捨てられ元軍人令嬢は大公との偽装婚約で愛を知る
『メリエス。君との婚約は解消をさせてもらった』
婚約者だったヴェルマレース・アルソーノ伯爵から手紙が届いたのは、もう一週間も前だ。
どういうことなのだろうと確かめに屋敷に行ったら、中に入れてもらう事もできず。
庭でお茶会をしている彼をなんとか見つけたとき、その視線の先にはすでにうら若き乙女の姿があった。
聞いたところ、子爵の娘なのだとか。
豪奢なドレスに、眩しくなるぐらいの装飾品を見つけているのが遠めでも分かった。
実家に帰った私は、もはや気力もなくベッドに倒れこみ、行き場のない怒りを枕に顔をうずめながら叫んだ。
「軍人の何がいけないっていうのよ。本当……ヴェルマレース様の馬鹿! 誰のおかげでこの国が守られているというの!?」
私はメリエス・ウルヴァレン。
領地も持たない、騎士を務めている貧乏準男爵の一人娘だ。だけれど、父親は魔物との戦いで傷を受けて、もう亡くなっている。その代わりに騎士として勤めることになったのが、私だった。
母は大層心配していたけれど、子供のころからずっと騎士になることを夢見ていた。もちろん、恋にも興味があったけれど、それ以上に父の跡を継ぎたいという気持ちも強かった。
そして今はシェルマスラ王国の王国騎士団の一員として生きてきた。
男の中で働くのは、それはもう大変だった。
そりゃあそうだ。
軍人となれば女も男もない。
ある意味平等に扱われる。
特に父が、爵位が低いながらも優秀な騎士だったということもあって、私への期待も大きかった。時には命を懸けて戦い、体が傷つきながらも戦い抜いたこともある。
そんな私の元に縁談が来たのはアルソーノ伯爵領での任務のさなかのこと。ちょうど二年前の言だったと思う。
軍隊がやってきた際に、私の顔を見たヴェルマレース様が見惚れたのだという。それを聞いた騎士団長が、私の将来を案じて引き合わせてくれたのだった。
しかし軍人嫌いだった彼は私との婚約を決める際にこう条件を付けた。
「軍を退役すること。女が騎士として戦うなど、野蛮なことだ。騎士として国を守るのではなく、この家を守るために慎ましく生きてほしい」
いうなれば、女は剣を握らず家庭を守るべし、ということだったのだ。
それを聞いた瞬間、私は苛立ちを覚えたし、結婚する気も起きなかった。
軍としての仕事は非常に厳しい。だけれど、仲間とともに戦うことは気持ちよかったし、何より誇りとも思っていたことだ。それを馬鹿にされた気がして、私はこの婚約に興味を失っていた。
傷つきながらも、誰に知られることもなくとも、私たちは命を懸けて戦う。それが私の生きがいでもあったのだから。
しかし、そんなときに私の家に唯一いるメイドから手紙が届いた。それが、私がヴェルマレース様との婚約を受けることにしたきっかけでもある。
母が、大けがを負ったのだ。
治療院に運ばれて、けがの治療が行われたが、多額の治療費がかかってしまった。
金貨百枚という私が払えないような金額だ。
母は心配することはないと手紙を送ってきたけれど、治療費を払う当てもなく、何より自分を大事にしてきた母を見捨てるわけにはいかなかった。
だからこそ、軍を退役する代わりに、母の治療費を払ってほしいという条件を付けて、婚約を受けた。
しかし、その決断も、軍を退役したことも、全部無駄になってしまった。
「わざわざ軍を退役してきて、準備を行ってきたというのに! 婚約は破棄されるわ、退役した部隊にはもう別の人がいて枠がないわ! そもそも戻ることは許されていないわ!」
この際だからはっきり言うが、婚約が破棄されたことよりもなによりも軍を退役してしまったことが悔やまれる。婚約破棄? 別にかまわないけれども! いや、むしろ詐欺じゃない?
