2章の5 魔術師を探して
夕闇が近いが、まだ完全に陽は落ちていない。
いまなら大抵の店は開いているはずだ。
北市場は港門に近いせいもあって船乗りが多く出入りし、その需要に添って酒を扱う店が多かった――その延長になる大人の店も。
「そう。ここにもいないのね……。ありがと、姐さん」
男装のファリーヤが礼を言うと、赤い唇をしたあでやかな女性は深々と嘆息した。
「あのね、ファリ。何度も言うようだけどね、こんなとこに来るもんじゃないよ。それにその格好もねえ」
「動きやすいのよ」
そうかもしれないけど、と女性は腕を組んだ。
「あんたさぁ、魔術師になるなんてまだ言ってんのかい?」
「――わかってるわよ。お嬢様の気まぐれだって、みんな言ってるって」
苦労知らずの大商人の孫娘が、娼館をうろうろして、娼婦を嘲っているのだろう。
自分の恵まれた生活を自慢しているのだろう。
もっとひどい陰口も知っている。
「だってきっと。お祖父さんがいい婿を探してくれるだろう。結婚して幸せになれればそれが一番だよ」
そう願っても、叶わない女性がいる。
ファリーヤにもそれはわかっている。
けれど、いまファリーヤがしたいと思っていることは、するべきだと信じていることは、別のことなのだ。
「ごめん、姐さん。いまはとにかくダレイスを探してるの。結構真剣に。いないと困るの」
「まぁ、確かにあたしらも困る。見かけたら、あんたが探してたって言っとくから。あんまり危ないとこに出入りするんじゃないよ。その格好だって安全とはいえないんだ。男の子が好みって輩だっているんだからね」
「うん」
女性に礼を言って、ファリーヤはその店を後にした。
大きな声では言えないが、魔術師になりたいと言っているのは、実はダレイスに会うためのただの口実だった。
ダレイスが魔術師をやめてくれれば、また別の口実を考えるだけだ。
傍目にはいい加減な娘に見えるのだろうが、ファリーヤにはかなり大事な問題なのだ。
しかしいまは、そんなことを悩んでいる場合ではない。
ダレイスを探すため、知っている店を紙に書き並べたが、いくつかの馴染みの店にはいなかった。
最近新しい店が出来ただろうか。できていたとしても、さすがに初見では入りにくい。
だが探すのであれば、徹底的にしなければ意味がない。
「さて、まだ行けるかな。ええと、次――」
娼館や飲み屋の多いこの通りには、日中は人通りが少ない。さらに、あまり人目に付かないように入り組んだ小路が多かった。
帳面から顔を上げたファリーヤは、黒い外套を着込んだ人物と肩を触れるようにしてすれ違いざま、突然首を締め上げるようにして壁に押しつけられた。
「うぐ……!?」
「小僧、なぜあの魔術師を探している? 探し出してどうするつもりだ?」
体格と声からすれば男には違いない。
目だけを出すように、顔に布を巻いている。
沙漠にはそういう衣装の部族もいるが、この男は明らかに人相を隠すためだ。
ダレイスの家を家捜しした連中がいる。
それは壺を探している連中がいるということで、ダレイスを探し回っているファリーヤを当然気にするだろうことに、遅ればせながらようやく思い至った。
泳がせておいて見つけたところを横取りしようとしないあたりは、褒めるべきか嗤うべきか。
「答えろ。誰に頼まれた?」
「だ、誰、にも……」
喘ぎながらファリーヤは首を絞める腕をつかみ体重を支え、足を思い切り振った。
足は男の胸に蹴りを入れる形になり、男が怯む。
その隙に駆けだしたが、五歩も行かぬうちに追いつかれ、刃が迫った。
二の腕に焼けるような痛みを覚え、足元がもつれる。
膝をついたところで男に腕をつかまれて、力一杯壁に叩き付けられた。
「あう……!」
全身に衝撃が走り、ファリーヤはずるずるとくずおれる。
男が手を伸ばし、屈んでくるのが見えた。
逃げなければと思うのに、体は言うことを聞いてくれなかった。
しかしそんなファリーヤの前に小さな影が立ちはだかったのだ。
「どういうつもりだ、おまえは!」
「このひとは何も知らないと思います……」
同じように布で身を覆った小柄な影は、ちらとファリーヤを見やり、どこうとしない。
「余計な口を利くな!」
仲間割れ――と考える意識が遠のいていく。
「おまえたち、そこで何をしている!」
鋭い声に、男たちは迷わず身を翻した。
駆け寄ってくる少年の姿を辛うじて視界に入れ、ほっと息を漏らす。
「ファリーヤ! 大丈夫か!?」
「……ラシ……ド……」
ファリーヤの記憶は、そこで途切れた。
◇ ◇ ◇
走り去ったふたつの影は、追っ手がないことを知って速度を落とし、一度物陰に身を潜めた。
そして、ばしっという音と同時に小柄な影が倒れる。
忌々しげに吐き捨てるのはギーライだ。
「ミラル! おまえは命令通りに動けばいい! おまえの主人はわたしだ!」
「あなたはわたしの主人ではありません……。わたしの主人は」
「ならばどこへなりと消えてしまえ」
ギーライは鼻でそう笑う。
あざになりつつある頬を押さえることさえせず、ミラルは静かに頭を下げた。
「……申し訳ありません」
「まったく、おまえはもう少し役に立つかと思ったものを」
申し訳ありません、とミラルはただ人形のように繰り返した。
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