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ハリユ王国物語  作者: ねむのき新月
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4章の1 魔術師と壺の行方


   第4章




 南市場の一角で、ファリーヤは眉間に皺を寄せていた。

 忙しいのだ。ダレイスを探すのに。壺を探すのに。祖父を牢から出すための作業に。


 そんなことにお構いなしで、身なりのよい二十歳手前ほどの青年が、行く手を遮るように立っている。


「噂は本当なのかい……?」


 背は高いものの、ひょろりとしている。物憂げな面差しは整っている部類に入るのだろうが、好みの問題があると思う。


「イータグ、用があるなら早く言って。ないならどいてちょうだい」

「ファリーヤ、こちらは誰?」

「彼は――」


 ラシードの問いにファリーヤが答える前に、イータグが口を開いた。


「わたしは、イータグだ。ファリーヤの許嫁だ。いや、元許嫁なのかもしれない……」


 ファリーヤはひくりと頬をひきつらせ、ラシードもむっと唇を歪めている。

 しかしふたりが何かを言う前に、イータグが視線をさまよわせながら続けた。


「タリク老が牢屋に入って、きみは、その、し、娼館務めをはじめたって聞いたんだ。お母様はそう言っていたけど、わたしは信じていなかったよ。けど、本当のことを教えて欲しいんだ」


 どこか思い詰めたようなイータグに、ファリーヤはため息をついた。


「あたしは娼館に出入りはするけど勤めてはいません。祖父はいま冤罪で牢屋に入っています。だから、何?」


 そんなファリーヤの手を、イータグがいきなり握りしめた。


「ちょ」

「ファリーヤ、き、きみのことは大好きだよ。でもタリクさんが牢屋に入っているんじゃあ、わたしたちの仲もこれまでだ。どうか、恨まないでおくれ。わたしたちは結ばれない運命だったんだよ……!」


 一方的にそう告げ、イータグは微笑みながら歩み去っていった。


 ややあって、ラシードが口を開く。


「都には、変わったひとがいるんだね」

「……あれは特別だと思うけど」


 疲れたようにファリーヤは肩を落とす。


「で、きみの許嫁なのか?」

「違うわよ! あいつが勝手にそう言い触らしてただけよ! いい迷惑だわ!」


 そして腹立ち紛れにずんずんと歩を進めたのだ。


 ラシードは知らずにほっと息を吐いていた。



 ◇ ◇ ◇



 アイディが用意した珈琲を片手に、ラシードが城下に得た仮住まいで、ファリーヤが都の地図に記を付けていた。


「ダレイスが行きそうなとこは全部聞いて歩いたわ」


 誰かが庇っているような気配はなく、ここ最近は、誰もダレイスの姿を見ていない。


「一体どこに消えたのか……。それはそうと、きみの――。その、家のほうは大丈夫なのか?」


 拘束から九日目、タリクはなかなか釈放されない。

 ラシードとしては、請け負った手前、非常に気がかりなのだ。


「商売は平気。お祖父様が育てた優秀な人材が多いから。あたしがいても邪魔なだけよ」

「タリクもなるべく早く出すようにせっついてはいるんだけど。警邏にイクレムの息のかかった者がいるようで、のらりくらりと言い訳ばかりするんだ。こちらもそう強くは出られないから、なかなか交渉が進まなくて」

