7 初めての戦い
森の奥の方にチラチラと、黒くて大きな影が見える。
それほど待つ暇も無くドスドスと、鈍くて重い足音が聞こえてきた。
「マルコ、お前は離れてろ。危ないようだったら、急いで村に走れ」
「でも、親方!」
「俺はとっておきを試してみる。なぁに……無理はしないから心配するな」
にやりと笑いながらベテラン猟師が矢筒から出した矢は、鏃の部分が青白く光っていた。
「効きそうだろう? 熊ぐらいなら一撃で動けなくする、電撃矢ってヤツだ。東の村で大物が出たって聞いて、準備しておいたんだが……」
弓に矢を番え、そのままゆっくり引き絞る。
二頭の犬がカルロの前に並び、森の奥をにらみつける。
ここに居ても足手まといになると思ったのか、マルコは言われたとおりに焚き火の側を離れ、川の下流の方からこっちを見守っている。
「ちょっと、ルビィ……。大丈夫なの?」
「にゃあー……」
どこか、かゆいところがあったのだろうか?
白猫は後ろ足をうまく使って、耳の後ろを掻いていた。
緊張感を感じないのかな? これぐらい、心配する必要無いってこと?
いきなり異世界に来て、森の中に放り出されて。それでも、そんなに心配しないで済んでるのは、ルビィが一緒に居るおかげだな。間違いない。
「来るぞっ!」
鋭い叫び声が、川の流れる音を切り裂く。
太い腕。太い脚。丸い耳。丸っこい身体。
木の間から出てきた大きな生き物が、ゆっくり後ろ脚で立ち上がる。
「おおきぃ……」
身長は僕の倍ぐらい? 軽く三メートルを超えてるように見える。
上から下まで黒い毛に覆われた姿は、前の世界でテレビや動物図鑑で見たヒグマに似ているが、左右の手に凶悪そうな爪が生えていた。
「おいおい……。思ってたよりずっと大きいな。しかも、こいつは……よりによって鉄爪熊かよ」
人間を獲物としか思ってないのか、よっぽど腹が空いてるのか。
巨大な熊がよだれを垂らしながら、じりじりとこっちに近づいてくる。
手に生えている爪は猟師が腰に下げている鉈と同じぐらい大きく、日差しを浴びてあやしく光っている。
——シュッ……。カキーン!
なんの前触れもなく、ベテラン猟師が矢を放った。
青白い光が軌跡を帯びて、熊の胸元へと飛んでいく。
次の瞬間、全てを予想していたかのように、熊は大きな爪を使って矢を打ち落としていた。
えっ……? なにこれ? もしかして、大ピンチなんじゃ……。
「マルコ、逃げろ‼ そこの坊やも死にたくなかったら、とっとと猫を連れて逃げた方が良いぞ!」
「でも、親方は……」
熊の顔をにらみつけたまま、カルロは次の矢を矢筒から出していた。
ペースを落とすこともなく、巨大な熊が近づいてくる。
本能で恐怖を感じるのか、犬の尻尾がだらりと下がっている。
「ここは、俺に任せろって言っただろうが……。だから——」
「にゃあっ!」
日向ぼっこを楽しんでいたルビィが、いつの間にか僕を見つめていた。
吸い込まれそうなほど赤い瞳。何かを期待している表情。
よく似た光景を、昨日の夜も見たような……。
「頼んだよ、ルビィ……。『大きくなれ!』」
ルビィに向けて手をかざし、お姉さんに教えてもらったキーワードを唱える。
周囲の景色がぐにゃりと歪み、可愛かった白猫が、あっという間に二メートルほどのサイズになった。