13.休日のあれこれ
「はあ……お尻がちょっと痛いわ……」
そう座り心地が良いわけではない飛竜に2日も連続で乗っていたせいだ。ベッドにうつ伏せで倒れるナターリエを見て、ユッテは「これは重症だ」と思う。
「腰を下ろす鞍が固いのよね……2人用の鞍なんて、そう使わないでしょうから、1人用よりくたびれていないし……」
「ヒース様にそう申し上げたらいかがでしょうか」
「ちょっとそれは……」
とナターリエはもごもごという。お尻が痛い。そう訴えることが恥ずかしいのだろうとユッテは思って
「では、わたしがお伝えして来ます」
「ええっ!? 待って、待って、いいのよ、ユッテ」
「いえ、明日以降もお嬢様は飛竜にお乗りになるのですし、そのうちお尻が痛くてちゃんと座れず、落ちてしまわれるかもしれませんもの」
そう言うユッテの表情は本気だ。空の旅を嫌っている彼女の忠告はいささか重たいが、確かにそれはあると思う。
「ううー……いいわ。わたし、自分でお話してくるわ」
仕方がない、とナターリエは起き上がって、尻をさすりながら部屋を出た。
ヒースの執務室に訪れたナターリエは「ご相談があって」と声をかける。その声の調子にただならぬものを感じ、ヒースは目を瞬かせる。
「なんだ?」
「あのお……えっと……お、お尻が、その」
「お尻!?」
驚いて大きな声を出すヒース。
「は、はい」
「尻がどうした?」
辺境伯子息ともあろうものが「尻」とは。雑なその返しに、ナターリエは小さくなる。
「飛竜の鞍が硬くて、そのう、お尻がとても痛くてですね……」
「ああ、そういうことか。医者でも呼ぶか? 大丈夫か?」
医者。それは勘弁して欲しい。自分の尻を見せて「痛いんですが……」と尋ねるのは、いくらなんでも間抜けすぎると思うナターリエ。
「いえ、お医者様に見てもらうほどではないんですが、ええっと、明日も明後日も、と毎日飛ぶのであれば、その、もう少し鞍をどうにかするか、ちょっと何か柔らかいものをと……」
「なるほど。それは確かに必要かもしれないな……わかった。ちょっと考えておく」
「ありがとうございます。必要であれば、お支払いもいたしますので」
ナターリエはそう言って頭を下げて礼をした。
「支払いは気にするな。本当に医者はいいのか?」
と、再びヒースが念には念を、という様子で聞いて来る。ヒースの脳内で、自分が尻を出して医者に見せている図が浮かんでいるのでは、と思って、ナターリエは赤くなった。
「だ、大丈夫です、まだ、そこまではなっていません。本当に……!」
「そうか。あまり痛すぎたら言ってくれ。いつでも医者を呼べるから」
「わ、わかりました」
これは冗談抜きで本気で心配をしてくれているようだ……そうは思っても、いくらなんだって恥ずかしい。こほん、と咳ばらいを一つして、ナターリエは話題を変えた。
「それと、申し訳ないのですが、少し衣服を購入したくて」
「ああ、何が必要だ?」
「えっと、そのう、スカートではやはり飛竜には乗りづらいので、パンツを増やしたいなぁと」
ナターリエは魔獣鑑定士の実地試験の日に来ていた服で飛竜に乗っており、替えのものがなかった。思ったよりも飛竜に乗ることが多いので、もう一着だけでも、と思う。
「ああ、そうだな。気付かなかったが、ずっと外ではドレスではなかったな。動きやすそうで良いと思っていたが……」
「はい。ですが、あれが一張羅でして」
恥ずかしそうに言うナターリエに、ヒースは笑った。
「うん、大丈夫だ。それじゃあ、明日にでも仕立て屋を呼ぶから、好きに注文をしてくれ。金はこっちもちでいい」
「ええっ? そんなことは……」
「仕事をするのに必要な衣装だ。こちらで手配をするのが筋だろう?」
そうなのだろうか? 仕事というものをしたことがないナターリエは、彼の言葉が道理にかなっているのかどうかがわからない。だが、どう考えても自分は世話になりっぱなしだし、それはおかしい気がする。
「いえ、そんな、それじゃなくても、お食事などもいただいていますし……」
「食事は当然だろう? こちらが依頼をして来てもらっているんだし」
「で、でも」
「いい。ああ、いや、その、大層な装飾をつけられたりするとちょっと困るが……」
「そんなことはしません!」
「だろう? だから、いい」
そう言ってヒースに丸め込まれ、ナターリエは渋々
「わかりました。ありがとうございます」
と、頭を下げる。
「ああ、あれだ。別に、ハーバー伯爵家の財政が苦しいとかそういうことを勘ぐっているわけではないぞ。勘繰るも何も、とくに財政は苦しくないと知っているし」
「はい」
「ただ、家を離れて来ているわけだし、手元にある金は最低限のことに使うようにして欲しいんだ。何があるかわからないしな。つけて払うにも、ハーバー伯爵邸に請求をするのも面倒だ。こちらはリントナー領なので、大きな金を動かせるし。だから、言葉は悪いが、甘えてくれ。鞍のことも、こちらで用意するから気にするな」
