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ハリユ王国物語  作者: ねむのき新月
20/24

4章の3 新月の前の夜

 見付かると面倒な巡回の警邏兵をなんとかやり過ごし、灯りを持たないファリーヤのために、ラシードは片手にランプを持っていた。


 少女は夢遊病のようにふらふらと歩き続け、城壁を越えた。

 正規の門ではなく、抜け穴のようなところから外へ出るに際に、ラシードは修理を兄に伝えなければと心に止める。


 そうこうしているうちに、ファリーヤの足が止まった。


 見回せば、そこは城壁外側の北西に作られた墓所だった。

 ただ石だけが刺さっているような墓もあれば、四阿のような立派な設えの墓もある。


「盲点だったわ。確かにここが一番安全よね。それに、お祖母様なら、ダレイスのこと、きっと笑って許してくれるもの」


 久し振りに口を開いたファリーヤは、ラシードを誘いつつ、奥のほうにある四阿へ向かう。


「うちの墓地。お祖母様が眠ってるの」


 祖母の名――『ネイラ』と刻まれた墓石を巡り、裏へ回る。

 そしてしゃがみこんで、墓石を回転させた。すると、地下へ続く階段が現れる。


「――随分、立派な墓なんだな」


 大がかりな仕掛けに唖然として、ただそれだけの感想を述べるラシードに、ファリーヤは苦笑する。


「あたしもそう思う。あたしの両親は海で亡くなったから、亡骸はここにはないの。いるのはお祖母様だけなんだけど」


 タリクはネイラに安らかな寝所を用意したかった。いずれ自分も入ることになるからと、一商人には不相応なほどの墓を建てた。


「お祖父様が結婚したときは小さな借家住まいで、この地下はそこを似せて作ったんですって。奥のほうの、寝室にあたる部分に、お祖母様が眠っているって聞いてるわ。それ以外は、普通に暮らせる作りになってるのよ」


 灌漑水路から水を引き、明かり取りの窓も小さなかまどもある。


「食料が問題だけど。あたし、最初の家捜しを間違えたのね。あれはダレイスが自分でやったんだわ。家中の食料をかき集めたのよ、きっと。保存用の乾し肉や小麦粉や油まで持って、ここに引きこもってるんだわ」


 ふたりは足元に気を付けつつゆっくりと降り、階段が終わるところは、開け放たれた玄関に当たっていた。


 そしてかすかに揺れる灯に、ファリーヤは探し求めた存在を見出す。


「ダレイス!」

「ああ、おまえが探しに来ると思ってたよ。ちょっと日にちの感覚があやふやになってたところだったんだけど、ようやく新月かな?」


 奥の方から男性の声がして、ラシードは目を凝らす。


 軽く波打つ長髪は肩のあたりでひとつに結わえられている。

 背が高く、鋭さを持った圧倒的な美形だが、人懐っこそうな表情がそれを柔らかくしていた。

 のんびりとした動作は怠惰そうに見えるが、すべてに対応できる能力を持つ余裕の現れともとれた。


「新月は明日よ」


 ファリーヤは腰に手を当て怒鳴った。


「ダレイス! いつも面倒ばっかり起こさないでよね! お祖父様の評価が下がる一方じゃないの!」

「今回はおれのせいじゃないよ。ああ、大丈夫だよ、ザフラ。おれの知り合いだ」

「ザフラ? 王宮から壺を盗んだ侍女か?」


 突然あがったラシードの鋭い声に、ザフラが身を竦める。


「あ、あの」

「まぁまぁ、ちょっと待って。きみ誰?」

「王弟殿下のラシードよ」


 応じたのはファリーヤで、それにザフラがはっと腰を折るものの、ダレイスは平然としたものだ。


「ええと。ファリーヤとどういう知り合いなのかとか、どうしてここにいるのかとか聞きたいことは山とあるけど、あとにしよう。実はその壺がいま大変なことになってるんだよ」