と言っても、ヴェルマレース様に何か言おうものならば権力で押し負けることになる。口約束だと言われてしまえばそれまでだ。
一度退役してしまったら、二度と戻れないことも念に押されていた。
この国には退役した軍人は軍に戻る資格が無くなってしまうのだ。それでも母を救うためなら、と震える手でサインをしたのに。
そのサインした書類がテーブルに置かれている。
「はあ。どうやってお金を稼ごうかしら……。針子なんて私には無理だし、使用人なんてもっと無理だわ。流れの傭兵にでもなって……と言っても、傭兵稼業も大きく稼げるわけでもないし」
こんな時、もう少し女らしく生きていればと悔やむことがある。
「ともかく! 平民の仕事だろうがなんだろうが、やりつくすしかない!」
婚約破棄されたからってなんだ。もはや手を出せることはし尽くすしかない!
パン屋だろうが、下水処理だろうが、なんだってやろうじゃないの!
そんな時だった、ドアがコンコンとなる。
私はごほんと咳払いをして、叫んでいたことを恥ずかしく思いながらも、ドアを開ける。
するとそこには、メイドに体を支えられ、杖を突いて私の部屋の前にいる優しい母の姿があった。
私と同じ橙色の髪に、私のキツイ赤目とは違う優しい青い瞳。そんな母が少し席をしつつも私のそばにいる。
「無理をしちゃだめよ、母様」
「大丈夫よ、これぐらい。お医者様もだいぶ良くなったと言っていたわ。それよりもメリエス」
「はい?」
「あなた、王家に対して何かしたの?」
「そんな、私は忠誠を誓って国に尽くしてきましたよ!」
「そう……。そうよね。ごめんなさいね、実は……」
そう言って、一通の手紙を取り出す。真っ白な便箋には王家を表す龍の封蝋がされていた。これは、王族の血を引くものだけが使えるはず。
私は何かしてしまったのか、と便箋を恐る恐る裏返す。そこに差出人が書かれていた。
「ポートガルス大公、リックウェソン・ジェームズ様……!?」
◆ ◆ ◆
ポートガルス大公であられるリックウェソン・ジェームズ様は、この国の宰相でもあられる方だ。
数いる王を補佐する大臣の中でももっとも偉いともいえる。
そんな方がなぜ私に手紙をお送りになったのだろう。私は混乱のまま、召喚に応じて王宮でも行ったことのない奥地へと向かっていく。
使いの人が案内していれるけれど、彼も恐ろしげに緊張した様子で私を案内している。
当然、私を恐れているというわけではなく、リックウェソン様に会うのが恐ろしいのだろう。
噂によれば、その眼光を浴びたものは石になってしまう呪いを持っているだとか、人間ではないだとか、醜悪な姿をしているだとか。または誰も顔を見たことがないとか。
いろんな噂がある。そんな中でもメデューサから生まれたのではないかという呪いを持つ、という噂は有名で、そのことが原因で表に出られないのだとか色々とささやかれている。
「しかし、王家の人間がメデューサから生まれることなどあるのかしら……? 魔物と交わったことになるわよね……」
私は使いの人に聞こえないよう小さな声で囁きながら考え込む。
そんなことありえないだろうに。でも、どうしてそんな噂が立ってしまったのだろう?
届けられた手紙を取り出し、歩きながら開いてみる。
「王宮での一年の公務に順ずること。使いを待て、か。公務って、私頭悪いんだけどなぁ」
公務と言って想像できるのは頭を使う仕事だ。
何か書類を捌いたりとか民からの声に対してどう答えるかとか。
そんな想像しかできないけれど、大丈夫だろうか。
「ここが、普段王宮でポートガルス公が公務をされている部屋でございます」
「わかりました」
「では、失礼いたします……」
そう言うと、使用人はそそくさとその場を後にしていった。
やっぱり恐ろしいらしい。私は首をかしげつつ、部屋の扉を叩いた。
「失礼いたします! 召喚に応じ参じました、メリエス・ウルヴァレンと申します!」
これでも最低限の礼節はわきまえているはずだけど、言葉の端々が震えて緊張してしまう。
いけない、笑顔笑顔。
にっこり笑うのよ、私。とにかく第一印象からよくないとね。
「入ってくれ」
弾むような声が聞こえてくる。
どちらかと言えば快活な印象を受けた。
私よりも若いような気もする。
私は首をかしげてともかく中に入ろうとドアを開けた。
すると、部屋の中は床に本や書類が山のように積まれており、その中心に執務机があるが、そこにも隙間なく山積みになっている。
その書類の山からひょっこりと現れたのは一人の青年だった。
見れば見るほど成人しているかしていないか判断に困るような。
しかし、艶のある黄金色の髪に何物も見透かしてしまいそうな瞳には引き込まれそうになる。
整った眉はアーチを描いていて、人懐こそうな印象を受ける。青白い肌は、あまり日に当たっていないのだろうかと思えるほどだった。決して背は低くないけれど、高くもない。
これが、メデューサから生まれた? 醜悪な顔を持つ? 嘘でしょう?
