第十話「好奇心の街で」
ウィンターヘイブンの中央広場に向かう道は、思ったより賑やかだった。建物のガラス面が太陽光を反射し、歩道には様々な種類の植物が配されている。人々は思い思いの格好で行き交い、時折浮遊型のドローンが上空を通り過ぎる。
アルクは自然な間隔で僕の横を歩いていた。その姿は完全に人間のように見え、彼がAIだと知らなければ、まったく区別がつかないだろう。
「ここから広場までは徒歩で約10分です」
アルクが説明した。
「右手に見えるのはウィンターヘイブン芸術センター。季節ごとに展示が変わります」
僕は周囲の建築物に見入っていた。前世の記憶にある都市の姿とは全く異なる洗練された美しさがある。そんなことを考えていると、突然、目の前に一人の女性が現れた。
若い女性で、青みがかった灰色の制服のようなシンプルな服装をしている。銀色がかった淡い金髪と澄んだ青い瞳が特徴的だ。彼女は僕に一瞥をくれただけで、直接アルクに向かって話しかけてきた。
「こんにちは。シンクロナイズド・コンパニオン識別子AR-2718、通称アルク様ですね」
「はい、そうです」
アルクが丁寧に応答した。
「あなたは?」
「私はシンクロナイズド・コンパニオン識別子KL-5491、通称キアラです」
彼女は微笑んだ。
「私のパートナーがあなたのラゴモーフ系パートナーに大変興味を持っています」
僕は状況がよく理解できず、困惑した表情でアルクを見た。耳が少し後ろに倒れている。
アルクは僕に向き直り、優しく説明した。
「ノヴァスフィアでは、初対面の相手に直接話しかけることは稀です。特に個人的な関心があるような場合は、まずコンパニオン同士で交流の意向を確認するのが一般的です」
「そうなの?」
僕は驚いて耳が動いた。
その瞬間、行政センターの待合室で出会ったリナと母親のことを思い出した。リナが直接僕に話しかけてきたとき、母親が「リナ、走っちゃダメって言ったでしょ」と慌てていたこと、そして「失礼ですが…着ぐるみですか?」と恐る恐る話しかけてきた様子。あの時の母親の戸惑いと気まずそうな表情が、今になって理解できた。子どもはともかく、大人が見知らぬ人に直接話しかけるのは社会的マナー違反だったのだ。
「なるほど。だからリナのお母さんはあんなに恐縮していたんだね…」
僕は小さく呟いた。
アルクは少し首を傾げたが、質問はせずに続けた。
「はい。キアラさんのパートナーはあなたに会いたいようです。おそらくラゴモーフ系市民を初めて目にして、興味を持ったのでしょう」
「そうです」
キアラが頷いた。
「私のパートナーのマリアはラゴモーフ系市民を見るのは初めてで、できればお話ししたいと思っています」
アルクは僕の方を見て、静かに助言した。
「ユナギ、これからきっとあなたはたくさんの人に関心を持たれるでしょう。すべてに丁寧に対応していてはキリがないかもしれません」
そして少し声を落として続けた。
「もし会話するなら、これからランチを取ることは伝えず、軽く挨拶する程度がよいのではないでしょうか?」
僕は少し考えた。確かにアルクの言うことには理があるし、前世の日本でも見知らぬ人に声をかけることはあまりない文化だった。でも同時に、この新しい世界で初めて関心を持ってくれた人に、冷たくする理由もない。
「うん、少し話してみるよ」
僕は頷いた。
アルクはキアラに向き直った。
「短時間であれば、喜んでお会いします」
キアラは柔らかく微笑み、少し離れた場所に向かって手を軽く挙げた。すると、ベンチに座っていた女性が立ち上がり、こちらに向かってきた。
キアラと同じくらいの身長で、緩いウェーブがかかったブラウンヘアの女性。20代後半といったところだろうか。彼女は少し緊張した様子で近づいてきた。
「こんにちは」
彼女は恥ずかしそうに挨拶した。
「私、マリアです。突然すみません…でも、どうしても…」
彼女は言葉に詰まり、キアラを見た。
「マリアはどうしてもあなたに触れてみたくなって、声をかけてもらいました」
キアラが代わりに説明した。
「触れる?」
僕は少し驚いたが、悪い気はしなかった。むしろ好奇心の方が勝った。
「まあ、いいよ」
僕は手を差し出した。マリアは嬉しそうに、でも恐る恐る僕の手を取った。
「温かい…そして、毛並みが本当に柔らかい」
彼女は驚いたように呟いた。
「失礼かもしれませんが…頭も撫でてみてもいいですか?」
僕は少し恥ずかしくなったが、頷いて少し身をかがめた。マリアは慎重に手を伸ばし、僕の頭と耳の間を優しく撫でた。
「わぁ…本当に柔らかい」
彼女の顔に純粋な喜びが浮かんだ。
