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余命わずかの私は、冷徹公爵の夫を口説きたい

作者: 江東しろ



「奥様、あなたはもって半年の命でしょう……」

「半年……」

「ええ、今の医療では完治が難しく……次第に血液の凝固により心臓が止まって……」


公爵家お抱えの医師が、難しい説明を公爵夫人である私に話す。そして医師は「まだ22歳とお若いのに…」と、悲惨な現実を言われた本人よりも悲しげな表情をしている状況だった。


医師に言われたことに私は現実味が湧かなかった。


おもむろに座っているベッドのそばにある鏡をちらりと見れば、昔よりかは少しほっそりとした自分の身体と、見慣れた長い茶髪にエメラルドグリーンの瞳が見える。


健康状態は深刻に悪そうには見えないが……部屋の空気感はどこか重い。というのも部屋には私とこの医師だけのせいか、ずいぶんと広々と感じ、どことなく寂しい雰囲気すら感じさせるからなのだろうか。


こんな雰囲気のゆえんは――この国で皇帝と肩を並べるほどの力を持つホワイト公爵家では、もっぱら「夫人」……つまり、私がいないもの同然の扱いを受けているからだ。しかし私は、そうした扱いなんて意にも介さない。


「公爵様にも奥様の状態をお伝えしようと、向かったのですが……お忙しいようでメイド長殿に追い返されてしまいまして……」

「……」

「私もなすすべがなく、いったいどうしたら……」

「よしっ!」


私はガッツポーズをつくりながら、勢いよく声を上げる。すると側に座っていた医師は、ぎょっとした瞳でこちらを見てくる。ついに気をやってしまったかと言わんばかりの表情だ。しかしそんなことは全く気にしない。今、重要なのは……。


「お医者様、つまり私は半年で尽きる命ということで間違いないですわよね?」

「え、ええ……」

「まぁ……!それなら、最後くらいなら好き勝手やっても文句は言われないと思いませんか?」

「え?えっと……」

「愛しの夫のもとへ、私は行きますわっ!診察してくださいまして、ありがとうございます。お医者様」

「は、はい……」


私、リリー・ホワイトは、自分に冷たい男、ルーカス・ホワイトのことが大好きで、どんなに辛いことがあってもへっちゃらなのだから。


しかし、死ぬとなると……愛おしい夫の顔をあと何度見ることができるだろうか。こうしてはいられない気持ちでいっぱいになった私は、勢いよく布団から起き上がって医師への挨拶もそこそこに夫様のもとへ足を向けた。


◆◇◆


私はもともと、この国の王女だった。ただ家族がだいぶ多く、第6王女という半端な存在。王位継承権はないに等しく、日々うだつのあがらない空気に毒されていた。どうせ自分に意思はなく、待っているのは政略結婚やらの道具となる運命だけなのだからと。


そんな時に出会ったのが夫――「ルーカス」だった。


8年前、当時14歳だった私が、礼儀作法の授業に飽きて授業をサボっていた頃。侍女を困らせながらも王城の庭で大の字に寝そべっていると、つかつかとこちらへやってくる美貌の男性が見えた。


太陽の光にすら負けない金色の髪に、しゅっとした顔つきそして怜悧な青い瞳だった。童話の王子様を体現した男性が目の前に現れたのだ。寝そべっていた私は思わず、起き上がり男性へ目を向けると。


『誰かが倒れていると思ったら、授業を毛嫌いしている第六王女様だったのですね』

『!? な、な……っ』

『あなたのその行動、理解しがたいです……そうして時間を費やす暇があるのなら、なすべきこと、またはしたいことをなさった方が有意義ではありませんか?』


ルーカスの顔をポカーンと見つめれば、どうしたことか彼は『く……っ』と声を漏らしたかと思えば、大きな声で笑い始めたのだ。『まったく、髪に草が……』と言いながら、おそらく髪に付いていたであろう草をとり払ってくれた。


そして、颯爽と挨拶をしその場から離れていったのだ。


ハッと我に返った私は、顔中に熱が帯びていく温度を感じながらもルーカスに言われた言葉が頭から離れなかった。王家でお荷物ながらも、侍女や家臣たちから面と向かって苦言を呈されたことはなかった自分に、あそこまで真っすぐに言葉をくれたのはルーカスが初めてだった。


まさに「こいつ、おもしれー男」といった感情が自分の中に湧いた。


もちろん彼の顔も、頭から忘れることはできないほどに……いわゆる一目ぼれだった気がする。


その日から「ルーカスとずっと一緒にいられるためには?」という考えが脳内を埋め尽くし、自分の行動の中心になった。そう、うだつのあがらない私の「目標」が生まれた瞬間だった。


ルーカスは公爵家の跡取りで、私よりも2つ上。そして公爵家の勢力に、王家は頭を抱えていた。どうにかして王家の者と縁談をして、家族となることで力を抑えつけたいと思っていたのだ。しかし、どの王女もすでに嫁ぎ先が決まっていて、ちょうど余っていたのが「私」だということも知った。


まるで探偵のように国王である父親の部屋の中で隠れて、情報を仕入れて考えてみた結果……「王家にとってお荷物状態の私であれば、もしかしてルーカスと結婚できるのでは!?」とピーンと頭の中で答えが閃いた。


ひっそりと探偵ごっこをしている私の耳には、情報以外にも、父がその話の中で「ただ六番目の子は、授業態度が悪いから……公爵家から返品される可能性も……」という言葉も聞いた。


その瞬間、私はすぐさま心を入れ替え、その日から授業をサボることをやめた。


そうした私の努力が実り……「不真面目なお荷物」王女から「少しは使える」王女へと評判が変わった結果、無事に3年後ルーカスとの婚約が結ばれたのだ。嬉しい気持ちでいっぱいになった私は、婚約が結ばれて顔合わせをする当日まで、緊張で眠れないほどだった。


そして当日待っていたのは、冷たいほどに感情を失ったルーカスだった。


『リリーと申します。よろしくお願いいたしますわ』

『……ルーカス・ホワイトです』


初めて会った時と比べて、顔つきがだいぶ大人びた彼を見た衝撃はすごかった。しかし、そんな冷たい態度にも、思わずきゅんとしてしまったのだ。恋は、人を盲目にするというのは本当だったようだ。怜悧なまなざしは、成長と共にますます彼の魅力につながっていた。


しかも馬車に乗るときや、悪路な時にさっと私の腰に手を伸ばして支えてくれる紳士的な姿と、しっかりとした身体は――魅力が溢れすぎていた。


成長期のためか、以前会ったときよりもぐんと伸びた身長に、すらっとした体つきながらも体幹を支える筋肉が服の袖からちらっと見えて悶えたものだ。しかも噂では、もうすでに公爵家の後継者として、独り立ちしているということすら彼の素敵さを物語っている。


一方で、王家が公爵家をけん制しようとしている事情を知っていながらも、真っ向からこの婚約を受けて立とうとしているということも。


(きっと、王家に対しても下に見られすぎないように、冷たい態度をとっておられるのだわ)


こんなに立派なルーカスを側で支えたい。そのためには彼がどんなことを私に期待しているか聞きたい……そう思った私は、婚約し二人きりで散歩をした際にそれとなく声をかけた。


『そ、その……ルーカス様』

『……なんでしょうか?』

『ルーカス様が喜ぶ性格とか……私にこうしてほしいなどは、あ、ありますか?』


それとなく聞くつもりが、だいぶダイレクトに聞いてしまったような気もするが……あの時の私は、それくらいいっぱいいっぱいだったのかもしれない。そんな私の言葉に、ルーカスは一瞬目を見開いたかと思うと、すぐに暗い表情になり。


『あなたに、期待することであっておりますか?』

『はい!』

『……慎み深く、反抗しない態度といったら、さすがに……』

『慎み深く、反抗しない態度、ですね!わかりましたわ!』


ルーカスの言葉に合わせて、食い気味にそう答えれば、ルーカスはまたもや驚きの表情を一瞬浮かべたような気がしたが……すぐにいつもの冷めた表情が見えたので、きっと勘違いなのかもしれない。


その言葉を実践するように、その日からルーカスのために振舞えるように「慎み深い、おとなしい女性」を練習してきた。そうこうしていると、つつがなく王家が取り計らってくれた壮大な結婚式で、盛大に祝われ、あっという間に公爵家の一員となったのだ。


しかし公爵家に到着した私を待っていたのは、あまりにも冷たい視線ばかりだった。


前公爵夫妻はすでに、身を引き他国で隠居をしているそうなのだが――まだ公爵になったばかりのルーカスを守るかのように、使用人たちのプレッシャーが私に向けられたのだ。


(なるほど……!ここから、公爵夫人への試験が始まっているのね)


その空気感に一瞬、疑問を抱きながらもルーカスが言っていた「慎み深く、反抗しない」女性を目指そうと思った。だから今夜あるであろう初夜も、彼への想いを胸に完璧にこなさなければ……と。


しかしそんな私の決意も空しく、結婚したばかりだというのにルーカスは私の部屋に訪れることはなかった。


きっと結婚式準備もあって、たまっていた政務が忙しかったのだろう。そう、自分を納得させるように思いこむも……ベッドに一人だけいる自分を確認すると、自然と目から涙があふれた。


こうしたすげない態度をとられても、なぜだかルーカスのことは嫌いになれなかった。それは、公爵家に到着するまで馬車で揺られる私を彼が衝撃や酔いが起きないように支えてくれた……さりげない優しさを感じてしまったからなのだろうか?


