閑話休題 春の女神と秋の女神
浮島で白い二尾魔猫を連れた少年と会った日の翌日。
きちんと事前に連絡を入れて、私はお姉様の屋敷へと向かいました。
お姉様と二人っきりで、眷族の女神や天使が居る場所ではできないような話をしたかったのですが……。
「これは……。何でしょう?」
場所は間違えていません。
すぐそこに、お姉様が住んでいる神殿がありますから。
問題なのは目の前にある、こぢんまりとした家です。
「……また、お姉様が何かやったのかしら?」
二階建ての建物は、子どものドラゴンぐらいの大きさでしょうか。
木の柱に漆喰の壁。屋根には瓦が綺麗に並んでいます。
ガラス窓の奥に見えているのは障子ですよね?
地面に飛び飛びに埋め込まれた岩の先……。あの、磨りガラスの填まった木製のドアが玄関でしょうか?
私が見守っている大陸でも、西の方に同じような建築様式が使われている地方がありますが……。このような家に、急に住みたくなったのでしょうか?
突拍子もない話ですが、秋生まれのお姉様は、そういうことをしないとは言い切れないのが困りものです。
好奇心にかられて玄関らしいドアに近づくと、『御用の方はボタンを押してください』と書かれたプレートが目に入りました。
……このボタンを押せば良いのですね。
——ピーンポーン……
「はーい!」
吸い寄せられるようにボタンを押すと、建物の奥で不思議な音が鳴り、続けてお姉様の声が聞こえてきました。
……お姉様の声?
天使は? 眷族の女神は? 配下の者は何をしているのでしょう?
お姉様がこの家に引っ越したのだとしても、訪れた人を屋敷の主が直接出迎えるなんてことがあるはず——
「あらあらあら! 春さん、いらっしゃい。さぁ、入って入って。今、冷たい飲み物を出しますからね」
「お姉様‼ どうしてお姉様が、こんな家に……」
ドアを開けて顔を出したのは、間違いなく、秋生まれのお姉様でした。
いつもの女神らしい服装が、こぢんまりとした建物に不思議なほどマッチしています。……そうでもないかしら?
「素敵な家でしょう? 少し前に、私が自分で建てたんですよ」
「でも、お姉様が自分で、玄関まで迎えに来るだなんて……」
「この家には、私が許可した人しか入れないようにしてありますから。あっ、靴はそこで脱いで、スリッパに履き替えて下さいね」
わざわざお姉様が、新しいスリッパを出してくれます。
玄関の棚にはなぜか、木彫りの熊がおいてありました。
☆
見晴らしの良い縁側。軒先に吊された風鈴。
新しい畳。ちゃぶ台。座布団。床の間。掛け軸。
お姉様に案内された部屋は初めて見るものばかりなのに、どこか懐かしく感じられました。
「冷たい麦茶をどうぞ」
「ありがとうございます」
お姉様が自らの手で、冷えた麦茶をコップに注いでくれます。
可愛い花の模様が入った円筒形のポット。
綺麗に磨かれた透明なグラス。
……四季の女神がこんなことをするのはどうかと思いますが、今は姉妹水入らずの状態ですし、お姉様はとても楽しそうですし、細かいことを気にするのは止めておきましょう。
「あの、お姉様……。最初に、ずっと気になっていたことを聞かせてもらっても良いですか?」
「もちろん良いですよ。そのために、わざわざ家まで来たのでしょう?」
「お姉様とあの少年は……。お姉様と創多さんは本当に、一度会っただけの関係なのですか?」
「……どうして、そう思ったのかしら?」
「それは、だって……。創多さんを見つめるお姉様の目が、いつもと違ったような気がして……。それで……」
「あらあら。春さんにはわかってしまうのね。では……あなたには、詳しい事情を説明しておきましょう。この先、いろいろと手伝ってもらうことになるかもしれませんし」
お姉様のお話は、にわかには信じられないような内容でした。
あの少年が造った白い二尾魔猫……。ルビィさんの身体を借りる形で、お姉様もときどき、創多さんと一緒に地上を旅していたこと。
創多さんと一緒に居るだけで、何でも楽しかったこと。
背中を撫でてもらうのが大好きになったこと。
……話をしながら何かを思い出したのでしょうか?