「本当よ! 大変なことに――。ダレイス。なんなのそれ……?」


 ファリーヤが指さす先――暗がりから出てきたダレイスの右手は、すっぽり壺の中に消えていた。肩に壺がくっついている状態と言ったほうが早いだろう。


「大変でしょ?」

「そ、そうね。どうしてこんなことになってるの」

「いやそれが。魔物を封じる壺らしいんだけど、開けてみたら中身が空っぽだったんだよ。それでおれを封じることにしたらしい。四分の一だけどね」


 ファリーヤは頭痛を覚えたようにこめかみを押さえた。


「それは王家に伝わる魔法の壺よ?」

「そうみたいだねえ。でも、六芒星の封印はなかったよ?」


 言い伝えによれば、それは魔神を封じるのに必要な印だ。


 まさか、とファリーヤはラシードを振り返るが、王弟も驚きを隠せていない。


「まあ、おまえも近寄りすぎないほうがいいだろうけど。どうしたものかと思ってね。――おや、千客万来。今度は誰?」


 ダレイスの声に、ファリーヤとラシードははっと振り向く。

 ダレイスの衝撃的な姿に注意がそれすぎたのか、足音が響いたときにはもう遅かった。


「こんなところにいたのか」


 出入り口に立った男は抱えていた壺を置き、内側に向かって蹴飛ばして中身をぶちまけた。

 そして自分の身は安全な位置まで下がって、手にある松明をゆっくりと振り回す。


「油だ。死にたくなければ、下手に動かないことだ」


 ザフラがひきつった悲鳴を上げる。


「あ、ギ、ギーライ……!」

「知り合い、ザフラ?」


 のんびりした風情が崩れないダレイスに、ラシードが告げる。


「あれは、イクレムの側近のギーライだ」

「凶眼が馴れ馴れしいな」


 暴言にたちまち怒りが沸点に達したファリーヤを察したのか、ラシードはその口を手で覆い耳元で囁いた。


「ぼくは大丈夫だから。とりあえずいまは、あいつを刺激するような言葉は我慢して」


 怒鳴りつけてやりたいのを必死で耐えて頷くと、ラシードの手がゆっくりと離れる。


 その間も、ギーライは松明をかざし威嚇していた。


「さあ、ザフラ。その魔術師を縛ってこっちへ来い」

「い、いやよ……」


 震えるザフラの肩を左手でダレイスが抱く。


「そうとも。殺されてしまう。女性を道具にしか思えないような奴には、罰を与えねばいけないよ」


 しかし壺に飲み込まれている状態では一向に格好がつかない。


 嘲笑うように、ギーライが顎をしゃくった。


「名のある魔術師らしいが、不様なものだな。だが即位の余興にはちょうどいい」

「即位の余興?」


 現王はまだ若く、退位するとは考えられない。


 ダレイスが首を捻る横で、ザフラが呻いた。


「……イクレム様が王位につく、ですって? あの大嘘つき! あたしと結婚するって、壺を盗んできたら、って言ってたのに。あっさり殺そうとしたくせに!」


 そしてザフラは、片方はどこかでなくしてしまい、ひとつだけ残っていた琥珀の耳飾りを投げ捨てた。


「殺す? 何を勘違いしているんだ? イクレム様はおまえを妻にと、おっしゃっていただろう」

「聞いたのよ、あんたとイクレム様の会話を! 壺が手に入ったらあたしは口封じをされるんだわ! だから逃げたのよ! 陛下やワクト様の隙を見て、必死で奪ったのに!」


 ギーライはやれやれとでも言いたげに、肩をすくめた。


「盗み聞きとは品のないことだ……。だが、夢を見られて幸せだったろう? まあ、いい。火がおさまってから、壺だけ回収するとしよう。魔神はついていなくとも、壺があれば当初の目的は達成だ」


 わななくザフラの代わりに、とうとう堪えきれずに怒鳴ったのはファリーヤだった。


「最低ね、あんたたち!! あ! あたしに斬りつけたのは、あんたね!」

「ああ。小僧だと思ったら、小娘だったとはな。まあ、どうでもいい。そこの魔術師は出てこないし、おまえは捕まえ損ねるし、年寄りはしぶといし、困っていたところだ。おまえたちを見張っていた甲斐があったよ」