色んな感情がないまぜになりながらも、結婚式の日を終えた翌日から――私の生活はガラッと変わった。事務対応な使用人たちと、ルーカスと一緒に食事がとれない日々。


事務対応から……いつのまにか、雑に扱われるようになり――ルーカスと会いたい旨を使用人に告げるも、会えることはなかった。しかし、ここでワガママをいったらルーカスの求める人物像とズレてしまう。


ルーカスに好かれたい一心だった私は、屋敷内で「王女リリー様」と呼ばれながら、機械的に生活をする日々を送るしかなかった。そうして月日は過ぎ、気が付けば5年経ち、私は22歳にルーカスは24歳になっていた。


◆◇◆


(医師に余命半年を言い渡されてしまったら、もうなりふり構ってられないわ!)


ルーカスとの出会いからすでに8年が経過した私だが、じっくりと彼の好みを達成する目論見は難しくなったと――そう脳内で答えが出た時。身体が自然と、彼がいるであろう執務室へ向かっていたのだ。


廊下を歩いていれば、目的の扉が見えた手前でメイド長に遭遇する。そして彼女は、目の前に立ちはだかってきた。


「王女リリー様、いったい何用で出歩かれているのですか?公爵様に会うためには事前に約束をと……」

「……」


未だに公爵家の一員として認めてくれていないメイド長を見て、いつもならルーカスの期待に応えるため引き下がっていたが……もう、私には時間がないのだ。少しでもルーカスを見て、ルーカスの怒った表情でもなんでもいいから目に焼き付けないと、死にきれないのだ!


欲を言えば、声も聴きたい。そんな強い感情を持っている私は、メイド長の言葉にうろたえることもなく毅然とした態度で。


「あなた、何様かしら?」

「……え?」

「私は公爵夫人であり、屋敷内はいかなるところも自由に歩く権利があるわ。ましてや、夫に会うことも許可など不要なはず」

「なっ」

「そもそも、私の行動を制限するのはいったい何をもってして許されているの?」

「そ、それは――」


今までは強気に出ていたメイド長がたじたじになっている様子を見て、少し心の靄が晴れる。私の言葉を聞いて反論する余地をなくしたメイド長はすぐさま、道を譲り、「大変申し訳ございませんでした……」とお辞儀をするのみだった。


道が開いたことにより、当初の目的通り愛する夫がいる執務室へ向かい、ノックをする。すると、低温で重厚感がある声で「誰だ?」と聞こえてくる。5年ぶりに聞いたその声に、思わず胸が高鳴る。


「リリーです」

「リ、リー…?どうぞ、入ってください」


驚きを含んだ声が聞こえてきたが、入室は問題ないと返事がきたので扉を開けば――そこには、結婚した当時の面影を忘れさせない美貌の夫が執務机越しに椅子に座っていた。


あの頃よりも、さらに大人の色香が加わり――艶やかな金の髪はそのままに、瞳の青さにすら思わずドキッとしてしまう始末だった。


「君は、いったいどうして――」

「ルーカス様、愛しておりますっ!」

「え?」


積年の想いがつい、あふれ出てしまったことに気が付き、すぐさま「あ、えっと」と私は慌ててしまう。


「どこか、具合が悪いのですか?」

「いえ!あ、いや……?今は、健康なのですが、死を目前にしたといいますか……」

「う、うん……?」

「その、お願いがあってやってきました!」


数年ぶりの再会もあって、ルーカスははじめ驚きにのまれている様子だったが私の「お願い」という言葉に、彼の眉がぴくっと反応したことが分かった。そして心なしか声のトーンもさらに下がり、目つきも鋭くなっている。


(どうしましょう……このカッコいいお姿をこの距離で見れるなんて)


「お願いというのは、まさか王家に絡んだ――」

「私も公爵家の役に立ちたくて……!公務のお仕事――主に、会計処理などお手伝いをしたいのですっ!」

「ん?」


執務室の机越しに見えるルーカスがキョトンとした表情を浮かべる。なんだか彼の口から、私が言っていることとは違う言葉が聞こえたが――今大事なのは、この「お願い」だ。


王家でも探偵よろしく立ち回った自分のスキル(?)を活かし、公爵家で最近優秀な人材が王家へ流出してしまっている状況を知った。私とはもう関係のない王家だが、それでも現役で今でもなお公爵家と王家はにらみ合っている状況なのだ。


人材の流出は王家にとっては喜ばしく、公爵家にとってはマイナス。そして私にとっては渡りに船だった。授業をまともに受け始めた日から、礼儀マナーだけに限らず……女主人となるための一般教養も習ったのだ。


今こそ、その真髄を発揮すべき時!


そう意気込んで、ルーカスの顔を見れば先ほどと打って変わって、険しい表情となっていた。その顔つきを見ると、背中に嫌な汗が流れる。もしかして何かやらかしてしまったのではないか…。


「なぜ、あなたが会計処理をピンポイントでしたいのか……だいぶ意図が読めませんね」

「え、えっと……」

「特に管理権もない雑務をあなたがしたとしても――うま味がありません。そもそも情報内容も王家に渡したところで意味もないのに……」


(ルーカス様の顔を近くで、ずっと拝みたいからです!なんて、言えないわ……)


最初は出合い頭に、つい本音がぽろっと出てしまっていたが――今は、これ以上ルーカスの好感度を下げないように、しっかりと口周りの筋肉を動員している。不用意なことをいって、邪推され王家への疑いと一緒くたにされてはたまらない。


「何か思惑でもあるのですか?」


じっと、ルーカスの鋭い目線が私に向けられる。そんな真剣な表情も素敵だなと感じながら、ふと考える。近くにいられるだけでも私は嬉しいのだが、きっとそれではルーカスは納得しなさそうだ。その時、自分の欲望が脳内から生まれた。


「ほ、報酬が欲しいのです!」

「ほう?」

「その……今日から一緒に食事をとってほしいのですっ!」

「ん?」

「言うなれば、ルーカス様の時間が欲しいのです。その、私たちは結婚した日から、あまりにも会話ができていないように感じているのです。だから少しでも、今からでもできたら……と思いまして」

「食事……?」


ルーカスは私の言葉を聞いて、理解ができないといった顔つきでこちらを見る。しかし、仕事で近くにいられて、しかも食事まで共にできたら彼と過ごせる時間はぐっと増えるのは間違いない。


ルーカスにとっては、なんてこともないのかもしれないが――私にとっては、喉から手が出るほど欲しくてたまらないものなのだ。


するとルーカスは、暗い表情を浮かべながら「……5年もおとなしくしていたから、機会をうかがっているかと思えば」とぼそっと言葉を紡ぐ。


「王家から、そのように健気に好意を寄せる真似をしろといわれたのですか?」

「え⁉全く!」

「……まぁ、いいでしょう。こちらに不都合なこともありませんし、確かにあなたが言っていることは事実な部分もありますから」


ルーカスの隣に控えている、存在感を消していた執事長が「よろしいのですか?」とわざわざ私が聞こえる声量でルーカスに話す。その様子に、せっかくいけそうなのだから余計なことを言わないで、ぐぬぬという気持ちが湧いたが、ぐっと堪えた。


我慢という耐性は、この公爵家で過ごした5年間のおかげでかなりのものになった気がする。


「ああ、お前の心配はありがたいが、人材が不足しているのも事実だ。悪い話じゃない」

「さようでございますか」

「君、早速だが、今日からの食事を共にしてほしいと言っていたからには――今日から作業ができるとみて間違いないか?」

「っはい!」


(やったわ…!善は急げともいうけれど、ここまで一緒にいれる時間が増えるなんて…!)