「君がメリエス・ウルヴァレン殿だね」
と、少し高めの声で訊ねてきたので、私は思わず頭を下げた。
「メリエス・ウルヴァレンです! よろしくお願いいたします!」
「よろしく。ふむ……」
思わず大きな声であいさつしてしまったけれど、大丈夫だったかしら。
そんな心配をよそに、リックウェソン様は上から下と私の姿を興味深そうに何度も見る。
「不思議そうだね」
「え?」
「宰相であり、大公である私がこんな若いなんてという顔をしているよ」
「あ、いえ。その、はい」
「ははは! その正直さ、気に入った。ともかく座ってくれ」
座ってくれ、と言われても座る場所がないが。
ともかく私は床に座ってみる。ふわりとしたカーペットが心地の良いこと。
一方のリックウェソン様は本を椅子代わりにして座ってこちらを見据えている。ニコリと笑う表情がなんとも朗らかだ。
「これでも、三十は超えているよ。ただ少し事情があってね」
「事情、ですか」
「そう。間違った魔法を使ってしまってね。この姿を知っている者は国王陛下と一部の信頼できるものだけだ。あとは適当にうわさを流している」
ああ、なるほど、そういうことですか。
って、信頼できる人って……。
「私も含まれてます?」
「ああ、そうだとも。それが何か?」
「いや、その……初対面で過分すぎる扱いというか」
「そうかい? まあ、騎士団の連中からは聞いているよ。裏表のない、直情な女性だともね。だからこそ、君を傍に置こうと思ったのさ」
思わず訝しげに首をかしげてしまう。本当にそれだけなのだろうか。すると、一瞬だけ、ほんの一瞬だけど、リックウェソン様の表情が大人びたものになった。不思議だ、ここにいるようで、ここにはいないような、そんな気がする。
「実はとある魔女からこう忠告を受けてね」
「魔女……からですか」
「一年間、この占いに出た婚約すること。さもなければこの国に災難が起こる、とね」
なんともまあおかしな忠告があったものだ。一年間婚約しないことで国の災難がやってくると言うのだろうか。こういう事には詳しくないので、何とも言えないが……。
「占いに出た娘が私だと?」
「そうだ」
「信じられません……」
「そこは信じてもらうしかないね。次の占いは一年後だというから、それまでの仮の婚約者として振舞ってほしい。それに、君としては警備役として付ければ仕事ができるだろう?」
「あ……」
「そうだね、月に金貨百枚。表向きは一年後、婚約解消とさせてもらうけれど、それでは君の女子として傷がつくだろうから、慰謝料が白金貨千枚というところかな」
月金貨百枚! すぐに母の治療費を返せる値だ! 思わず絶叫しそうになるのを抑え込む。
落ち着け、落ち着け私。
でも、今までの給金の百倍以上だ。そのうえ白金貨千枚って、これ、もう働く必要ないんじゃない?
