閑話休題 伯爵の回想
祖父からディブロンク家を継いで、もうすぐ九十年。
少なくとも領地の運営は、それなりに順調だったと思う。
何百年もの間、問題となっていた野良ゴーレムを討伐したことで、南東地方に通じる街道が楽に通れるようになった。
治安は昔より安定し、街も周辺の農村も人口が増えた。
妖魔の森からゴブリンやオークの軍団が攻めてきたこともあったが、近隣の街からも騎士を集め、国境を越えて侵入される前に撃退した。
人口が増えるのに応じて経済的にも発展し、人間や獣人もこの地を訪れるようになった。
特に経済関係の対策は、二人目の妻ががんばってくれている。
他の地方を治めている領主に対する見栄が主な動機のようだが、結果的に領地が繁栄するのなら問題ないだろう。
家を守ってくれている最初の妻と、うまく棲み分けができているようだ。
問題らしい問題と言えば……。跡を継がせようと思っていた長男が、面倒な事件を起こして廃嫡となったことぐらいか。
だが、それももう、終わった話だ。
もう一人の跡継ぎ候補だった次男は、魔力がそれほど高くなく、剣の腕もいまいちで、物足りない部分が多かったのだが、その分、次男の息子ががんばってくれている。
他の街の騎士団に入って、産まれを知らない相手に鍛えられたのが良かったのだろう。見違えるほど立派になって帰ってきた。
最近では立ち会い稽古をしても、三本に一本は取られる始末だ。
申し分ないほど魔力も豊富だし、これなら、エメリックの孫とも互角にやり合えるだろう。
息子の世代では私の完敗だったが、次こそは……。
☆
すっと手を伸ばし、テーブルに置いてあったマグカップを手に取る。
何の模様もない、白い無骨なマグカップが私のお気に入りだ。
メイドが入れたコーヒーも、ちゃんと私の好みに合わせてある。
「そろそろ、考えはまとまったかい? ディブロンク伯爵」
「そう言う陛下は、前に来た時と同じ本を読んでいるようですが……。同じ本を何度も読んで、楽しいのですか?」
屋敷の二階にある、プライベートな客を迎えるための部屋。
先代魔王は向かいの席に、屋敷の主よりも堂々とした態度で座っていた。
「すごく楽しいよ。最初に読んだ時には気付かなかった事実に、繰り返し読むことで気付いたりするし……。剣の練習で、何度も素振りをするのと同じようなものじゃないかな?」
「それはちょっと、違う気がしますが……」
ソファに座って本を読むエメリックを見ていると、学生時代に戻ったような気がしてくる。
あの頃、彼はいつでも本を読んでいて、剣の腕前も魔法の扱いも、あまり目立たないレベルだったが……。
☆
あれは確か、私たちが学園を卒業して、十年ほど経った年だったか。
先々代の魔王が突然亡くなり、バラギアン王国の慣例に従って、新たな魔王を決める大会が開かれた。
騎士団で修行をしていた私は参加しなかったが、何故か、歴史家になるのが夢だと言っていたエメリックが大会に参加していた。
後で知った話だが、亡くなった魔王は彼の祖父だった。
現在でも、魔王の肩書きは世襲制ではないが、ここ千年ほどは同じ家から魔王が選ばれている。魔力の高い家の男が魔力の高い嫁をもらうのだから、産まれた子どもの魔力が高いのも当然だろう。
そしてエメリックにも、その家の血が流れてると言うことだ。
竜を倒して名を馳せた戦士。
魔獣の集団暴走を一人で静めた賢者。
厳しい修行に耐えて、心と体を鍛えた武闘家など。
どの参加者も魔力が優れているのはもちろん、他にも優れた技を持ち、大貴族から推薦されるだけの人格者だったが……。魔力の差を見せつけるような戦い方でエメリックは勝ち続け、新たな魔王となった。
彼の戦いっぷりを見ただけで、観客全員の心が折れたのは間違いない。
もちろん、私も含めて……。
☆
砂糖たっぷりのコーヒーを飲み、本を読んでいるエメリックを眺める。
私は歳をとったが、彼は学生時代から変わらない姿のままだ。
「どうして陛下は、魔王になったんですか?」