私は、嬉しい気持ちでいっぱいになった。おそらく、ルーカスの斜め向かい側に空いている席が会計処理をするための机のはずだ。そこから作業をしながら、同じ空間にいられるなんて。しかも食事も一緒だ。


あまりの積極性のためか、扉越しで呼んでくれた自分の名前は「君」へと変化してしまったが……近くに入れることが何より重要なのだから、そこは気にしないことにした。


「悪いが……彼女に業務と書類を」

「はい、かしこまりました」


ルーカスは、私の想いを知らないまま執事長に命令を出す。すると執事長は慣れた動きで、私を念願の席まで案内し、そして一旦その場を離れたかと思えば――。


「……え」

「さて、奥様。こちらが、会計処理が必要な書類でございます。いやはや、前任者が“王家”へ行ってしまったがため、後手後手になってしまいまして…ね。よろしくお願いいたしますね」


少し棘ある物言いをしてきた執事長が私の前に置いたのは、自分の身長と同じくらいの書類のタワーだった。これは相当な量がある。もしかして、今日ルーカスと一緒に食事をとる時間……なによりルーカスを眺める時間なんてないのでは……そう思う程の量だった。


「もし無理なら、やめてくれても構わない」


ルーカスの視線はすでに自身の机に戻っていて、しかも声色もどこか業務的なものになっていた。


(かなりの忙しさだけれど……ここで諦めたら、死しかないわ……!)


せっかく欲しくて手に入れた場所と条件なのだ。もしここで放り出したら、それこそ人気が少ないあの部屋でひっそりと死ぬ悲しい運命だけだ。そんなのは嫌だ。


「誠心誠意、やらせていただきますわ!」


王家の授業以来に使う思考に、しっかりとした作業。心機一転とばかりに、私は書類の海へと集中し始める。優先順位をつけて書類ごとに区別し、そして期日が早いものを率先して処理していく。


数字の作業のため、チェックは念入りにしながら――できたものから、念のため執事長に渡したり、ルーカスに確認してもらう。その繰り返しで、何度も手を動かす。


気が付けば、ルーカスを見ることよりも書類に集中する始末になっていた。内容を理解するために脳を働かすと、思った以上に煩悩のために視線を動かすことができない。


(そうだとしても、できない認定をされてここから追い出されるよりかは、ここで仕事に追われる方が何倍もましだわ……!)


そうして書類のタワーが、気持ち減ったかなと思う量をこなし、できる限りやらねばと思った私がまた一枚……と書類に手を伸ばした際に。


「今日はもう終わりです」

「え?」

「すでに夕食の時間は過ぎておりますし……本日中のものはもうないでしょう?」


ルーカスに声をかけられて、私はハッと我に返る。ルーカスの言う通り、執務室の窓から見える景色は真っ暗で、心なしか月もだいぶ高くに上っていた。時間があまりにあっという間に過ぎたことに驚きつつも、ルーカスの顔を見つめる。


「私は……明日からも、ここに来てもよろしいでしょうか?」


そう問いかけるとルーカスは、不思議そうな顔をしてから「はぁ…」と何やら負けたような顔をする。


「ええ。あなたが一生懸命取り組んでること、そして役に立ちたい姿を見ましたし……明日以降もお願いできたらと思っております」

「っ!」

「ただ、もし明日以降で仕事の不手際や過失があった場合は、即刻辞めていただきますが」

「はいっ!」

「はぁ……分かっているのでしょうか……」


どこか悩まし気なルーカスに、私は頭をかしげながらも――明日からもここに来ていいと知り嬉しさがこみあげてくる。そうした私の方を見ているルーカスが、「それと……」と言葉を紡ぐ。


「夕食を共にしましょうか」

「っ!」

「嫌なのですか?」

「いいえ!ぜひ、一緒に食べたいですわ」


ルーカスが今日かわした約束をきちんと覚えていてくれた。それに自ら言ってくれたのだ。これほど嬉しい気持ちになったことはない。上機嫌な私に、ルーカスはまたもやため息をついているようだが、そんなルーカスもカッコいい。


私の脳は、会えなさ過ぎておかしくなってしまったのだろうか…と思う程だった。


「ほら、行きますよ」

「ええ……!」


その日の夕食は、部屋だったり一人で食べている時のものと同じメニューだったが、ルーカスと一緒に食べられているその事実だけで、美味しさは倍増していた。終始、ルーカスは私の方を怪しむように見ていたが、その表情だってかっこいい。


今まで待てをされ続けて、やっと餌を食べられる犬のような嬉しさを感じたのかもしれない。やはり私の感覚はおかしくなってしまったのかもしれないが、それでも今日一日の仕事の疲れなど吹っ飛ばせるほどの効果がそこにあったのだ。


私が死ぬまであと半年。

きっと今日のことを私は絶対に忘れない。


◆◇◆


ルーカスとした約束――報酬のため、私はきちんと毎朝起きて彼の執務室へと向かった。医者に宣告されたような病魔の作用は今のところない。いたって健康だからこそ、医者の診断を少し疑った時もあったが――しかし、医者のような知識を私は持っていないため、その疑いを持つことはやめた。


余命は半年だと思い、一日一日をルーカスと共に過ごすことを考える。


はじめは、ルーカス御所望の女性像じゃないために公爵家から追い出されても――余命僅かだからこそ、まあ、どうにかなるだろうな心持ちでいた。しかし気が付けば、あのタワーな書類を片付け終わった頃には、2か月の月日が経っていた。


季節は汗ばむ夏の時期となり、じめっとした気温ながらも公爵家の使用人たちはせかせかと働いていた。そんな中、書類のタワーが片付いたことにより公爵家で必要な設備の改修などが滞りなく進められるようになったそうだ。


そうした出来事があったためか、以前より私を空気のように扱う雰囲気は無くなりつつあった。それはきっと、私の部屋へ訪れにきた執事長も例外はなく。


「本日も、業務を行ってくださいましてありがとうございます」

「いえ、お役に立てたのなら嬉しい限りですわ」

「……それに、食事を旦那様ととっていただいているおかげで――旦那様のお身体に必要な栄養を補えております」


執事長は、以前よりかは物腰が少し柔らかく――私に接してくれている。ただこうして、私の部屋へわざわざ赴いてきてくれたことはなかったので、内心なにかやらかしてしまったのではないかと――緊張をしているのも事実だ。


「……本日は、メイド長が改修作業の監督のため手が離せなく――代わりに私が“王家からのお手紙”を持ってまいりました」

「あら、またですの……?」

「公爵家へ嫁いでからも、こう何度も送られているとは――きっと王家は奥様のことを大事に――」

「ずっと、もう手紙は必要ないとお返事を書いているのに……どうして同じ手紙が毎回来るのでしょう……?」

「え?」


そう、私が公爵家に嫁いでからなぜか毎回同じ王家からの手紙が来るのだ。内容は至極わかりやすく、「私を心配している」という体で、もし公爵家での変化があれば手紙でその仔細を書くようにという内容だった。言うなれば、王家に公爵家の情報を売れということだった。


しかしルーカスの役に立ちたい私が、王家に情報を売るわけがなく――毎回、断りの返事を書いているにも関わらず、そうした返事をまるで「見ていないか」のように同じ内容の手紙が届いているのだ。


「毎回、断っているのに……王家は手紙を読む能力がないのかしら?」


つい、何度も同じ作業を求められる手紙に愚痴をこぼしていると――執事長が、わなわなと声を震わせながら「そ、れは――確かに……しかし、メイド長から奥様が王家へと手紙をしきりに書いていると報告が――いったい」と呟いていた。


「どうしました?」

「……奥様、失礼ですが――王家からの手紙に断りの文章を書いていたのは本当でございましょうか?」

「ええ、本当よ……?ほら、今ちょうど書き終わったから読んでもらって構わないわ。王家へ手紙を配達する人が、うっかり落としてしまったのでしょうか…?」


執事長が私から王家への封をしていない手紙を受け取って、目がこぼれてしまいそうなくらい大きく見開いて内容を読んでいた。


(特に驚くような内容ではないのだけど……)


手紙には、「私はすでに公爵家に忠誠を誓っております。王家からの私的な連絡は今後一切不要です」と書いてあるだけなのに。しかし執事長は、「まさか、メイド長……」と震えた声を出しながら一度暗い顔をしたのち。


