8 転送魔法
『マスター……。起きてください、マスター……』
シックな雰囲気の女性の声が、頭の中から聞こえてくる。
この声はアラベスでもマイヤーでもないし、エミリーさんとも違って……。
「んっ、んんん〜……。この声は……。この声は……誰……?」
『あなたに造っていただいた、リンドウです。マスター』
「リンドウ……? リンドウって、しゃべれたの……?」
『通常なら、私の方から話しかけるのは無理ですが、マスターが夢と現実の狭間を漂ってる時間を狙って、声をかけさせていただきました』
ふかふかの枕。柔らかいマットレス。肌触りの良い毛布。
思い出した……。昨日の夜は美味しい晩ご飯を食べて、何をするでもなく、早めに寝たはず。
「つまり……。これって、僕が見てる夢……?」
『お休みのところを邪魔してしまい、申し訳ありません。ですが、どうしてもマスターにお願いしたいことがありまして』
ゆっくりまぶたを開くと、すっかり見慣れた寝室が目に入った。
先が尖った紫色の帽子。紫色のローブ。短く切りそろえられた紫色の髪。
ベッドの横に魔法使いっぽい姿の女性が立っているが、全身がうっすらと透けていて、後ろの壁がぼんやり見えている。
なるほど。これは夢なんだな……。
「リンドウには、いつもお世話になってるからね……。何でも言って……」
『ありがとうございます。それで、お願いしたいことですが……。数日前に覚えた新しい魔法が、本当に使えるのかテストしてみたいのです』
「それぐらい、いつでも……。んっ……? 数日前に覚えた……?」
『天使が使っていた転送魔法です』
「あー……。いや、でも……。転送魔法が使えると、便利そうだけど……。あれって、誰でも使えるものなの……?」
『魔方陣の解析は完了しています。魔力が足りないのが問題でしたが、オニキスさんから借りて対応する予定です』
魔力の貸し借りって、そんなに簡単なのかな?
どっちも僕が造ったゴーレムだし、相性は良さそうだし、問題ない……?
「それじゃあ、やるだけやってみようか……。うまくいかなくても、気にしないってことで……。あとで、工作室で……」
『ありがとうございます!』
「それで……。今、何時かわかる……?」
『現在、午前五時三十一分です』
「それじゃあ……僕はもう少し、寝るから……。おやすみ……リンドウ……」
『おやすみなさいませ。マスター……』
☆
軽く寝坊した僕は、マイヤーに起こされた。
熱いシャワーを浴びて、朝ご飯を食べて、まっすぐ工作室へ。
「特に用意するものはないよね?」
『はい、大丈夫です』
右手の中指に填めている指輪に話しかけると、紫水晶の奥で白い点がキラリと光った。
同時に、落ち着いた雰囲気の女性の声が、頭の中に直接聞こえてくる。
「……起きてても話ができるんだね」
『マスターの方から声をかけていただければ、いつでも会話できます』
……これってもしかして、僕はしゃべらなくても——
『はい。大丈夫です』
なるほど。トパーズに意識を集中したら、なんとなく考えてることがわかるのと同じような感じか。
——ピーゥ! ピーゥピーゥ!
トパーズのことを考えていたら、窓の外から大鷲の鳴き声が聞こえてきた。
たまたま、屋敷の裏にある大きな木に止まっていたようだ。
……転送魔法の話を聞いて、そこで待ってたのかな?
ちょうど良いから、実験に付き合ってもらおう。
すっと目を閉じて、トパーズの視界を借りる。
裏庭には誰も居ない……。昨日、オニキスがメイスで凹ませたところがちょうど良いかな? 魔方陣がぴったり入りそう。
「あそこを目標にして……。僕が呪文を唱えれば良いの?」
『そうです。お願いします、マスター』
「それじゃあ……。コネクトスペース!」
グリゴリエルさんがやってたのを思い出しながら、右手を大きく振って呪文を唱えてみた。
工作室の床に、鮮やかに輝く魔方陣が浮かび上がる。
念のために確認すると、裏庭にも良く似た魔方陣が発生していた。
魔力を使った感触がないけど……。リンドウは大丈夫?
『かなり魔力を消費しましたが、あらかじめ、オニキスさんから魔力を借りていたおかげで成功しました』
「実際の転送はこれからだけど……。いけそう?」
『今、ルビィさんから魔力を融通してもらっているところです……。はい。これでもう、大丈夫です』
微妙に声が苦しそう? 強がってるようにも聞こえるけど……。
ここで止めたら実験にならないし、リンドウの言うことを信じよう。
話に出てきたルビィはいつもと同じように、机の上のお気に入りのポジションから僕たちを眺めていた。
……ルビィは余裕の表情だね。
「それなら……。次は、僕が魔方陣に乗って——」
『お待ちください。魔方陣の外から呪文を唱えても、同じように転送が行われるはずなので、まずは適当なもので実験を』
「そう? それじゃあ……。これで良いかな」
赤い粘土で造った沖縄のシーサーっぽい置物を、棚からとってきた。
すっかり粘土が乾燥してしまって、そのうち、焼き物にできないかと考えていたものだ。
「これを魔方陣に乗せて……。準備は良い?」
『準備は万全です。マスター』
「それじゃあ、やるよ……。トランスポート!」
魔方陣の外周から光が立ち上り、部屋の隅々まで明るく照らされる。
すっと光が静まった時、粘土で造った置物は消えていた。
——ピーゥピーゥ!
窓の外から大鷲の鳴き声が聞こえてくる。
トパーズの眼を借りて確認すると、裏庭の魔方陣に、さっきまでここにあった置物が乗っていた。
「成功したみたいだね」
『実験を手伝っていただき、ありがとうございます。マスター』
「それで……。リンドウは大丈夫?」
『先ほど、空間を繋いだ時は大量に魔力を使いましたが、転送はそれほどでもなかったです。現在の状態でも、もう一回は転送可能です』
「へぇ〜……。すごいね!」
『初めてだったので今回は多めに魔力を使いましたが、何度か使用して扱いに慣れれば、自分の魔力だけで転送できるようになると思われます』
「リンドウもすごいなぁ……。僕の相棒はみんなすごくて——」
「ソウタ様。今日は何をなさっているのですか?」
いつの間に工作室に入ってきたのかな?
声をかけられて慌てて振り向くと、そこには、エミリーさんとマイヤーが並んで立っていた。
☆
実験の内容を正直に説明して、二人に許してもらった。
何も悪いことはしてないと思うんだけど、謝った方が良い気がしたので。
ちなみにアラベスは、何かが光ったのに気付いて裏庭へと向かったそうだ。
ついでに、部屋の中が光っただけで大きな音を立てた訳でもないのに、どうして気が付いたのか聞いてみた。
「ソウタ様が妙なことをなさっている気配がしたので」
……エミリーさんの話は冗談だよね? 本当? 本当に本当?
メイドとして修行すれば、これぐらいわかるようになる?
そういうものなのか……。本当に?
「膨大な魔力が使われるのを感じたので」
マイヤーの説明はまだ、素直に納得できる気がする。
……マイヤーもいつか、エミリーさんみたいになるのかな?
想像しただけでちょっと怖いです。




