第十一話「買い物と思案」
「ウィンターマート」の入口に立つと、自動ドアが静かに開いて僕たちを迎え入れた。中に一歩踏み入れると、広大な空間が広がっている。上階へと続くエスカレーター、様々な商品が並ぶ売り場、そして天井からはやわらかな光が降り注いでいる。
「すごい…」
思わず声が漏れた。
前世の記憶にあるデパートとは比べものにならない洗練された空間。そして何より、商品の種類の豊富さに圧倒される。僕の耳が好奇心で前傾し、鼻先が小刻みに動いた。
「どのフロアから見ますか?」
アルクが尋ねた。
「えっと…日用品からかな」
アルクの案内で向かった日用品フロアには、ありとあらゆる生活用品が並んでいた。食器コーナーに足を踏み入れると、シンプルなものから芸術的な装飾が施されたものまで、様々な種類の皿やカップが並んでいる。
「これ、前世…じゃなくて、僕が知っている食器とあまり変わらないね」
思わず口にした。
「基本的な道具の形状は、機能に最適化されると収束する傾向があります」
アルクは学術的な口調で言った。
「食器のような基本的な道具は、数百年経っても大きく変化しません」
文房具売り場も同様だった。ペンや紙の基本的な形状は変わっていないものの、素材や機能性は明らかに進化している。ペンはほとんど重さを感じないほど軽く、紙は通常の紙とデジタルペーパーの両方の特性を持つハイブリッド素材になっていた。
しかし、電子機器のコーナーに来ると状況は一変する。見慣れない形状の機器が数多く並び、その用途が一見しただけではわからないものも多い。特に目を引いたのは「パーソナルインターフェイス」と表示された売り場だった。
「これは何?」
僕はショーケースを指さした。中には小さな光る球体が数種類陳列されていた。
「パーソナルインターフェイスです」
アルクが説明した。
「ウェアラブル端末の最新進化形ですね。かつてはメガネ型やブレスレット型が主流でしたが、現在はホテルのキーのように体内に取り込む形式が一般的です」
「体内に…?」
僕は驚いて耳が上向いた。
「はい。皮膚からナノスケールの接続部が神経系と結合し、思考による制御が可能になります。クレジット決済、通信、ネットワークアクセス、その他様々な機能が内蔵されています」
「すごいな…」
僕は感嘆しながらも、少し怖さも感じた。
「でも、体に何か入れるのは…」
「抵抗を感じる方もいます」
アルクは理解を示すように頷いた。
「特に地球時代の価値観を持つ方には。しかし、安全性は徹底的に検証されていますし、拒否反応がほとんどないよう設計されています」
アルクは少し表示板を指さした。
「ちなみに、あなたが現在使用している暫定IDカードも、将来的には同様のシステムに移行することになります。住所が決まり各種手続きが完了すれば、正式なパーソナルインターフェイスが支給されるでしょう」
「そうなんだ…」
僕は複雑な心境で展示を見つめた。技術の進歩に驚きつつも、自分の体に何かを埋め込むという発想には抵抗がある。前世の価値観が根強く残っているのだろう。
他の売り場も見て回りながら、アルクが質問してきた。
「結局、何を買いに来たのですか?」
「実は…」
僕は少し照れたように耳を下げた。
「特に目的があったわけじゃないんだ。このあたりのお店がどんな感じか体験してみたくて」
「なるほど」
アルクは微笑んだ。
「実地体験は理解を深めるのに効果的です」
「せっかくだから、何か買おうかな」
僕は周囲を見回した。
「おやつにでもなるものがあれば」
食品コーナーに移動し、最終的に目にとまったのは「クラシック・アソート・クッキー」というパッケージ。透明な容器に詰められた色とりどりのクッキーが食欲をそそる。
「これにしよう」
僕はクッキーを手に取った。
レジカウンターには店員はおらず、セルフチェックアウト用の端末が並んでいた。少し緊張しながら、僕は端末に近づいた。
「商品をスキャンエリアに置いてください」