「奥様、手紙を見せてくださいましてありがとうございます。今から、私は確認せねばならぬことができまして、慌ただしく……申し訳ございません」

「え?いえ……」

「そしてこの王家へお送りするお手紙は、私が責任をもって出させていただきますね」

「ええ……よろしくお願いいたします…?」


挨拶もそこそこに、執事長は血相を変えて本人の言葉通り慌ただしく部屋から出て行った。その様子をポカーンと見つめたあと、夜が更けているのもあり――明日の仕事もあることから眠りに着こうとする。


「……うっ」


仰向けになって寝転がると、今までに感じなかった胸部の不快感に襲われる。まるで、誰かに胸を圧されているような感覚だ。しかし鋭い痛みなどではないし、耐えられないほどでもない。


(やっぱり、お医者様の言ったことは正しいのね)


分かっていたことではあるが、やはり私には時間がない。残りの時間をどうにかルーカスと過ごせるようにしないと……そう考えていれば、胸の不快感はいつの間にかおさまり、夢の中へと思考は飛んでいった。


◆◇◆


執事長が慌てて出て行った翌日。


「ルーカス様、おはようございます」

「ああ……おはようございます」

「今日も、髪型から服装まで本当に素敵ですわ」

「そうですか……ありがとうございます」


ルーカスはあの日以来――約束通り、食事を私と共にとってくれている。相変わらず、どこかすげない返事ではあるが、朝日に照らされて艶やかな金色の髪が光り、美しく凛々しい彼を見ると――きゅんとときめいてしまう。


単純な私の心。


しかも最近だと、お互いが同じ空間にいることが増えたのでどこまで仕事をしているのか見えるのもあってか――長く仕事を続けた日には、疲労に効くと言われる食材のメニューをシェフに頼んでくれたこともあった。


もちろん自分のためと、勝手に浮かれているだけに過ぎないが――それでも執事長から、「あんなに食にこだわりがなかったお方が――奥様のおかげなのかもしれませんね」と言われたこともあり、にやけてしまう気持ちが止まらない。


朝食を食べ終わり、そろそろ今日も仕事にとりかかろうと、席を立った時。


「旦那様、ご報告があります」

「なんだ?――あなたは、自室で少しお待ちください」

「はい」


執事長が昨日と変わらず、どこか顔色が悪い様子でルーカスに声をかけた。その様子にルーカスもただ事ではない雰囲気を察知してか、二人は足早に執務室へ向かっていく。私はルーカスに言われた通り、自室へと戻る。


(きっと急ぎの用件があったのだわ……たぶん仕事ができる時に呼ばれるわよね…?)


そう自分に語り掛けて、自室に戻り待機していれば――少しの時間を置いて、ノック音が響いた。


「奥様、旦那様がお呼びですので執務室まで案内いたします」

「そう、分かったわ」


想像通り、呼び出しを受けて――ルーカスが待つ執務室へ向かっていけば、思わず私は目を見開いてしまう。なぜなら、そこには――。


「も、申し訳ございません……旦那様……っ」

「……」

「はぁ、メイド長、どうして私にちゃんと報告を――申し訳ございません…旦那様。私にも責任がございます」


確かに、ノックをしてからルーカスに入室の許可をもらったはずだが――なにやら見ていいのか分からない状況に遭遇してしまった。これは一回退出したほうが……と、確認の意を込めてルーカスの方に視線を向けると。


「大丈夫です、あなたはここに来ていただけませんか?」

「は、はい……」


恐る恐る中へと足を踏み入れれば、床に土下座するメイド長。そして深くお辞儀をする執事長がいた。困惑している私の雰囲気を察してか、ルーカスは状況を説明してくれた。


「メイド長が、ここ5年間あなたの手紙を正しく処理をしなかったことが判明した。それも、勝手に送らないばかりか……あなたにとって良からぬ噂を流していたようです」

「……っ!」

「これは公爵家だけの問題ではない。王家に対しても不誠実な対応を行ってしまっていた――重大なミスだ、それ以上に……」


衝撃の事実をルーカスの口から聞き、私は面を食らう。しかしその言葉の意味を理解すれば、たしかにこの屋敷で使用人たちからつまはじきのような対応を受けていたことを思い出す。それを扇動していたのが、メイド長であったのだろう。


状況を理解していっている私にルーカスは一度息を整えてから、言葉を紡いだ。


「今回のことは僕の管理不足でした。あなたをそうした状況に追い込んでいるとは気が付かず――本当に申し訳ございません」

「え!?あ、いえ……」


ルーカスが私に向き直って、深く謝罪をした。まさかの状況に、理解がまた追い付かなくなっていく。たしかに使用人たちが冷たい態度をとることに違和感を感じてはいたが――自分を鼓舞するために試練だと割り切っていたところもあった。


メイド長がしでかしたことは、良くないことだ。しかし、それを逆手にとってルーカスを追い込むことは私の本意ではない。だから、ルーカス、そして執事長たちの方を見て「頭をあげてください」と声をかけた。


「確かに、こういったことが起きてびっくりしましたが――ルーカス様や公爵家を想ってくださる皆様を追い込みたくはございませんわ」

「……っ!」

「こうした事態は確かに良くないことです。私の件だけではなく、常態化してしまったら別の問題に発展してしまいますもの。だから、私はこうした問題が次には起こらないような対策をつくること――それだけを望みますわ」

「あなたは……」

「奥様……!」


執事長が涙を浮かべながら、私の方をみる。まるで救世主のようにこちらをうるうると見つめる執事長を見て、少しぎょっとするものを感じながらも――笑顔を浮かべる。メイド長は相変わらず、青ざめ涙をこぼすのみだった。一方のルーカスは、どこか辛そうで悲し気な表情を浮かべてから、口を開いた。


「妻がそう言っていることもあり、地下室での断罪は免除しよう。そして、次に起きないように対策も練ろう」

「ありがとうございます、ルーカス様」

「いえ、こちらの落ち度ですから……しかし、けじめは必要だ」


先ほどよりも声のトーンが低くなり、ルーカスは厳しい表情で声を上げる。


「メイド長は公爵家から追放とする。また執事長は監督不行き届きにより、当面の間降格処分を行う」

「承知しました。旦那様」

「い、嫌です……!私はっ!公爵様っ、公爵様を想う一心で……!」


執事長がすぐさま返事をしたのちに、悲鳴を上げるようにメイド長は思いのたけを語る。しかしそうした言葉に対して、ルーカスは冷ややかな目で一蹴したのち。


「貴様は起こしたことの重大さが分かっていないようだ。妻によって、貴様の処遇はずいぶん寛容なものになったのだ。その妻を貶めていたことを忘れているようだな?」

「ひ……っ、も、申し訳ございませんっ」

「謝るのは私ではなく、妻に、だ」

「お、奥様。本当に申し訳ございません」


ルーカスの厳しい声にもそうだが、それ以上にメイド長の取り乱した様子に頭が追い付かず――声を失うばかりだった。その様子にどう思ったのかルーカスは、「早くそのものを連れていけ」と執事長に命じ、部屋にはルーカスと私だけになった。


暗く沈んだ執務室の中、ルーカスと二人きりになる。


ルーカスは眉間に力を入れ、悲痛そうに眉が八の字になっている様子が窺えた。


「あなたには……本当に申し訳ないことをしてしまい……」

「あ!その、そのことはもう先ほどので、大丈夫ですから」

「……」


ルーカスにそう声をかけると、さらに彼は辛そうな表情を浮かべる。私としては、もう気にしてほしくないのにどんどん沈んだ雰囲気になっていく彼に、心が痛くなっていく。


「あなたは、優しいのですね……しかし、それでは僕の気持ちが済まない」

「……っ!」

「だから、どうかあなたの欲しいものを教えてくれないだろうか?公爵家の財産でも、王家への取り計らいもしよう……なんでも言ってくれないか?」

「なん……でも……」


まさかの事態に、ごくりと唾を飲み込む。こんなことになるとは全く想定してなかった。先ほどのことで話はついたとばかり思っていたのもあるが……。


(こ、これは――いいのかしら、私の……私の希望を言ってもいいのかしらっ!?)


