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ハリユ王国物語  作者: ねむのき新月
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3章の1 凶眼と吉眼


   第3章




 船の事故で、両親を亡くしたのは三歳のときだ。

 ファリーヤは祖父と都で留守番をしていたため、難を逃れた。

 

 幸いなのかどうなのか、その記憶はない。

 そのためファリーヤの中には最初から両親はいなかった。

 寂しいと思わなかったのは、祖父と叔父がいてくれたからだ。


 七歳になった頃、祖父はアビアドという街へ彼女を連れていった。

 アビアドはバイヅ山脈の麓にあり、都からは駱駝で丸三日ほどの距離にある。やや標高が高く温暖な気候で、薔薇の産地として知られる小さな街だ。


 そこは祖父が祖母と出会った街だそうだ。

 タリクはファリーヤとその思い出を忍びつつ、骨休めをする予定だった。


 けれどそんな私的な旅への出発直前に、王室から商売を依頼され、タリクの機嫌は少々斜めになったが、孫娘にも良い経験だとさっさと頭を切り換えていた。


 アビアドの街を見下ろすように、王家の離宮がひとつあった。

 サウィル国王の第一妃セフィアと第二王子ラシードが暮らしており、タリクは彼等の相手に選ばれたのだ。

 そこは街の富豪の邸ほどのこぢんまりとした離宮で、セフィアたちが住むことになった八年前までは、忘れられていたような場所だった。

 どうにか体裁は整っているものの、庭には枯れてしまった木々もあるし、敷き詰められた石畳には欠けているものもある。


 王妃様や王子様は立派な王宮にいるものだとファリーヤは思っていた。

 物語でもそうだし、実際この国の王様はロンの王宮にいる。

 第二王妃様と第三王妃様も、王女様も第一王子様もだ。

 なのになぜ、このふたりだけがここにいるのだろう。


「王様はラシード王子様がお好きではないんだよ」


 タリクが困ったようにそう教えてくれたが、ファリーヤにはわけがわからなかった。


「父様が息子を嫌いってこと? どうして?」

「それは……。おまえはたぶん気にしないだろうが、ラシード様は……」


 けれど応接間にセフィアが姿を現したため、ファリーヤはその理由を聞くことができなかった。

 セフィアはとても綺麗な女性だったが、華奢で儚げで、悲しそうに見えた。


「ご機嫌麗しゅう、セフィア様。サヒード様からなんなりとお聞きするように言いつかって参りました」

「ありがたいことです……。サヒードは十七歳になりましょうか」


 遠くを見て微笑むセフィアに、タリクは謹んで頭を垂れる。


「ご立派な若者におなりです」

「そう――。わたくしにはそれだけで十分ですが、ラシードには不自由をさせております。わたくしがちゃんと産んでやれなかったばかりに、辛い思いをさせてしまって」


 吐息を漏らすセフィアに、タリクは『失礼ながら』と口を開いた。


「セフィア様は北の国の血が混ざっておいでだとか。であれば、人間の力ではどうしようもないことでございます」

「そうですね。それにわたくしはまだ幸せなのでしょう。ジャリル様の第二夫人ルゥルゥ様は、ご子息と追い出されてしまったんですもの」

「ジャリル様の場合は、第一夫人イスヴァ様が、ご自分のご子息のイクレム様を一番にしたかったのでしょう。悋気な方ですので……。しかしジャリル様も後悔しておいででしょう。陛下もいずれは……」


