?外部の星が見えるためには、球体に穴が空いているか、あるいは光を通す素材で作られていなければならない。でも後者なら、恒星の有害な放射線も通してしまうはずだ。
しかし、この疑問はすぐに脇に置いた。クッキーの入った袋を持ち、アルクと並んで歩くこの時間を楽しみたかった。また機会があれば質問してみよう。
ホテルに到着し、部屋に入ると、アルクが提案した。
「クッキーを食べながら、適性検査について話しましょうか」
僕はクッキーの袋を開け、テーブルの上に並べた。色とりどりの形の異なるクッキーは、見た目にも美しい。一つかじってみると、バターの風味が口いっぱいに広がる。
「美味しい!」
思わず声が出た。
「食べる?…あ、でもAIだから必要ないよね?」
アルクは柔らかく微笑んだ。
「ありがとう。確かに栄養摂取の必要はありませんが、味を感じることはできます。ただ、今はあなたにお任せします」
僕はもう一枚のクッキーを手に取り、適性検査について尋ねた。
「それで、適性検査ってどんなことをするの?」
アルクはテーブルの前に座り、空中にいくつかの図表を映し出した。
「適性検査は大きく分けて、認知能力テスト、関心領域調査、適性傾向分析の三つの部分から構成されています。全体で約4時間から5時間程度で、結果に基づいて可能性のある活動領域が提案されます」
「活動領域?」
「はい。ノヴァスフィアでは従来の意味での『仕事』という概念が大きく変わっています」
アルクは図を切り替えた。
「基本的に、AIとインフラ維持に従事する人間だけで、社会の基本機能は維持できる状態になっています」
「え?じゃあ、みんな何してるの?」
アルクは図表を広げながら詳しく説明し始めた。
「ノヴァスフィアの住民の活動は、緩やかに分類すると大きく七つのカテゴリーに分けられます」
空中に浮かぶ円グラフは、様々な色のセグメントに分かれていた。
「まず一つ目は、従来型の職業活動です。企業、行政機関、店舗、個人事業などのビジネスに従事する人々です。人口の約18%がこのカテゴリーに入ります」
「思ったより少ないね」
「そうですね。彼らの多くは、特に創造的な意思決定や高度な判断が必要な領域で活動しています。例えば、新規区画のデザイン、区画間交渉、特殊技術開発などです」
アルクは次のセグメントを指し示した。
「二つ目は創作活動従事者です。絵画、音楽、文学、その他芸術に関わる創作を行う人々で、約22%の人口を占めています。彼らは『クリエイティブ・クレジット』と呼ばれる特殊な評価システムの下で活動し、作品の社会的影響や芸術的価値に基づいて報酬を得ています」
「ノヴァスフィアでは芸術が重要なんだね」
僕は感心した。
「はい。技術的に基本的ニーズが満たされた社会では、精神的・文化的な充足がより重要になります。芸術はその中核をなすものです」
アルクは続けた。
「三つ目は競技活動従事者です。スポーツ選手、ゲームプレイヤー、その他競争的活動を行う人々で、約15%を占めます。単なる娯楽にとどまらず、人間の競争本能と達成感を満たす重要な社会的機能を果たしています」
「ゲームプレイヤーも職業になるんだ」
「はい。特に高度な思考ゲームや、身体・精神の極限に挑戦するゲームは、高い社会的評価を受けています。『チェス2.0』や『麻雀』などは、歴史も長いため、観戦者も多い人気競技です」
「四つ目は科学研究従事者です。彼らはAIと協力して様々な科学分野の研究を進めています。人口の約12%を占め、主に直感や創造性、批判的思考といった人間特有の能力を活かした領域で貢献しています」
僕はクッキーをかじりながら、熱心に聞き入った。アルクは次のセグメントへと移った。
「五つ目は社会活動従事者です。宗教や政治活動、コミュニティ構築など、人々の生活や思想に関わる活動を行う人々で、約8%います。彼らは社会の絆や文化的連続性を維持する上で重要な役割を果たしています」
「宗教も残っているんだ」
「はい。形を変えながらも多くの地球の宗教が継続しています。また、ノヴァスフィア特有の新しい信仰体系も生まれています。例えば『スフィアリズム』という球体信仰や、『ソーラーウェイ』と呼ばれる太陽崇拝などです」
次に、アルクは大きなセグメントを指さした。
「六つ目のカテゴリーは、明確な活動に従事していない人々です。彼らは人口の約20%を占めます」
「そんなに多いの?」
「はい。AIとの共生によって基本的なニーズが満たされる社会では、必ずしも生産的活動に従事する必要がないのです。彼らの中には、AIへの依存度が高く、主体性を失っている人々もいます。これは社会問題の一つとして認識されています」
「難しい問題だね。何か対策はされているの?」
「『自己決断トレーニング』や『インディペンデント・アクション・クレジット』などの制度が設けられています。また、定期的に『オートノミー・ウィーク』という、AIの補助を最小限に抑える週間も設定されています」
「最後に、七つ目は療養中の人々です。身体的・精神的な療養が必要な人々で、約5%います。彼らに対しては特別な医療・福祉サービスが提供されています」
一通りの説明を聞いて、僕は少し考え込んだ。前世の記憶からは、「働かなければ生きていけない」という価値観がまだ強く残っている。何もしなくても生きていける世界というのは、ある意味で理想的だけれど、同時に不安でもある。
「どうしましたか?」