ルーカスの言葉を聞いて頭に思い浮かんだことを、意を決して口に出す。


「そうしましたら……!私と、街でデートをしてくださいませんか!?」

「……え?」

「ずっと夢でしたの!ルーカス様と一緒に公爵家領の街を回ることが……!」


すごく前のめりで、そして自分より身長の高いルーカスを見上げるように見つめる。


「や、やはり、ダメでしょうか……?」


すると、一瞬呆気に取られていたルーカスだったが、まじまじと私の顔をみると頬に赤みがさしたように思えば――。


「っ!そ、そんなことでよろしいのですか?」

「え?」

「本当にあなたがよろしければ、デートをさせていただきますが……」

「っ!はい!デートでお願いしますっ!」

「ち、ちかいです……」

「あ、申し訳ございません……!」

「いえ……」


ルーカスからデートのOKがもらえ、つい有頂天になってしまい近距離で近づいてしまった。しかもいつも以上にしまりがない顔で、近づいてしまった気がする。


(も~私のばか。変な顔でルーカス様に近づいたら嫌われてしまうわ!)


そんな私の悩みをよそに、ルーカスは早速と言った形で予定表を見ているようだった。


「すぐに予定を開けたいのですが、王家への対応も必要だから……その、二か月後でもいいでしょうか?」

「問題ありませんわ!」

「あ、ああ。そうしたら、予定をのちほど共有させていただきますね」

「はい!」


勢いが良すぎる私の返事に、すこしたじたじとなっているルーカスが見えたが――そんなことよりも、頭を占めるのはルーカスと二人でデートができるということだ。だって昔一緒に、王城の敷地を少し散歩するくらいだったのが彼とのデートの思い出だ。


(それが街でしかも――きっと、散歩よりも長く一緒にいられるなんて……!)


有頂天にならない方が難しい状態だった。自分の命を蝕む病気のことが少し気がかりだが、病は気からとも言う。デートの日は絶対何が何でも、行く決心をした。そうして少し浮かれた雰囲気のまま、私はルーカスと共に仕事に励むことになったのであった。


そしてその日から、私の周りは一変した。


執事長はもちろん、周りの使用人から正式に「公爵夫人」として扱われるようになったのだ。そしてルーカスとのデートも正式に日程が決まって、何をするにも上機嫌で取り組めた。


ルーカスは、そんな私の様子に対して少し心配をしているようだったが――やっぱり、嬉しさは隠せないままだった。そうしてデートの日までは、穏やかにそして明るく公爵家で過ごせたのだ。


私が余命宣告をされてから4か月が経つことになった。


◆◇◆


「奥様!どのドレスも、奥様にお似合いで――本当にお美しいですわ…!」

「本当?ど、どうしましょう……!ルーカス様が気に入ってくださるのは……」


デート当日。

私は焦りに焦っていた。というのも、いつもは仕事が中心のため華美な装飾などは気にせずに過ごしていたのだが、デートとなれば話は変わってくるからだ。


ずっと着れずにいた様々なドレスを使用人たちの手伝いを受けながら、考える。あれから使用人たちの態度の変化もあって、だいぶ私に明るく接してくれているように感じる。


そして色とりどりのドレスを見ながら考えていれば――思い浮かぶのルーカスの顔。そして彼の透き通るほど綺麗な青い瞳だった。ドレスで、彼の瞳を連想させる青が使用されたものに目が行く。


「これにするわ!」

「まあ!旦那様の――!かしこまりました!」


使用人たちがきゃいきゃいと明るく声を上げながら、選んだドレスの着用を手伝ってくれる。そして着替え終われば――。


「奥様……!本当に素敵ですわ……!」

「まあ、本当?嬉しいわ」


自分では、きっと良いはずと思ってはいるが……こうして使用人の言葉を聞くと、ホッとする感覚があった。そして、そろそろ玄関での待ち合わせ時刻となっているはずだから、出る支度をすれば――使用人たちが玄関まで案内をしてくれる。


公爵家の廊下を歩きながら、胸のドキドキは募っていく。このドキドキはもちろん、病気ゆえの高鳴りではない。


今朝目覚めた時にも、張り切った気持ちのおかげか胸の不快感は一切なかった。もしかして病は気からというのは、病気の完治まで作用してしまうのか――と思ってしまうほどだった。


そうこう考えているとあっという間に玄関ホールに到着する。そして視線を向ければ、私よりも早く到着していたであろうルーカスに目を奪われた。


クラシックな服に身を包む国随一の美しくカッコいい貴公子とはまさに彼のこと。そう本気で思えるほどに、輝いていて――彼の全てを目に焼き付けようと、自分の瞳を大きくしていたように思う。


そしてルーカスと目線が交わった際に、ルーカスは瞬きを忘れてしまったかのように固まっていて。


「ル、ルーカス様……?」


そんな彼の様子に心配になった私が声をかければ、急にハッと気が付いたように咳ばらいをしてから。


「す、すみません。つい、あなたのあまりの美しさに、気を取られていたようです……」

「え……!」


そう恥ずかしそうに視線を下に向けながら、言葉を紡いでくれた。そのルーカスの言葉があまりにも嬉しくて……。


「ありがとうございます!ルーカス様は、いつも輝いておりますが――今日はいつも以上に輝いていて、クラシックな服がここまで似合う方はルーカス様以外いらっしゃらないと思うほどに……」

「っ!」


今までせき止めていた、ルーカスへのほめ言葉を彼に語り掛ければ――いつのまにか彼の声が聞こえなくなり、ふと彼の方へ視線を向けると。


「み、見ないでください」

「ルーカス様……!」


彼の顔はリンゴと同じくらいに真っ赤に染まっていたのだ。こんなに素敵な表情を見られるなんて、もう一遍の悔いなし!と思うほどに胸がいっぱいになった。


私だけが一方的に彼を想っているのではなく、もしかしたら彼も……そう勘違いしてしまいそうなほどに――。


「ま、まだデートをしていませんから――さあ、行きましょうか」

「……!はい!」


ルーカスのエスコートで公爵領の街へ向かうことになった。そこは、王城では見たことのないものがたくさんあった。活気づく街の雰囲気、そして美味しそうな屋台の食べ物の匂い。


ルーカスと共に見ているからこそなのかもしれないが、街の全てが色鮮やかに見えたのだ。ずっと公爵家の屋敷に引きこもっていたのも相まって、外出が久しぶりだからこそ、こうした街のすべてが輝いて見えるのも理由になるのかもしれない。


「ル、ルーカス様!あ、あれは、なんでしょうか?」

「ん?ああ、あれは最近公爵領で流行りはじめた飲み物ですね」

「ま、まあ……!」


私の視線の先には、カフェのテラス席で美味しそうにみんなが飲む白くてふわふわしたものが乗った飲み物に釘付けだった。ああいった飲み物は、王城でもそうだが公爵家でも見たことがない。


「どうやら温かいコーヒーの上にクリームが乗っているそうですが……」

「……っ!く、クリーム……!」

「一緒に飲みに行きますか?」

「っ!い、いいのですか?」


ルーカスにエスコートをされながら、カフェの席に座り注文をすれば――先ほど見たものと同じ飲み物が置かれる。しげしげと見つめていれば、ルーカスは自然な素振りでふわふわのものを飲んでいる様子が分かる。


それに倣うように、自分もと飲めば――。


(甘くて、苦くて――この飲み物の美味しさは素晴らしい……っ!)


絶妙な味のバランスに、自分の身体が雷で撃たれたような衝撃が走った。そして、一口飲んでからカップをテーブルに置けば、ルーカスが目を見開いている様子が分かった。


(わ、私、何か粗相を――?)