 サウィルもいずれは、こんなところに妃と息子を放っておくことを後悔することになるだろう。


 タリクはそうセフィアを慰めるが、それが声になる前にセフィアは自分を戒めるように小さく首を振った。


「いまの例えは、ルゥルゥ様に失礼でしたわ。忘れてください、タリク」


 悲しげに笑う王妃の視線が、タリクの服にしがみつくようにしていたファリーヤに移る。


「わたしの孫娘のファリーヤと申します」

「ご、ごきげんうるわしゅう、セフィア様」

「まあ、愛らしい子だこと。……ラシードは八つなの。あなたは、ラシードと遊んでくれるかしら……?」

「あたしは七歳よ! その子、どこにいるの?」

「これ、ファリーヤ!」


 遊びと聞いて目を輝かせた孫娘を祖父はたしなめたものの、セフィアはおっとりと微笑んだままだ。


「タリク? 大丈夫かしら?」

「ええ、もちろんです。しかし、この子は少々お転婆というか」

「お転婆じゃないわ。元気なだけだって、お祖父様はいつも言うくせに!」


 口を尖らせ言い返す幼子に、大商人は面目ないように頬をかく。

 それを優しく眺めやってから、セフィアは言った。


「ラシードは図書室のほうにいると思うの。そうだわ、タリク、珍しい本があったら今度送ってくださらない?」

「喜んで」


 そんな王妃と祖父を残し、ファリーヤは侍女に伴われて図書室に向かった。

 しかし侍女は図書室の前で立ち止まる。


「あ、あの、お嬢様? 危のうございますので、お祖父様にお願いして、お帰りになったほうがよろしいかと存じます……」

「何が危ないの?」


 不思議そうに聞き返したが、青ざめた侍女は首を振るだけで、図書室にファリーヤを案内する。


 部屋は大きくはないが、背の高い棚にぎっしり本が詰まっている。

 大きさは様々で中には羊皮紙らしき巻物もある。

 祖父の蔵書も多いほうだと聞いていたが、ここはその倍はありそうだ。

 だがあまり大事にされていないのか、埃まみれの物も多い。


「本がかわいそう。どうして掃除をしないのかしら?」

「ぼくが入り浸っているから、掃除ができないんだよ」


 そんな静かな声のほうに、ファリーヤが振り向く。

 自分より少しだけ大きい少年が膝に本を広げ、本棚を背もたれに、すり切れた絨毯に座り込んでいた。


「あなたがいるとどうして掃除ができないの?」

「ぼくが怖いから」

「どうして?」


 少年が立ち上がると、侍女が小さく悲鳴を漏らした。


 そっと少年はファリーヤに近づき、目の前に立つやくっつきそうなほど顔を寄せた。


「この目が怖いから」


 ファリーヤはじっと見つめてから、にっこりと笑った。


「綺麗ね」


 侍女と少年はファリーヤを凝視する。


「すごく青いのね。まるで晴れた空を映したみたい」

「……怖くないの?」

「どうして怖いの?」

「みんなは怖がるよ」


 少年が侍女を見れば、小刻みに震えている。


 ファリーヤは小さな両手で少年の頬を挟み自分のほうを向かせた。


「変なの。あたしはちっとも怖くないけど」


 とはいえ幼いながらも侍女が気の毒になって、ファリーヤは侍女を下がらせる。


「青い目は災いだよ。見るだけでひとを呪えるんだ」


 少年は困ったようにそう教えたが、ファリーヤは意に介さなかった。


「あたし、青い目のひとに前にも会ったことあるわ。でも別になんともなかった」

「運が良かったんだよ。父上は、ぼくが父上を呪うと思ってるんだ。母上以外の王妃に王子が産まれないのは、ぼくのせいだと思ってる」

「きっとそれは運が悪かったのね。お父様にそう言ったらいいわ」


 大人びたふうにやり返すと、少年は小首を傾げ黙り込んでしまった。

 けれどファリーヤは懲りずに少年を覗き込む。


「あたしはファリーヤよ。あなたはラシードでしょ? 遊ぼうと思うんだけど、その本は何?」

「遠い国の、生き物が書かれている本だよ」

「一緒に見てもいい?」

「……うん」


 その博物誌には、見たこともない生き物が描かれていた。

 炎の中にいる鳥、翼の生えた馬、頭がふたつある蛇などなど。

 説明文はファリーヤには読めず、結局ラシードに音読してもらう。


「不思議な生き物がいるのね」


 うん、と頷きながら、ラシードはそう言うファリーヤこそを不思議な生き物のように眺めている。


「この鳥は、どうして炎の中で死なないの?」

「死なないんじゃなくて、炎の中で蘇るんだよ。そうやってこの鳥は永遠に生きるんだ」

「どうして永遠に生きるの?」

「……そういう種族なんじゃないのかな」

「ふうん……」

「今度、もう少し調べておくよ」

「うん!」


 そんなやりとりを続けながら、ラシードは根気よくファリーヤの相手をしていたが、じきに本に飽きたファリーヤは、庭に出ようとラシードを誘った。

 手入れが行き届いているとは言い難い庭だったが、子供ふたりが遊ぶには困るものではない。

 知らない草や珍しい蝶、ファリーヤが質問するたびに、ラシードは持てる知識すべてで相手をしてくれた。

 しまいには疲れて木陰で昼寝をしてしまい、ふたりして寝こけているところを祖父が見つけたのだ。


「帰るよ、ファリーヤ。――ラシード様に失礼はなかったかね?」


 目をこすりながらの孫娘に不安そうな面持ちの祖父を安心させるように、ラシードは言葉をかけた。


「面白かったよ」

「それはようございました」

「ねえ、お祖父様。明日も来る? あたし、ラシードともっと遊びたい」

「明日かい? しかし」

「迷惑でなければ、ここから迎えを送るから」


 どこかすがるような幼い王子に、タリクは胸を突かれたようだった。


「そうですな……。では、ファリーヤ。明日もラシード様のお相手をつとめなさい。くれぐれも失礼のないようにするんだよ。けれど明後日の早朝には、ロンへ戻らねばならないからね」

「うん!」


 明日があることの嬉しさに喜ぶファリーヤとは対照的に、明後日はないことの悲しさを堪えるラシードに、タリクは目線を合わせるためにしゃがみこむ。


「ラシード様。ロンに戻り次第、珍しい書をお送りいたします」


 そうしてラシードはタリクを見上げる。


「あなたも、ぼくが怖くないんだね」

「怖い? ああ、青い目ですかな。わたしは商売をしております。異国人には青い目も多うございますよ。それに、わたしの孫娘は吉眼を持っておりましてな。呪いなどものともしませんわ」

「吉眼?」


 ラシードが聞き返すと、タリクはくしゃりと相好を崩す。


「見るだけでひとを幸せにしてくれる。もっともわたし限定の目ですが」

「あの、ぼくも、楽しかったよ」


 ラシードが気恥ずかしそうに同意すると、タリクは微笑みを深くして少年に顔を寄せた。


「それと、ここだけの話ですが、わたしは魔神にも会ったことがあるのですよ。そちらのほうがよほど恐ろしい」

「あ、お祖父様! 内緒だって言ったのに!」

「そうだったかな? では、三人の秘密にしよう」

「四人よ。叔父様も知ってるもの。いい、ラシード? 絶対誰にも言っちゃだめなのよ」


 ファリーヤが真剣な顔で念を押すと、ラシードは面白そうに首を傾げた。


「魔神に会ったって?」


 ファリーヤはしーっと指先を口元に当てる。


「わかった。えっと、四人の秘密なんだね?」

「そう!」


 それまで貼り付けたような笑みしかなかった青い目の少年が、はにかむように笑ったのだ――。

基本的に水曜日と土曜日に投稿しています。

よろしくお願いします。

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