母だけじゃない、働いているメイドにだって十分な給料を払うことができる。そればかりか、ボロボロの屋敷だって建て直せる。
どうせ騎士に戻れないのであれば、大公の警備役を務めるのだって光栄だ。
「うーん、それと何か縁談も……」
「やります! やらせてください!」
「おお」
「一年間、私が婚約者を務めます! 大丈夫です! 何度婚約破棄されようが、もはや同じですから!」
思わず食い気味に答えてしまった。
リックウェソン様は少し驚いた表情を浮かべていたけれど、すぐに笑いだし、握手をしてきた。
かくして私は一年間、警備役兼偽装された婚約者をすることになった。
◆ ◆ ◆
あれから三か月が経った。
「右よーし、左よーし、前よーし、後ろ……リックウェソン様よーし!」
「どういう遊びだい? それは」
ケラケラとリックウェソン様が笑った。
だって暇なのだもの、これぐらいしかやることがない。
リックウェソン様はいつ眠っているのだろう? と思えるほど、部屋に籠っていた。
時々秘書らしき人が来て、捌いた仕事を受け取って帰っていく。
私はというと、婚約者らしいことはしていない。
一緒に食事をとるぐらいだ。それ以外は部屋に籠られるから、私もいっしょにいるという感じになっている。
あとは母に手紙を定期的に送って、大公の嫁ということでそれにふさわしい嫁になれるような教育を受けた。
一応私も貴族の令嬢なのだし、受けられるものは受けた方がいいだろうと思って、一生懸命やったけれど、やりすぎてすぐに覚えることはなくなってしまった。
「暇なんですよ」
リックウェソン様が姿を隠しているという性質上、婚約者として人前に出る機会もない。
とりあえず、婚約者のふりをということで、リックウェソン様の仕事を手伝ったほうがいいのかな……。
「じゃあ、仕事を手伝ってもらおうか。今日は国王陛下を交えた会議が行われる。その会議へ一緒に出てほしい」
「へ? 私がですか?」
「そうだ。準備をしてくるから待っていてくれ」
そう言って、奥へと引っ込んでしまう。私はどうしたものかと、その場で歩いて回っていると、すぐに「おまたせ」と彼の声が聞こえてきた。
「その恰好は……?」
リックウェソン様は漆黒のマントと、仮面をかぶり、顔を覆っている。その仮面の目の部分からは鋭い目つきが見えるようだった。
「おや、怖がらないんだね」
声もどこかくぐもっているからか低く聞こえる。私は首をかしげて言った。
「いや、リックウェソン様ですし……」
「はは。それは愉快。一応この格好をしなければいけないんだ。王からの命令でね」
「そうだったのですか」
「そのおかげで噂が真実味を増しているから、私は構わないのだけどね」
そう言って、リックウェソン様は先に部屋を出る。私もまた外に出た。
しばらく緊張をして歩いていたけれど、リックウェソン様もまた威厳を醸し出して堂々と廊下を歩いている。あの愛らしい姿とは打って変わっている。本当の彼はこういう人物なのだろうか。
大会議室にたどり着くと、国王陛下の姿や重鎮たちの面々が真剣な表情で座っている。リックウェソン様も席に座り、私は後ろで控えていた。
会議は王都から離れた場所、特に国境付近での魔物たちの動きについてや、治水のこと、東の国が滅んで、その難民がやってきていることについて話し合っていた。
議論が白熱するなか、リックウェソン様は的確に指摘を入れて、場を落ち着かせる。
彼に指摘された重鎮はまるで蛇に睨まれた蛙のように縮こまってしまう。
「では、最後に。西側の国境の蛮族についてだが……マートリア辺境伯が苦戦しておる。誰ぞ援護に向かおうという者はいるか」
国王陛下の声に誰もが答えなかった。
リックウェソン様も思い悩んでいるようだ。
私は思わず手を上げた。こんなところでしかリックウェソン様の役に立てないのだから、行動あるのみよ。
「控えろ! そもそもお前は誰だ!」
と席を立ちながら叫ぶのは私たちの正面に座っていた公爵だった。それを、リックウェソン様は手をかざして抑える。
「私の妻である」
「ポートガルス公の……? このような女がですか?」
「その発言は撤回していただきたい。我が妻は私のために尽くしてくれております。その働きを無碍にするような物言いは許されない」
公爵はうっとうなりながらも、自分の席に座る。しかし、ニヤついた顔をして私を見た。