ルーカスの反応に、慌ててきょろきょろと周りを見ていれば。

「――っふ」

「え?」

「全く、口元が可愛らしくなっておりますよ」


ルーカスに微笑まれ、一瞬彼の笑顔に目が釘付けになった後。

口元にあのクリームが付いているのかと気が付き、さっとハンカチで口元をぬぐうも……。


「ふふっ、こっちにもついていますよ」

「えっ」

「失礼しますね」


ルーカスが席から立ち上がったかと思えば、私の方へ近づきそっと口元に手が触れる。そして、楽し気に嬉しそうにほほ笑むと。


「ほら、取れましたよ」

「あ、あ、ありがとうございます……」

「ふふ」


自分の顔から蒸気が出ているのではないかと思うくらいに火照っているのが分かる。こんな至近距離でルーカスを見たことがなかったのもそうだが、彼の笑顔がやばいのだ。輝き過ぎていて、自分の心臓がお祭り状態みたいに忙しなくなり続けてしまっている。


それほどの威力が彼の笑顔にあったのだ。


(どうしましょう、こんなにも素敵な笑顔をみて嬉しいと思うのに……)


そう、私の当初の目標はルーカスを自分の目に焼き付けること。それが想像以上に目に焼き付けられて、欲が出てしまうのだ。


もっと彼の側にいたい……そう願ってしまうほどに。


自分の想いを考えると胸が締め付けられる感覚を持った。しかし、どうしようもない病気なのだから、潔く諦めて――死ぬ間際には、ルーカスに笑顔で見送ってほしい。素直に考えれば、それが正解なのに――胸がズキズキするのはなぜだろう。


こうした思いを隠すように、私は笑顔をルーカスに向けた。せっかく楽しい時間を壊すのは本意ではないのだから。


カフェで楽しい時間を過ごしたあと、公爵領を巡るように観光をした。すると、公爵領の治安の良さや活気のある街の姿を目にした。その様子をみるルーカスも嬉しそうにしていて。


(きっとルーカス様の領地経営によって、いい街となっているのだわ)


悪路を歩けば、腰を支えてくれたり。ふてくされていれば、何かしら助言をくれたり。彼の気遣い、優しさが現れているからこそ、してくれたことなのだろう。そうした彼の姿をずっと見たいと思うのは、きっと私のワガママなのだ。


今日だって、私のワガママに付き合ってくれているのだ。だってそうじゃなきゃ、おかしい。


(ずっともしかしたら、好意を持ってくれてたら嬉しいな……って思っていたけれど、本当はルーカス様が自分のことを好きじゃない現実に気が付きたくなかっただけだわ…)


本当は知っているのだ、彼が私との結婚に気乗りじゃなかったこと。

一方的に私が好きだと思っていること。

王家出身ゆえに公爵家で見放されるほど、私があまりよくない存在であったこと。


だからルーカスを解放してあげないといけないのだ。だから……。


「大丈夫ですか?」

「え?」

「もうすぐ馬車に乗りますが、顔色が良くなさそうに思いまして」


ルーカスの優しさを知ると、胸が苦しくなる。しかしこうした感情を表に出せば、彼を困らせてしまうのは必至。だから、私は笑顔を彼に向ける。


「だ、大丈夫ですわ……!ついあのクリームの飲み物のことを、また思い出してしまって」

「……そうなのですか?」

「ええ!」

「……」


ルーカスはどこか疑問がぬぐえない表情を浮かべていたが、私がそう答えると少し納得した雰囲気もあった。いつの間にか今日が終わるしらせのように、夕日が沈んでいく様子が見える。


(少しでも、夕日が沈むのが遅ければいいのに……)


ルーカスとともに、公爵家を帰宅する馬車の中――私はそう願ってやまなかった。それくらいあっという間すぎて、楽しい時は進むのが早いという意味が良く分かった気がした。


(それに――幸せというのは、嬉しいのと同時に苦しいのね)


◆◇◆


公爵家に帰宅したのち、気持ちを切り替えるべく――湯あみを済ませた後、ベッドでぼ――っと天井を見上げた。明日からは、いつも通り公爵家のため、そしてルーカスのために仕事をしなければ、と。


そんな気持ちを抱いていれば、自室にノック音が響く。


「はい?」

「ルーカスです。入ってもよろしいでしょうか?」

「え!?は、はい…!」


使用人が何かを持って来たのかと思えば、まさかのルーカスの低い声に身体を全力で起こし、ルーカスを出迎えるべく扉のほうへ向かい――開ければ。


「っ!も、申し訳ございません……もしかして寝るところでしたか?」

「い、いえ!大丈夫です!寝ません!」

「そ、そうですか……?」

「よろしければ、中で座りますか?」


そうルーカスに提案すれば、ルーカスは何やら寝間着姿の私を見てからすぐさま目を逸らし、「僕は夫だから、変ではない。変ではない」とブツブツと唱えているようだった。そして、「中に入りますね」と部屋の中にあるソファーの方へ案内することとなった。


(今日、もしかして私――やはり、変だったのかしら……?)


幾度か自分の行動に疑問を持ったタイミングはあった。ルーカスは笑って許してくれたと思っていたが、もしかして私の勘違いで、本当は今からそのポイントを教えてくれる――そう目まぐるしく考えていれば、ルーカスが口を開いた。


「その……今日、あなたと過ごして――いえ、だいぶ前から一緒に仕事をするようになって、あなたにずっと疑問を抱えていたんです」

「……っ!」


(今日だけじゃなくて、今までもずっとやらかしていたの……!?)


私はルーカスの言葉に、思わず緊張が走り手にぎゅっと力を込める。


「僕は、ずっとあなたが王家から無理やり僕に嫁がされて――不快感を持っていると思っていたんです」

「え?」

「もしくは――勝手に疑ってしまって本当に申し訳ないのですが……公爵家を乗っ取るために王家が差し向けたのだと……そう思ってしまっておりました」

「……」


真剣な声色で話すルーカスに、思わず視線を向ければ――どこか暗く、そして眉を困ったように八の字にしている姿だった。


「僕は幼い頃から、公爵家をそして公爵領を守りたい一心で領主となりました。そして父と同じく公明正大に、どんな時も王家に意見が言える公爵家であれるように。だからこそ、あなたとの結婚は警戒せざるをえませんでした」

「そうだったのですね……」

「……しかし、あなたの普段の様子を見ていると……初めて会った時の無邪気なあなたのままで。とてもじゃないが、王家に染まっているようには思えませんでした」

「……」

「しかし疑念を持っていた時から今まで、いえ――言い訳は不要ですね。あなたをたくさん傷つけてしまいました。申し訳ございません……」

「っ!そ、その話は、もう終わったことですから――気にしないでください」

「あなたは……本当に優しいのですね……」


ルーカスはそう呟くと、あのメイド長の事件のことなども含めて考えたことを言った。そして苦しそうに口を開けば。


「僕の勝手な想像であなたのことをもう、疑いたくないと思っております。だから、あなたの言葉で、どういう気持ちで結婚したのか――教えてくれませんか…?僕はそれを信じたいのです」

「っ!」

「信じたいと思うほど、僕は――あなたを好ましく思っております」


ルーカスの言葉一つ一つが、頭に胸に真っすぐ響く。その言葉に応えたいと、そう思ったのだ。


「私は、ルーカス様と出会ったとき……恋に落ちたんです!」

「っえ!?そ、その、あの時の僕はかなり冷たい言葉をあなたに――」

「ええ、そうです!その言葉に惚れたんです!」

「っ⁉」


ルーカスが驚きを隠さず、私の方に視線を送ってくる。しかしルーカスに見つめられようとも、もう自分の今までの気持ちを隠すのはルーカスに不誠実だと思った私は……ルーカスのことをいかに好きかを語りつくした。


ルーカスに淡々と痛いところを指摘され、自分を顧みることができたこと。

ルーカスのさりげない気遣いに胸がときめいていること。

ルーカスの内面だけでなく、外見もドストライクに大好きであること。

ルーカスのことを愛さずにはいられないこと。


「ルーカス様は、私の光なんです。それほど輝いていて、愛しているんです!」

「う、うぅ……」

「疑いがないようにもう一度説明をさせていただきますと……」

「も、もう大丈夫です。あなたの言葉を信じます……」


ぷしゅうと音が出てしまうほど、ルーカスの顔は今までに見たことがないくらい真っ赤に染まっていた。そんなルーカスがつい可愛らしく見えてしまって……。


「その……ルーカス様、だ、抱きしめてもよろしいですか?」

「えっ!?」


思わず自分の煩悩が、本音が口から出てしまった。ハッと気づいた時にはもう遅く、ルーカスは先ほどよりも赤く顔を染めてしまう始末だった。


「は、はい……いいですよ」

「!」


性急すぎて嫌われてしまったかもしれないと思ったのもつかの間、ルーカスから肯定の返事を聞いて、自分の中のタガが外れてしまったように思う。身体が動くまま、ルーカスの方へ近づきぎゅっと抱きしめた。


(こ、これは……!)