 ラシードは小さく舌打ちをする。

 ファリーヤの危なっかしい状態を気にしすぎて、尾行に気づかなかったとは情けない。


「ちょっと待て。しぶとい年寄りはともかく、ファリーヤに斬りつけた……?」


 遅ればせながら自分の失言に気づいたファリーヤが、慌ててダレイスを宥める。


「ダ、ダレイス? ほら、あたしは無事だったから!」

「斬りつけただって?」

「かすり傷だから! もう治ってるわ、ダレイス!」


 そうしてダレイスの気配が変わる。


「ああ、残念だな――」


 声音は優しくさえあったが、背筋が凍り付くようなものが潜んでいた。


「明日なら面白かったのに。まあ今宵でもいいか。新月手前の晦日月。月のない、もっとも夜の深い夜の前夜。きみ、知っているかい? 魔神ってね、新月の夜に一番力が強くなるんだよ?」


 ギーライは感じる薄気味悪さを隠し、虚勢を張った。


「魔神の子だっていうはったりか? そう名乗る魔術師は山のようにいるぜ」

「そうだな。確かにおれは嘘をついた。魔神の子はおれの母だ。もっと正確に言うなら、女魔神(ジンニーヤ)の子だけどね」


 はっと身を強張らせ魔術師の袖をつかんだファリーヤを、ダレイスはラシードのほうへ押しやる。


「おれは女魔神の孫。おれがどんなふうに魔物になるか、知らないのかい? ああ、知るわけないな。それを知った連中は、みんなおれが殺したんだから」

「ダレイス! 駄目、約束したじゃない!」


 ファリーヤの制止と同時に、ダレイスの身はぼやけ煙と化した。

 辛うじて残っているのは、何本もの腕輪が揺れる左腕だけだ。

 そして壺と腕を持ったその煙は、松明ごとギーライを締め上げる。

 