嫌な顔。
「……ではその奥方が立候補しているのです、お任せしても?」
「最善を尽くすことは約束する」
「……うむ。ではこの場は解散ということにしようぞ」
国王陛下がそう発言すると、陛下以外の重鎮たちが立ち上がり、頭を下げる。そして、一人ずつ部屋から出て行った。
私とリックウェソン様も部屋の外に出る。私たちと方向違いの廊下を歩いていた先ほどの公爵がにやついてこちらを見ていた。
「……やれやれ、まったく。とんでもないことを言い出したね」
「申し訳ないです……」
「私を想ってかい? それとも、暇だったからかい?」
「そりゃあ……」
貴方のためですよ、だなんて恥ずかしくて真正面から言えない。
そう答えに困っていると、リックウェソン様が急に笑い出した。近くのメイドたちも驚いているようだった。
「まったく……君という人は、無鉄砲で……それでいて勇敢で優しいね」
「そうでしょうか?」
「そうだよ。蛮族退治、私もついて行くからね」
「え?」
リックウェソン様が思わぬ言葉を言ってきて、私は素っ頓狂な声を上げてしまった。
彼は仮面の口のあたりに人差し指を当て、静寂を促す。
私は口を閉ざし、ただ一緒に戦場に行くことに不安を覚えていた。
「一応これでも大公だ。戦の心得はあるつもりだよ。それに、妻一人を前線に送り出す夫がどこにいるんだ?」
「いやまあ、私はもともと騎士でしたし……」
「それでもだよ。何と言おうと、君を前線に出すつもりはない」
それはただの気づかいだったのか、それとも心配してなのか。私にはわからなかったけれども、まあとにかく私は私のやれることをやるだけだった。
◆ ◆ ◆
戦場に現れる元騎士と大公というのは混乱を極めた。
まさか蛮族退治に出向くような組み合わせではない。
それでも、リックウェソン様は的確な指示を送り、私は兵士たちを鼓舞して回った。
その甲斐もあってか、蛮族退治はうまくゆき、苦戦を強いられていた辺境伯から感謝され、そのうわさが流れ流れて、他の戦場にも出向くことになった。
ここまで来たら私一人でもいいのだけれど、ずっとリックウェソン様が横についてきてくださった。
心配しているようで、でも一緒にいることを楽しんでいるようでもあった。
私もリックウェソン様の手となり足となり、戦場を駆け巡っていった。
さすがに前線で戦うようなことは許されなかったけれど、味方を鼓舞したり、作戦を一緒に考えたりするぐらいはできた。
私はこの人のために働いている。それがうれしくてたまらなかった。
不思議だった。軍隊として動いていたときも、この国のため、人のためと思って戦っていた。
今は、リックウェソン様のために戦っている――嬉しくて、たまらない。
でもこの生活もあと二か月。この後は、私じゃない誰かが隣にいることになるのだろう。
私じゃない、誰かと笑い、走り、意見をぶつけ合う。
それがいいのか。私の心の中で、もやもやしたものが渦巻いてきた。
◆ ◆ ◆
国王陛下が、避暑地で大規模な夜会を行う、という知らせがあったのは一週間前のこと。
当然大公であるリックウェソン様も出席されるし、私もついて行くことになる。
なんだか久しぶりの外の世界だな、と思いながら馬車に揺られていた。
隣には公務の時と同様に仮面をかぶっている彼がいる。
私はというと、高級そうなドレスに身を纏い、髪もまた整えられている。少しだけ肩幅が広いのが気になっていたけれど。
「よく似合っているよ。大丈夫だ、堂々とすればいい」
「本当ですか?」
「私が嘘をついたことがあったかい?」
彼はふっと笑っていたように思える。
その笑みを見ると、少しだけ落ち着く感じがする。
小窓に写る私は、すっかり長くなった橙色の髪の先をリボンで結び、キツイ赤目はずいぶんと穏やかになっているようにも思えた。
このことを褒められていると思うとささやかだけれど嬉しく思えてくる。そんな私へリックウェソン様の視線が向けられていた。
「あ、その、ごめんなさい。ちょっと嬉しくなって」
「そうかぁ。うん、私も嬉しいよ」
朗らかな表情を浮かべているのだろうか。
私は仮面を外してみたくなったけれど、それは自重した。表情を見たら、なんだか怖いような気がして。
気のせいだと思うのだけれども。
しばらくすると、国王陛下の避暑地にたどり着き、夜会へと案内されていった。