まずルーカスが纏っている柔らかな香水の香りに包まれ、うっとりとする。そして次には自分の手や身体を通じて、ずっとデスクワークが多いはずなのに――鍛え抜かれている身体の感触にたどり着く。


ソファーの上で、覆いかぶさるようにぎゅっと抱きしめているためあまり無理な動きはできないが、そんな限られた範囲だけでもすべてが「好き!」と思える衝撃が、身体を駆け巡った。


そしておとなしくルーカスが抱きしめられていることをいいことに、私はもみもみと身体の感触を確かめるように触る。そして少し時間が経った瞬間――優しくしかし強引に、腰を抱かれたと思えば。


「えっ?」

「その……っ、あまりにも、触りすぎではありませんか?」


ソファーのふかふかなところに身体を沈みこませるように、私はルーカスに押し倒されてしまっていた。ルーカスの顔つきが、恥じらう表情からどこか色香が含まれたものへと変わっていく。


それにあてられるように、自分の鼓動もだんだんと早くなる。自分の頭の中は、目の前にいるルーカスのこと以外考えられないほどに、彼のすべてで埋め尽くされてしまいそうな熱をもち始めていた。


「僕も男なんです。好きな女性に触れられたら、自制がきかなくなる――」

「っ!」

「僕に襲われてもいいんですか……?」


低音で囁かれるその言葉に、身体がビリビリと甘い痺れを感じてしまう。


そしてルーカスの顔を見やれば、その顔は真剣な眼差しそのもので――。

好きという気持ちがいっぱいに溢れすぎた私は、無意識のうちにこくりと頷いていた。


その頷きを見たルーカスは、一瞬目を見開いたかと思うと――すぐに、雄を感じさせるぞくっとする視線となり、口角を少し上げてニヤリと笑った。そしてそのまま、私の方へルーカスの顔が近づいたかと思えば、唇に柔らかな感触が生まれ――。


「もう……止まりませんから、ね?」

「……っ!は、はい……」


ルーカスがソファーから起き上がると、私の身体に腕を差し込みお姫様抱っこをして持ち上げる。胸のドキドキで、もうそれ以上は考えられなくなってしまった私は、ルーカスと共に夜の深まりへ――溶けていくのであった。


◆◇◆


月がだいぶ沈み始めた頃、互いの熱の余韻を感じるようにベッドの上でまどろんでいた。


先ほどのこともあってなのか、ルーカスは私の身体を心配してくれて甲斐甲斐しく世話を自らが行うほどで――そんな彼の様子に、思わずきゅんとしてしまったのは言うまでもない。


「明日――といっても、本日は身体を休めるのに集中してくださいね?」

「っ!でも今日の業務は――」

「いいですね?」

「は…はい」


ルーカスがベッドの隣で私の方を、優しく視線を向けながらそう伝えてくる。彼の気遣いを感じさらに嬉しくなってしまうのは仕方がないだろう。


一方で確かに、ルーカスの言う通りいつも以上に倦怠感に包まれているので、明日は動けない可能性は高い。しかし、私だけが休んでいいのだろうかと、ルーカスの方を見て伝えれば――「毎日鍛えているので」と甘く微笑みを向けられてしまって、何も言い返せなかった。


ルーカスとベッドの上で過ごすうちに、いつの間にか緊張は和らいでいた。むしろ今となっては、安心感に包まれながらうとうとと眠りにつこうとしていたら。


ルーカスが、私の頭をなでながら優しく語り掛けてくる。


「そういえば、こんなにハキハキとおっしゃるあなたが、どうして長年だんまりな状態だったんですか?もちろん、僕の管理不足な面もあり…申し訳ないかぎりなのですが――」

「……ん?ああ、それは――」


半ば夢見心地で、ルーカスの疑問を頭の中で考えれば婚約後に会ったあの頃を思い出す。結局彼の理想像にそぐわない形で、彼のもとへ強行してしまっていたのだ。


結果として、まさか想いを伝えあうようになるとは思わなかったが――それでも、彼の好きなイメージを守れなかった申し訳なさがある。その気持ちそのままで、私は口を開いた。


「ルーカス様、申し訳ございません……」

「どうしたんですか?」

「以前、婚約のあとの…一緒に散歩したことを――おぼえておられますか?」

「だいぶ前になりますが――覚えておりますよ」

「ふふ、今となってはすごく前の約束になりますが…ルーカス様がおっしゃる好みの女性像に近づきたくて――はりきっていたんです」

「え……?」


だんだんと眠気が近づいてきた私は、残り僅かの意識を動員して――ギリギリまで言葉を紡ぐ。


「“慎み深く、反抗しない態度”を求めると言ってくださった……日から、ずっとあなたに好かれたくて、がんばってみたのですが……気づいたらルーカス様の求めに反してしまいましたね」

「っ!そ、れは――」

「あの言葉通りにできず…本当にごめんな…さぃ…すぅ」


ちゃんと言いきれた達成感に包まれながら、私が意識を手放し夢の世界へ行った後――まさかルーカスが深刻そうな顔をして言葉を紡いでいることに気が付かなかった。


「あなたはずっと……僕の言葉を守って――?…それなのに、僕は、あなたを不遇な立場に追いやってしまっていた、なんて……」


◆◇◆


窓の外からにぎやかな小鳥の声が聞こえてきて、私の意識は覚醒していく。特に夢というものは見なかったが、心なしかすっきりとした目覚めだった。カーテンから漏れる光は、朝日――というよりも、だいぶ昼下がりの太陽なのだろう。


今朝方までは一緒にいたルーカスは、ベッドの中にはおらず、すでに本日の仕事に向かっていったようだった。身体をふと動かそうとすると、普段動かさない筋肉を使ったせいか、上手く力が入らないことを知る。


(まさか、筋肉痛にもなるなんて――)


その原因のことを考えると、つい顔にカーッと熱が集まってしまう。ルーカスに言われた通り、今日一日はゆったりと過ごそう。


使用人たちもルーカスの指示があってか、朝食を部屋に持ってきてくれる。そうしたいつもとは違う朝が、変にまた昨日のことを思い出させてしまって――内心、恥ずかしさや嬉しさでいっぱいになってしまう。


(心臓がおかしくなってしまったみたいだわ)


いつもよりドキドキと鼓動を響かせる自分の心臓のせいで、こんなにも胸が締め付けられるような痛みが走っているのかもしれない。


「うっ……」

「お、奥様っ!大丈夫ですかっ!?」

「ええ、大丈夫よ。少し喉に食べ物が詰まった気がしたんだけど、気のせいだったみたい」

「そ、そうですか……?」


ツキンと、今まで感じたことのない胸の違和感に襲われた。きっとこれが、医師が言っていた病の症状なのだろう。つい胸を抑えつけたのち、すぐに痛みは引いたため使用人を安心させる言葉を紡ぐ。


自分の願望のため、ルーカスとの関りを深めていたが――実はこれが良くないことだったのではと脳裏に考えがよぎった。こんなに楽しく愛おしい日々が、もう終わるだなんて……私は踏ん切りが付けられるのだろうか。


そしてルーカスのことだって、想いを伝えた相手が死にゆく運命だなんて――。


(私は、取り返しのつかないことをしてしまった……?)


はじめは彼の色んな表情をみたいと思い、少しの間だけならワガママをしてもいいだろうと強気な気持ちで突き進んだ。しかし蓋を開いてみれば、ルーカスと気持ちが通じて舞い上がったまま、彼との今後が全く考えられていなかったのだ。


ズキンズキンと、先ほどの胸の不快感とは違う痛みが発生する。きっとルーカスは、私の病気のことを知らないはずだ。もし想いが通じ合った今、知られてしまえば――騙されたと思って失望してしまうかもしれない。


(でも、だって、好きな人に想いを伝えてはいけないの……?)


私の脳はまるで機能を停止したみたいに、重く暗くなってしまう。こうした自分を神が罰しているかのように、その日からルーカスは仕事場にも、食事の場にも――私の前には現れなくなってしまった。


そして気が付けば、余命宣告をされてから5か月が経とうとしていた。


◆◇◆


あんなにも毎朝起きるのが、楽しくて仕方なかったはずなのに。今では、なんだか起きるのも身体が重たく感じる。もちろん病状のこともあるのだろうけど、それ以上に気持ちが沈んでしまっているからなのだろうか。


「奥様……申し訳ございません。本日も旦那様は――」

「だ、大丈夫よ」


執事長が悲し気に私へ言葉を紡ぐ。公爵家の広々とした食堂には、私一人。あの日以降、ルーカスからは仕事が忙しいとのことで、会う事がままならなくなっていた。


言葉通り受け取るのなら、本当に彼は忙しいのだろう。しかしふとよぎるのは、どこかで私の病状を知って裏切られたと失望する彼の顔。そう想像すればするほど、胸も苦しく――食事も喉を通らなくなっていく。


彼の表情を見るためにはじめた会計処理の仕事も、彼がいない中で淡々と進めていくだけ。もちろん自分が撒いた種だからこそ、どんな結果だろうと受け止めるべきなのだ。そう、頭では分かっていても、一人になるとなぜだか涙が溢れてきてしまうのだった。


食事を終え、仕事も終え、一人で部屋の中で休んでいれば――胸の不快感にばかり気がいってしまう。


「ご……ほっ」


大きな咳が無意識で出てしまい、手で口を押さえれば何やら手のひらに嫌な感覚がする。それを確認するように見れば、べっとりと血が付いていた。なんとか、側にあった布で血をふく。


実は最近、吐血が増えてしまっている状況だった。どう見ても病状は悪化しているようで、仕事と食事の時だけなんとか力を振り絞って、平気なふりをし続ける日々。


(このままで、私、いいのかしら……?)