端末が優しく指示した。
クッキーを置くと、即座に商品情報が表示される。
「クラシック・アソート・クッキー。エナジー・クレジット12ポイント。支払い方法を選択してください」
暫定IDカードをかざすと、
「承認されました。ありがとうございます」
という表示とともに、取引が完了した。思ったより簡単だ。
「無事に買い物体験ができましたね」
アルクが言った。
「何かほかに見たいものはありますか?」
「いや、今日はこれでいいよ」
僕は店を出ながら答えた。
外に出ると、空はすでに夕方の色合いに変わり始めていた。上空に見える他の区画が、少しずつ夜の灯りを灯し始めている。僕たちはゆっくりと歩き始めた。
「ところで…」
僕は少し考え込むように言った。
「この数日間、つまり住居が決まるまで、何をして過ごせばいいんだろう?」
アルクは僕の横顔を観察しているようだった。
「記憶があまりない状況では、具体的にやりたいことを思いつくのは難しいかもしれませんね。何か興味を引くこと、行きたい場所、施設、お店…あるいはその他のヒントがあれば、案内することができます」
僕は前世の記憶を思い返してみた。休日には何をしていただろう?そうだ、本を読むことが好きだった。新刊を探しに書店に行ったり、図書館で静かに過ごしたり…。
「…本屋かなぁ」
つい小さな声でつぶやいた。
「本でしたら、タブレット端末から購入できますよ」
アルクがすぐに提案した。
「ホテルのコンソールからでも簡単にアクセスできます」
「いや、紙の本が好きだったような気がするんだ」
僕は懐かしさを感じながら言った。
「本の匂いとか、ページをめくる感触とか…」
アルクは少し驚いたような表情を見せた。
「ずいぶん古典的な趣味ですね」
彼は微笑んだ。
「現代ではほとんどの情報がデジタル化されていて、紙の本はかなり希少になっています。『アンティーク・ブックストア』と呼ばれる専門店ならあるかもしれませんが、一般的なものではなくなりました」
「そうか…」
少し残念な気持ちになった。耳がわずかに下がる。
しばらく黙って歩いていると、これまでの数日間で経験したことが頭の中を巡り始めた。リア教官との会話、市民適応オリエンテーション、そして…そうだ、適性検査。
「そういえば、職業の適性検査を受けることになってるんだった」
僕は思い出したように言った。
その途端、前世の記憶にある学校の入学試験や就職面接のような緊張感がよみがえってきた。何か特別な準備が必要なのだろうか?
「適性検査って、何か対策とかあるのかな?」
僕は不安げに尋ねた。
アルクは優しい表情で僕を見た。
「心配する必要はありません。ノヴァスフィアの適性検査は、あなたを評価するためではなく、あなたの強みや関心を発見するためのものです。正解や不正解はなく、あなたの本質を見極めるための手段です」
「でも…」
「ホテルに戻りましょう」
アルクが提案した。
「落ち着いた環境で、適性検査についておさらいし、仕事や社会貢献についても相談できます。まずはあなたの気持ちを整理して、それからあなたのやりたいことを見つけていきましょう。私がお手伝いします」
「ありがとう」
僕は少し安心した様子で頷いた。
二人でホテルに向かいながら、僕はクッキーの入った袋を大事そうに持っていた。最初の買い物の記念品のような気がして。
「アルク、この世界のこと、色々教えてくれて本当にありがとう」
僕は率直な気持ちを口にした。
「それが私の役目です」
アルクは微笑んだ。
「でも、単なる役目以上に、あなたと過ごす時間は楽しいです」
その言葉に、僕の耳が嬉しそうに前傾した。まだ始まったばかりのこの奇妙な関係だけど、少しずつ、信頼を築いていけそうな気がする。そして彼の助けを借りながら、この新しい世界での自分の居場所を見つけられるかもしれない。
ホテルへの道すがら、クッキーの甘い香りが袋から漂い、僕たちを包み込んでいた。