「……突然、どうしたんだい?」
「前に聞いた時は、祖父の遺言で魔王になったと言ってましたが……。他に理由があるような気がしたんです。ただの勘ですが」
「まったく……。昔から、そういうところだけは君に敵わないな」
パタンと音を立てて本を閉じ、エメリックがこちらに向き直る。
どうやら、私の勘が当たったようだ。
「伯爵となって家を継いだ時に君も聞いたかもしれないが、王都の城には魔王しか入れない部屋がある。秘密の財宝が納められた宝物庫。危険な魔術具が封印してある倉庫。歴代の魔王が使った武具が入っている武器庫。そして……」
「そして……?」
「バラギアン王国の歴史をまとめてある図書室も、魔王以外は入れないようになってるんだ」
「えっ……? あっ! まさか……」
「歴史家を志す者として、自分が住む国の歴史を詳しく知りたいと思うのは当然だろう? 魔王じゃないと入れないのなら、魔王になるしかないって……。小さい頃、祖父に話を聞いてから、ずっとそう思ってたのさ」
エメリックが話をしているのでなければ、ただの笑い話だと思っただろう。
しかし私の直感が、これが正しい理由だと告げていた。
「そんな理由で魔王になった人は、他に居ないでしょうね」
「僕らしいだろう?」
にっこり微笑むエメリックの笑顔は、美しい妻が二人も居て、伯爵としての立場がある私でも、思わず惚れてしまいそうなほど魅力的だった。
「それで……。図書室の本は、全て読まれたのですか?」
「いやぁ、それがねぇ……。最近の本は一通り読んだんだけど、魔族大戦より前の本は古い言葉で書かれてて、読むのに時間がかかってるんだよ。魔王の仕事も忙しかったし、引退した後もいろいろあって、今は中断してるところ。続きは老後の楽しみかな」
「老後って……。まぁ、それはともかく、小さい頃の夢を叶えられたのは良かったですね。おめでとうございます」
豊富な魔力の影響で見た目が変化しないだけでなく、エメリックは寿命も普通の魔族より遙かに長いだろう。
これから先、永い時を生きることになると思うが……。そこに、楽しみがあるのなら幸いだ。
☆
エメリックが魔王になり私がディブロンク伯爵となったあとも、良好な関係が続いた……。少なくとも私の方は、そう思っている。
どちらかというと、エメリックが魔王の座を息子に譲って、気楽な立場になってからの方が大変だったかもしれない。
自分の家から用事がある場所に行く途中の、ちょうど良い場所に私の屋敷があるからと言って、何度も押しかけてきては泊まっていった。
私生活のトラブルに巻き込まれそうになったこともあった。
三人目の妻を娶ろうとして家族から反対されたって、元魔王の悩みとしてどうかと思うが……。古い友人として、地方を治めている伯爵として、真面目に対応したつもりだ。
酒を飲みながら話を聞いただけかもしれないが、それで問題が解決したのだから正解だったのだろう。
私が伯爵の肩書きを孫に譲ればその先は、王都の学園で過ごしていた時のようにエメリックと付き合えると思っていたのだが……。まさか、平和だったこの地方に大きな問題が起きるとは。
突然、動き出したガーディアン。
ガーディアンをあっさり破壊した鉄の巨人。
そして、それらを超える最大の問題が……。
☆
「あの少年を敵に回すのは、避けた方が良いね」
先代魔王がぽつりとつぶやいた。
どうやら、私と同じ事を考えていたようだ。
「その件ですが……。ソウタ殿と陛下の娘は、どのような関係なのでしょう?」
デノヴァルダルの街で、ガーディアンと鉄の巨人が戦っていた時。
戦況を見守っていた私の元に、魔王の実家であるティアヒム家の紋章が入ったペンダントを持った女性が、面会したいと言ってきた。
エメリックと良く似た青い髪。意志の強そうな金色の瞳。
最後に顔を合わせたのは、まだ彼女が幼い時だったが、エメリックの末娘のアラベスだとすぐにわかった。
「時間がなくて、詳しい話は聞けなかったけど……。アラベスは、ソウタ君への弟子入りを希望しているそうだよ」
