2章の4 孫娘は動きまわる
孫娘に言ったように本当に疲れていたのか、はたまたその言い訳を事実にするためか、家でくつろいでいたタリクは、ファリーヤの話を聞くと愉快そうに笑った。
「マディウは商売上手だな。どこかの店を任せてみようか」
「他の町の支店は、それぞれ古株のひとが仕切っているじゃない。それに、マディウさんがいなくなったら、都の店はどうするの?」
「新しい町で新しい店を作り新しい顧客を開拓するもよし、新しい業種に手を出すもよし。それに、都はまだまだわしがやれるぞ」
育てた使用人の成長をタリクは喜んでいる。
本当なら息子――ファリーヤの父であるイリーフが二代目として手腕をふるっているはずだったのだが、残念ながらすでに亡い。
タリクは使用人たちを息子のように思い、仕込んでいるのだろう。
「そうね。都は、なんだったら、あたしがやってもいいもの」
「ほほう。わしは要求の厳しい経営者だぞ?」
「ふふ、よーく、知ってるわ。あたしからの、仕事の報告は以上よ」
そしてファリーヤは祖父を見やった。
「お祖父様」
「なんだね?」
「あたしのお見合い、全部ちゃんと断ってね?」
「もちろんだとも。おまえは恋をして愛した男と幸せにならねばいかん」
祖父の真面目な顔に、ファリーヤのほうが照れ臭くなる。
「それに、いやなら無理して結婚などせんでも、おまえはわしの商売を継げばいい」
「もちろんよ。がんばって、もっともっと大きくしてあげるわ」
「期待しておるよ。しっかり商売の勉強をしておくれ」
自分は恵まれているのだろうと、ファリーヤはしみじみ思う。
これほど自由にさせてもらえている娘はそうそういない。
もっとも、自由には、責任が伴うこともちゃんと知っているつもりだ。
「じゃあ、お祖父様、あたしちょっとダレイスの家に行って来るわ」
祖父はたちまち不機嫌になる。
「魔術師なんぞに関わるとろくなことにはならんぞ」
「不思議な道具の回収は、仕方のないことだと思うの。そこはお祖父様も止めないでしょ?」
「……」
人間が持つべきものではない道具は回収するべきだと、タリクも考えているのだ。
「それ以外は、じゃあ、薬屋一本で頑張るようにダレイスを説得してみるわよ。そうしたら、あたしも魔術師にはなれないし、ダレイスは大事な取引先になるでしょ?」
渋面を作る祖父に、ファリーヤはそんな理屈をこねたのだ。
◇ ◇ ◇
ダレイスがいようといまいと、店が一軒開いていようと閉じていようと、市場全体としてはまったく影響はない。
動きやすいいつもの男装に着替えて、いつもと同じ雑多な景色を眺めながらダレイスの家に向かうが、入る前にふいに呼び止められた。
「ファリちゃん、ファリちゃん! ちょっと!」
見れば、少し離れたところに小さな茶寮を構えるディカだった。
細く長い体型で、ちょっと気弱そうな顔をした四十代の女性だ。
「ディカおばさん、どうしたの?」
「あんたなら知ってるかと思って。ダレイスはどこに行ったの? まだ戻らないのかねえ? 急病なんかのとき、いないと不便で」
「あたしも行き先を知らなくて、ちょっと様子を見にきたんだけど」
そんなファリーヤの台詞を聞いているのかいないのか、ディカは周囲を見回し声をひそめた。
「ねえ? タリク旦那さんは、珍しい壺扱ってたよね?」
ここでも壺か、と苦笑しつつ応じる。
「異国の壺とかはあるけど」
「違う違う。職人を抱えてるよね? 注文を、王宮から受けたこともあったよね?」
確かに、タリクは工房を持っている。
職人を数人雇って、様々な注文の壺を作っているのだ。規模は小さなものだが、完全受注生産で、客層はもちろん庶民ではない。
「サヒード陛下の即位後にそういえばあったような気もするけど。それが、どうかしたの?」
「王様と同じ壺が欲しいんだっていうひとがいたんだよ」
ああ、とファリーヤは思い当たる人物の年齢を告げる。
「それって十代の男の子? 二十代半ばのひと?」
「ううん。三十くらいじゃないかね。だからあたしは、タリク旦那さんのことを教えたんだけど」
ディカは自分を抱きしめるように腕をさすっている。
何かに怯えているかのようだ。
「おばさん?」
「言ってから、なんか変な感じだって思って」
つい謝礼に目が眩んだと、申し訳なさそうに白状する。
「謝礼を出してまで、同じ壺が欲しいなんて変だと思わない? 旦那さんに悪いことでもなきゃいいけど」
自分のせいで、タリクに迷惑がかかるかもしれないと案じているようだった。
ファリーヤは平気平気と手を振った。
「本当に壺が欲しいひとよ、きっと。だったらおばさんは、うちの商売の宣伝をしてくれただけじゃない。こっちがお礼を言わなきゃいけないでしょ?」
「そう? そう言ってもらえると安心なんだけど」
「大丈夫よ。あたしちょっとダレイスの家を覗いてくわ。ダレイスがいたら、ディカおばさんのとこに顔を出すように言っておくわね」
「あ、ああ、お願いね」
ほっとしたようなディカを見送り、ファリーヤはダレイスの家に入る。
前に来たときと、なんの変化もなかった。
部屋は散らかったまま、もちろん書き置きも見当たらない。
「ダレイス?」
やっぱりいない、気配もない。
目を凝らしても、何も見えない。
「まだ新月には遠いもんね……」
ファリーヤは腕輪を弄りながら、ため息をついた。
ディカにはああ言ったものの、もしかしたらタリクに面倒をかけることになるかもしれない。
「ダレイスでも侍女でもなく、ラシードでもアイディさんでもない、壺を探してるのは、誰なの?」
呟きに、答えがあるはずもなかった。
基本的に水曜日と土曜日に投稿しています。
よろしくお願いします。