「仕方ないわ」


 ラシードは新街で、事の次第をファリーヤに告げていた。


 壺の紛失騒ぎも、タリクの拘束劇も、おそらく王位を望んだイクレムの仕組んだことなのだ、と。


 ダレイスと侍女が恋人だったという説は裏付けが取れなかった。

 名の知れた魔術師に助けを求めて駆け込んだ、というあたりが正解なのだろう。


 あのとき、ラシードは言った。


『壺を失い、五年に一度の祭に兄が失態を演じれば、イクレムはここぞとばかり突いてくるだろう。兄を気に入らない貴族もいるし、その貴族に従う者もいる』

『でも、サヒード様は公正で気さくだって、評判いいわよ?』

『兄の高潔さより、イクレムの奔放さが扱い易いと思う連中がいるんだよ。それにぼくが――ぼくのこの目が、兄上を困らせている』


 ラシードはそう苦すぎる笑みを口元に乗せた。

 生まれてからずっと言われ続けてきたことだ。これからもきっと言われ続けるだろう。


『ああ、そうか。だからあなたは、いつも無理をしてる感じがするんだわ』


 ふいの指摘に、ラシードは軽く目を見張った。


『あなたは割と笑顔のことが多いけど、でも笑ってないのよね。作り笑顔っていうか』


 ラシードは、常に控えめで穏やかであることを心がけていた。

 ただそこにいるだけで、怯える者も多いのだ。これでしかめっ面をしていたり機嫌が悪かったりすれば、たちまち陰口の種になる。

 それで傷つくのはラシードではなく、セフィアだったから。


『あなたも色々悩んでいるんでしょうけど、堂々としていればいいのよ、堂々と。悪いことしてるわけじゃないんだから』

『……そうか』

『そうよ』


 苦笑するべきか爆笑するべきか悩んでいるうちに、少女は地図を眺めつつ唸りだした。


『貴族の思惑とか、あたしはよくわかんないけど。でもイクレム様の思う通りにさせたくはないわ。お祖父様が捕まった恨みもあるけど、あんまり、良い噂を聞かないというか。まぁ、噂だけで判断するのは、よくないことなんでしょうけど』


 言葉を濁したものの、言いたいことはラシードにもわかっていた。


 取り巻きを引き連れたイクレムは、市場の中では代金も払わず、婦女子にちょっかいをかける。品物に因縁を付け店を荒らし、客を脅すなどなど、芳しくない逸話は尽きない。


 実際、噂ではなく現場をラシードは目にしたことがある。


 そのときイクレムは、店頭から林檎を取りそのまま去ろうとしていた。

 店主が咎めると、取り巻きのひとりが林檎の籠を蹴飛ばし、店主に殴りかかった。

 しかしラシードに気づいたイクレムは、青い目から逃げ出したように見えない程度に、足早に立ち去っていったのだ。


 気の毒な店主にはラシードが代金を払ったが、迷惑を被っている人々はかなりいるとも聞いていた。

 告げ口はしたくなかったが、兄にそれとなく伝えると、サヒードもイクレムへの苦情はよくわかっていた。

 それでも手が出しにくいのは、王の従兄だからだ。王位に近いところにいるからだ。


 イクレムのせいで、サヒードの評判が落ちるのは我慢がならないし、ましてや王位を追われることになるなど、許せるものではない。


「イクレム様が壺を見つけた気配はまだない? 何かこう、勝ち誇った様子だとか?」


 ファリーヤの問いに、ラシードは回想を消し、答えを求めて従者を振り返った。


「アイディ?」

「イクレム様やイスヴァ様関係の侍女たちにもそれとなく聞いてみましたが、そんな様子はありませんでした。このところずっと不機嫌だそうです」

「なら、まだ見付かってないのね、きっと」

「祭の日まであと五日。最悪取り戻せないにしても、イクレムには渡さない」


 ラシードが拳を握りしめる。

 それを見ながら、ふとファリーヤが呟いた。


「……新月は明日」

「え? 何?」

「ううん、なんでも。あたし、今日はもう帰るわ。明日は港のほうに行ってみようと思うんだけど」

「船で逃げた形跡はありませんでした。出船状況を調べましたが」


 即座にあったアイディの報告に、ファリーヤは首を振る。


「港付近に隠れている可能性もあるでしょ。倉庫だってたくさんあるもの」


 アイディは納得したふうに頷き、ファリーヤはまた明日と帰っていった。


 そしてその姿が消えてすぐに、ラシードも立ち上がり、からかうように肩をすくめるアイディを後目に、屋敷を出たのだ。


 ファリーヤはいくら言っても、危険を理解しない。

 一度襲われているというのに、侍女なり従者なりをつけるでもなく、ひとりで歩き回っている。

 普通は恐ろしいと、感じるものではないのだろうか。おとなしくしているほうがいいと、考えるものではないのだろうか。

 しかし恐怖を覚えていたにしても、捕らえられている祖父のため、師匠と慕う魔術師のため、ファリーヤはあの華奢な身で必死に動き回ることを選んだのだろう。


 そういえば、彼女はいつも全力だ、とラシードは思う。

 子供の頃も、いまも。あの男装も、もしかしたらその現れなのかもしれない。


 男装も可愛いが、ちゃんと娘らしい格好をすれば、もっと愛らしいだろうに。

 そう言ったところで、聞き入れることはないだろうと、ラシードは吐息をついた。


 だからこそきっと、ファリーヤはファリーヤなのだ。


 自分自身でさえ受け入れにくかった青い瞳を綺麗だと言ってくれた幼い少女を、忘れたことなどなかった。 

 記憶の中の少女はずっと幼いままだった。

 どういうわけか、成長している姿を想像したことはなかった。

 しかし、ファリーヤはファリーヤのままだった。


 小さく笑みを浮かべたラシードだったが、ふと顔をしかめる。


 凶眼を恐れず、ダレイスを探し、結果ラシードに協力することになっている少女の足は、家とは別のほうへ向かっていた。

基本的に水曜日と土曜日に投稿しています。

よろしくお願いします。

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