その入り口に入ろうかという時に、不意にリックウェソン様に声を掛けられた。
「メリエス。私は国王陛下に挨拶をしてくるよ。先に会場に行ってくれないかな?」
「わかりました。じゃあ、好きなように食べてていいですか?」
「はは、もちろん。でも食べすぎてお腹壊さないようにね」
そう言って、リックウェソン様は私と別れ、会場を離れていった。
私は会場に入っていく。優雅な音楽に気品あふれる人々。私が騎士だったころでは考えられない光景が広がっていた。
私が周りを見ながら歩いていると、誰かとぶつかってしまった。私は鍛えていたから立ち止まることができたけれど、その人は少しだけ後ずさりしてしまう。
「あ、申し訳ございま……」
謝ろうとした口が止まる。
ぶつかってしまった男性は……ヴェルマレース様だった。あの時、彼の屋敷で見た子爵の令嬢も一緒に連れてきていたようだ。
懐かしいようで、なんだか嫌なようで。でももうどうでもいいような気もして。私はそそくさとその場から離れようとする。
「おい! お前、メリエスだろう!?」
「……はい」
私は憮然とした表情を浮かべて振り返って、そこで初めてヴェルマレース様の顔を見た。なんだか疲れ切っているような顔だった。
それに苛立っているようにも。
私がぶつかったからではなく、なんだかいつも苛立っているような雰囲気。この場所にはふさわしくないようにも思えた。
「なぜお前がいる?」
「なぜって、呼ばれたからです」
「お前が?」
「ちょっとヴェルマレース様? 他の女性と喋らないでくださる? お酒が入りすぎましたか!?」
「い、いいから黙っていろ!」
なぜか焦りを見せているヴェルマレース様に、私は訝しな目を向けた。まあでも、いいか。私は夜会を楽しもうと思った。けれど、その腕を強引に引っ張られる。ドレスが少しだけ破けた音がした。
「婚約破棄された身でこんな場所に……男探しか!? はっ、図々しいことだ!」
「私のような準男爵の娘が、普通に来れるはずがないでしょう? だいぶお疲れで、やつれているようですが?」
婚約破棄の時は一方的だったから、何も言えなかった。その時の鬱憤が今になって吹き出し、私の口から言葉を走らせる。ビシっと言いきれて、少しすっきりした気分だ。
それに多少とはいえドレスを破かれたことにも怒っていた。これはリックウェソン様がせっかく用意してくださったと言うのに……!
「なんだと? ああ、そうか。体でも売ったのか! は、それで身分に不相応な高級なドレスに、化粧か! マナーも弁えず、ただはしゃいでいるだけの野猿のような振る舞いだ! そんな女を連れてくるとは、さぞこの場に連れてきた男は阿呆だな!」
私の心の中で途轍もない怒りがあふれてきた。ずっと忘れていたこの感情。
私のことはいい。だがあの人のことは絶対に馬鹿にさせたりしない。
しかし、マナー講習で習ったことがあった。こう言ときは騒ぎ立てれば騒ぐほど醜くなると。
耐えろ。私は今、大公の婚約者なんだ。
「その男も後悔するだろうな! ここにお前を連れてきたことを! お前なんかを選んだことをな! 二度と連れてくるもんかと言うだろう!」
その時、この男の言葉が私の胸に突き刺さった。
そうだ、一年。そう、一年きりの婚約だった。
もうすぐ、私とリックウェソン様は別れなければいけなくなるだろう。
ただの契約結婚だった。私のような身分の低いもののことなんて、すぐに忘れてしまうだろう。
なんて勘違いをしていたんだ。
私はやり場のない悲しみがあふれかえってきて、涙が込み上げてくるのに気付いた。
だめだ、騎士が泣いてはいけない。だけど、もう、涙が止まらない。
「な、泣いて済まされると思うなよ! はは、無様なもんだ!」
「そうよ! さっさとどこか行きなさいよ! さ、ヴェルマレース様、踊りましょう?」
私たちの騒ぎに、周囲が気づいて視線を送ってくる。
動かなきゃ。この場にいてはだめ。泣いてはダメ。
でも、動けない。いっそ、殴れればよいのに、と思ってしまうほどの怒りと、やるせなさ。
そして何より彼と一緒にいられないことが悲しくて。
「ふん! 二度と私たちの前に……」
「前に? 現れたらどうするって?」
うつむきかけた私の体の肩に手を乗せ、隣に立っていたのは、リックウェソン様だった。仮面を外した状態の、あの顔が私の瞳に映り込む。