 しかしその拍子に落ちた松明が、油に引火し燃え上がった。


「あ……っ! 火が!」

「危ない、ファリーヤ! 下がって!」


 少女を庇うラシードの背に火の粉が舞う。


 炎の熱と骨を軋ませる力にギーライはくぐもった悲鳴をあげ、ザフラは声もなく気を失っていた。


「さて……? このまま絞め殺そうか……?」


 煙の中から生じる愉快そうな響きに、ギーライは身をよじるが抜け出せるものでもない。

「ぐぅ……。……ミ、ミラル! ここへ、来いっ!」


 呼吸さえ困難な中、振り絞るように上がったギーライの声に、入り口で見張りでもしていたのか、すぐに少年が現れた。


「何か……?」


 現状を見ても淡々と応じるだけの少年に、煙の中に浮かぶぼやけたダレイスの顔に驚きが生じる。


「こ、こいつを、何とかしろ、ミラル!」

「なんとかと言うと……」

「壺に、封印してしまえ!」

「……はい」

「馬鹿なことを! 諸共に封じられるぞ――」


 そのダレイスの制止が終わるか終わらないかのうちに、少年も煙も消え、何事もなかったかのように、壺だけがそこに鎮座していた。


 しばし咳き込んだギーライは壺を持ち、炎の内側を眺めやる。


「おまえが魔術師だとは知らなかったよ」


 炎の壁越しに口元を歪めるラシードに、ギーライは鼻を鳴らす。


「魔術師? まさか。魔術師でなくとも、魔神を捕らえるのなど簡単なこと」

「簡単ですって?」

「ああ、簡単だった」


 疑わしげなファリーヤに、ギーライは片頬を歪める。


 ギーライは気晴らしに城外に飲みに行くことがあった。


 いつの頃からか、棗椰子の葉の隙間に座っている少年を頻繁に見かけるようになった。

 そしてその少年が鷹から姿を変えることに気づいたとき、羽衣を脱ぐことを気づいたとき、それを奪っただけのこと。

 少年魔神は願いを聞く代わりに羽衣を返せと言った。それがなければ魔神の国に戻れないと訴えた。

 返すわけがなかった。


 ギーライの脳裏には、たちまち計画が仕上がっていった。

 儀式の壺を盗み。その中に魔神を仕込み。そして再び封印する場を民衆に目撃させたなら。古にこの国を救ったという王の行動のなぞったなら。


 王の資格を得られるではないか。


「そうだな。『隠れていた侍女が観念して自害したところ、巻き込まれた』なんていう筋書きでどうだ?」


 炎は天井まで広がっている。この中を通れば、入り口に辿り着く前に大火傷は必至だ。


「ちょっと、その壺をどうするつもりよ! ダレイスが入っているのよ!?」

「魔神が入っているんだ。ミラルだけを仕込むつもりだったが、二匹になった。祭の当日に蓋を取って、また封じれば、民衆はどう思うだろうな。偽物の壺を持つ王より、本物の壺を持つ者が、王になるべきだろう?」

「そう上手くいくと思うか?」

「ああ、思っているとも」


 炎の熱気が、ファリーヤたちを包みはじめていた。

 ファリーヤは意識のないザフラを、ずるずると奥に引っ張る。


 これ見よがしに壺を振りながら、ギーライはラシードを冷ややかな眼差しを向けた。


「惜しいな、ラシード。おまえの目が本当に凶眼だったらよかったのに」

「本物だったら、いまここでおまえを殺している」

「だろうな。おまえの目は使いようだ。たとえ目が青いだけだとしても、恐れる者はいる。そのためにサヒードをも恐れ、従うようになる。わかるか? どちらにしてもその目は危険なものだ。詳細を知っている娘も気の毒だが、ここで消えてもらうとしよう」


 高らかな笑い声を残し、ギーライは階段を戻っていく。


 炎に遮られ、その背中を見送るしかできなかったラシードは悔しげに唇を噛む。

 しかし、すぐに気を取り直して逃げ道を探しはじめた。


「この墓の構造はどうなってるんだ? 裏口――というか、別の出入り口は? どこかはずれやすくなっている石壁はない?」

「……残念ながら、ないわ」


 己の無力さ憤るように、がん、とラシードが壁に拳を打ち付ける。

 

 気密性が高いわけではないが、そろそろと熱気が籠もりはじめていた。

 家具に火がつけば、煙に巻かれて動けなくなるだろう。


「水を被って突破するか」


 壁が崩せない以上、とどまっていればどのみち炎の餌食になるだけだ。

 しかし、この勢いでは、被った水などたちまち蒸発してしまうに違いない。


 ファリーヤがラシードの手を取る。


「炎の中の正面突破はお勧めしないわよ」


 ファリーヤは、熱を避けるように徐々に奥の部屋に下がりながら、そう笑う。


「随分、余裕があるんだね、ファリーヤ。ぼくは自分がいまかなり情けないよ。きみを守れないかもしれないっていうのに」


 ファリーヤはふわりと笑った。


「秘密のこと覚えてる? あたし、魔神に会ったことがあるって」

「ああ。四人だけの内緒の話だろう? どうしたんだ、こんな時に」

「他にも。秘密があるの。やっぱり内緒なの。約束してくれる?」

「当然だ」


 迷いのない答えに、ファリーヤは空中に象嵌の腕輪を投げた。



◇ ◇ ◇



 墓地には兵士が転がっていた。

 それはサヒードがラシードにつけた護衛たちだった。


 ミラルは命じた通り、ちゃんと始末したらしい。


「あの甘い男は、愚弟がよほど大切だと見える」


 せせら笑いをおさめてから、独り言のように口にした。


「行くか」


 この壺を持って奴らと対峙しよう。

 その時がきたのだ。


 夜の闇の中で顔を上げたギーライは、酷薄な笑みを浮かべていた。

基本的に水曜日と土曜日に投稿しています。

よろしくお願いします。

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