死がもう目前まで来ているように感じる中、ただじっと待つだけの日々を送って終わりでいいのだろうか。ルーカスに怒られようとも、嫌われようとも、彼に話をしなければ何も始まらないのだ。


このままでは悔いが残ってしまいそうだと――そう痛感した時。ベッドから身体を起こし、足にぐっと力を入れる。するとそちらに意識が向かったためなのか、胸の不快感が少し消えた気がする。


今は夜更けに差し掛かる時間帯。実は、ルーカスの執務室がこの時間帯に明るくなることを、使用人たちの噂から知っていた。未だに私の探偵スキルは衰えていないのだ。


(だから、今行けば――ルーカス様に会えるわ)


私は扉を開けて、愛おしい夫がいる執務室へ歩き出した。


◆◇◆


前よりも体力が減ってしまったせいか、着くのがだいぶ遅くなってしまう。しかしもう少しで、ルーカスの執務室へ着きそうになった際――私は、驚きで足を止めてしまう。


「ルーカス……様……?」

「っ!あ、あなたは――」


なんと執務室へ入ろうとするルーカスに出会ったのだ。なんて運が付いているんだろうと、私は喜ぶ。しかし、一方のルーカスは私を見ると暗く沈んだ表情になっていた。


その様子を見ると、私に会いたくない雰囲気がひしひしと伝わってきて――胸がズキズキと痛んだ。


「そ、その……ルーカス様……っ!」

「僕は……あなたと話すのが怖いんです」

「っ!?」

「あなたのことを何も知らないまま、あんな発言をしたのかと思うと――」


ルーカスの言葉を聞くと目の前が真っ暗になったように、血の気がサーッと引いていく。そして頭の中では、「彼は私の病状を知った上でひどく傷ついていたこと」に思考が結びついて、嫌な汗が背中をつたっていく。


(どうしましょう、ど、どうしま……)


「あんな発言」というのは「ルーカスが私に想いを伝えたこと」を、後悔してしまっているということなのだろうか。覚悟の上だとしても、こうも面と向かって言われると――ズキンと大きな痛みが走るのだと実感する。


(は、早くルーカス様に謝らないと……)


そう心で思いながらも、私の口からは、はくはくと声にならない音が漏れるばかりだった。ルーカスは相変わらず重い表情で、こちらから視線を外している。


「僕は自分が許せないんです――優しいあなたに、僕はふさわしくな……」


ルーカスが言葉を紡いだ瞬間と同時に、私の視界は真っ黒に染まり、耳がボーッとしていく。彼の言葉が全く聞こえない、どうにかして立っていたいのに――体の自由がなくなる感覚。ドタバタとした床の響きを感じたのを最後に、私は意識を手放してしまった。



◆◇◆


「奥様の病はまだ治療法が確立されておらず――」

「なぜ妻の病状のことを、もっと早く僕に言わなかったんだ!?」

「い、いえ……半年ほど前から何度もお伺いしたのですが、メイド長殿に門前払いをされまして……それきり呼ばれることもありませんでしたので……」

「っ!」


ふと耳に、ルーカスの荒々しい声が届き――うっすらと私は目を開く。すると目に映るのは相変わらず、薄暗い視界。ルーカスがいるであろうそこは――影のようにぼんやりと見えるだけだった。


「責め立ててしまい、申し訳ない……」

「いえ……私のほうでも何かできないか、より多くの診療器具を持ってまいりますので――失礼いたします」

「ありがとう」


どうやらルーカスと話しているのは、声からして自分の病状をみてくれた医師のようだ。自分の今の状況は、どう見ても死の淵なのだろう。こうした危篤状態にも関わらず、冷静に考えられるなんて――実感はしたくなかった。


ルーカスに心配をかけたくなくて、どうにか声を出そうとすれば。


「る……か」

「っ!意識が戻ったんですね……!」


少し声を出せば、あっという間に駆けつけてくれるルーカスらしき影と彼の声が聞こえた。手がほんのりと温かく感じる。きっと彼が私の手を握ってくれているからなのだろう。


さっきみたいに言葉を言えずに、倒れるのはごめんだ。どうにか彼に言葉を伝えるべく、口を動かす。


「る、かす、さま……ごめ、な、さ」

「っ!?」

「びょう、き、のこと…いわず……ご、め……んなさ……」

「あなたは何も謝らなくていいのですっ!」

「?」

「あなたは何も悪くないのです!すべて悪いのは僕なのですっ!」


どうにかして謝れたのは良かったが、ルーカスの言葉の意味が分からなかった。いったい彼は何を謝っているのだろう。ルーカスの方こそ、何も悪くはないのに。ルーカスの苦しむ声を聞きたくなくて、口をどうにかして動かす。


きっと動かさなくなったら――止まってしまう気がして。


「るー、かす、さ、ま……わた、しのこと、きら、いじゃ、な……い?」

「っ!嫌うわけがないっ!」

「よかっ……たぁ」


ルーカスから言葉を貰えば、冷たくなる身体とは逆に――心にぽかぽかとした温かさが灯るようだった。


「ああ、神よ……もしいるのなら、僕の命の代わりに――彼女を、リリーを助けてやってください……お願いします……っ」

「る、か……す?」

「僕が、何も気づけなかった僕が全て悪いのです。彼女の優しさに甘えて、何もかもを見なかった……」


ルーカスに返事をもらった時から変わって、彼の声色から悲痛なものを感じる。


「る…か……す、どこ、か……いた、い?」

「っ!」

「……る、か……す……がしあわ、せ……わた、し、うれ……し」


手のぽかぽかがより一層、強くなった気がした。しかしそれ以上に、制御が利かなくなっていく身体に歯がゆさを持った。


「僕も、僕もリリーが幸せだと嬉しいんです。僕に言う資格がないのに、リリー、あなたが好きなんです。この世界で誰よりも、そして自分よりも、あなたを愛している……!」

「っ…!」


確かに彼の口から、「愛している」と言葉が聞こえた。これは夢じゃないのだろうか、最後だから、都合よく私の頭がそう聞かせているだけなのかもしれない。けれどもそうだとしても、本当に嬉しかった。


「わた、しも……る、か……す……あ……い、して……る」


動きづらくなった口に喝を入れるように、動かし言葉を紡ぐ。


「っ、リリー……!だ、だめだ、いかないでくれ……!」


愛おしい人の声がどんどん遠くなっていく。


それに伴って視界はどんどん闇の中へ、身体の感覚ももうない。


しかし最期に自分の名前を呼ぶ愛おしい人の声が聞こえた。それだけで、なぜだか太陽を浴びたように温かい気持ちになった。そして私は口元に精一杯の笑みを作って、抗えない力を感じるように目を閉じた。


きっとルーカス様は、王城にいたころ――どんなに私が抜け殻で、虚ろな気持ちだったかは知らない。そしてあなたが、そんな抜け殻な私に太陽のように光をあててくれたのかも。


愛おしい彼と、もっと一緒にいたいのになあ……。


もし願いが叶うのなら、来世でまたルーカス様と出会えますように。





FIN.



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― 新着の感想 ―
[良い点] 寝る前に読むんじゃなかったというぐらい、大泣きしてしまいまして眠れません!!感動しました!!( ; ; )
[良い点] 初志貫徹なところ。リリーのすべて。 [気になる点] 何度も血を吐いたなら、掃除や部屋付きのメイドが気づかなかったのでしょうか。その辺が最期のシーンのためっぽく感じてしまいました。 [一言]…
[良い点] テンポよく読みやすかったです [一言] 余命わずかと題名にあるのにも関わらず、やっぱり泣きながら読んでしまいました。初恋の人をずっと一途に思っていただけなのに。メイド長はほんと何の権限ある…
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