「ふむ、君はアルソーノ伯爵か。だったら、メリエスに謝ってくれないか? 私への非礼はどうでもいいけれど、彼女への侮辱は許さないよ」
リックウェソン様に言い当てられて、ヴェルマレース様は驚いたように肩をビクリとさせるが、震えた声で言い返す。
「な、なんだお前は! 伯爵に対して……!」
「失礼。では、名乗ろう。私はポートガルス公リックウェッソン・ジェームズ」
「な、なに!? お前のような子供が……!?」
そのグレイの言葉に反応したのは、リックウェッソン様ではなく周囲の面々だった。
「おお、あれが……大魔法使いにして、国王陛下の弟の……?」
「しかし若すぎるのではないか? 三十代と聞き及んでいるが……」
「しかし、ずっと仮面をかぶっていらっしゃったから、あの顔が本当のお姿なのかもしれない」
「その通りだ」
と、加勢するように現れたのは、まごうこと無き国王陛下だった。その姿に驚きふためいたヴェルマレース様は、顔を真っ青にする。
「そ、それでは、メリエスの婚約者というのは……」
「今一度言う。二度言うのは嫌いなんだ。君は私の大事な婚約者であるメリエスを傷つけた。心から謝罪を求める」
「も、もうしわけございませんでした……!」
何度も何度もあ球を下げるヴェルマレース様は、子爵令嬢を置き去りにして会場を逃げるように去っていった。
残された私たちも、これ以上場を騒がしくしないよう、少し離れた池のほうへと向かった。
◆ ◆ ◆
「いやあ、痛快であったぞ」
国王陛下までついてきてしまって、そんなことを言い残し、奥様に連れられていってしまった。
私は夜風にあたりながらも、恭しくリックウェソン様にお辞儀をする。
「ありがとうございました」
「何が?」
「たとえ嘘であっても、ああやって守ってくださったこと、本当に嬉しかったです」
リックウェソン様は腰に手を当て、私の体に近づいた。そして、突如私に口づけをした。
その口づけは甘くて、なんだか嬉しくて、また私は涙を流しそうになった。
これでお別れになってもいい。そうとさえも思っていた。けれど、一歩離れたリックウェソン様が言ったのは別の言葉だった。
「私が嘘をついたことがあったかい?」
「……ないですけど」
「君には泣いてほしくなかったし、笑っていてほしかった。それに、あの男が君を侮辱したことも決して許さないことも。……君が大事な婚約者だということも」
リックウェソン様が朗らかな笑みを浮かべる。
「全部嘘じゃない。だから、君も嘘をつかずに言っておくれ」
そのことはを聞いた瞬間、私は嬉しくなった。
たとえここでお別れだとしても、私は伝えたかった。
「私は、貴方のことが好きです。でも、次の夜会では他の女性と一緒にいると考えたら、悲しくなってきちゃって」
「うん、うん」
「貴方と一緒にいる時間はずっと楽しくて、幸せで……私、いつの間にか」
また、その言葉を口づけでふさがれる。
でも、それでいい。それでいいんだ。
「メリエス・ウルヴァレン、貴方と正式な婚約を行うことを、国王陛下に報告しに行っていたんだ」
私はあふれる気持ちを抑え、黙って聞いた。彼は年相応の小さくも優しくて、嬉しそうな笑みを浮かべている。
「占いなんかのためじゃない。君と一緒にいられる時間は私にとっても幸せだったんだ。兵士を想い、民を想い、私を想ってくれる美しい女性だ。だから君を愛した。占いがどうあろうとも、私の考えは変わらない。だから、私の正式な婚約者になってほしい」
私は彼を抱きしめた。
言葉よりも何よりも先に、私は嬉しさでいっぱいだった。
またずっと、あの部屋で、笑いあいたい。
「返事、してくれるかな?」
「……はい!」
◆ ◆ ◆
あれからどうやら、ヴェルマレース様の家は、大公に楯突いた家として敬遠され、子爵令嬢の浪費も止まらず、没落したそうだ。
でもそんなことはどうでもいい。
今日も大会議室へと向かう。隣には、仮面を外した本当の彼がいる。
「今日も大仕事になるよ」
「わかっています」
私は、騎士として生きること以外の幸せを見つけた。
それはただの占いがきっかけだったのかもしれない。だけれども。
それでも私は幸せだった。
【大事なお願い】
いい話だったなぁ。あぁ、もっと読みたかったなぁ!そんな風に思って貰えるよう、一生懸命書きました。
ちょっとでも応援していだたけるのなら、ブックマークや高評価【★★★★★】をぜひお願いします!