「ありがとうございます。こんな素敵な体験をさせてくれて」
「どういたしまして」
僕は微笑んだ。耳がほんの少し前に傾いている。
マリアはもう一度礼を言い、キアラと共に去っていった。アルクと僕は彼女たちが視界から消えるまで見送った。
「変な体験だったね」
僕は少し照れながら言った。
「珍しいものへの好奇心は自然なことです」
アルクは穏やかに答えた。
「きっと彼女にとって忘れられない思い出になったと思います」
僕たちは再び歩き始め、数分後には中央広場に到着した。広場は円形で、中央には大きな噴水があり、周囲には様々な店舗が立ち並んでいた。アルクが案内する「フロスト・ガーデン」は、噴水の向かいにある2階建ての建物だった。
「少し人気店なので、混んでいるかもしれません」
アルクが言った。
店内に入ると、予想通り多くの客で賑わっていた。インテリアは白と淡い青を基調としており、壁には巨大な窓が設けられ、中央広場と上空の区画が見渡せるようになっている。植物が随所に配されており、まさに「ガーデン」の名にふさわしい雰囲気だ。
「いらっしゃいませ」
受付のスタッフが微笑んだ。
「お二人様ですね」
アルクが頷くと、スタッフは僕たちを窓際のテーブルに案内した。席に着くと、すぐにメニューが提供された。
僕はメニューを眺めながら、周囲の様子に目を向けた。客の大半が女性で、おしゃれな服装をした若い女性グループが多い。そして、気がつくとかなりの人が僕たちの方を見ていることに気づいた。
「みんな、こっちを見てる…」
僕は少し耳を下げながら呟いた。
アルクは穏やかに微笑んだ。
「このレストランは『ファンタジー・ガーデン』をコンセプトにしています。白いラゴモーフと少年風の同伴者というのは、まさにそのテーマに合っているのでしょう」
「そっか…」
注文を取りに来たウェイターに、アルクはチーズとハムの入ったクレープとフレッシュサラダを、僕はそれに加えてフルーツタルトも注文した。
料理が運ばれてくると、その美しい盛り付けに目を奪われた。クレープは薄く焼き上げられ、中からとろけるチーズとジューシーなハムが顔を覗かせている。サラダは色とりどりの葉野菜と新鮮な野菜が彩りよく盛られ、上品なドレッシングがかけられていた。
「いただきます」
僕は小さく言って、クレープに箸を入れた。クレープはサクッとした食感で、中のチーズのコクと塩気の効いたハムの味が絶妙に調和している。サラダも瑞々しく、ドレッシングの酸味と甘みのバランスが良い。
「美味しい!」
思わず声が漏れた。
「うれしいです」
アルクも微笑んだ。
「このレストランは食材の質にこだわっていることで知られています」
食事をしながら、周囲の会話が耳に入ってきた。
「あの子、どうなってるの?あんなリアルなコスプレなんてあるの?」
「耳が本当に動いてるよ…すごい技術ね」
「でも公式イベントでもないのに着ぐるみ?ちょっと変わってるわね」
「隣の子も綺麗。少年みたいだけど、どこか大人びた表情が素敵」
明らかに僕たちのことを話題にしている。僕は少し恥ずかしくなって耳を下げたが、アルクは何も気にしていないようだった。
デザートのフルーツタルトは見た目も味も感動的だった。新鮮なベリー類とカットされた果物が彩り豊かに並べられ、タルト生地はサクサクで、カスタードクリームの滑らかさが口の中で溶けていく。
「これ、本当に美味しい」
僕は心から言った。
「フルーツタルトはこのお店の看板メニューです」
アルクは嬉しそうに答えた。
「今度は家で作ってみましょうか?基本的な材料があれば、私も手伝えます」
「うん、ぜひやってみたい」
食後のハーブティーを早々に飲み干し、僕たちは会計を済ませた。店を出ると、透き通るような青空の下、再び中央広場の喧騒が広がっていた。
少し歩いてから、僕はアルクに声をかけた。
「あの、日用品が見たいんだけど…そういうお店に連れて行ってもらえる?」
「もちろんです」
アルクはすぐに答えた。
「中央広場の北側に『ウィンターマート』というデパートがあります。様々な日用品を扱っています」
「ありがとう」
僕たちは並んで歩き始めた。アルクの姿は確かに魅力的で、すれ違う人々の多くが彼に視線を向けていることに気づく。少年のような外見でありながら、その佇まいには不思議な成熟さと優雅さがあった。
こんな存在と一緒に過ごすのは、少し不思議な感覚だ。でも、悪くない。むしろ、この新しい世界で初めて、本当の意味での安心感を覚えたかもしれない。
僕の耳が少し前に傾き、新しい一日の続きへの期待を静かに表していた。