「弟子入り、とは……? これから、石像使いを目指すのでしょうか?」
「そこはよくわからない。一つだけはっきりしてるのは、アラベスが冒険者になるって言い出した時に、喜んで送り出した僕の判断は間違ってなかったってことだね」
「まぁ、そうですね。そうかもしれませんね……」
夜中に突然エメリックが押しかけてきて、『可愛い娘が、冒険者になると言って家を出て行った』と、愚痴をこぼしながら酒を飲むのに付き合わされた記憶があるが……。
十年以上も前の話だから、私の記憶が間違っているのかもしれない。
「細かい話はおいといて、だ。彼が、この国の敵に回る可能性が少しでも減るのなら、どんな関係でも大歓迎だよ」
「そこは、私も同感です」
ソウタ殿の一行を屋敷に招いたのも、同じ理由だ。
お茶会の席で、何らかの縁ができることを狙って家族を紹介したが、年齢が釣り合う女性は私の身内には居なかった。
こんな時こそ、嫁にも行かないでふらふらしている次女が活躍してくれるかと期待したのだが……。私には、ソウタ殿が微妙に怯えているように見えた。
すっぱり諦めて、他の手段を考えるべきだろう。
——コンッ! コンッ! コンッ! ガチャ……
「失礼します」
ノックの音に続けてドアが開き、騎士服姿の男が入ってきた。
近衛騎士団の副団長を務めているアルベルト。
私の次男の息子——伯爵の肩書きを譲ろうと思っている相手だ。
「忙しいところを呼び出して悪かったな。昨日は時間がなかったし、陛下が帰る前に正式な紹介をしておこうと思ったんだが——」
「伯爵。その前に、報告したいことがあります」
「……何かあったのか?」
「先ほど、ソウタ殿を監視している部隊から報告が入りました。……一行を見失ったそうです」
優雅に紅茶を飲んでいたエメリックがティーカップをテーブルに置き、アルベルトの方へと向き直る。
彼も話が気になるようだ。
「話を聞かせてもらおうか」
「はい。報告によると、ソウタ殿の一行は予定通り、東に向かう街道を通って街を出ました。次の宿場町で昼食を取り、そこから先は馬車を降りて、徒歩で街道を移動していたそうです」
「旧ディブロンクの近くの街に、用事があるという話だったが……。馬車を降りるには早すぎないか?」
「監視していた者も同じように考えたようです。尾行を警戒している可能性を考えて、慎重に跡をつけていたところ……。突然、巨大な鷲が現れて、一行を乗せて飛び去った、とのことです」
「はぁ……? そんな馬鹿な話が——」
「あーっはっはっ! 面白い……実に面白い。僕はその報告を信じるよ。ソウタ君は最高だね‼」
向かいの席に座っている先代魔王は、ソファに座ったままのけぞり、手を叩きながら大口を開けて笑っている。
……そうだな。
冷静に考えると近衛騎士団の副団長が、こんな妙な話をわざわざでっち上げるはずがない。監視を任された人物も、同じぐらい信用できるはずだ。
報告は全て真実なのだろう。
「エメリック……。この後、どうすれば良いと思う?」
「うーん、そうだねぇ……。彼らの行き先はわかってるんだから、そこを見張ってれば良いんじゃないかな? あとは、あまり話を広げないように……。彼は目立つのを嫌うタイプに見えたからね」
「ふむ……。では、アルベルト。旧ディブロンクの部隊に急いで連絡を」
「はっ!」
人を乗せた鷲がどれぐらいの速度で移動するのかわからないが、対応を急ぐに越したことはないだろう。
「まずは居場所を確認して、行動を監視するだけで良い。こちらからは手を出さないように……。だが、恩を売るチャンスは逃すな。彼らが困っているようなら、積極的に手助けするんだ」
「了解しました。必ず伝えます」
領主である祖父と先代魔王が気楽に会話している姿を見ても、表情一つ変わらない。見た目は若いがアルベルトなら、私の跡を継いでも、この地方を問題なく治められるだろう。
やはり、最大の問題は……あの少年だな。