その言葉に、ナターリエはようやく破顔をする。彼女は手元にそれなりの金額を――持ってきたのはユッテだが――持っていたが、彼の言葉通り甘えることにした。彼はおおらかだがただおおらかなだけではなく、それなりの配慮をしてくれる。それを、ありがたいと心から思う。
(ますます、どうして婚約者がいないのかわからないわ。辺境伯のご子息で、長男。お顔も、そのう、なかなか良いし、性格も……)
いい、と思う。今のところは。しかし、貴族令息なんぞ、こう言ってはなんだが、多少の性格難でもあっさりと婚約者は出来るものだとナターリエは思っている。
「どうした?」
「あっ、いいえ、なんでもございません。はい。まったく」
「?……他に何か?」
「いえいえ、いえ、以上です。ありがとうございます!」
ナターリエは慌てて部屋を出て行った。ヒースはそれを「なんだ?」と目をまばたいて見送るだけだった。
翌日から、ヒースたちは飛竜で古代種の魔獣が出るエリアに行き、まずはエルドの捕獲を試みた。すぐには捕獲出来ないため、何日か時間がかかると言う。その間、ナターリエは他の騎士団と共に森を探索し、魔獣研究所に収容されていない魔獣がいるかどうか、探していた。
残念ながら鞍をすぐに柔らかいものには交換出来ないらしいので、その代わり時間を短くすると言われた。さすがにそれは申し訳ないので、とナターリエは一日耐えた。
「はあ~、思った以上に、疲れるわ……」
眠りにつく前のひととき。湯浴みを終え、くつろいだ寝間着を来てナターリエはカウチに横たわっていた。
「今日もお疲れ様です。お尻ですか?」
「今日の疲れはそっちじゃないのよね……ユッテはどう? このお屋敷にも慣れた?」
「はい。みなと同じ食事をとらせていただいているので、そこで色々教えてもらいましたし、洗濯などは一緒にやらせていただいていますから、色々教えてもらっています」
「そう。よかった」
そういいながら、ナターリエはソファでぐったりとする。
「はあ~……それにしても、魔獣の鑑定って難しいわね……」
「えっ、どうしてですか?」
なるほど、今日の疲れはそれなのか、とユッテは驚きの表情を見せる。ナターリエは伯爵令嬢としては相当だらけた様子でぐだぐだと呟く。
「魔獣って色んなサイズ、それこそ動物と同じように、小さいものから大きいものまでいるし、それがいても止まってくれないから……」
「ああ、なるほど」
だから、小さい魔獣の鑑定がまったく出来なかった。そもそも、飛竜の上からの鑑定も難しい。とはいえ、飛竜から降りれば魔獣たちに襲われてしまうのだから、簡単に降りるわけにもいかないのだ。魔獣は獰猛なものも、そうではない温厚なものもいるが、そう「思われて」いる者がみな「そう」だとも限らない。飛竜に乗っているからこそ守られているということを、ナターリエはわかってる。
「それと、焦って鑑定をすると、封じているはずの人間のスキル鑑定を発動させようとしちゃって、全然魔獣の鑑定が出来ないのよね……」
「えっ、スキル鑑定と、魔獣の鑑定は違うんですか? あっ、違うから、スキルを封じられるのですね……」
驚くユッテ。ああ、それはそうか、とナターリエは説明をする。
「そう。違うのよ。うーん、もともと、こちらのスキルを発動して『見る』のは変わらないんだけど、魔獣の鑑定はスキル以前に存在の鑑定が発生するから、こう、なんていうの……ううん……人間は、ほら、人間じゃない? でも、魔獣は、まず種類の特定というか……うん……」
説明にならなかった。だが、とにかく鑑定とはいえ、違うのだということだけはユッテに伝わる。
「そもそも、魔獣研究所にどうして魔獣を送るんですか? そのう、お嬢様が終の棲家にするかもしれない場所に、こんなことを言うのは恐縮なんですが……何をしている場所なのか、わたしにはよくわからないのですけれど」
「うん。そうよね。多分、ほとんどの人がそう思っているんじゃないかしら」
それには同意しかないため、ナターリエはうんうん、と頷く。
「魔獣研究所で生態を調べて、中には飼いならして魔獣のスキルを使う研究を行ってもいるのよ。魔獣の中には、稀に意思疎通が人間と出来るほどの魔力を持つものもいるしね」
「ええっ、そうなんですか?」
「それから、魔獣も進化をしているので、それを過去の文献と照らし合わせたり。そうすることで、その魔獣の居住区がどのような変化を過去から得ているのかがわかって、そうねぇ、中には地質学? なんていうのかしら? 地層の変化に影響をされたものなんかもいて、そのおかげで鉱山が見つかったなんて話もあるのよ」
「ええええええええ?」
「とにかく、色んな可能性が魔獣にはあるの。ね? 面白そうでしょう?」
「ううん、少しだけ……少しだけ興味を持ちましたが、ええ、少しだけですね……」
それからもナターリエは饒舌にユッテにあれこれと話して聞かせたが、ユッテはもうほとんどそれを聞き流して「はい、はい」と適当に相づちを打った。やがて、疲れたナターリエは「残りの話はまた今度」と言って、寝室に向かう。
「ええ……また今度があるんですかぁ……」
と、心底疲れた声でユッテは聞いたが、あっさりとナターリエは「おやすみなさい」と言って、寝室と隔てる内扉を閉じた。