ほんのり頬を赤く染めた姿は、まるで恋する乙女のようです。
「それもこれも、創多さんの腕がすごいんでしょうね。短い時間で造ったとは思えないぐらい、ルビィさんはシロにそっくりで、使徒としての力まで備えていて私との相性もバッチリで……。本当に素敵なんですよ」
「そうなんですか……」
「その、創多さんの粘土細工の腕を見込んで、女神の土を渡したのは間違いありません。でも、今はそれだけじゃなくて——」
「お姉様は創多さんに、名前を付けてもらうおつもりなんですか?」
「クスッ……。悪い話ではないでしょう? 古龍のお兄様方も、気に入った相手を見つけて名前を付けてもらいましたし。私たちが同じようにしても、問題ないはずです」
「そうかもしれませんが、でも……。それは……」
私たち四姉妹には名前がありません。
それは、お母様が名前を付けると、お母様の眷族として存在が確定してしまうからです。
『主に属するのではなく、独立した存在になって欲しい』
そんな願いを込めて、お母様は私たちに名前を付けるのを止めたと。ずいぶん前に聞きました。
『ふさわしい名前を思いついたら、自分で自分に名前を付けなさい』
そう、お母様から言われたこともあります。
最初に造られた使徒……。白い二尾魔猫に名前がなかったのも、おそらく同じ理由でしょう。
こちらは、名前を思いつかなかっただけという可能性もありますが。
星の環境を変えるために産み出された最初の龍。
今では古龍と呼ばれているお兄様方も同じように、長い間、名前がないまま過ごしていたそうです。
しかし、環境が落ち着いて生命が繁殖し、文明が進化して、自分にふさわしい相手を見つけて、名前を付けてもらったと聞いています。
……ものすごく、気の長い話ですね。
「名前を付けてもらうのが目標ですが、まずはその前に。自分の身体で、創多さんと一緒に旅をしてみたいのです。……協力してくれますよね?」
「ええっ⁉ でも、私たちは地上に降りてはいけないと。お母様が」
「絶対に駄目という訳ではないはずです。春さんだって少し前に、地上へと降りていたでしょう?」
「あれは、他に方法がなかったらで——」
「もちろん、わかってますよ。それに、他に方法がないのは私も同じです。急がないと、手遅れになってしまう危険もありますし……」
「急がないと……? 何を急がないといけないのですか?」
ずっと穏やかだったお姉様の顔が、急に曇りを帯びました。
ここまででも、女神としてかなり危険な話をしていたと思いますが、さらに危ない話があるのでしょうか?
それにしても……。愁いを帯びたお姉様の表情は、妹でも見惚れてしまうほど美しいですね。
「一度会っただけのあなたには、理解しにくい話かもしれませんが……。創多さんは成長しているのです」
「あの年頃の少年であれば、成長してもおかしくないのでは……?」
「肉体的な話ではありません。そして、精神面の話でもないのです」
「えっ? それでは、何が成長を……?」
「……魂です。私が最初に彼と会ったのが、三ヶ月ほど前。そこから昨日までの短期間で、創多さんは大幅に魂を増やしました」
「申し訳ありませんが、詳しく説明してもらえませんか?」
「女神の加護があるので、創多さんがどれだけゴーレムを造っても、魂が減ることはありません。でも、女神の加護は魂を保護するだけで、勝手に増やすような力はないはずなのです」
人間でも魔族でもエルフでもドワーフでも獣人でも、人は生まれた時から同じぐらいの魂を持っています。
肉体的な成長に応じて魂も増え、一定の量に達したあとは徐々に減って、やがて死を迎える……。
これが私の知っている、魂の基本的なサイクルです。
もちろん、人によっては魂が多かったり少なかったりしますし、様々な理由で増えたり減ったりすることもあるのですが。
「申し訳ありません。私は創多さんが普通の人間だと思い込んで、そこまで注意深く観察していませんでした」
「あなたが気にすることはないんですよ。さっきも言った通り、一度会っただけではわからないと思いますから。ですが……これは事実なのです」
「でも……。魂が増えても寿命が延びるだけで、特に問題ないのでは?」
「創多さんの場合、あまりにも増え幅が大きいので……。このペースだと近いうちに、器からあふれる可能性があるのです」
「そっ、それは……。創多さんが、人の器を超えると言うことでは?」
「心配している理由がわかりましたか?」
穏やかな表情に戻ったお姉様。
思わず視線を逸らすと、ちゃぶ台の上のグラスが目に入りました。
冷たい麦茶の入った透明なグラス。
魂と器の関係も、考え方としては同じようなものです。
普通の人間であれば、魂が器からあふれることなど有り得ませんが……。
もし、麦茶が勝手に増えて、グラスからあふれたとしたら?
ちゃぶ台なら拭けば済みますが、人間の身体はどうなるのでしょう?
——チリーン……
風鈴から澄んだ音色が聞こえてきて、心地良い風が頬を撫でる。
創多さんの魂が増えた理由を、私はずっと考えていました。