アルクが僕の表情の変化に気づいたようだ。
「なんか…何か働いていないと落ち着かない気がするんだ」
正直な気持ちを口にした。
「どこかに所属して、何かをする必要があるような…」
「それは自然な感覚です」
アルクは優しく言った。
「人間には貢献欲求があります。社会に何らかの形で関わり、価値を提供したいという欲求です。それは素晴らしいことですよ」
「そういえば…」
僕はふと疑問を持った。
「生活が保障されている世界で、お金…じゃなくてクレジットって何に使うの?」
「良い質問です」
アルクは新しい図表を表示した。
「クレジットの主な使用目的をいくつか説明しましょう」
「まず、より質の高い居住空間です。基本生活保障で提供される住居よりも広い家や、優れた立地、特別な設備を備えた住居に住むには追加クレジットが必要です」
「次に移動手段です。公共交通機関は基本的に無料ですが、私有の移動手段を持つにはクレジットが必要です。特に区画間を自由に移動できる個人用トランスポッドは人気があります」
「三つ目は旅行です。ノヴァスフィア内の様々な区画への旅行はもちろん、他の惑星や球体への宇宙旅行も人気があります。特に地球への訪問は、高価ながらも非常に人気の高い旅行先です」
「地球にも行けるの?」
僕は目を見開いた。
「はい。ただし、環境保護の観点から訪問者数は厳しく制限されています。特別な許可と相当量のエクスペリエンス・クレジットが必要です」
アルクはさらに続けた。
「四つ目は体験型エンターテイメントです。『リアルタイム経験創造』と呼ばれる高度な体験型コンテンツは、通常のAIシミュレーションを超える没入感を提供します。歴史的出来事への擬似参加、想像上の世界での冒険、惑星探査シミュレーションなど、非常に人気があります」
「それ、すごく面白そう!」
僕の耳が興奮で前傾した。
「確かに人気の高い活動です」
アルクも嬉しそうに応じた。
「続いて五つ目は、コレクション活動です。地球文明の希少なアーティファクトや他惑星系の珍しい物品を収集する趣味です。紙の書籍や古代の美術品、20-21世紀のアナログメディアなどが特に価値があります」
「紙の本もコレクションの対象なんだ!」
前に本屋の話をした時のことを思い出した。
「はい。あなたが興味を持っていた紙の本は、今ではむしろ希少なコレクターズアイテムとして扱われています」
「最後に六つ目として、生命拡張サービスがあります。標準的な医療システムで保証される以上の生命拡張技術、例えば高度な若返り処置や記憶能力拡張、身体能力の特殊強化などには追加クレジットが必要です」
説明を聞き終えて、僕はすっかり興味を引かれていた。特に体験型エンターテイメントとコレクション活動が気になる。
「体験型エンターテイメントとコレクション活動、両方とも興味あるな」
「素晴らしい選択です」
アルクは微笑んだ。
「ただ、どちらも決して安くはない趣味です。特にコレクションは、物によっては非常に高額になることも」
「そうだよね…」
僕の耳が少し下がった。
「でも心配ありません」
アルクは励ますように言った。
「これから一緒に頑張っていきましょう。適切な活動を見つけて、少しずつ目標に近づいていけば良いのです」
僕はその言葉に少し元気づけられた。
「じゃあ…」
少し考えながら言った。
「せっかくだからいろいろなところを見て回れる仕事がいいな」
「素晴らしいアイデアです」
アルクが目を輝かせた。
「ぜひ適性検査でそういった希望を伝えるべきです。移動を伴う活動は数多くあります。区画間調停官、環境システム監査官、文化遺産調査員、市民データベース整合性監査官など、様々な可能性があります」
「そうなんだ、楽しみになってきた」
僕は期待を込めて言った。
そろそろ空腹を感じ始めたが、クッキーをかなり食べてしまったので軽い夕食で十分だった。
「晩御飯、何か軽いものにしようか」
僕は提案した。
「フルーツサンドみたいな」
「良い選択です」
アルクは頷いた。
「ルームサービスを呼びましょうか」
「お願い」
アルクがコンソールに指示を出し、しばらくするとフルーツサンドとハーブティーが届いた。軽い夕食を終えると、僕はシャワーを浴びることにした。
湯船に浸かりながら、今日一日のことを振り返る。新しい世界での暮らし、アルクとの会話、そして将来の可能性。少しずつだけど、この世界に自分の居場所を見つけられそうな気がしてきた。
シャワーを浴び終え、専用ドライヤーで体を乾かした後、寝間着に着替えてベッドに横になった。
「コンソール、照明を落として」
部屋が暗くなり、天井に星空が投影された。アルクの姿が淡い青灰色の光の球体に変わる。これまでは人型の姿でいたので、少し驚いた。
「そうやって休むの?」
僕は思わず尋ねた。
アルクは光球のままで、どこか笑いを含んだような声で答えた。
「ええ、そうです。私たちは常に人型の形態を維持する必要はありません。特に主人が休息中は、こうしてエネルギー消費を抑えるのが一般的です」
「そっか…」
僕は微笑んだ。
「おやすみ、アルク」
「おやすみなさい、ユナギ」
アルクの光が少し暗くなった。
僕は天井の星空を見上げながら、静かに目を閉じた。この新しい世界で、自分らしく生きていくための第一歩を踏み出した気がする。明日はどんな日になるだろう。そんなことを考えながら、僕は穏やかな眠りに落ちていった。




